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3章 望まれた王国
43 備えと憂い
しおりを挟む軽快に思えるほどに決められたように等間隔の相槌の音が響く。
沸しを終え、明明と熱せられた鋼が槌により鍛錬され、骨に染みるような反響音が隔絶されたガラスドア越しに届いてきた。
目を閉じてソファに腰掛ける唐土己。そんな彼の元に、息を切らしながら一人の青年が近寄ってきた。
「唐土さん!こんなとこにいらっしゃったんですね。探しましたよ、もう」
「赤穂君。……クリルタイが展かれているうちは、Veakは暇だからね。とはいえ、本部を出るわけにも行かないし」
「なんですか、ここ?刀作る場所ですか?TD2P本部にこんな所があるなんて知りませんでした」
熱っぽい鍛錬場を前に、ヴィーク隊員の赤穂山門は感心したように言った。
「夢想世界の重火器禁止の意識が今よりもっと強かった頃、日本の隊で日本刀の運用が小流行した時に用意された鍛造係らしいよ。それでも、日本刀を集団的に運用したところで部隊的な総力を均一に保つ難易度から現場では嫌煙されて、今では存在を覚えているヒトも少ないとか」
「へぇ。確かに、武器は現実でちゃんと覚えておけば、夢想世界でいくらでも複製できますもんね。常に持ってるには長物は目立つし、日本刀は割とちゃんと隠してもバレそう」
「誰もが認める実力者クラスなら、常に帯剣している人はいたりするよ。そういう人の理論だと、常に現実世界で身に近くにそれを感じていることで夢想世界での具現をより細部まで再現したり、強化を籠める時の効率が大幅に上がるっていう明確なメリットがあるって言ってた」
赤穂は感心したように手を合わせた。
「なるほど!だから唐土さんも日本刀を作ってもらいに来てたんですね!」
「そうなんだけど。……赤穂君、いつも言ってるけど俺たちほとんど同年代でなんなら君の方が少し年上なんだから、わざわざ敬語使わなくても良いんだよ。厳格な軍部ならまだしも、ヴィークは捜査部なわけだし」
「いやぁ~。なんていうか。尊敬?みたいなもんすよ」
「ん?」
「俺って、自分より強い人にはちゃんと敬意を払いたいスタンスでして。まして少ない特殊隊の仲間同士、小さい箱の中でも明確な序列みたいなもんがあった方が落ち着くんですよね~」
「ああ。そう。まぁ、いいけどさ」
唐土はソファから立ち上がり、鍛造場を一瞥してから歩き出した。
「あれ?刀は良いんですか?」
「ああ。実は少し前に一つ作って頂いたんだ。今やってもらってるのは少し趣向が違った奴でさ、前の奴とは別に作ってもらうことにしたんだ」
「そういえば、この前佐呑の所で強い剣士と会敵したらしいですね。そっかぁ、今まで刀の焼が甘いって愚痴ってましたもんねぇ。それで新しいのをいっぱい作ってもらってるんですね。唐土さんが今よりもっと強くなるなんて、ファンとしては喜ばしいかぎりっすよ」
「そんなことより、俺に用があったんじゃないのかい?」
「え?」
赤穂はきょとんとした表情を浮かべる。並んで立てば、二人は体格も似ていて、漂う雰囲気もどこか共通点がある。
「俺を探してたってさっき」
「あぁ。そうでした。…それがなんですけど。暇だからヴィークの皆でトレーニングバトルしてたんですけど、流石に皆弱すぎて話にならなくてですね。やっぱり唐土さんレベルじゃないと相手が務まらないなぁ~って」
「赤穂君さぁ……。あんまりヤンチャしてると室長が帰ってきた時にどやされるよ」
「自主訓練なんてなんぼしても怒られる筋合いないっすよー。それじゃ、ほら。トレーニング場までレッツゴー!」
―――
―――
―――
トレーニング場といっても、彼らが共に向かった先にジムのような設備が整った施設があるわけではない。
無論、基礎トレーニングのためのそういうジムもTD2P支部の中には必ずあるものなのだが、それとは別に仮想夢想世界を用いたシミュレーション上の訓練空間が存在する。これはどちらかといえば安眠室にも似たものであり、仮想夢想世界に接続するための脳波装置を繋いだ者らが、同じ空間に転移することで架空の肉体を用いた実戦形式の訓練を行うことが可能なのだ。
しかし、仮想夢想世界とはいえ、何をしても許されるわけではない。彼らが選択したシミュレーション空間は平面的な空間が四方に伸びた簡素な作りのものであり、空間そのものに耐用値が設定されている。潜航状態の人間の体調を著しく害することを防ぐため、冠域の使用が禁じられている。
「いいっすよね。ここ。創傷、裂傷、打撲、骨折とかの大抵の近接攻撃ダメージは脳にフィルター掛かって現実で殆ど影響なし。戦場もこんな感じなら、誰も恐れずにもっと勇気が持てると思いません?」
「……確かに恐怖が在る所為で避けれる攻撃が避けられない、なんてことは良くあると思う」
唐土の腰に新調された刀剣が生成される。彼はそれの鞘を両手に持ち、貌の手前にぐっと近づける。
「それが新たらしいやつですね。太刀よりもっと大きい。…大太刀ってやつですか?」
「よくわかるなぁ。銘々”茜皿”。驚く程に重くて、馬鹿みたいに斬れる刀さ」
唐土は腰を沈めて、片手で支えるにはやや重すぎるその大きな刀を体の脇に捻じ込むように固定する。
「居合前提のカウンター型。唐土さんらしい」
「来いよ」
「じゃあ遠慮なく。もちろん、冠域なしでね」
――――
――――
――――
迫る大討伐の号令を待つ間、心の底を揺り動かす不安感や焦燥感から我武者羅に修練に励む者は多い。
ボイジャー:スカンダ号もまた、TD2P日本支部内のスーパーコンピュータにより構築された仮想夢想空間に意識を沈める者の一人だった。
[スカンダ号。お前らしくない、一体どうしたと言うんだ?]
仮想夢想世界の中で瓦解していくシミュレーション上の仮想敵筐体たち。荒ぶるように執拗に破壊を繰り返すスカンダからはどこか彼女らしからぬ焦りのようなものを感じさせられた。
[冠域固定までの流れと運用を安定させろ。冠域展開のみのフェーズでは、身体強化の効率が下がる]
「こんな雑魚相手に技を使えって…?笑わせる。こんなカテゴリー2レベルの有象無象の相手に真剣になれと言うのが無理な話だよ」
そう言う間にも彼女は迫り来る機械的な仮想敵体を裏拳で吹き飛ばす。人間ならざるような腕力など彼女にとっては単なるイメージセンスで肉体に付与することが可能であり、彼女は冠域を用いることで身体強化の倍率を跳ね上げることを戦闘手法として採用してきていた。
アスリート精神の高いスカンダは身体強化という言ってしまえば効果が限定的な冠域の使い方であっても、弛まぬ努力の結晶として様々な技を編み出してきた。それは一重に多様なシチュエーションに対する戦闘行為を可能とするためであり、兵器としての彼女の価値を高めて矜持を保つアイデンティティとなっていた。
それだけに彼女の戦闘はまず何を置いても先に冠域を展開する所から始まる。深度を調整し、冠域を延長させ、技として最大限の効力を得るように固定して運用する。テクニックのバリエーションに富む彼女とはいえ、その戦闘のほぼ全てを冠域に依存しているが為に今この場にあるような冠域を用いない単純な肉弾戦はそもそも彼女の好むものとは言えなかった。
[……。先日の参拝で叢雨禍神に敗北した件を気にしているのか?]
「……」
[言い方は悪いがここは敢えてはっきり言わせてもらおう。お前がカテゴリー5に勝つことは不可能だ。これは全てのボイジャーに共通して言えることだがな。……初めから勝ち目が存在しない戦いを受けてお前の戦闘のスタイルに修正を掛ける必要はない。これまで通り求められる急襲型ボイジャーとしての役割を全うすることこそがお前に求められる存在意義であり、運用価値なんだ]
「勝てないなら…戦う必要はないと?」
[……。お前がこれまで反英雄の打倒を本懐に据えて活動してきたことは知っているとも。そのうえで偉大なる野望を諦念しろとは言うまい。だがな、やはり戦略的に戦う上でボイジャーは自分より遥かに規模の大きい冠域を持つ上位個体との戦闘には相性的な不利が付きまとう。叢雨禍神に至っては現行のボイジャー機体全ての冠域を最高親和状態で同時展開したとしても奴の十分の一程度の規模のモノしか成立しえないというシミュレーションが出ている。
勝負的な観点の勝ち負けも勿論重要な要素だが、我々が為すべきことは個々の戦闘による勝利ではなく、大局的かつ長期的に見た際の再現性のある打破なのだ。勝てる相手を余裕をもって打倒するというのもボイジャーにとっては極めて重要な意味を持つ行為だということを再認識してもらおう]
「そうかい。所詮ボイジャーは雑魚狩りの風除け。捻り潰せる雑魚虫だけ相手にしてれば良いってことね」
[口が過ぎるぞ]
「報告でもなんでもすれば良い。…私は私なりに自分の中の最強を模索するさ。
でも、もし私たちボイジャーが意図的に能力を抑えられてるのだとすれば、上層部の糞共に言ってやりなよ。私たちが怖いのなら、いっそ出し惜しむなってね。鬱屈された感情がどういう風に爆発していくのか、この御時世にわざわざ説いてやるまでもなかろうに」
[…。これより二時間半の完全なる自主トレーニングを許可する。探求でも研鑽でも好きにすると良い。餞別程度に出現敵体をカテゴリー3相当に調整する。重要な作戦の前だ、深手を負うことがないように]
「3.5」
[なんだと?]
「出現敵体をカテゴリー3.5相当以上に調整して」
[よかろう。…この際、忠告はしないぞ]
――――
――――
――――
「どうしたって言うんですかァ!?グラトン号!!」
ボイジャー整備技師であり医療担当も務めているTD2P本部付の管理塔技術部改良室主任の我那覇翠が情けない表情で驚嘆の声を上げた。
我那覇の声よりも甲高いサイレンが整備室に響く。
[規定値を大幅に超えた夢想世界の侵食が確認されています。パラメタの類似性から対象機体をグラトン号に特定。至急、不要な接続を解除し同期を終了してください]
飄々とした機械音声のアナウンスと比らべて我那覇の焦りは加速していくようだった。
「一体何がっ……だって、グラトンは今まさに起きているのに‼︎夢想世界に8割の意識を残して現実で覚醒状態にあるなんて見たことも聞いたこともないですよ!」
複数名の技術者によって押さえつけられるボイジャー:グラトン号。サイレンと共に部屋を巡る赤い警告発光に負けじと彼の右目からは夢想世界の活力上昇に伴う紫色の発光が生じる。
ビクンビクンとグラトンの体躯が跳ねる。現実世界であるために彼自身の膂力は強くなく、複数人で抑えられてこそいるが、彼は鬼気迫る表情で抵抗を続けた。
「我那覇主任!グラトンの意識体がアメリカに出現しました。自己認識能力が欠如した状態でのパスを用いない独断潜航なだけに座標がランダムに飛んだものと思いますが、対象区域には一般人もいます!問題を起こす前に強制退去させなければ危険です!」
我那覇は青ざめながら手を口に当てて気を落ち着かせようと努める。
「精神汚染の影響がボイジャーにこれほど如実に現れるなんて…。叢雨禍神との対峙によるものか……。グラトン号の耐用値の如何というより、単に叢雨禍神がそれだけ超次元的な存在だったってことなのか…?」
彼は手を翳すようにして混迷する技術者に向かい直った。
「直ちにグラトン号へ強制覚醒措置を。夢想世界が閉じても現実世界で肉体の主導権は極めて錯乱状態にある汚染された精神体が握っていると推察される。肉迫状態での対処は危険だ。スタンガスを準備しろ」
グラトンはなおも唸り、囚われた獣のように奮い立つ。
「あぁア……じゃマだ‼︎」
「なんて力だ!」
複数人から強い圧迫を受けているというのにグラトンの暴走は止まるところを知らないといった様相だった。
「どけェツ‼︎‼︎ジャまをするなッ‼︎俺はハラ減っテンだヨぉォオ‼︎⁉︎」
[対象機意識体がコントロールを拒絶。肉体の制御権が対象機[グラトン]に移行しました。精神汚染拡大。危険値算出しました。現実世界での対象機周辺の空間に歪みの発生が想定されます。直ちに退避を完了させてください]
緊急アナウンスが奔った直後、室内に謎の気流が発生してグラトンを取り囲んでいた者たちの足並みが乱れた。
それを機に彼は拘束を強引に引き剥がそうと暴力に走る。硬く握りしめた拳や筋肉が隆起した腕を振り回して技術者たちを叩きのめしていく。
「どけッテンだよカスどもガッア‼︎」
(叢雨禍神との接触によりグラトンの根底にあった何らかのコンプレックスが刺激された結果なんだろうか……強い精神性を持つボイジャーのマイナス面を揺り起こすきっかけ。やはり、話に聞く奴の究極反転に関するものか…?)
「ウんゼンッ‼︎なんッでお前ばっかりッ⁉︎
ズルいずるイずルい!
オレにも使わセロッ喰ワせろ殺させろ‼︎」
グラトンが両手を振り回す。左目の瞳が裂けるようにして重瞳へと変化していく。強い発色に伴い警告灯の明滅さえ掻き消され、技術者たちが薙ぎ倒されていく。
(なんだ、うんぜんって。しかし困ったぞ。そう時を空けずに大討伐が始まるって言うのに、TD2Pの主戦力のボイジャーがこの様子じゃあ作戦遂行に直接関わる重大問題だ。
風除けとしてのボイジャーの役割は代替できるものがない。大討伐時の大軍の運用はボイジャーの全機投入を前提としている。それだけ彼らは多くのものを背負わされていると言うのに…今の彼はさながら悪魔の僕じゃないか)
「こゆうッカンイキツ‼︎‼︎」
「現実と夢想の区別が付かなくなってる。落ち着いてくださいグラトン号‼︎ここで暴れたってなんの解決にも」
「うぁるさァアイ‼︎」
怒号に混じり、グラトンの裂けた喉からは血が飛び散っていた。
「疚しい羨ましい嫉ましい…欲しい」
彼の周辺の空間が軋み始める。
「全部俺に……なにもかも…」
「マズいぞ。マジでマズいぞ」
グラトンの瞳が光る。
「全部寄越せェア‼︎」
「う、うわぁああ‼︎」
獣のような形相のグラトンが我那覇に突進する。四肢を押さえるようにして我那覇の動きを封じ、大きく開いた口を彼の首筋に這わせるように近づける。
(いやガチで食われるってこれ⁉︎)
犬歯が肌に触れる。死への恐怖からか、我那覇に大袈裟な痛みが訪れた。脂汗が額に溜まり、頬を通して滑り落ちる。
明確な攻撃意思を持った顎が喉笛をまさに食い破らんと力みを帯びたその一瞬に、グラトンの猛々しいオーラ諸共に体躯が我那覇から離れた。
(助かったのか‼︎⁇)
次いで、鈍い音が耳元を過ぎる。残像が垣間見えるような高速の蹴りが引き剥がされたグラトンの体躯に迫り、遠慮なく彼の頭部を打ち付けた。
揺らいだ彼の胸元を掴み、何者かが床に向けてグラトンを強く押し付ける。見ればそれは軍服を纏った男であり、その軍人は振り上げた拳をこれまた遠慮なしにグラトンの顔面目掛けて振り抜いた。
グラトンの首から先がひしゃげる。あれだけ猛々しかった彼のプレッシャーが消え失せた。
「あ、あんた。いえ。貴方は孟中尉殿でございますね。お陰様で命拾いしました」
震える我那覇の声に反応し、もう中尉が振り返る。
「酷い有様だな。君、怪我はないか?」
「え、ええ。私は大事ないですが他のスタッフが手酷くやられました。しかし、中尉が何故このような場所へ?」
「グラトンの所有権と所属に一悶着あってな。先のクリルタイの仮決定ではあるが大討伐の間はこの暴れん坊は俺の隊の所属になったわけだ」
「そう。でしたか。しかし、この様子では彼の実戦投入への見込みは技術者として見た時に絶望的としか言えません」
「らしいな。酷いもんだ。」
孟中尉はグラトンを一瞥した。
「ボイジャー:グラトン号の処分はクリルタイに任せる。この技術部改良室も大討伐では重要な戦力だ。損害を正確に把握し、速やかに報告するように」
「え、あ、はい。了解致しました」
それだけ言うと孟は我那覇に背を向けて部屋を後にした。そのから恐る恐るグラトンの容体を確認した彼は、孟の近接戦闘の手腕に感服せざるを得なかった。
まさに死なない程度に潰しを効かせていたという具合だった。元々の精神汚染もあるのだろうが、それでも暴走する人間を一人沈黙させるにはかなりの技量が求められるものだろう。
(悪食のボイジャー。……雑魚狩と誹られることはあれど、彼も立派な兵器なんだよな。それも、食べるという極めて人間の生態と乖離し難い行為に起因する力。人間の三代欲求としてのネームバリューは伊達じゃないと見るべきなんだろうな)
我那覇は身に纏った白衣の腕元を捲りあげ、落胆するように腰に手を当てた。
「まったく。誰が片付けると思ってんだよぅ」
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