夢の骨

戸禮

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4章 悪魔の主君たち

65 疾風怒濤

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〇ニーズランド第三圏_ローラーコースター


 視界の彼方此方で紫電が弾ける。常に鳴り響く轟音の中で身体は常に小さく震えてしまい、自分に言い聞かせるようにして脚に力入れねば意識が遠退いてしまう。

 ボイジャー:スカンダ号は自身の頬を叩き、精悍な表情と新鮮な集中力を取り戻す。勾配の急なコースターの鉄骨を韋駄天の速度で駆け抜け、素早く視線を巡らせて周囲の戦況を把握しようと努める。
「我那覇ァッ‼さっき、妙な気配がしてアンブロシアが飛んでったように見えた!アレは何なのッ‼?」

[獏のサブアナライズシステムはもう第三圏の情報を処理しきれなくなってる。確かな事は言えないが、集積データの端々に"挑戦者チャレンジャー"の既知要素が抽出されてることを踏まえるに……最悪のケースで考えればアンブロシアは挑戦者に攫われたと見るべきだ]

「挑戦者だって……。奴もニーズランドの陣営に加担してるのか。いや、この局面のクラウンの存在の大きさを考えるなら、悪魔の主君が総出で向かってきても不思議じゃないか」

[少なくとも第三圏のどこかに挑戦者が存在するのは確かだよ。奴がニーズランドの一派として思想を共にしているのかは何とも言えないけどね。……反英雄の鎧に亀裂が入っていることにもう君なら気付いているだろう、スカンダ?]

「そうだね。…手厳しいのには変わりないけど、反英雄の鎧にあそこまで分かりやすく傷が入っているのはこれまでに無いことだね」
 
 スカンダは噴き出す汗を拭く暇もない程の高速移動を実現させ、折り重なったコースターの鉄骨を駆け抜ける。
 彼女の持ち前の神速は辺り一帯を吹き荒れる紫電の檻を器用に潜り抜け、宙に浮遊し堂々たる騎士姿を晒している反英雄の元まで辿り着いた。

摩醯首羅まけいしゆら曝斯骨脚さしこかく
 金色に染まったスカンダの脚から空を撃ち抜く衝撃派が放たれる。反英雄は至近距離から放たれるその一撃を受けてなお平然としており、その甲冑姿の背後から飛びぬけてくる雷によって反撃が齎された。

「チッ……この距離でも火力不足か」
 スカンダは宙に投げ出した身を捩る。雷を回避した後、自身の足元に生成された金色の道に降り立ち、変形しながら延びていく足場を器用に跳ね飛んでいく。

―――
―――
―――

 クリルタイでの討伐意識の高まりに応えるようにして姿を現したカテゴリー5の悪魔の僕:反英雄。
 大陸軍亡き世界に次なる災厄として現れた人類の脅威の代表格であり、大陸軍と同様に究極反転を可能とした反英雄の甲冑姿は世界中で畏怖の対象として懼れられてきた。
 反英雄が最も多用し、存在の象徴にもなっている紫色の雷電は戦闘において対戦者の最初にして最大の関門として今回も立ちはだかった。即応的に編成された対反英雄の戦闘チームはこの雷撃の応酬によって既に散会してしまっており、必然的に篩に掛けられた優秀な実力者たちが各々の角度から反英雄に攻勢をかけているのが現状だった。


(あの男……。不意打ちで青い本の頸を獲った程度の一発屋だと思ってたけど、意外な程に腕が立つ。おかげで反英雄の意識が私よりそっちに割かれてて、態勢を立て直すだけの余裕がある)

 スカンダは金色の足場からコースターの鉄骨に戻る。段階的な加速を繰り返し、速度が安定したタイミングで再度反英雄の姿に対して針路を定める。
 今度は反英雄が件の実力者アレッシオ・カッターネオとの戦闘中であったため、背後を取る形での肉迫が成功する。発足以来の最古参団員として新生テンプル騎士団の顔とも言える立場にある彼だが、これまで彼が率先して戦場で自ら剣を振るうという話は聞いたことがなかった。
 普段から振舞いの所為もあるが、彼はいつも参謀的な立ち位置に自然と収まり、状況報告に対してお気持ち表明を繰り返すだけの無能感すら漂っている節があった。
 しかし、騎士団のトップであるスオトリーペをその手に掛けた時かどこか化けの皮が剥がれた様な印象の変化があり、これまでの彼からは想像もつかないような高練度の近接戦闘技術を発揮している。近接戦闘に重きを置いているスカンダの眼か見ても、彼の身の熟しは決して甘いものではない。重心、速度、角度、動体視力や行動予測まで、シンプルながらも達人級の精度を保っている。
 反英雄が赤黒い甲冑で全身を包んでいるのと対照的にアレッシオ・カッターネオは青白い甲冑で全身を覆っていた。貌の片鱗すら見えない無骨な装甲で身体を埋めながらも、どこかその姿には紳士的な気品が感じ取れた。手にする武器はクリルタイで疲労したものと同じ、騎士が手にしているようなイメージの片手剣だが、見るからに重量感の違う反英雄の両手剣と対等に打ち合えている様子だった。

 反英雄の背後を取ったスカンダだったが、視界から反英雄が影形もなく消える。次の瞬間には反英雄の硬い指の甲冑が彼女の顔を覆っていた。ビンタしただけと言えば実に即応的で程度の低い攻撃に思えるが、反英雄の放ったその掌底は彼女を勢いよく宙に押し飛ばす。
 反英雄もまた高速移動へと移り、スカンダの顔を手込めにすると宙を勢いよく滑りながらローラーコースターの鉄骨に彼女の頭を押し付ける。鉄骨が根本から折れる程の力で押し付けられた彼女の貌はぐちゃぐちゃになり、襤褸雑巾を投げ捨てるようにして放り上げられた彼女の身体に無数の雷が降り注ぐ。

(なんなのよこの圏域……コースターもそうだけど、アトラクションに触れてる間は冠域を正確に展開することができない。形式上の冠域を成立させることが出来ても、深度ギアを上げることが出来ない……厄介な)

 顔を失ったスカンダはコースターの残骸を跳ね飛びながら、脊髄反射的に冠域を展開。
 冠域展開時の身体最適化効果によって失われた頭部が再生するが、そんな彼女に再度大量の雷が降り注ぐ。

「冠域延長:太陽越す者テセナ・メロス
 スカンダの身体が少し浮くほどにエネルギーを帯びる。降り注ぐ雷を置き去りにするほどの速度で駆け抜け、反英雄と一定の距離を取りながら退避に徹する。

 だがそこで、彼女の背筋に悪寒が奔る。雷撃を置いていっても、なんらかの脅威が降りかかろうとしていると肌が感じ取った。

「止まれッ‼」
 何者かが叫ぶ。準ボイジャー:イージス号こと、ガブナー雨宮が声の主だった。雷轟を突き抜けて聞こえてきたその制止は彼女の危機回避本能を呼起し、疾走する五体を急停止させた。停止した少し先の距離に存在したガブナーが両手を広げてバリアを張る。その刹那、不可視の斬撃が空間を断つ勢いでバリアに激突した。攻撃を防いでなお衝撃波が突き抜け、スカンダの背筋に再びの悪寒が巡る。

「ありがとう。……ガブナーだっけ?」
「今はイージス号だ。奴の技はあの派手な雷の一辺倒じゃない。雷に意識を割かせた後、ああやって見えない斬撃を飛ばしてくる」
「へぇ。まったく油断も隙もあったもんじゃないね」

 そんな彼女らに雷撃が追随する。
 束になった紫電を多重に展開したバリアで食い止めたガブナーも額には汗が垂れ流れている。

 反英雄が高速移動によりガブナーの眼前まで飛び込んで来る。手にした大剣を振り捌けば、一撃のうちにガブナーのバリアが玉砕される。

「―ッ‼?」

「佐呑以来か。ガブナー雨宮」

「覚えてくれてたとは光栄だねェッ‼そろそろアンタも死んどいた方が良いと思ってな‼」

「なら、やってみろ。少しは強くなったんだろうな」

 反英雄が動く。殺人への一切の躊躇のない連撃がガブナーに襲い掛かる。ガブナーは多面的にバリアを展開しながら回避に徹し、これを受け流すと、僅かに手に入れた余裕の中で手の先に回転するキューブを生成した。

「いつまでも盾役ばっかりしてると思うなよ。
 獏、抜錨―」

「冠域固定。破れ、開剣。……無辜も賢者も朽ち尽くせ」

 キューブが弾ける。というか、バリア越しにガブナーの腕が崩したパズルピースのように崩壊してしまった。
 腕の先から生じた崩壊が肩まで伝播していく。パラパラと音を立てながら、次第に身体が解けて消えていくようだった。

「う…ぁあ!」

「気を付けろ。一心不乱になってどうこうなる相手でもないだろうに」
 ガブナーの眼前に甲冑姿のアレッシオ・カッターネオが姿を現す。彼の振り捌いた剣がガブナーの肩の辺りの肉を抉り抜く形で斬り取ってみせた。

「冠域展開で修復してみろ」

「誰でもそれができると思うなよ」

 ガブナーがアレッシオ・カッターネオに吐き捨てる。すると白騎士は甲冑の奥で何やらぶつぶつと呟き出す。
 周囲の空間が明滅しながら数度の暗転を経て、背景は元の遊園地へと戻った。それと同時にガブナーの大幅に欠損していた肩周りが修復していた。

「小規模冠域で全体最適化の強制かよ。…下手すりゃあスカンダ号の周囲への身体バフよりエグいことしてるぜ………」


〇ニーズランド第三圏_城下前

「意外とすんなりこれたね」

 思わず笑みを漏らす赤穂。錯雑としたアトラクションの群れを進む赤穂の背をVeakの天才たちが追う。
 反英雄出現に伴って急遽第三圏の討伐チームに編成されたVeakの構成員たちは、その半数近くが反英雄から放たれる雷撃の餌食となり、殉職を果たした。
 Veakを束ねる纐纈はこれを受けて彼我の戦力差の絶望的なまでの乖離を的確に認識し、残存のVeak人員を第三圏中央の巨城制圧へと舵を切る。
  
 夢想世界において、冠域無しとはいえボイジャーのアンブロシア号と対等に渡り合うことができる赤穂の受け売りはその卓越した機動力だ。実際に第三圏を駆け抜ける彼の巡航速度は、同じく巨城を目指して疾走していたアルバーノ米吉やブート・ウィートフィールドを大きく引き離してしまっている。

 だが、そんな速度を売りにしている赤穂もまた、纐纈という一つ格上の存在には追いつくことができない。纐纈の可能とする夢想空間の嗜好的な瞬間収縮能力を用いれば、自己が認識する特定の座標まで実質的なワープを行うことすら容易なのだ。
 この能力は彼を除いては他にボイジャー:クロノシア号にのみ可能とされる超高等技術と呼んで相応しいものだった。唯一これを部分的に再現しているのは冠域間を独自のメソッドで接続させる十四系の扉を持つクラウンのみである。

「疾いな赤穂。損害報告を」

「いやー。周囲の警戒を怠ったわけじゃないですけど、旅路は安全なもんでしたよ。アトラクションはおそらく自分から機構に接触しない限りは冠域制限は受けないものと見えますし、そもそも反英雄以外に敵の気配がない。
 正直、これらのアトラクションを全て小規模冠域だと想定するなら、ニーズランド陣営としても第三圏での戦い辛さはあるんじゃないですかね。だからこそ、この冠域の本来の方向性としては、余計に戦線を広げることなく中央の城に進行させ、そこで冠域の主人が一挙に叩いてくる、とか」

「損害は無し、か。結構だ。お前の見立てもそう間違ってはいないだろうな」

「だとしたら、このまま城に押し入ったところで、最大火力の邀撃戦をご馳走にされる可能性が高いですよね」
 と、二人に追いついた米吉が述べる。


ーーー
ーーー
ーーー

「それには及びませぬぞ‼︎」

 巨城の門を見据える纐纈、赤穂、米吉の背後から甲高い声音が飛び込んでくる。
 すぐに背後を振り返った3名は同様の光景を前に少し息を詰まらせる。視線の先にはやや大柄な体躯の何物かが佇んでいる。顔にはピエロマスク、頭にはコック帽子といやに奇抜な格好が強烈な印象だった。
 問題は、そのピエロマスクが手の先に握っている青年の足首だった。血だらけの全身で赤い軌跡を描くように、Veak構成員のブート・ウィートフィールドが力無く地面に引き摺られていた。

「損害は本当にありませなんだか?」

「ブート⁈」
 米吉が叫ぶ。

「嗚呼、不憫だ。不憫で堪らないッ‼︎
 未来ある若者の青春を彩ることを何よりの誉とするこの料理王がッ‼︎あろうことか押し寄せる若人たちを迎え撃たねばならぬなど、拙が不憫で不憫で堪らないッ!」

「…料理王。聞かない名だな、圏域の主は確かなんとかって姫だったはずだが」

「えぇ。えぇ。確かにこの第三圏を統治あそばされているのは他でもない傀儡姫様でございますとも!しかし、どんな理屈を以てして姫に仇成さんとする蛮人を城へ上げることになりましょう?いや、なりませぬ‼︎
 いの一番にこの場にたどり着いた者どもがかような若人であることだけが口惜しくはありますが、この料理王、命の限り傀儡姫に降りかかる火の粉を受け止めることと約束しましょう‼︎」

「手強そうだね」

 強かに料理王を見据える赤穂。
 その頬は無意識に高鳴る自身の鼓動に従い、少し浮ついていた。


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