夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

28 夢喰

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「キンコル‼︎お前、どういうつもりだ⁉︎」

 久しく覚える空での無力感。空を自由に飛翔する能力を持つボイジャー:オルトリンデ号にとって、己が身を力なく重力に委ねる現状はこの上なく屈辱的なシチュエーションであった。

「君にも感謝しているよ、オルトリンデ」
 キンコルもまた落下している。オルトリンデは、キンコルが自己の固有冠域を生成し、それによって熾天の効果を掻き消しているのかと考えた。だが、キンコルがその姿を現す瞬間にこそ彼の冠域の特徴である幾何学的な曼荼羅の世界の顕現が見て取れたが、今はそうでない。そもそも、キンコルの冠域のみでは闘争が排除されることはあっても、飛行能力が無効化される筋合いはない。何かキンコルとは別の強大な力が働いているように彼女には思われた。

「でも、せっかくの新世界を控えた宴の始まりだ。君だけでなく、お集り頂いた蟲毒のキャストの皆様も一緒に楽しんでもらいたくてさ」
「獏……か⁉」
「とりあえず、堕ちろよ。ガキ」
 キンコルはオルトリンデの髪を鷲掴みにする。そのまま驚くべき膂力で彼女を真下に放り投げるという荒業を披露し、ただでさえ自由落下を喫していたオルトリンデはみるみるうちに海面近くまで降り落ちて行った。あわや海面に叩きつけられるというタイミングで、彼女の落下を待っていたバゼットがなんとか着地の補助を試みる。想像力による身体バフの一環でクッション性能を発揮した彼であっても、超高度から墜落してくる人間一人を受け止めるにはかなりの衝撃と向き合う必要があった。
 同様に落下してきた擲火戦略小隊の隊員たちは、藻掻くことも叶わずに海面にクラッシュして夢想世界での命を散らしていった。TD2P本部に名を連ねる歴戦の隊員たちであれ、これほど明確なショック死が訪れたとあっては現実世界でもそれなりの障害を残す結果になるだろう。

「みん…な……‼」
「局面が変わるぞ。…今は切り替える時だ、オルトリンデ」
「でも……あいつ…獏なんか使って……冠域だけなら……みんな死なずに済んだのにッ‼」
 オルトリンデの瞳が紫色に濡れる。
 深度の変化により、周辺空間に歪が生じる。 
 瞳の発光はもれなくボイジャーによっての本気の前兆。いわばエンジン始動に等しい状態変化だ。大抵の場合、この瞳の発光に触発されて冠域が展開されたり、深度の大幅な変化によって冠域に近しいレベルの自己都合空間が生成される。
 だが、やはり獏による夢想空間の超次元的な制約は働いているのか、彼女は自身の冠域を展開することができなかった。

「………ッ」
「私の冠域も掻き消された。……獏の夢想権限行使は疑う余地もないが、当のキンコルが顕れた今、状況をより俯瞰的に見る必要が…」

 あれほど高揚していたバゼットを居竦ませるような環境。自身の最高火力での攻撃が反英雄に通用しなかった今、キンコルの登場は本来なら喜ばしい事態である。だが、そこはバゼットも馬鹿ではない。
 それに加え、さらなる想定外が彼らの眼前に出現する。

 獏に支配されていると思われる不気味な空間の生成。
 周辺海域を丸ごと呑み込んでしまうかと思われるまでに巨大な、白と黒が基調となっている境界があやふやな球体ホールが誕生した。
 そして、そのホールの最上部に穿たれた次元の隔たりすら感じ取れる不吉な溝。見方によっては生き物の口のようにも捉えられる溝がトンネルのような道を演出していた。そして、まもなくしてその口から何かが排出される。
 人のようであり、人とは異なる何か。
 無論、それらがボイジャーと悪魔の僕という前提こそあれど、その出で立ちはやはり異端に染まっていた。

「狼と…蜂?」

 度々組合い、立ち会う狼と蜂。どちらも基本的な身体構造には人間のような雰囲気を感じさせるが、それでいて両者が人間の皮を被っているような生命としての偽物感を醸しだしている。

「あれは不死腐狼、アブー・アル・アッバースだ。……もう一人は……何者だろうか」
「瞳がない……冠域は出せないはず。夢想解像だとして、悪魔の僕のアンノウンの可能性もあるね」

 振り落ちてきた謎の生命体を見つめるバゼットとオルトリンデの背後に、これまた何者かが突如として出現する。

「あれはボイジャー:アンブロシア号。君たちの後輩さ」
 同時に振り返るバゼットとオルトリンデ。その目に留まったのは諸手をポケットに突っ込んだ大胆不敵で太々しさすら放つガブナー雨宮であった。
「……クラウン捕縛の英雄様がこんなところで何を……って…え?」
 オルトリンデの眼が開く。
「重瞳、ってもしかして」
「安心しなよ。俺もボイジャーだからさ」

 紫色の光を放つガブナー雨宮の双眸。サングラスを取り去った今、彼の正体を隠すものは何もない。

「味方とは言えないけどねェ」

 白黒の曖昧な空間に生じる数多の鎖。それらは至る所から噴出されるようにして出現し、その場に集った万夫不当の猛者たち目掛けて絡みついた。最初に捕縛されたのはオルトリンデ号、それからはなし崩し的にバゼット、少し遠くにいた不死腐狼やアンブロシアが絡め取られる。
 無限に伸びていく鎖はやがてかの反英雄すらも姿を捉え、所在の分からない海賊王を探すためにと無限に立ち並ぶ帆船の群れを貫通しながら跋扈していった。
 鎖に捉えられた途端、いよいよ反撃の糸目すら掴めないまでの弱体化を強制された。
 身動きが取れないだけではなく、ありとあらゆるイメージによる物体生成から身体強化までが機能しない。技を放とうにも、自分の中で確立しているはずの術式発動の計算式をど忘れしてしまったかのような虚しさを感じるだけだった。

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「なんだこれ……」

 増えた手足を正確に捉えた謎の鎖。アンブロシアはいやに拘束力の強い鎖に辟易しつつも、タイミングを失っていた闘争の中断が果たされたことで束の間の安息感を抱いていた。

「……何やってんだかなぁ。俺」
 
 思い返せば意味のわからないことばかり。ボイジャーなどという理解に苦しむ配役として目が覚めて以来、なおも一貫して悪夢染みた環境の強制ばかりが続いている。
 地図もない真っ暗な闇に包まれた山の只中で目覚めたかと思えば、足を滑らせ身を投じた渓谷を流れる奔流に攫われて見果てぬ未知の地へを足を踏み入れた感覚。
 現実離れ感ばかりが一端で、説明が足りているかと言えばそんなわけもなく。理解が足りているかと言えばそんなことはない。
 
 運命と言えば聞こえはいいのだろう。一個人が抗うには、既に動き出してしまっているような巨大な運命の奔流には限度というものがあるのかもしれない。
 
 なればこそ。彼は自分の行きつくべき"果て"を模索せねばならない境遇にあった。
 自分がどんな戦いの中に在り、どんな戦いの末に何を得るのか。
 どれほどの地獄を味わえば自分にとって望ましいご都合主義な世界が訪れるのか。
 ともすればそんなものは存在しえないのか。

 一つだけわかること。

 それは、他者が夢見る世界は必ずしも自分にとって不快極まりない世界であるということだけだった。

―――
―――
―――

「さぁ。今宵この場に集った錚々たる面々にはこの上ない感謝の意を唱えるとともに。どうか、皆様方の愚かしい闘争がこれより広がる楽園の礎となる悦びを高らかになる心臓さえも静まらせつつ、享受して頂ければ幸いに存じます‼‼」

 声を張り上げたボイジャー:キンコル号。
 大舞台の司会者のように振舞う彼の貌は恍惚の色に染まっていた。
 彼とガブナーを除いた者らが見苦しい鎖に自由を奪われている中、彼らはさも当然のように宙にその身を浮かべ、自由気ままに空を泳いでいる。

「いよいよ期は熟した。…これより迎える新世界への旅路に備え、皆様方にはほんの少しだけ、このボイジャー:キンコル号の自分語りにお付き合い頂きたい‼
 …僕は、私は、俺は‼平和が好きだ‼‼‼
 安寧、平穏、楽園。どれをとっても人間の誰しもが心の底から願う赤子の頃よりの願望と言い換えて良いだろう。
 生きることは喰らうこと、だとか。生きることはすなわち闘争、だとか。そんな勘違い野郎どもの妄言を僕は真正面から否定してやりたい。
 傷つくこと、傷つけあうこと。奪うこと、奪い合うこと。そんな人間の衝突は何故、生まれると思う?
 答えは簡単。全ての原因はたった一人の人間が闘争を始めてしまう。全てはそんな原因のせいだ。
 闘争とは即ち感染する病。平和に生きるという幸福への不文律から身を退ける病魔が一つ湧けば、たちどころにその悪性は伝播する。感染し、感染し、感染し……全人類にもう手の施しようがないほどまでに広まってしまった最悪の病の名こそが闘争なんだよ」


「……くだらん。何を言い出すかと思えばお得意の安寧信仰。それでいて、貴様は我が擲火戦略小隊の罪なき隊員を海の藻屑と化した。その罪、どのように言い訳してみせるか興味があるな」

 バゼットの物言いに対し、キンコルは冷ややかに答えた。

「罪なき隊員とは笑えない冗談だ。……俺の嫌いな言葉の第一位が闘争だとすれば、第二位には殺戮という言葉が当てはまる。殺戮兵器の無制限行使の悪魔的破壊組織。人類史に類を見ない残虐な殺戮ショーを日夜開催する咎人の集まりを罪なき隊員とはどういう了見だ?
 俺にとっては擲火の連中なんざ何千回何万回死んでくれようがその罪は消えない別格の屑どもだ。烏合の衆のTD2Pが生み出した最も醜悪な汚点であり、看過できないこの世の悪そのものだろうがッ‼」

 そして再びキンコルは掴みどころなく宙に浮遊する。

「しかし、私への貢献度という意味ではあの擲火の屑どもにも感謝はしているとも。本人らの自覚はともかくとして、勝手に蟲毒の演戯を高めるダシになってくれたわけだ。その点、別に今こうしてこの場にいるバゼット・エヴァーコールだろうと、ボイジャー:オルトリンデ号であろうと変わらない。お嬢ちゃんに至ってはあのまま海面にぶつかって死んでくれても構わなかったが、やはり隊長からの寵愛を受けられたようで運がよくてなにより、なにより」

「殺すぞ。貴様」

「残念だが、獏によって支配され尽くしたこの"繭"の中において、我々は遺恨こそあれども闘争を行うことはない。お互いが冠域も出せず、こうして平和なお話合いに集中できるわけだ。……かの高名な反英雄や不死腐狼が仕掛けもせずに逃げ出す好機ばかりを探っているのはそれが理由さ。愚鈍な火力馬鹿にもわかるだろう」
 そこでキンコルは彼らを囲う白と黒の曖昧な球体を今一度見回した。

「世界はここから始まるんだよ。新世界によってこの世界からは闘争が断絶され、清く、無力な魂がこの世の全てを満たすだろう。お互いを侵害することを忘れた社会。人間の醜さが取り払われた世界。……嗚呼、最高じゃないか。君たちもそろそろ観念しておくれ。もう君たちにできることはないんだから、黙って一緒に祝おうじゃないか。真に美しい世界の誕生をさ」

「貴様、神にでもなったつもりかッ‼」

「なるさ。それが目的でないにしろ。過程として僕にこの世の全てが手に入ることになる。俺は世界における救世主にも、神にも、そして新世界の創造主にも成り得るんだ」

 それを聞いて、オルトリンデ号が口を開く。
「なるほど、やっぱりあなたの目的は究極反転を実現する。ってことで良いのかな?」

「おや。初めからそう言っているつもりだったが、そこはやっぱり子供だね。オツムの甘さが目立つわ」
「いやいや。だって、私。究極反転のやり方とか知らないし。……ていうかやろうとしてできるなら、ボイジャーも悪魔の僕もみんなそうしたいでしょ。
 究極反転なんて、存在するだけでこの星や人類に対する脅威と言い換えられるカテゴリー5に分類されるだけの恐ろしさを有することになるわけでしょ。それをこうも仰々しくも成し遂げるその執念は認めざるを得ないけど……」
「けど。何かな?」
「いやぁ。子供の夢にも劣る醜い理想だなぁって」

 キンコルの眼から紫色の眼光が揺れる。

「夢に貴賤はないってのがスタンスだけど、空飛ぶだけの糞みてぇな餓鬼の絵空事よりマシさ」
「おー怖っ。自分で展開した獏の所為で生意気な子供にお仕置き一つできないなんて、あなたの求める新世界ってのもなんだか窮屈そうだねぇ」
「…試して、みるか?」

 感情の色を露わにするキンコル。そんな彼を制したのはガブナー雨宮だった。
 彼は得意とする合気によってキンコルの機先を制し、苛立つ彼を諫めた。

「やめましょう。キンコルさん」
「……すまない。ガブナー……やはり少し、限界が近づいてきているみたいだ」
 それから、お互いの意思を確かめ合うように彼らは微笑み合った。

「さぁ、諸君。お待たせしたね。少しずつだが、始めよう。
 新世界を迎え入れるための偉大な儀式をね‼」


 
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