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4章 悪魔の主君たち
66 料理王
しおりを挟む〇第三圏_お菓子の家
空間一杯に充満した吐き気を催す程の甘い香り。
クッキー、チョコレート、キャンディ、ケーキ。右も左も、建物全体を床から天井まで建材の代わりに敷き詰めたようなその家は、さながら童話で語られるお菓子の家そのものだった。
「なんと素早いことか‼この拙が孫ほどの齢の若人を相手に後手に回るとは‼」
お菓子の家の壁がたちまちに崩壊する。幾重もの壁を破砕しながら力なく吹き飛ばされているのはニーズランド陣営の料理王その人であった。そんな料理王をスポンジケーキで埋め尽くされた床を抉る勢いで、鬼の形相をしたアルバーノ米吉が猛追する。
素早い身の熟しから器用に狭い空間も潜り抜け、夢想世界の物体生成能力を駆使して自身の身の丈に迫るサイズの大鎌を生み出す。夢想世界上の武器故に恣意的な性能アップが施されてはいるものの、大振りのその凶刃の威力は脅威の切れ味と有効範囲を発揮していた。
やや大振り傾向の米吉を完璧にアシストする形で赤穂の中近距離のナイフ捌きが光る。米吉の直線的な機動力も赤穂の変則的な加速を伴う機動性能と合わさることで寧ろプラスに働いている。
同じVeakの構成員であり、親交の深い友人であったブート・ウィートフィールドが料理王の手により深手を負わされたことを期に、米吉はいつになく怒り心頭だった。元々才能に溢れた人員がアサインされているVeakの中でも、彼のように感情に突き動かされて実力を底上げするケースは珍しい。
「粉微塵にしてやる、糞道化がッ‼」
「ふはは‼その意気や良しィ‼」
「米吉、そのまま突っ込んで良いよ。併せるから!」
単純な力量で米吉を上回る赤穂からのゴーサインを受けて、さらに米吉が加速する。お菓子の家の可笑しな床に転げていた料理王との距離を詰め、胴を両断する勢いで大鎌が降り抜かれる。料理王は漏れなく瞬発的な退避行動でその一撃から逃れたが、そんな料理王の背後を突く形で赤穂が態勢を整えていた。背後から首と頭を何度もナイフで刺しまくり、次から次へとナイフを生成してはそれを料理王の脊椎に楔を打ち込むように何十本も差し込んだ。
「ぐぉおッ」
「死になよ。ナメクジ野郎」
姿勢を崩す料理王に止めを刺さんと赤穂はさらに多くのナイフを生成し、ジャグリングのように器用に振り抜く。
だが、いざ命を刈り取らんと最大限に力んだ瞬間、料理王の周囲の空間が白く弾ける。
「固有冠域:最期の晩餐」
突如、赤穂を満たす謎の満腹感。次第に募る全身の倦怠感はやがて自己認識を喪失させ、自分の身体を正常に維持すること出来なくなった。姿勢が自ずと崩れ、固く握りしめていたナイフが手指から零れ落ちていく。
「見所あり。しかし……惜しい。拙はこれまで辛酸を舐めに舐め、艱難辛苦を駆け抜けた歴戦の猛者。刺さりませぬ。刺さりませぬぞ‼そんな幼稚なナイフなど、取るに足らんスパイスにすら事足りませぬ‼」
「赤穂さん‼」
「基本的にこの第三圏で自由に冠域を使うことはできませぬが……先述の通り、拙は幾重もの苦難にて練り上げられた王の一角。たかだか数人の若人が怒りに任せた程度で勝てると思ってもらっては拙の面目が潰れてしまいますぞ」
赤穂に駆け寄ろうとした米吉にも同様の満腹感と倦怠感が襲う。すぐに立っていられなくなり、お菓子の家で膝から崩れ落ちた。
「んん。愚か。而して、清い。熟れていない果実からしか見いだせない美味もありましょう」
料理王はゆらりゆらりと不敵に佇む。
そんな彼のピエロマスクに、ぴしゃりと一筋の切れ込みが入る。
「ちなみに、俺は若人認定してくれてるのかい?」
お菓子の家が崩壊する。周囲一帯を巻き込むような斬撃が突風に混じって吹き荒れ、クリームやチョコレートが辺り一帯に散乱した。瓦解した巨大なビスケットに足を掛け、肩に長々とした蛇腹剣を下げながらVeak室長の纐纈良が料理王を静かに睨めつける。
料理王の被ったピエロマスクが切れ込みから落下し、その素顔が晒される。
「無論、拙から見れば貴殿も十分に若人ですとも。無理に若作りしなくても保たれた精悍な貌。意気軒高に保たれたその堂々たる振舞もまた、貴殿を若人と崇めるに相応しいものでありましょう」
「……紫色の重瞳、だと。……その態度で悪魔も僕じゃないとは恐れ入った。紫色の重瞳とはいえ、ボイジャーというわけではないんだろう?……貴様、何者だ」
「名乗らねばなりませぬかァ?VeakというのはTD2Pの捜査部の所属でしょうに、随分と無知な若人ですな」
「そっちは随分と物知りだな。じゃあ、少し考えてみようか。今の冠域を見るにここ数年で大きく名を売っているような別解犯罪者ではないな。とはいえ、空間レベルで冠域の押し合いと妨害を強制される第三圏であれほど器用に冠域の瞬間生成が出来るともなれば、最低でもカテゴリー3に相当する戦力保持者。
……過去のログデータに記憶を伸ばしてみれば、怪しい存在はいくつか見当たる。やたら情報通な別解犯罪者でクラウンに与する実力者。それでいて近年の活動が見られないとなれば……恐らくは"夢想世界闇市"の残党の誰か、といったところだろう」
「ふぅむ。まずまず」
「クラウンに用心棒として雇われたか。適当に言い包められて手駒にされたか。いずれにしろ大物と呼ぶには値しない半端者だろう」
「ほうほう。そうやって挑発すれば逆上して正体を明かすとでも?そう回りくどいことをせずとも名乗りましょう。
拙は誉れ高き料理王。貴殿の仰る通り、夢想世界闇市には少なからずの因縁を有した単なる別解犯罪者の端くれにございます。しかし、小物に収まる器であるかどうかは、これ、性急に断じていただいては困りますぞ」
「名乗れ。道化」
「ドナルド。……ドナルド・グッドフェイス」
料理王・ドナルドの言葉を受けて纐纈は動いた。空を滑るような蛇腹剣は鞭の原理で先端の速度をマッハに届かせる。蛇腹剣の切先がドナルドの腹部を狙うも、彼の身体を庇うようにして発生した巨大なハンバーガーによって受け止められてしまった。
「"美食帝"グットフェイスか。なんということだ。小物扱いして悪かったなッ」
纐纈の身体がワープを開始した。夢想世界で空間座標をパス指定することで移動を可能とする人工的な技術こそあるものの、これは恒久的に空間座標の微妙なズレによる多分なる身体的・精神的なリスクが伴う。纐纈のように恣意的に高速かつ安定してこれを能力まで昇華させている存在はやはり戦闘面でも別格の力量を誇っていた。
周囲のアトラクションが一挙に崩壊する。纐纈が移動を行うだけで、彼の周囲には因果律の改変が生じ、歪みによる崩壊が勝手に進行する。これを纐纈は狙って生じさせ、対人レベルの戦闘で間合いと空間座標を掌握しているのだ。
これを冠域効果でなく、一介の夢想世界で発揮するセンスという不定形な感覚で成し遂げてしまっていることにこそ、纐纈の異常さが現れていると言っても過言でなかった。
「確か新生テンプル騎士団の初期メンバーだったはずだが……クラウンに与する理由はそれか?」
「ええ。ええ。まぁ、個人的にかつての盟友の暴走を止めるのも拙の役目かと」
「暴走、ね。確かにアレッシオ・カッターネオは恐ろしい男だよ」
「彼とは長い付き合いでした。……拙がこうしてニーズランドの一員として身を置くのも、大討伐軍に再び新生テンプル騎士団が編成されるとクラウンに知らされたことに起因します。えぇ、えぇ。胸が痛みますとも。あの悪魔のような男の知的好奇心にこそ、この世界を危機に晒す最大の要因でございましょう」
「そうかい」
瞬間移動の伴う纐纈のバグまみれの攻撃がドナルドを捉え、突風に攫われたようにドナルドの身体がいくつものアトラクションを突き抜けて回転式ティーカップの遊具まで吹き飛ばされてしまった。いくら自分の攻撃によって対象との間合いが開いたとしても、数舜と置かずに瞬間移動により距離を埋められる纐纈は惜しげなくパワフルな戦闘を実現することが可能だった。
「おぉ。回転ティーカップはこれまた愉快なっ」
ドナルドは風呂に浸かるような態勢でティーカップに収まっている。惰性でくるくると回っているその顔つきにはまだどことなく余裕が残っている。
そんなドナルドに対し、纐纈は攻勢を緩めなかった。蛇腹剣の軌跡が周囲に鎌鼬のように風に混じった斬撃を届け、彼の一挙手一投足が周辺の因果律と空間の密度を歪める。ドナルドはこれに対して先程のようなハンバーガーの生成により攻撃を受け止めているが、生成に対して攻撃の攻撃速度の方が遥かに上回っていた。
「んん。……固有冠域展開:最期の晩餐」
空間浸食による人体の内部破壊プログラムが起動する。
ドナルド・グットフェイスの持つこの固有冠域では、冠域内に存在する自分以外の知的生命体の胃腸に身体が処理することの出来ない仮想の不純物を設置することが出来る。胃腸への侵食を受けた人体は仕込まれた不純物の情報を処理することが出来ず、不可逆的な活動停止を強制されてしまうのだ。
纐纈は既に初見ではない冠域展開と冠域効果を嫌って瞬間移動による退避を実行する。
しかし、ドナルドの持つ瞬間的な冠域展開の速度は纐纈のワープ実行の僅か先を行き、纐纈はワープした退避先で急激な倦怠感に襲われた。
「ぐっ……」
「油断めされたな。この料理王、なにも夢想世界闇市の解散以来なんの研鑽も積まずに怠惰に興じていたわけではありませぬ。しかし、拙の冠域効果を受けてなお意識を保っているとは、やはり貴殿は只者ではありませぬな。よろしければそのお名前、お聞きしておきたいのですがよろしいか?」
「…Veak室長。纐纈だ」
「おお!やはり貴殿がVeakの首魁でございましたか。道理で他の若人とは一味も二味も違うと思いましたぞ‼」
「舐められたものだな。…うちのVeakのメンバーのうち一人でも、俺が上回っていると思えるような柔な人間は存在しない。Veakの天才たちは、いつだって私の期待を裏切ることはなかった」
「……ほう。それはそれは」
「不憫だな。勝ちを確信した若人に負けることになる老害の末路ってのも」
「負け犬のとぉ…ん?」
呆けていたドナルドの姿勢が崩れる。何者かが背後から関節を絞めつけてきた。
それが先程自身の手で半殺しにしたブート・ウィートフィールドだと気付く頃には、ドナルドの身体は地面に組み伏せられていた。
「いいよー。ブート、そのまま抑えてて」
と、赤穂。
「まったく、こちとら仇討ちのつもりで気張ってたのにタフな奴だね」
と、米吉。
二人とも先程ドナルドの冠域効果によって活動不能になったはずの若者だった。
「冠域のご都合主義、とでも申しましょうか。まさか身体最適化のためだけに冠域効果を用いる術を身に着けていたとは……いやはや誤算でしたな」
「そうかい。なら、一つ面白いものを見せてやろう」
「ほぅ」
纐纈は赤穂と米吉をそれぞれ自分の傍らに立たせた。
纐纈の合図を待たず、赤穂と米吉はそれぞれ両手の指を独特の形で貌の前に結んだ。
そして、後を追うように纐纈も同様に指を結んだ。
「固有冠域展開」
「固有冠域展開」
「固有冠域展開」
「は?」
ドナルドは眼を剥いた。
「固有性排除。冠域共有」
三人の周囲に生じた空間の不和が、やがて一つに交わる。
「共通冠域展開:Veak」
聞きなれない単語にドラルドの胸は年甲斐もなく高鳴った。
浸食された空間はやがて同一の形に指を結ぶ三名の姿の認識を歪めさせていく。纐纈、赤穂、米吉の姿が陽炎のようにぼやけ、やがて空間の歪みに攫われた三名の輪郭が一つの人間の姿に変化していった。
右手に蛇腹剣、左手に大鎌。何故か体の周りには無数のナイフが循環するように浮遊している、誰とも似つかぬ新たな人間がそこには立っていた。説明されずともドナルドにはそれが三人が合体したことによる新たなる人間の姿の生成であることは容易に理解できた。
合体した彼らは一言の前置きもなしに攻勢を展開した。呆気に取られていたドナルドは既にブートが退避していることに気が付かず初動が遅れ、その合体者からの壮絶な攻撃を受けることになる。
米吉の直線的かつ大胆な針路で。
赤穂の変則的かつ精密な技術で。
纐纈の絶対的かつ狂気に満ちた機動力で。
巨大な嵐に見紛う凄まじい手数と威力。瞬間移動に伴う空間不可など気にも留めない威風堂々たる暴挙を前に、ドナルドは防御を諦めて狂気的な高笑いを披露した。
「ふははははははははははははははっは‼」
「………」
「なんという。なんという力だ‼
共通の冠域内で存在の同化を実現させるなど、夢想世界闇市でもお目に掛かれないとんだ掘り出し物ですぞ‼
嗚呼‼不憫だ‼…こんなにも鮮烈な恐怖を与えてくる存在に狙われた拙はなんと不憫なんでしょう‼」
ドナルドの身体が巨大な城の門に叩きつけられる。
堅牢な鋼鉄の扉に身体が半分埋まる程、強烈に叩きつけられてなお、ドナルドの眼の炎は消えていない。
「ここで退場するには惜しい‼
どうかッ。
どうか拙を‼この料理王を貴殿の手足としてお使いください‼
拙ほど、このニーズランドに精通した都合の良い奴隷もおりますまい‼
どうかッ‼
鮮烈なるこの感情をここで断絶させることなく、貴殿の神々しい”青春”を間近で拝ませてくださいませいッ‼‼」
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