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3章 望まれた王国
51 驚天動地
しおりを挟む〇筐艦_指令室
現実離れしたその光景を一体どのように言い表すことが出来るだろうか。
無論、彼らが共に険しい顔を列ねているのは現実世界とは異なる夢の中の国だ。だとするならば、如何に現実離れしたことが起ころうとも不思議なことなど何もないのは織り込み済みであるはず。
しかしながら、このクリルタイに名を預ける粒揃いの面々は双眸を刮目させて事態に向き合う形となっている。
指令室に備え付けられた許多の仮想モニターに出力された筐艦外部の第一圏の映像。四方八方の現状を捕捉するための様々な画角に設定された映像範囲を漏れなく埋め尽くすのは共通した一様の光景だった。
人が。
降ってくる。
――
――
――
嵐を巻き起こす暗雲の如く、突如として第一圏の天空を埋め尽くす重厚な虹色の膜が張られた。虹色の膜は空に逆巻く曇天を織りなすようにして多様な大きさで混ざ合い、重なり合う。子供が無造作に捏ねた粘土のように空一杯を覆ってしまった虹色の雲は、所々に真っ黒な空洞を開けながら奇妙な光を放って冠域を照らしている。
そして、虹色の雲に空いた無数の穴から放出され始めたのは、飛行能力を持たず、ただひたすらに仮想の重力環境に導かれるようにして落下を余儀なくされる夥しい数の人間たちだった。
人間の雨を降らせる空洞はモニターで観測できる範囲でも数百から数千という単位であった。人が同時に何十人と通れるような空洞を通って人間たちが絶え間なく第一圏に放出され、初めに投下された人間たちは既に長い落下を経て圏域の海に到達している。
最も人間の表情が間近で観測できるモニターから伺えるのは、まず間違いなく人々の表情が驚天動地の心境に染まりきっているという点だった。特定の夢想世界に潜航する際に用いるパスを用いた座標指定の場合でも、このように夢想世界の上空にホールを生み出し、そこを道と見做して潜航を行う場合は多い。しかし、今まさに無尽蔵に落下してくる人間たちの表情からとても望んで彼らがこの夢想世界への潜航を望んで行っているようには思えなかった。
「虹色の雲……というか、あれは煙か?」
アレッシオ・カッターネオが今日だけで何度目かというほどのしかめっ面を見せる。モニターに出力された天から無造作に放出される者たちは人種も性別も年齢層もバラバラだった。まるで大きな力の影響で世界中の人間が一挙に第一圏に強制転送でもされたかのような光景を前にして、彼は自身が行った先日の全世界会見を思い出した。
記者たちが声高に訴えていた大討伐実行に伴うニーズランド勢力からの報復。その中でも最も危惧されていた、カテゴリー6の当代最大の人類の脅威である人造悪魔:鯵ヶ沢露樹による反撃。彼女の登場によって初めて観測された"魔女の虹色の煙"は、それそのものが次に観測された瞬間に彼女の存在を認識するには十分すぎるアイデンティティとして知られている。
「海賊王が死んだ間もなくのこの怪異。岩窟嬢が動き出したと見て間違いないでしょうな」
アレッシオ・カッターネオは額いっぱいに重ったるい脂汗を抱えながらも冷静を装った。
[不明なエラーに伴い一時的に獏による筐艦天面部の潜航システムを停止させました]
[TD2P日本支部との通信系統断絶。獏への電力供給を300%を増加させ、筐艦を主体とした独自回線を構築します]
[現実世界からのセーフティが未応答です。これより夢想世界で肉体を損傷させた際、現実世界で受ける精神的負担は約170%増加すると見込まれます]
「……。このタイミングで現実世界からのバックサポートが停止する、と」
アレッシオ・カッターネオは怪訝な面持ちで東郷中将の元へと歩み寄る。
「精神汚染系の幻覚攻撃かとも考えましたが、獏がこう騒いでは原因は明らかですな」
「ああ。鯵ヶ沢露樹、あの悪魔がおそらく現実世界の非常に広域な地域に渡って魔法を使った。メインの効果か副次的な効果は判断しかねるが、現実世界の人間たちはその魔法によって強制的に眠らされてニーズランドの座標へと落とされてしまっている」
「それではやはり、岩窟嬢は究極反転を可能としているということなのでしょうな。……まったく。理解こそ追いつかねども、只ならぬ緊急事態ということだけは定かですな」
彼の脳裏に様々なシミュレーションが行き返りする。
第一圏の海賊王撃破に伴ってこれよりの戦闘が激化することは彼とて想定内ではあった。ニーズランド陣営の中でも究極反転の脅威が分かり易い反英雄が報復として現実世界を攻撃することも可能性としては十分に存在した。だが、その中でも鯵ヶ沢露樹が自身の魔法を使って世界中の人間を眠らせるなど、誰一人として予想などできることではなかったのだ。
現実世界から大討伐軍をバックアップしているTD2P支部や本部の人間たちも眠らされたのだとすれば、外部からのエネルギーに頼ることが出来なくなった筐艦内部の優位性は保証することが出来ない。長時間の独自運用が可能なように設定された筐艦とはいえ、それは使用用途が橋頭保としての役割に限定された際の話である。無尽蔵に空から降り注ぐ無辜の民を完全に見捨てて大討伐を続けるというのならば話は別だが、多少なりとも文化人や知識人、政治的に影響力を持っていたり、経済的な影響力が甚大な組織の人間も区別なくニーズランドに降り注いでいる。それらを全て切り捨てて作戦を続けたところで、後のTD2P組織そのものの存続すら危ぶまれることになるのは明らかだ。
「……救援をするにしても、やはり前提条件に難がある。眠った人間が自分で覚醒することが可能であれば、救助を行うという選択肢はそもそもない。しかし、わざわざ眠らせた手前、自力で魔法を説いて起こすことが出来ると考えるのは都合が良すぎるか…?」
そこで彼はハッとした。
「今退去すれば、現実世界の様子を直接確認することもできましょう。騎士団の持つ潜航方法ならば、機械制御を用いずとも座標を直接指定してこの場に戻ることができま……」
「許可しない」
東郷はキツめの姿勢でそう言った。
「それは何故ですか…⁉」
「獏からの観測を行っているわけではないから単なる俺の観察に基づいた考察になるが、先程モニターで落下してる姿が見えた人物が海面を映した別視点のモニターに映り、その後消失した。おそらくは海面に到達する際に衝撃への防御が実行できた人物はすぐに現実への退去を行っているのだろう。だが、その人物は初めに落下してきたものと同じホールから再度落下しているように見えた。
現実世界に戻ったところで、既にそこは鯵ヶ沢露樹の魔法の煙に包まれている疑似冠域空間だ。目が覚めた傍から奴の魔法に掛かりなおして再びあのホールへと強制送致されてしまう可能性が極めて高い。最初は体力があって海面へ叩きつけられる衝撃を和らげることが出来たとしても、何度も何度も繰り返していては疲弊によって呆気なく死んでしまうだろう。
今この筐艦を離れて現実世界に戻るなど言語道断だ。絶対とは言い切れないが、いくら騎士団の特殊潜航方法があるからといっても二度と筐艦に戻れないリスクは侵すべきではない」
東郷の発言を受けて、指令室の面々は目を丸くしながら固唾を吞みなおした。
「了…解……致しました」
次に声を上げたのは新生テンプル騎士団第三代団長のスオトリーペだった。
「では閣下。この事態に対して如何なる対処をお考えですか?……突飛な話にはなりますが私個人としては準ボイジャー:ゴフェル号によって筐艦を複製し、可能な限りの人間たちを救助することが望ましいと考えます」
「それは難しい。TD2Pからの電力供給に不安が出始めた中で最も警戒すべきは筐艦を維持するために必要なゴフェル号とイージス号の消耗だ。仮に筐艦を複製したとしても、イージス号が耐性を付与するためにはこの筐艦を離れる必要がある上に、そもそも彼の能力リンクを行うためには獏によるバックアップが必須だ。獏のリソースを大きく割いてしまうイージス号との筐艦接続はこの先の戦闘を考慮する際の優先度は極めて低い」
「では、閣下は今まさにゴミのように天から大量廃棄され続ける人々を見殺しになさると?」
「見た後に死ぬかどうかは彼らの運命力に左右されるだろうがな。仮に海に世界中から集まる人間の一割の救助が成功したとして、大局的に見れば間違いなく助けた者らは大討伐軍の足枷になる。むしろ今の段階で忌避すべきなのは、彼らがこの筐艦に乗ってしまうことだ」
「なんと……。閣下は人の心をお持ちになられるのですか⁉」
「いくらでも誹ってくれても構わないが、団長殿には今一度大討伐の本来の在り様を思い出して頂きたい。
大討伐軍が誓うのは必勝。最大の被害を出してでも、最大の功績を叩き出すのが求められるのだ。この怪異を受けてはっきりしたが、やはりニーズランドの存在は人類にとっての最大の脅威と見て間違いない。
幸いにもこの人々の雨は我々が直接攻撃を受けているわけではない。だが、救助となれば話は別だ。助けた者らに紛れてニーズランド陣営の怪物どもが筐艦内に紛れてみろ、未だ健在の大討伐軍の戦力は総崩れになってもおかしくない。人類全体の権益を想えばこそ、我々は足を止めずにニーズランドを滅ぼす必要があるのだ」
東郷の眼は揺るぎない闘志に燃えている。
思慮深い鬼才の発言とはいえ、やはり人道派であるスオトリーペには受け入れがたい考え方だった。
「見捨てようとしている人々こそが……人類そのものでありますでしょうに……っ‼」
―――
―――
―――
「やっぱりアンタならそう言うと思ったよ。有正」
低めの声音が多いクリルタイの歴々にそぐわない、どこか軽薄にも受け取れる若い肉声。
飄々としたその声の主の姿は、見る者が見れば即座にして臨戦態勢を取るに十分な存在だった。
「クラウン……」
東郷は古びた木製の扉を形造った十四系の扉を背後にして堂々と指令室で胡坐をかいている朱色のアフロヘアの青年を静かに睨みつけた。
「なっ。……⁉……お、おい⁉叢雨禍神はどこだ‼?こんな時にアイツはどこに行った⁉」
クラウンを前に猿叫に近い勢いの動転具合を見せるアレッシオ・カッターネオは、何度も何度も辺りを見回して澐仙の姿を探した。そんな彼を嘲笑いながら、クラウンは堂々と指令室の中央へとダンスをしながら躍り出てくる。
「残~念~。頼みの綱の異形おばさんはアンタ方が一生懸命モニター見てぶつくさ言い合ってる間に外に飛び出していったよん。いや~、やっぱりあの人間たちは無視する流れになるよねー。わかるわぁ。俺でもそうするだろうしね」
「外道が。もう少しマシな歓迎を期待していたんだがな」
「いやいや。歓迎も歓迎。露樹ちゃんがやってくれた最ッッッ高の演出でしょうがよ‼せっかく歴史が動くような一ステージが幕を開けたってのに観客もいないんじゃあ気分が乗りきらないだろう⁉
そこのオッサンが言ってたように、ゴミみたく夢想世界に降り積もるアレは人類そのものだ。彼ら一人一人に意思があり、語り部としてこの戦いを見届ける権利も、キャストとしてこの先の戦いに混じる権利だって平等に持ってるんだ」
「ほぅ。我々とまともに戦う気があったのか。ならば小手先の嫌がらせなど止めて正々堂々と立ち向くるがいい」
「おいおい。ご冗談はおよし子ちゃん。俺たちに喧嘩売ってきてんのはそっちだぜ?正々堂々なんてのはアンタ方が勝手に気持ち良くなるためにやってればいいだろうがよ」
クラウンは両手をぴしゃりと叩いて音を響かせた。
それと同時に筐艦の前方を映し出している最も大きなモニターに、一辺が6キロメートルを超える筐艦より遥かに巨大な十四系の扉が出現した。
小刻みに首を左右に揺らすクラウンに呼応するようにして堅牢な鉄の扉がゆっくりと開いていき、海面と接する扉の下方では第一圏の海が勢いよく扉に流れ込んでいく。
「あの扉は第二圏に繋いだ。あそこには威勢の良いのがいるからねぇ。そっちの陣営も五体満足に勝つってのもムズイんじゃないかな~?」
クラウンはにたりと笑む。
「ちなみにニーズランドの全圏域を対象に露樹ちゃんの魔法が掛かってる。君らがの~んびり話し合ってる間にも全てのテーマパークで人間たちの大雨が降り、偶然そこを支配していた王様に踏みつぶされちゃうかもね。あの海でぷかぷか泳いでいる無辜の民もその気になればあの扉を潜って次の圏域に行くこともできる」
「人類を攻撃したいのなら、何故直接滅ぼそうとしない?」
「わかってないなぁ。…いいかい。俺たちはさ。与えられた自由の中で人がどうやって踊るのかが見たいんだよ」
―――
―――
―――
「伏せてください‼」
その声が指令室を満たした刹那、屈強な軍人の装いをした黒衣の剣士がクラウンに襲い掛かった。
彼の名前は纐纈良。先程の海賊王戦の中で東郷によって指令室に召集されたVeakの室長だ。
纐纈が独特の身捌きで剣を振れば、剣が節分かれして鞭のようにしなり、目にも留まらぬ速さでクラウンに迫った。
「良いね!」
クラウンは素手で刃に軽く触れて軌道を逸らせると、指令室の端まで退き下がる。
「じゃあ俺は最終圏で待ってるから。これるもんなら来てみろってことで!」
「待てッ‼」
纐纈が剣をステッキのように突き立て、勢いに乗って伸縮する剣先をクラウンに飛ばした。だがクラウンの上体を囲うようにして指令室内部にあった十四系の扉が移動し、木製の扉に阻まれて剣が届くことはなかった。
「ちなみにちなみに、余興がてらこの箱舟の中に知り合い以上友達未満みたいな子を適当に入れてみたよ。お察しの通りこの乗り物の内部なんざどこにでも扉を繋げることできるかんね!それが原因で大討伐軍様が崩壊するようなことはないだろうけど、ま、嫌がらせするのもこっちの自由ってことで!」
それだけ言うとクラウンは扉の奥の暗闇に消えて行った。彼が移動してすぐに扉は消滅し、それを確認して纐纈が東郷に詰め寄る。
「閣下。奴の発言通り筐艦の第三層に複数の侵入者が確認されました。出動準備をしていたVeakを独断でこれの鎮圧に充てましたが、今一度許可を承りたく存じます」
「ああ。妥当な対処だ。Veakが苦戦するようでは筐艦の行く末は昏い」
「では引き続きVeakにて戦闘を継続します」
纐纈を忙しそうに指令室を後にした。
「……して、針路は?」
アレッシオ・カッターネオがぎこちなく東郷に問う。
「無論、このまま第二圏へと進軍する。大討伐の針路に寄り道など存在するものか」
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