夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

19 異変

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「俺から全てを奪ったお前を許さないッ‼」

 血に塗れた少年の怒号。
 少年の手元にはナイフが再び出現する。殺意そのものを形造ったようなそれを手に、首筋に触れた片手剣を顧みずにそれをアンブロシアの腹に押し込んだ。
 少年の首には深々と片手剣の刃がのめり込む。当然、それで無事であるはずもなく、凄まじい量の血を口や鼻から噴き出しながらゴボゴボと喉に溢れさせている。一矢報いた少年はその損傷に堪えられず、自身の血に溺れながら絶命した。

「なんなんだよ……くそっ」
 腹に埋め込まれたナイフ。鈍痛が背筋を襲う。内臓まで穿たれたナイフは、想定をはるかに凌ぐ痛みを彼に味合わせた。


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『エンゲージメント異常発生。対象機[アンブロシア]のバイタルに多数の不確定要素を検出。精神体構造のスキャン実施。耐用値の急激な低下を測定。ただちに精神体の回収を実行してください』

「…拿捕は叶わんかったが、まぁ排除はできた。それにしてもあの程度の小物相手に痛み分けとはな」
「ロッツ博士。ここは早急なアンブロシアの回収を図るべきでは」
「言われなくてもそうするつもりだ。…まったく」

 項垂れるロッツ博士。次に彼の耳に飛び込んできたのは、実験システムの異常を知らせるためのけたたましいアラームの音だった。

『緊急警報。緊急警報。個体情報登録済みのパラメタを検出。仮想夢想世界に夢想世界と座標を同期するパスでのホセキュリティホールを検出。直ちに仮想夢想世界の展開を停止し、システムを停止してください。繰り返します―』

「アンノウンではない登録済固体が侵入してきたのか?おい、出所を調べろ‼ともすれば監獄塔からの脱獄があったのかもしれん」
 あくまでも毅然とした対応に努めようとしたロッツ博士。しかし、部下の者らの反応は混乱に吞まれていた。

「いいえ、脱獄ではありません。まだ捕まっていない登録固体です‼
 測定された情報の分析により、対象識別コード判明しました。
 侵入してきたのはカテゴリー4の悪魔の僕の[不死腐狼ふしふろう]です‼」

「なんだと‼あのアブー・アル・アッバースか‼畜生め、クラウンの拿捕を受けていよいよ動き出したか。あの糞爺に好き勝手させるわけにはいかん。直ちにアンブロシアを回収し、仮想夢想空間を閉じて獏の呪縛を喰らわせてやれ‼」
「し、しかしロッツ博士ぇ‼」
「なんなんださっきから‼」
「不死腐狼の固有冠域によりこちらからの制御が妨害されております‼その上…」
「その上なんなのだ‼」

「ボイジャー:アンブロシア号が不死腐狼との交戦を開始しました‼」

「ふざけるなァああ‼」



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 場所を変えて同時刻。山を切り開いた佐呑中心部の高地に聳える巨大ビル、TD2P佐呑支部の一室にて事態はまた一つ動きを見せ始める。


「タンカー三隻に駆逐艦一隻だと?……一体なんの戦争ゲームの話をしているんだ」

 耳を疑う内容。天童大佐は執務室で鳴り響いた黒電話の受話器を肉付きのよい頬と顎で挟みながら、大窓の外に遠く広がる海原を目に留めた。
 日が暮れれかかった海は茜色に染まっている。普段と変わり映えのしないいたって平穏な海の様がそこにはある。

『ただの船団ではありません。なんらかのステルスシステムにより佐呑湾近郊30kmに入るまでそのその存在を感知することができませんでした。船団は佐呑に向けて拘束に接近しており、予測ではニ十分を待たずに島へと到達すると算出されております』
 受話器を挟んで、佐呑支部管理塔情報局のオペレーターの震えた声が耳に届く。これが一職員がトチ狂ってしまっただけのただの虚言ならどれほど嬉しいかと天童大佐は項垂れる。

「海保は何をしている。出自不明の戦力船団の佐呑到達など看過できん」
『船団の発見直後より交信を図っておりますが、どうやら海上保安局の近隣の基地では職員や隊員らに夢想世界に起因すると思われる錯乱現象や精神汚染の被害が現れているとのこと。完全な無力化ではなくとも、即座に船を動かすには船員の統制に時間を要するとのことで…』
「ならば空自だ‼自衛隊に早急に出動要請を出せ‼」
『それも行いましたが、防衛相は先日のカーフェリーで存在が確認された反英雄が佐呑で潜伏している可能性を警戒し、出動に非常に後ろ向きな意見があるとのこと。国の軍の出動に併せて反英雄が本格的な交戦姿勢を見せた際に見込まれる資源損失を忌避したいとの考えが……』
「どうなっているのだこの国は‼?」

 大佐は自身の机を拳で力強く叩きつけた。歯をぎりぎりとかみ合わせ、苦渋に満ちた表情を浮かべる。

「直ちに海保を機能停止させた存在を割り出せ‼生半可な深度ではこんな日暮れ前の現実世界に精神汚染など引き起こすことはできない。アンダーワールドで暴れているのはカテゴリー3以上の悪魔の僕だ‼」
 一拍遅れてオペレーターが返答する。
『情報割り出せました‼対象は登録済のカテゴリー4、固体識別名"海賊王"です‼』
「カテゴリー4か……それも確かアジア圏域では未進出の悪魔の僕じゃないか。反英雄でないだけマシだが、それほどの大物が動きだすとはいよいよただ事ではないな」
『また、船団の確認より数分を遡り、ロッツ博士の監修のもとで執り行われたアンブロシア号のメンテナンステストにおいても問題が発生しました。なんらかの手段で登録外の不明存在が仮想夢想空間へと侵入、アンブロシア号の奮戦により撃退に成功しましたが、不正侵入に便乗するかのようにして登録済のカテゴリー4、個体識別名"不死腐狼"が仮想夢想空間へと侵入しました』
「なん……だと……?」

 そこで天童大佐は押し黙る。目が回るような緊急事態だが、この一連の事件が無関係であると断じるほど彼は愚かではなかった。

(間違いなく、この一連の騒動の根源はクラウンにある。
 裏社会で暗躍し、絶大なネームバリューを持った奴は夢想世界上の座標のパスの売買で名を馳せた経歴がある。ともすれば奴の動きは佐呑のパスを取得し、この島への襲撃を画策したものにより齎されたものだとも考えられる。
 敢えて自身を佐呑の監獄に収監させ、なんらかの手段を用いて佐呑のパスを事前に接触していた悪魔の僕どもに送りつけでもしたか。……いや、そうならないための獏だ。獏が起動している間は佐呑の夢想世界での悪党共の自由は完全に奪われるはずだ。実際に佐呑直下の裏世界に出現せずに、周辺海域や仮想夢想世界に出てきたということは佐呑で直接暴れるための手段に欠けるということ。
 ならば佐呑のパスはまだ流出していない可能性を尊重するか?いいや。それも楽観に過ぎる。単純にキンコルの固有冠域の発動を嫌って直接乗り込むのを嫌うのは意外な話でもないか。むしろ、まともな認知判断ができる悪魔の僕であれば、キンコルとの対峙は何があっても嫌煙するはず。キンコルが率先して"大曼荼羅権限"を展開して各個撃破する形が理想にはなるが……彼奴がこの佐呑に本島に迫る大規模な設備を置いた意味やボイジャーを招致した意図を踏まえれば、おそらく彼奴はボイジャーによる戦力投入を当初から望んでいるとみるべきだな)


「あの狐が」
『天童大佐‼駆逐艦からの砲撃です‼緊急避難指示の発令及び戦時展開宣言を行う許可を‼』
「勝手にしろ」

(砲撃してきたか。クラウンの差し金で奴を奪還しようとするならば、監獄への攻撃は躊躇うか?
 ……いや、違うな。クラウンのポテンシャルは人間でありながらカテゴリー4に相当すると言われるほどの癖の強い賢さにある。奴なら自分を助けるためよりも、もっと情勢を攪乱するための手段として戦力を投入すると見るべきか)

 そこで天童大佐が目をかっ開く。

「あの船団の狙いは獏だ‼絶対に奴等を監獄に入れてはならん‼
 孟中尉に常備軍の指揮権全般を付与する。どんな手段を用いても敵を皆殺しせよと伝えろッ‼
 海賊王の対処には敵火戦略小隊を投入し、騒動の鎮圧と撃破を実現させる‼
 不死腐狼はアンブロシア号とグラトン号で抑える。不死腐狼の撃破は不可能だが、キンコルが出向くまで堪えれば拿捕は容易だ‼


『し、しかし。監獄塔に入った後、ボイジャー:キンコル号との一切の連絡が途絶えております』
「知らん。そんなものは探し出せばよいだけの話。彼奴も彼奴に何か目論んでいることがあるはずだ。この惨事を意図していたというのであれば当然責任は追及するが、それも全てが片付いた後でなければ栓の無い話だ‼」
 天童大佐は改めて、拳を強く握り占める。
 
『船団からの連続砲撃により、既に沿岸部に死傷者が出ております』

「人の心を持たぬ蛮族千番共が。この私が在る佐呑へと攻め込んだ浅慮を必ず後悔させてやろうぞッ‼」



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 茜さす海原。渡航以来見慣れてしまった海原において、現代の日本においても決してみられることでない光景が孟中尉の眼前に広がっていた。
 漁港から航行船舶のターミナルまでを容赦なく撃ち抜く艦砲射撃の凶弾。戦車の装甲を容易に撃ち抜くであろうと思われる手加減の感じられない高威力の砲撃が、躊躇もなく民家にまで飛び火している始末。既に市政は恐怖に包まれ、決して多くはない交通インフラにおいては大渋滞という目に見える混乱模様が描かれていた。
 タンカーは既に沿岸部の町に派手に乗り上げている。ガスや燃料の輸送を担う大型船舶にぎっしりと詰まっていたのは、どこの国籍かもわからない多種多様な人種の人間たちだった。国家軍隊のような統制のとれた動きはしていないものの、ゲリラ豪雨のような突発的な集団力と剥き出しの暴力による破壊力によって港町を恐怖のどん底に陥れる。
 彼らの手にはバールのような鈍器からスタンガンやら警棒、ナイフや短刀を手にしている者などまちまちな装備が握られている。目的地をTD2Pのビルに定めているのかその足の向く方向は一様に佐呑の中心地を目指しているが、それでも手近な範囲にいる一般人を容赦なく手に欠ける様には孟中尉は生物の根源的な嫌悪感を抱いてならなかった。


「皮肉な話だとは思わないか?」
 孟中尉は傍らに立つ宝宮たからみや軍曹に語り掛ける。
「と、申しますと?」
「夢想世界では御法度とされる重火器だが、今の我々にはそれを現実世界の人間へと向ける権利を与えられている。夢想世界とは異なり、小さな弾丸の一発で意図も容易くその人間の人生の幕を引かせることができるのだ」
「これはこれは、孟中尉ともあろうお方が小心なことをおっしゃる。部隊の指揮に関わりかねない発言ですぞ」
「この私が殺人を厭うとでも?」
「そうは申しておりませぬ」
「いや、良い。お互い、意地の悪いことを言うのは良そう」
「…………」

「殺人は厭わんが、命を奪うことを快くは思わん。軍人としてのアイデンティティを失うようだが、それでも自己の人間性を喪失してまで戦うことはないと思っていた。それは、悪魔の僕を前にしても同じだった」
「今はそうではないということでしょうか?」
「ああ。命のやりとりに快楽はなくとも、アレを殺すことに不快感などないだろう。天童大佐の御命令通り、あの蛮族の全てを鏖にしていくれる」
「それがよろしいでしょうな」
「こんなふざけた光景を演出した悪趣味な存在にも罪を問いたい。……どうだろう。宝宮軍曹。頼めないだろうか?」
「ほう。この小官にあのクラウンを殺せと申しますか」
「頼む。奴らの目的が獏だろうがクラウンだろうが、元凶を絶たねば事態はより悪い方へと流れるだろう。これから我々はこの平和な国にて不本意にも戦争を執り行わなければならん。結果がどう転ぶにしろ、のちの世代には胸を張ってあの大悪党をこの島にて屠ったという実績だけでも語り継がせてやりたい。……無論、敗北するつもりなど微塵もないがな」
「この宝宮、偉大な戦友の頼みとあらばよもや断りますまい。健闘を祈りますぞ。孟中尉」
「ああ」


 孟中尉は軍帽を深く眉間に被せる。不愉快の刻まれた表情を部下に見せないように、少し俯きながらも気丈に背筋を伸ばす。

「これより、佐呑島防衛作戦を開始するッ‼
 蛮人、蛮族、人の皮を被った悪鬼羅刹の暴挙。決して赦すことまかりならぬッ‼
 全ての乾坤一擲の毒牙さえも跳ねのけて、完全なる勝利の鬨を上げるのだッ‼」






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