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5章 赫奕の迷子
72 ホール
しおりを挟む花弁を散らすように崩落する大型の劇場。
瓦解した木片の粉塵すらも撃ち抜くように、天高く吹き荒ぶ弾幕が張られる。
第三圏を鮮やかに彩る歴史様々な照明たちは、示し合わせるようにして宙を舞う二人の青年を照らし出す。
月明かりと照明ばかりが主張する第三圏。無数に張り巡ったローラーコースターの鉄骨に乗り上げた挑戦者は、大破した劇場跡に蠕く怪物を眼下に見据え、鼻から滴る血を長い舌で舐め取った。
「冠域効果無視の貫通定量ダメージであるアーカマクナの”ベンガル砲”。お互いが冠域を使えない劇場内ならまだしも、こうして対等なステージに立った今では厄介極まりないな…
夢想解像でのゴリ押しに徹するか。いや、冠域と夢想解像ではそもそも対等な勝負なんて出来やしない。夢の肉に依存する夢想解像では、上位概念である夢の骨に争うなんてとてもとても…」
そこでいきなり、周囲の光が揺らいだ。あたり一面を騒々しく照らしていた照明の光が渦巻くようにして一つの球体の元に引き寄せられていく。
その様はさながら光を喰らうブラックホールを思わせるほどで、あっという間に劇場周囲数キロメートルに及ぶであろう広大な範囲の光という光を吸い尽くしてしまった。光を呑むに比例して巨大化していく真っ黒な球体は炎を猛らせる太陽へと成り替わり、その少し後ろには火球と全く同じ大きさの輝く闇の塊が球体となって生成された。
『固有冠域展開:楽園双眼鏡』
「ならばどうするか。ここはお互い。フルスロットルでぶち当たるしかねぇだろうッ‼‼」
劇場から再度弾幕が張られる。
現実世界に置き換えればさぞ恐ろしかろう口径の弾丸が鉄柱の根本に降り注ぎ、たちまちにコースターの鉄骨が崩落を始める。瓦解する鉄骨と共に身を宙に投げ出した。
「固有冠域展開:"舌がキエフに連れて行く"」
崩落する瓦礫を押しのけるように衝撃波が辺りを覆う。劇場を起点として広がってくる巨大な圧力と衝撃波がぶつかり合い、不可視のエネルギーが一転して火花を散らすような空間の軋轢を生じさせた。
挑戦者ことライカ・ボンダルチュックの持つ固有冠域。
"舌がキエフに連れて行く"の効果は自己複製とそれに伴う『再発式因果律』の恒常付与である。これを誰にとっても明瞭に要約するならば、彼は自己とまったく同じ姿形を持った分身を同時多発的に冠域内に存在することが可能であり、かつそれらが各々に保有する独立した思考回路による行動が互いに常に干渉しつつも行動の阻害や妨害といった弊害が起こらない。
これには彼の独自保有する因果律が影響しており、"行動"に伴う運命論的な収束する"結果"は常に一定の冠域そのものに紐付けられている。これはスカンダが自身の冠域内で物理法則や人体耐久度を無視した高速移動が出来る状態に類似しており、挑戦者が冠域内に居る限り、独立して存在する彼ら同士の運命が影響しあってその全てが行動不能になることがない。常に夢想解像による自己補完を完全自動で実現させている不死腐狼の"不死の帷"とは系統こそ異なるが、彼の固有冠域も間接的な不死を実現するには十分な性能を有していた。
空中で瞬時に生成された複数の挑戦者たちは、それぞれオリジナルの素体と同じく蜈蚣を被るような夢想解像をその身体に施し、変身の完了を待たずに劇場跡で佇むアンブロシアに突っ込んでいった。
単純な戦力としては、これまでアンブロシアを十分に追い詰めていた挑戦者が一気に三十名程度まで複製され、かつ率いる蜈蚣の物量もそれに伴って数十倍から数百倍に膨れ上がっている。夢想解像の練度や戦闘のセンスそのものを考えれば、一挙に彼を擂り潰してしまえる程の"勢い"は十分に実現させていた。
しかし、挑戦者のこれまでの闘いの中で培ってきた経験則がどうしてもこの勝負での楽観視を許してくれない。
相手は紛うことなき"アーカマクナ"。ボイジャーという改造人間に頼らず、莫大な夢想世界の情報を強化・深層学習により継続的な運用を実現させ、人類の宿敵である悪魔の僕を淘汰することを望まれた新兵器。
当初はBENGAL社がAD2Pに売り込んだ性能の低い夢想世界の潜航器であったが、とある武器の搭載によりその評価は掌を返すように一変した。
現行のアーカマクナシリーズG3以降に標準搭載されている"ベンガル砲"と呼ばれる機関砲。言わずと知れた冠域特攻効果を持つ対冠域弾は、挑戦者に関わらず、固有冠域を所有する全ての悪魔の僕にとって相性が最悪だった。
アンブロシアに押し寄せた蜈蚣の黒い波がベンガル砲によって散らされる。人蜂形態のアンブロシアの身体中の至る所から砲門が生成され、左右前後の死角を許さずに周囲をそのまま砲弾の波状攻撃で吹き飛ばした。
元々体の構造が把握しずらい奇妙な出で立ちをしていた人蜂形態のアンブロシアだが、その体格は明らかに劇場内に居た頃よりも一回り大きくなっている。挑戦者からすれば、筋肉量が著しく増したようにも見えるし、骨格からして頑強なフレームに組み直されているようにも見える。背の辺りに備わっていた翅は眼を焼くような虹色の奇妙な色合いで発光しており、その部分からはこれまでにないような強烈なエネルギーの凝縮を感じさせられた。
粉塵の中に在った人蜂の姿が消えた。オリジナルの挑戦者はそこで初めて、アンブロシアに齎された新たな速さの脅威に気が付く。先程までは彼を圧倒していた自慢の瞬発力や推進力も、ここにきて完全にアンブロシアに上をいかれている。
挑戦者は背中に冷や汗のようなものを感じた。常に因果干渉することで位置と行動を把握できる自身の残機とも言える分身の総量が一秒刻みでごっそりと数を減らしている。辺り吹き荒れる弾丸の軌道は把握できても、肝心のアンブロシアの気配が掴めない。
オリジナルの挑戦者は逸る鼓動を運動エネルギーに変換し、駆けだした。高速移動しつつ、注意深く周囲を確認したことでアンブロシアの姿を捉えることに成功した。
「ベンガル砲の弾速より遥かに速い移動……弾幕はあくまでも射線によってこちらの退路を制限するためのブラフか……」
「それはどうでしょう」
挑戦者の頭上に急に出現したアンブロシア。彼の腕は幾つもの銃口を備えた機械腕へと変化しており、挑戦者が視線を送ることには超近距離からの斉射が彼を襲った。
元々の集弾性能の低いベンガル砲とはいえ、至近距離から張られる弾幕に対する回避は諦めざるを得なかった。挑戦者は自身の付近に複製した分身を多数生成し、それらを一斉に夢想解像によって大量の蜈蚣を放出することで肉壁を生み出した。数百匹単位の蜈蚣を一発で屠り去る恐るべき威力のベンガル砲の前ではいささか頼りない肉壁であったが、質より量と言わんばかりに挑戦者は自己複製と蜈蚣の放出を続けて数十秒に及ぶ弾丸の放出を防ぎ切った。
だが、そもそも弾数に限りないベンガル砲をわざわざ打ち止めする理由はアンブロシアにはない。ここで斉射を辞めたのは、弾幕を解除して挑戦者たちのおおよその位置を確認するためだった。
「暁」
黒い太陽が挑戦者たちを呑み込んだ。内包されたどす黒い炎が蜈蚣たちを一瞬で焼き尽くすものの、再発式因果律によって完璧に自己補完している挑戦者は複数の分身が燃えたものの、オリジナルとなる本体は火球から素早く脱出を遂げていた。
そんな挑戦者に向けて、人蜂は静かに人差し指を突き立てた。
「止まりなさい」
「…ッ‼?」
回避に専念していた挑戦者は自身を取り巻く環境の変化に気が付いていなかった。
ランタンや提灯など、時代も文化も様々な照明が乱立していた第三圏だが、これまで一本たりとも信号機による照明などは存在しなかった。しかし、ふと我に返った挑戦者の視界に飛び込んで来るのは、自身の八方を取り囲むようにして設置された信号機から発せられる目が眩むような赤い光だった。
光を浴びた途端、身体が硬直した。精神と肉体が分断されたように体躯は命令を無視し、慣性も推進力も無効化された凪のような虚しさが挑戦者に恐怖を覚えさせた。
「一つ。お聞きしたいことがあります」
まつろわぬ蜂が赤いスポットライトに充てられた挑戦者の前に降り立つ。
「私が何やら人類にとって悪魔の主君より余程恐ろしい脅威ということは理解しました」
「それは何よりだ」
「しかし、私は別に人類の進化だの悪魔の病だの、そういうことに興味はありません。私が仮に技術的特異点として人類の未来を阻むような存在であったとしても、私個人は人類を亡ぼしたり、邪魔したり、嫌がらせしたいというような考えは持ち合わせていないのです」
人蜂の瞳が揺れる。不死腐狼の最期と同じ、赤い重瞳だった。
「それでも私は居ない方が良いですか?……ニーズランドもTD2Pも全てを忘れて静かに生きていくと約束すれば、見逃していただけるのでしょうか」
挑戦者はそれを聞いて噴き出すように笑った。
「愚問だな。クラウンのように運命論を語りたいわけじゃないが、やはり存在には自己と紐付けられた役割というものがある。……先程、俺と初めて会った時のお前にはまだ可能性があった。己を知らず、世界を知らず、運命を知らなかった。だが、今の貴様は俺のような出会って間もない存在の言葉を受けて己の存在が特異点であることを理解した。今の発言で貴様は己を特異点であると認めたんだ。
で、あるならば、もはや貴様は脇役ではいられない。明確な役割を与えられた役者として、与えられた運命を全うする。どれほど平穏を願ったとて、どれほど傍観者を装ったとて、貴様はいずれ人類を亡ぼす。そしてそれを阻むために存在する我ら悪魔の主君との闘争は避けられない」
「嫌いですね。それ。……私の生き方をどうしてそんな役割論に左右されなくてはいけないのですか。私が本当に粛々と平穏に過ごすだけなら、我々に争う理由なんてはいはずです」
「理想高く生きるのは勝手だ。だが、運命というものが存在しないなら、俺は今ここに存在しない。全ては因果の悪戯さ、原因があるから結果が生まれる。予め結果が与えられているとしたら、原因はどんなに取繕うとも原因なんだよ」
「そうですか。……本当にどうしようもない世界ですね」
アンブロシアは手を掲げる。目いっぱい開かれた掌に吸い寄せられるように、宙に浮いていた巨大な輝く闇の球体が接近してきた。形を変え、球体が渦を巻きながら掌の元に凝縮され、回転する小さなキューブが生まれた。
「もう、いいです。わかりました。これほどになく癪ですが、その役割というのを全うします。
もう、迷いません。面倒なので考えたくもない。ニーズランドも、悪魔の主君も、TD2Pも心底どうでもいい
私は私の幸せのために戦います。
きっとあるはずなんだ。こんな私にも帰る場所が。
誰にも侵害されない自分のためだけの楽園が」
キューブが猛烈な光と衝撃を以て、第三圏に破壊を齎した。
『冠域延長:夕火の刻』
凝縮と発散。多重奏のように折り重なったエネルギーのハーモニーが、連鎖的な空間伸張を齎し、数十万トンの爆撃でさえ比肩し得ない空間の軋みを実現させた。あまりに強烈な光の放射は挑戦者たちの影を瓦礫に焼き付ける程に強力であり、光を浴びた挑戦者たちはたちまちに灰燼と化して消滅していった。
第三圏を満たす光は一切の例外もなく、そこに存在する全てを消滅させた。
これもまたアーカマクナとして備わった最適化性能の一つ。再発式因果律を実現させる挑戦者を打破するには、オリジナルを含めた全ての分身と冠域そのものの同時破壊が必須だった。ボイジャー機体による高次の精神負担体制に加え、アーカマクナとして備わっている無尽蔵の出力リソース。一切の制約を取り払った最大限の発散を用いれば、禁断の惑星を用いない高エネルギー放射を実現させることさえも容易だった。
「………………………」
マーリンは白とも黒とも似つかない虚構の空間を漂った。
必死に記憶を追い求めてきた頃の感情が、何故だか胸を満たす。
あの時、己は何を感じていたのか。
焦っていた?
違う。
混乱していた?
違う。
祈っていた?
違う。
唐土己は、確かに怒っていた。
僕は悪霊との闘いで魂の在処を見つけてしまった。
俺は不死者との闘いで肉の覚悟を覚えてしまった。
私は挑戦者との闘いで骨の温もりを知ってしまった。
彼のいう通りだ。
もう、傍観者ではいられない。
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