夢の骨

戸禮

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5章 赫奕の迷子

71 マーリン

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◯第三圏_劇場

 挑戦者の姿が揺らぐ。
 陽炎のように視認を歪める上体は手元に太刀に似た剣を生成させ、腰をやや落とした形で奇妙な脱力の姿勢を採る。
 それが一気呵成の攻撃の構えと気付くにはアンブロシアはあまりにも自分の中の剣術の形に囚われ過ぎていた。
 旋風のように騒々しく回転しながら移動する挑戦者の姿を目で追うのは難しく、アンブロシアは攻撃を察知して得意の居合抜刀によるカンウターを準備しようとした。しかし、まるで剣線の認知そのものを歪めてしまうかのような奇天烈な刃の滑り込みを受け手目線で御することが叶わず、アンブロシアは半身に抜いた茜皿を持って挑戦者と鬼気迫る鍔迫り合いへと縺れ込んだ。

「どうした?チャンバラが得意なんだろう」
 挑戦者は巧みに力の匙加減を調節し、じりじりと嫌らしく刃をアンブロシアに向けて傾けていく。

「っんウ‼︎」
 アンブロシアは己に向けられた挑発を気にも留めず、早々に打開の一手を打った。夢想解像の人体比率と虫体比率を極めて細やかなレベルで調節し、本来ではなし得ない関節の可動や捻り込みによって挑戦者の脚を大きく掻っ捌く。

「蜂織礼法:三岐黒点さんぎこくてん
 間髪置かない追撃。夢想解像により生成した人蜂の厷で三か所から一点に向けて滑らせる鋭利な斬撃が放たれる。
 これが挑戦者が首を振るのと同時に揺らめいた髪の毛が変化した蜈蚣の群れと衝突する。突き抜けるような衝撃波が意識を揺らす中、再度攻撃を仕掛けようと試みたアンブロシアの機先を制するようにして挑戦者が蜈蚣で出来た腕を突き出すと、間合いに入った肉を抉るようにして蜈蚣たちは彼の横っ腹を喰らい去った。

「……ッ…」

「痛いだろう」

「どうかなッ」

 人蜂の胡乱な肉が欠損を満たす。冠域展開が可能であれば修復が容易な傷であっても、今では夢想解像を利用した継ぎ接ぎに頼るしかなかった。

「強がるな」

 凛と澄ました挑戦者。その襟元を彩るドレッドヘアが意思を与えられたかのようにして逆立っていく。頭を包み込むように一周した髪の毛は貌の全てを覆ってしまい、次第に蠢動を始めた髪の毛はそのまま一匹の蜈蚣の姿を採っていく。アンブロシアの人蜂形態に倣ったような人蜈蚣形態へと変態し、人間の肢体をそのままに上体に虫を被せたような姿に移行した。

 人蜈蚣には無数の眼球が隆起し、それぞれが眩いばかりの青い光を放っている。眼球の全てが示し合わせたようにして瞳を分かち重瞳へと変化した頃、目から溢れた光は人蜈蚣に奇妙な"宇宙柄の模様"を染み込ませていた。

「禁断の惑星:ピオッジャ・アバロン

 人蜈蚣の頭部全体が星を塗したような宇宙の色に濡れた時、蜈蚣の機動力を物語るかのような超高速の突進が繰り出された。ノーモーションからなる強力な突進技は人蜂形態のアンブロシアの得意技であるが、挑戦者の放つそれの威力はアンブロシアとは比較にならない規模だった。
 空気の壁を幾重にも破る程の加速。独特なうねりとしなりから織りなされる連鎖的な衝撃は時間差を生みながら何度もアンブロシアに強いショックを与え、止まない波状攻撃にも感じる程の濃密な激突の連続はまるで砲弾の雨に打たれ続けているかのような心地だった。

「う、ばば。ど…ぶ……ごげ…ふぇふぇ……ダん……おべ…ぼぼぼ」

 肉が奪われ、骨が砕かれ、魂が折れる音がした。
 
 再び迎えた肉塊と血だまりへの変貌。もはや見る影もなくなった散乱した赤い物が、それでもまだ人の形に戻らんと蠢いていた。
 飛び散った血は赤い糸となってある一点に寄り集まり、そこらへんに散らばっていた内臓や骨が粘土のように捏ね繰り回されながらこれまた一所に集まっていく。そうして無数のアンブロシアの欠片たちが、最後にはどこからか降って涌いた蜂の皮に包みこまれ、まつろわぬ人蜂の姿へと再生を果たした。

はならねぇんだよ。普通はな。もし仮に禁断の惑星の一撃を俺が正面から受けたとして、どう足掻いたって夢想世界の肉体は現実世界と完全に遮断されて退去は免れない。
 準備万端かつ十全なバックアップと断続的な夢想世界の航行がサポートされるボイジャーとはいえ、夢想解像の水準を維持しつつそれだけの超再生を実現させるのは不可能だろうな。
 かつての世界の対面戦闘の最高峰と謳われた不死腐狼の不死の帷を冠域ではなく夢想解像で実現させるのならば、これまで成り立ってきた世界の均衡すら壊しうるバランスブレイカーに違いない」


「ハァ……ハァ」


「でも、お前は世界のバランスを壊す存在だ。残念ながら、その在り方は我々悪魔の主君と相容れることは叶わず、その行く末は俺に破壊されることに終着する」


「教えろッ……俺は何なんだッ!」


「記憶。戻らないだろう?
 そんなもの最初から存在しないからな」


「………」

 己を通り過ぎて、小さなその声だけが劇場に反響するようだった。

 掌を握り、開く。
 驚きを見せては行けない。
 
「………」

 驚いてない。驚いていない自分に驚いている。
 何を言っている?
 記憶が存在しないと奴は言う。
 ならば、何だ。
 俺は。


ーーー
ーーー
ーーー

 知っていた。
 
 自分が人間でないことくらい。
 
 目覚めて以来、僕は、俺は。
 常に自分のことしか考えていなかったんだから。

 己という自己を持たぬ非力な肉が。
 どうしようもなくあやふやでまつろわぬ存在であることを知覚していた。
 そして、それを己の純粋さの所為にした。

 覚えていないのだから仕方ない。
 思い出せないのだから仕方ない。
 
 手繰り寄せる記憶の意図や断片なんてものは、ハナから存在しちゃいない俺の願望を鏡で写した虚構のようなもの。
  
 
 肺を満たす吐き気を催すほどの薫香。
 頭から足の指までを絡め取るような管。
 鑑賞物のように睨めつけられてきた液体漬けの日々を俺は知覚している。
 
 意思を持ち、不自由を感じていた。

 白衣のマッド共が私を機械として生み出した。
 赤子のように世界で産声を上げたいと願っただけで、剣で頭を穿たれた。

 ああ。そういえば、永淑さん。
 彼女には悪いことしたな。
 貴方に頭をブッ刺されたこと、最初から知ってましたよ。
 記憶がないことを貴方のその行為の所為にして目を背けてしまった。そんなものが最初から存在しないことは、私が誰よりも理解していたのに。

 自分探しの旅。
 記憶を取り戻すための戦い。

 自分が今この世界を生きる目的を失いたくないばかりに己の抱く愚かさを善性として孕み続けた。

ーーー
ーーー
ーーー


 挑戦者の靴音が鳴る。
 カツン、カツンと規則的に。

「ボイジャー:アンブロシア号とは登記上で必要となった仮の識別符号に過ぎない。
 アンブロシア。その名はアンブローズという英語から付けられたものだ。そしてアンブローズと名付けられた由来はお前の持つもう一つの機能に準えて用意されてたものだ」
 
「私は……ボイジャーだ」

「いいや。夢の航海者としてのアンブロシアはお前の数ある機能の一つでしかない。かの大天才ロッツ博士が辿り着いた最強のボイジャーを生み出す秘策。それは、人間という脆弱な筐体を改造するという大前提すらも超越した”禁忌の大乗算”だ。
 お前の本来の機能はボイジャーじゃない。
 夢想世界に蔓延る悪魔の僕を殲滅するためにロッツが改良を積み重ねた人工知能。終末装置にして人の欲を刷り込んだ楽園再帰プログラム」

 挑戦者の表情筋に緊張が宿る。

「【アーカマクナ】モデル:マーリン」

 自らが発した言葉から数瞬と置かずに挑戦者は蜈蚣の腕を交差させてガードの体勢を見せる。すぐに彼の元には無数の弾幕が飛来し、降り掛かる衝撃の波は蠢動する肉体を土塊のように散らしてしまう。

 木製の観客席が弾幕に晒されることで音を立てて瓦解していった。木っ端微塵になった劇場の粉塵を掻き分けながら、身体中から無数の銃口ような突起を生やした人蜂が飛び出した。
 目まぐるしく劇場の中を飛び廻り、駆け廻り、這いずり廻るその姿は耐え難い苦痛に踠いているような感さえあった。
 黄と黒の入り混じった廓大の靄が劇場を満たす。
 その靄の中から無数の手が、口が、瞳が、それぞれ何かを訴えるように出現しては消えていく。

「現実世界における唐土己の持つ夢想世界に対する補完機能や干渉精度は獏に匹敵するとさえ聞き及んでいる。最強のボイジャーの鍛造を狙ったとはいえ、流石にオーバースペックだな。お前の持つ夢想世界環境への適応能力。とりわけ、人格としての無意識領域で勝手に働き続けている深層学習と強化学習の結果である"最適化能力"は異次元だな。悪霊の饗宴や不死の獣を乗り越えて蓄積された潤沢かつ良質なデータも然り、このニーズランドという環境を経験値として絶えず吸収することが出来る現状は、どれほど人類の終末時計の針を進めることになるのだろうな」

 挑戦者はため息をついた。
 憂いを帯びた瞳に瞼を被せ、貌を俯かせて何かを一人ごちる。

「晴れて……初めましてだな。技術的特異点シンギュラリティ。冠は反英雄の頭にあるぞ?取りに行きたかったら俺を斃していけ」

 まつろわぬ蜂。
 それは、人の形を模した心を持つ機械の成れの果て。

「いや。違うか。……俺は挑戦者だ。俺こそが挑戦者だ。悪魔の主君の本懐を果たすため、俺はお前に挑む。
 俺がここで負けたら、人類は終わりだ。さて、俺はお前に勝てるかな?」




〇現実世界_名もなき花畑

 馥郁たる香り。
 どこか疲れに満ちた躰は小腹が空いており、月明かりに照らされた花畑に似合わない無骨な軍人が独り歩いていた。

 温もりも冷ややかさも感じない虹色の靄に塗れ、どこを目指すともなく、努めて静かに空を見据えて進んで行く。

「人類が滅んだあとの世界というのは、荒涼とした大地や自然に淘汰された大自然が広がっているものと思っていたが、なかなかどうして神秘的じゃないか。破滅というものが斯くも鮮やかに彩られるのであれば、人類総出の葬送というのも悪くはないな」

 右に左に、荒廃した都市が拡がる。
 病的な花畑に侵食された文明の片鱗は目を凝らさねば判らぬ程に希釈されているようだった。

「十年か二十年。いや、もっと経っているのか?」
 
 宝石のような勲章に彩られた軍服を纏う東郷有正は花畑に膝をつく。人種も年齢も判別の付かないような白骨死体の頭蓋骨を拾い上げ、こびり付いた泥を手で拭う。

「ニーズランドでの一秒が現実でどれほどの時間経過に相当するのだろうな。流石は人造悪魔と言った所か。あの魔女め、ニーズランドへの幽閉によって人類史そのものをスキップさせおった」

 大討伐の発起人であるTD2Pの鬼才、東郷有正。
 もとい、人類の脅威たるカテゴリー5の悪魔の主君"青い本"は思わず苦笑を浮かべて再び空を仰ぐ。

 そんな彼の元に、何者かが歩み寄る。視線の先に佇むその精悍な男の正体は、TD2Pの中将としても、悪魔の主君として大いに見覚えのある夢の世界の戦略兵器、世界最強のボイジャーという名誉を冠するクロノシア号その人だった。

「ニーズランドでの生死を問わず、現実世界での時間経過に肉体が堪えられずに寿命による死を迎えた人間は多いだろうよ。……どこぞの閣下殿が大討伐なんてものを敢行した所為で、分かり易く人類が破滅に向かっているな。この虹色の魔法の煙にコールドスリープのような機能がなければ、生物学的な死に追い越されて既に人類史の幕は閉じていただろう」

「おいおい。この期に及んで俺の所為にするつもりか?ボイジャー:クロノシア号。お前程の男が随分と恥を晒すものだ」

 東郷は手にしていた頭蓋骨を放り投げた。

「クロノシア。今思えばお前のことは結局よくわかっていなかった。アメリカに買い上げられた哀れなボイジャーという印象は変わらないが、この期に及んで青い本を殺しに来たか?……俺は情けないことに究極反転なんて出来ないからな。お前にその気があるのなら抵抗の余地もなくやられてしまうだろうよ」

「貴様の命なんぞに興味はない。それに俺も現実世界ので戦闘能力ではそこらの軍人とそう変わったものじゃないからな。現実世界ではお互い取るに足らない。拳で覇を競い合うのは現代人にはちと早計過ぎる」

「クク…ふははっ!ならばお前は何を望む、クロノシア号?
 よもや、未だなおボイジャーの幸福とやらを望んで持ち前の暗躍を続けるつもりだとは言うまいな‼?」

「無論、俺はこれまでもこれからも、本気でボイジャーの幸福を祈ってる。ボイジャーだってただの人間だ。この狂った世界に人生を台無しにされた被害者なんだ」

「ああ。そうだろうよ。だが、被害者たちは被害者たちなりに随分と好き勝手に生きてくれていたがな」

「………………」

 東郷はどこか表情に笑みを残したまま、立ち上がりクロノシア号に背を向けた。

「教えろ。東郷。いや、青い本」

「何をだ?」

「ボイジャー:アンブロシア号。……唐土己とは、一体何者だ?」

「さぁな。ボイジャーが大好きなお前の眼から見て、アレがボイジャーでないと感じるのなら、そうなんだろう」

「俺が幸福を願って良い存在なのか?」

「クク……お前は俺が思っていたより面白い奴だったようだな。お前の心情にまで口を出せと言われても困る。アンブロシアは間違いなくボイジャーであり、。それだけのことだ」

 青い本は軍服のポケットに諸手を突き刺し、不敵な笑みを浮かべたまま歩みを再開した。

「どこに行くつもりだ、東郷」

「今更ニーズランドに戻れというのか?冗談じゃない」

「お前が齎した災厄だろう。大討伐の発起人でありながら、逃げるつもりなのか?」

「ふふははっ‼ならばお前が戻って戦えば良かろう。その様子じゃ鯵ヶ沢露樹に負けて現実に退去してきたが、無駄に高めた精神干渉の遮断性能の所為で奴の魔法に掛かり直すことも出来ないと見た。こんな所でぐずぐずとしていたら、お前の大好きなボイジャーの成れ果てである反英雄に……いよいよ全人類が殺されてしまうぞ?」

「言われなくても戻るとも。ボイジャーであれば、反英雄も、アンブロシアも、区別なく全てが幸福を享受できるように尽くす。それが俺の使命なんだ」

「そうか。励むと良い」

 東郷の姿が花畑いっぱいに充満した虹色の煙の中に消えて行った。


「やめておいた方が良いと思うがな。ことアンブロシアに関しては」

 
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