夢の骨

戸禮

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5章 赫奕の迷子

73 第四圏

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◯ニーズランド_第四圏

 マーリンの手により第三圏が消滅する少し前の事。
 と言っても、遡る事ほんの数十秒程度の事だった。それまで第三圏の攻略の為に分散していた大討伐軍には大きな動きが見られていた。アンブロシア号と挑戦者の闘争を除けば、第三圏の戦局は大別して二つに分かれていた。
 一方はボイジャー:スカンダ号、新生テンプル騎士団大幹部のアレッシオ・カッターネオ、準ボイジャー部隊長ガブナー雨宮の三者と反英雄との衝突。彼らの奮戦によって、無敵と評される程の反英雄の甲冑を破壊することに成功したが、それを期に反英雄の本体とも言える存在が、かつての世界的大英雄であるボイジャー:プリマヴェッラの悪霊であることが判明。正体を明かした反英雄は改めて自身の持つ人類に対する敵対心を露わにした上でスカンダ号に強力な精神汚染を仕掛け、彼女の肉体への憑依を実現させた。
 その後、スカンダに受肉したことで反英雄は夢想世界に対する更なる干渉能力を獲得。それを用いて本来であればクラウンの固有能力である十四系の扉の生成を行い、晴れて第五圏の統治者として第五圏での叢雨禍神との決着を望んだ。その想いに応える形でかつての旧友である澐仙は第五圏に進出し、ガブナー雨宮は重篤なダメージを負ったアレッシオ・カッターネオを連れて澐仙の背を追う形で第五圏へと旅立った。

 もう一方の戦局を成していたのは第三圏の統治者である"傀儡姫"京美・ワダク率いる悪魔の僕の軍団と大討伐軍本隊との全面抗争だった。異質な冠域生成能力によってVeak隊員が合体を果たした姿であるVyの活躍もあり、強力な悪魔の僕たちを撃破した大討伐軍は怒涛の勢いで第三圏の中央に位置する巨城を制圧した。
 元々は傀儡姫の警護の役割を担っていたニーズランド陣営の料理王はVyに対する心酔の情を強く訴え、ニーズランドの内情のよく通じる者としてVyの先導役となって巨城内部に存在する第四圏へと通じる十四系の扉へと大討伐軍を促した。
 殲滅率が100%を満たすより先に大討伐軍及び、アーカマクナシリーズ軍隊を指揮するコンスタンティン・ジュガシヴィリ中将は第四圏への進出の意思を表明した。巨大な空飛ぶ橋頭保である筐艦は城の内部に侵入できないことから部分的な機能の解体を命令し、筐艦の生みの親である準ボイジャーのゴフェル号を筐艦内部から城に招致した上で彼女も大討伐軍に混ざって第四圏に向かうように指揮した。
 結果、この判断が吉となった。大討伐軍が十四系の扉を抜けてすぐに第三圏はマーリンの冠域延長により完全消滅。調整員として筐艦に残っていた大討伐軍の本隊以外である全体の二割程度の構成員たちが第三圏と共に姿を消すこととなった。


―――
―――
―――

「もう一度、言ってみろ」

 コンスタンティン・ジュガシヴィリ中将の眉間に深々とした皺が刻まれる。
 彼に向けて上奏に近い心境で報告を行ったクリルタイ議長のキングストン・エドワード大尉は絞めつけられるような胃の痛みを抱えながら、中将に対して数秒前と同じ言葉を紡ぐ。

「第三圏にて超高出力のエネルギー拡散を筐艦が検知した後、第三圏全ての観測情報がロスト。ほぼ同時に筐艦からの通信が断絶し、筐艦設備により常在補完されていた兵士の千名程度が夢想世界から退去しました。当然、筐艦内部に残っていた調整員もまた消滅したと考えるのが自然かと…」

「なるほど。第三圏が消滅したと。……

「閣下、いや、しかしっ…」

「誰がそんな芸当をやってのけたのかが何よりの問題だろうが。反英雄か、それとも叢雨禍神か?」

「いえ、両名の観測情報は我々よりほんの一足先に別圏域への進出の軌跡が確認されております。その際に用済みの舞台である第三圏を消去する動きを見せた可能性は捨てきれません。それにニーズランドの管理者であるクラウンや岩窟嬢の干渉という線も考慮に入れるべきかと」

「犯人及び経緯は不明か。………対反英雄の局面は十中八九で第五圏での戦いに移行するという料理王の言葉を信ずるならば、あちらの現状をあれこれと思案しても仕方がない。仮にクラウンの手による冠域消滅だとすれば、筐艦を直接狙ってきたか、それとも退路を断つために馬謖を切ったか……いずれにしろ、実行のタイミングに不可解さが滲んでいる。反英雄が別圏域に移動したことを期に大勝負を仕掛けるつもりで冠域を潰したとするならば、大討伐軍に対して最初からそのカードを切らなかった理由がない。恣意的なタイミングで圏域丸ごとを葬り去ることが可能なら、全ての闘いは始まる前に片がつき、我々の全滅で終着していたはず」

「事実として筐艦が消滅したことは間違いなく大討伐軍によっての大損害です。準ボイジャー:ゴフェル号が運よく逃れたことで再度の筐艦生成は可能ですが、獏からのバックアップが期待できない今、彼女が使用できるリソースにも限度がございます」

「ああ。全く、憤りを通り越して思わず笑いだしてしまいそうだ」

 そう発言する割に中将の表情は険しい皺の刻まれたままだった。彼は冷厳な面持ちで歩みだし、Vyの傍らで遜るようにくねくねと動いている料理王に詰め寄った。

「そもそも反英雄が第五圏の支配者であるという情報に偽りはないのだろうな?…所詮はニーズランドへの叛逆者。得られる情報の確度など無いに等しいがな」

「おや?拙の言葉をお疑いでございますかな。それも当然でしょうが、私はこの期に及んで嘘偽りを吐く程に愉快な男ではございませぬぞ。仰せ通り、拙は取るに足らない叛逆者。今更大討伐軍とニーズランド双方に牙を剥くような真似などとてもとても」

「ではなぜ、反英雄は初めから第五圏で待たず、第三圏で大討伐軍との戦いに参加したのだ?」
 
 それを受けて料理王は滑稽極まれりとばかりに少し顔を背けて頬を膨らませた。

「なァに、我々ニーズランドの行動原理は実に単純。第三圏と言わず、ニーズランド全体から見ても大討伐軍そのものの脅威は微々たるものでございます。もちろん、新生テンプル騎士団もね。クラウン殿がまともに敵対視をしているのは言ってしまえば"叢雨禍神"唯一人と断じてしまっても決して過言ではございません。
 反英雄殿に置かれてもそれは共通認識でしょう。むしろ、反英雄殿は叢雨禍神を葬り去ることを本懐としてニーズランドに帰順しておられたのです。第一圏は叢雨禍神が出るまでもなく制圧され、第二圏は生粋の蛮勇若人である怪獣王のスタイルによって一騎打ちという形が断行されました。まぁ、怪獣王殿は叢雨禍神を戦場に引っ張り出しただけでも意味があったと言えましょう。
 次点である第三圏では当然、いよいよ頭角を現した叢雨禍神に対する総力戦が望まれます。先程屠られた大量の悪魔の僕や傀儡姫、加えて拙も助力の上で正念場となる死闘が繰り広げられるはずでございました。ここで叢雨禍神を撃破できればそれで良し、ではありましたが、やはりなかなかうまくいかないものでございますな。想定外に食い下がったボイジャーや騎士団の健闘の甲斐もあり、反英雄殿は己が最も実力を発揮できる環境への鞍替えを選択したのです。第五圏は元々クラウンが反英雄殿の為に用意した対叢雨禍神の舞台。あそこに入って尚、反英雄殿が敗北するのであれば、ニーズランド側の勝機は潰えるでしょう」

「…反英雄は何故、それほどまでに叢雨禍神の打倒を望むのだ?」

「拙が言うまでもなく、TD2Pの事実上のトップである閣下は既にご存じのはずでは?」

「…………」

「それとも、大討伐軍全体の指揮の低下を案じた上で知らぬ存ぜぬと決め込んでいるのですかな。敢えて私から高らかに申し上げても良いのですぞ?……反英雄がボイジャー:プリマヴェッラという大英雄の成れ果てであるという事実を」

 そこで中将は料理王に背を向けた。
 何か途方もない憤りを御するかのように、悟られまいと必死に所作を抑えた深呼吸が大きな背中から見て取れた。

「だからボイジャーなどこの世界に生み出すべきではなかったのだ」
 心の底から絞り出すように。
 無念さすらも感じる声音が漏れていた。

 TD2Pの中でも意見が割れているV計画による悪魔の僕の打倒に関して、彼は当初から一貫して否定派として毅然とした態度をとっていた。ボイジャー運用が軍部の根幹を為すドクトリンであるにも関わらず、彼がこれほどまでにボイジャーに対する嫌悪感を露わにしてなお現在の立場に就いているのは、彼がボイジャー:プリマヴェッラ号の反英雄への転身を隠蔽するために暗躍していた張本人であるからだった。
 軍の上層部は各国の諜報機関でさえも知り得ていないプリマヴェッラ号の死後の暴挙から世界の眼を背けさせるために、彼がどれほどの心労を抱えてきたかはキングストン・エドワーズ大尉でも耳にするところだった。

「他人に何かを強制すれば……その力が強ければ強い程に軋轢の溝は深まり、跳ね返る力も増してしまう。改造人間兵器などに頼らず、アーカマクナ計画に本腰を入れていたならば……今日に至るまでどれほどの悲劇を防ぐことが出来たことだろうか」

「たらればの話をしても栓の無き事でございましょう。確かにボイジャーなどという彼ら自身に大きな十字架を背負わせ、かつ世界に大きな禁忌を抱えさせたことでしょう。……でぇ…まぁ…その上で、とってもとっても申し上げにくいもう一つの悲劇というものをご紹介させていただいてもよろしいですかな?

「……?なんだ、藪から棒に」

 Vyは怪訝な面持ちで料理王に問うた。先程まであれほど面白可笑しそうに頬を膨らませ、赤らんでいた料理王の貌が今では吐き気に襲われたような青白さを見せている。それだけで何らかの危険を察知したのであろうという予感は抱くことが出来るが、その正体に関してVyやジュガシヴィリ中将は知る由もなかった。

「んん。えぇ。先程、十四系の扉を潜る際に拙は申し上げましたが、この第四圏は"冥府王"アミール・カウリーの統治により統治された圏域でした。ご存じの通り彼は世界にその名を馳せたカテゴリー5の超強豪であり、悪魔の主君として人類の進化の為に悪を演じる名役者でございます。彼の持つ死者蘇生の力は、かつてエジプトでAD2Pの大討伐軍が数度に渡り半壊させられたことで知られております通り、間違いなく夢想世界における最強格の冠域使いに相応しい能力でございました」

「ニーズランドと冥府王が通じているという情報は管理塔ですら掴んでいなかったからな。あれほどの男がニーズランド陣営の圏域統治者として待ち構えているといのなら、決して楽な勝負にはならんだろうと覚悟していたが……。
 冥府王の事をわざわざで語るのならば、詰まるところ……」

「流石、閣下殿でございますな。勘が研ぎ澄まされてあらせられる」

「貴様の態度を見れば一目瞭然だ。これでは子供でも察しがつくだろう。…大方、何者かがこの冥府王を打倒し、圏域を乗っ取ったのだろう?

「えぇ。えぇ。左様でございますとも!」

 料理王は引き攣ったように苦笑いを浮かべた。

「加えて申し上げれば……ここは既に第四圏とも言い難いですな。ここに来たばかりでは気が付きませんでしたが、この肌を刺すような感覚……第四圏であったはずのこの空間が丸ごと別人の冠域の侵食によって塗り替えられてしまっているのでございます」

「途方もない規模と深度の冠域ということはわかった。で、誰がやったと?」

 誰が相手でも結局は戦わなければいけない立場上、ジュガシヴィリ中将の態度に大きな変化はなかった。
 ニーズランド陣営であれば、相手が誰であれ挑む他に選択肢など存在しなかった。

に関しては拙よりもTD2Pの御仁方々の方が知悉していることかと存じますが、敢えて言いましょう。彼もまたボイジャーと呼ばれる夢想世界の戦略兵器に名を連ねる存在。しかして、私の有する情報程度でも、彼がTD2Pの手綱を離れてニーズランドで野放しになっているとの現状は把握しております。
 いやはや、よもや単騎での第四圏制圧を成し遂げてしまうとは、骨の瑞からの身震いが湧き上がるようですぞ」

 察しの良いジュガシヴィリ中将でなくとも、その言葉の意味する所を理解するのはそう難しいことではなかった。

「奴を単騎と呼ぶにはいささか傲慢が過ぎる。………ハァ。本当に心底うんざりする。ボイジャーなど、やはりこの世に生み出すべきではなかったのだッ」

「ンン。心中お察し致しますとも。しかしまぁ、敢えてアレに名を与えるとするならば差し詰め”蝿の王”といったところでごさいますかな」

 彼らは一様に天を仰ぐ。冠域全体を包み込むような闇の目を凝らして見てみれば、それらが信じ難い程に群集した大量の蝿であることがわかった。

「冥府王よりはまだ勝機のある相手だろう。何にせよ、反英雄よりは強いということはあるまい」

 中将は手を高らかと掲げ、眼前の空間に対して振り下ろす。

「対象は旧ボイジャー:グラトン号。
 ”蝿の王”ユーデンとするッ!
 区分はカテゴリー5の悪魔の僕、或いはそれ以上と仮定した上、全兵力を持ってこれを駆逐するッ!
 総員戦闘開始ィッ!!!!」






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