夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

17 獏

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 ぴちゃぴちゃを音を鳴らす水気を帯びた岩肌の通路。
 決して広くはない通路はかつて佐呑島が金山で名を馳せた頃の名残を感じさる。外界とは断絶されたように感じるほど、鉱山に張り巡らされた進行通路は冷気を帯びており、外気温とは十度も二十度も異なる異質な空間を演出していた。

 壁面に適当に取り付けられているようなランプの明かりがゆらゆらと一行の影を揺らす。足音が狭い通路に反響し、どこか世話しない音響に包まれた。


「佐呑には観光名所として金山銀山の鉱脈跡が残されているけど、ここはその中でTD2Pが独自で保有しているコースだ。元は地盤の関係で崩落の恐れアリということで一般での観光は憚れる場所だったけど、これほど監獄を設えるのに適した土地もないってもんだ」

 軍服を着たボイジャー:キンコル号が唐土に向けて言った。

「フン。この歩きずらい道ばかりはどうにかならんもんか」
 鼻を鳴らして悪態をついたのはロッツ博士と呼ばれるTD2Pに所属する高名な研究者の男だった。ロッツ博士は自身の部下をぞろぞろと引き連れ、佐呑の周遊に興じていた唐土とキンコルの両名に接触した。彼の言い分としては、ボイジャーとしてのアンブロシア号を生み出したのは他ならなぬロッツ博士ということで、博士は彼の身体のメンテンナンスの必要性を声高く訴えた。
 半ば誘拐染みた形で研究者チームとの同行が行われることになったが、そのメンテンナンスを行うための設備が揃った佐呑の研究塔は監獄塔と同じ施設内に存在するということで、どうせなら一緒に監獄塔の実情や仕組みについての紹介を行うとキンコルは述べ、こうして同行する形となっている。

「涼しくて良いじゃないですか、ロッツ博士。それに"獏"を運用するに辺り、そのメイン筐体は実動時の暴れ狂う放熱を収める必要がある。何もしなくてもキンキンに冷えてるこの鉱山の性質は節電になるんですよ。節電にね」

 ロッツ博士はこの近日中に佐呑に招致された人間の一名らしい。元は日本にある別の支部での研究を行っていたため、そこでの研究を中断させられる形での招致には当時は腹を煮えくり返らせていたが、それでもキンコルが監獄塔に置く"獏"という最新鋭の装置に間近に迫れるという点で一応は怒りを収めたという。

「節電の心得があれば本島から離れたかような島に獏を置くなどという暴挙はしないだろうよ。今はまだ耐用値に余裕があっても、これより本格的に運用すればそれこそこの島に発電所と変電所を乱立させる必要があるのはお前もわかっているだろうに」
「ええ。獏を飾り物にしておくつもりはありませんよ。動かすからには徹底的に使い潰す所存。まぁ、見ててくださいよ。近日中に面白いものが見れると思いますよ」
「どこまでも食えない男だな。お前を作った研究者の貌が見てみたい」
 
 キンコルの飄々とした態度がロッツ博士には気に食わない様子だった。

「バクっていうのは?」
 唐土が例によってひねりのない質問を向ける。ロッツ博士はそれを聞いて目を丸くしていたが、数舜後には呆れた顔を浮かべてキンコルに声を投げやる。
「なんだ。我が研究所の最高傑作に随分な仕打ちじゃないか。こんな胡散臭い島に呼び寄せるだけ呼び寄せておいて、肝心な島の機能について伝えないとはな」

「生憎、俺は口下手なもんでねぇ。あれこれ説明するより、実際に見てもらった方が早いと思ってたんだ。さっさと見せたいという腹の裡こそあれ、周遊に招待したからには血生臭い監獄より大自然に触れてもらった方がいいだろう?…そういう気遣いができないと、ほら。ロッツ博士の人気がない理由がそこにもあると思うよ」
「減らず口を…」

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 監獄の入り口はいきなり現れた。
 出口の見えない鉱山道をどこまで進むのかと思い始めた矢先、これまでちっとも変わらなかった光景は突如として顕れた白塗りの鉄筋建築に置き換わったのだ。
 虹彩による生体認証に併せてやたら長いパスワードを施錠された扉に打ち込むキンコル。研究者たちは各々が自身の指紋とパスワード入力によって一人ひとりの認証を行って施設に入っていくが、唐土にはその手段が良くわからなかった。キンコル曰く、既にボイジャーであるアンブロシアの指紋や虹彩は登録されてあるとし、その両方をすか止んで読み取ることで彼も入場の許可が出力された。

 施設の内部は金山の道よりさらに複雑で難解な構造をしていた。通路が狭いわけではないが、道を進むほどに枝分かれする道と乱立する様々な部屋の数があまりにも施設の規格外の規模感を思い知らせてくるようだった。至る所にエレベーターやエスカレーターが存在し、彼ら一行は何度も昇り降りを繰り返して施設の奥に進んでいく。
 施設の内部は白を基調とした清潔感がありつつも圧迫感のある内装で、至る所に存在する360度対応の監視カメラが常に彼らの動きを見つめてきているようだった。

 しばらく通路を進んだ後、彼らの前には一つの巨大な扉が現れる。銀行の金庫のような質感と重量感を持ったとんでもなく重厚な扉に対して、キンコルは認証を通してそのロックを外して見せる。

「ここから先が佐呑の監獄塔。俺が作った最高スペックの犯罪者見本市さ」

 扉の先は開けた空間だった。
 空を仰げば巨大なシャンデリアのような光源が天井にぶら下がっているが、それでは物足りない程に眼下に広がる大穴は深く昏い。すり鉢状に地面の奥底まで続く円形の断層構造には一層ごとにぽつんぽつんと灯る光があり、その照明は犯罪者たちが収監される収容スペースに備えられたものであるということがわかった。

「地下3kmまで穿たれた地獄の大穴。すり鉢状に下がっていく断層にはそれぞれ囚人一人につき四畳半の収容スペースがある。下にいけばいくほど犯罪者たちの凶悪性は増し、あのシャンデリアの光の届かない奈落には悪魔の僕が結構な数収まってる。ま、その殆どは雑魚なんだけどね」
「すごい……」
「何が大変かって換気だよね。あんまり地下をいじると良くないものも出てくるからさ。つっても最下層辺りにはあえて毒ガス流してるんだけど。……この監獄こそが人類救済への足掛かり。無論、ここに収監されてる哀れな魂たちも救済してやるのさ」

「おい。人様が作ったボイジャーを貴様の怪しい思想に染めようとするのは止せ」
「これは失敬。まー、せっかくだし、ちょっと案内してみようか」

 すり鉢状になった大穴を徐々に降るように、ここにもやはり無数のエレベーターとエスカレーターが存在した。建設して間もないということで監獄というには収監されている人間はまばらでスペースが有り余っている状態だったが、それでも唐土からすれば何か得体のしれない邪気のようなものが周囲には蔓延しているように思えてならなかった。

「下の方に悪魔の僕を収監しているって言ってましたけど、上の方はどんな犯罪者がいるんですか?」
「ん?ああ。別解犯罪って呼ばれる法律で裁けない夢想世界での大暴れをしてくれた連中を捕まえてきてるのさ。捜査部の方で身元まで割り出せてるやつはこの表の監獄で閉じ込めてるし、夢の世界で捕まえた連中は裏の監獄で閉じ込めてる」
「……………?」
「まったく、口下手というのは本当らしいな」
 ロッツ博士は頭を抱えた。

「ああ。そうか。言ってなかったね。この監獄は御覧の通り現実世界オーバーワールドにあるわけだけど、夢の世界での犯罪者を現実世界で捕まえるってのは本来不可能に限りなく近いことなんだ。そして、裁くにあたってもその法整備は後れを取る一方。上位カテゴリーの悪魔の僕が夢想世界で暴れているからこそ、辛うじて一般人の大暴れの件数は一定の水準を保っているけど、それでもそいつら全員を現実世界でなんらかの罪に問うことは難しい」

 キンコルは軍靴の爪先で床をコンコンと鳴らす。
「だから、この監獄は二つあるんだ。、現実世界と夢想世界に座標を同一とする全く同じ建造物を生み出したのさ。TD2Pの監獄はそもそもが各国の法令に準拠しない非政府系の処罰体系だから、本来では我々が一般人をこうやって収監することこそが御法度なんだ。
 だけど、夢想世界での行動権限や武力行使が甘く見られる我々だからこそ、夢の世界で悪事を働く存在を独自権力で拿捕することができる。そして、偶然その夢想世界での魂の本拠である肉体を現実世界で見つけたのなら、法例を無視した独自の処罰権限も同時に付与されるわけだ。
 現実世界でのこの監獄に収監されている犯罪者なんてほんの一握りさ。捕まえた犯罪者の殆どが今、この佐呑の監獄をパスとした同一の建造物にて夢想世界で収監されている。本来であれば現実世界の体積と夢想世界での体積は大きく食い違い、固有冠域なしには夢の世界の空間そのものに機能は与えられないが、表と裏の世界を紐づけてなお監獄としての在り方を成立させるために存在する重要なピースこそが"バク"なんだ」





 人の夢を喰らって生きるといわれる伝説上の妖怪。
 人々が空想のままに思い描いた姿を似通うことから、実在する動物にも同様の獏という名が与えられた。

 そして、現代科学における極致の技術はこの神秘に手中に収めたという。

 人間の精神を共有する夢想世界。人が夢を見る力こそを原動力とし、無垢なる凡夫を特異な怪物へと変貌させる現代の魔界だ。
 そこではありとあらゆる精神体には権利が与えられる。奪う権利。求める権利。抗う権利。
 現実世界では得難い力を有するからこそ、夢想世界では誰もがその力の行使を試みる。
 敢えて端的な表現を以てこの獏という技術体系を説明するとすれば、獏の力はこういったという点にある。

 運用において莫大な電力と外部供給エネルギーを要求する異次元の性能を誇る夢想冠域処理装置。人間の睡眠メカニズムに介入し、影響範囲において獏は任意の精神体の夢の力を喰らい尽くす。獏の影響を受けた存在はレム睡眠時における夢想世界での自由を奪われる。闘争に用いるための牙である能力は封印され、その力の在り方は真正面から否定されてしまう。
 夢想世界の形すらも塗り替えてしまう独自ルールの展開である固有冠域すらも無効化してしまう最上の優先度を持った獏の影響範囲内では、夢物語として語られる現実世界と夢想世界での犯罪者の連動捕縛が可能となる。
 現実世界の監獄に収監された人間は睡眠の中で夢を見れば、獏に定義された夢想空間の監獄へと堕とされる。夢想世界で猛威を振るっていた力を奪われた囚人はその不自由さに堪え難く現実世界に退去しようとも、それでも待ち構えるのはさらに不自由で光景としては変わり映えのしない四畳半の独房だけなのだ。
 夢想世界でのみ拿捕が叶った囚人が相手だとしても、その囚人を獏の影響範囲内の特定のパス、詰まるところの専用の独房に結び付けることによって、現実世界でその囚人が世界の果てまで移動しようともレム睡眠時での出現位置はその獏に固定されたパスに強制的に紐付けられてしまうのだ。つまり、現実世界においても夢想世界においても一度この監獄に収監されてしまったものはどんな手段を用いても夢想世界での力を使うことはできないのだ。

 獏こそが夢想世界における最大の支配者であると、知識あるものはそう表現することがある。

 これまで別解犯罪に対処する常套手段であった、犯罪者への睡眠阻害やレム睡眠観測時の脳への負荷強制と比較しても非常に効果的だとしてこの獏は別解犯罪への対処に希望の光を齎すという声も多かった。だが、人間の脳を何百、何千という規模で背負い込むその断続的な高負荷状態での誤作動や故障の際の有事を懸念する意見も勿論多く寄せられている。獏を用いた別解犯罪の対処には未だに賛否の分かれる議論の種であった。

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 一通りの説明を聞いた唐土は心の中で一人でに納得していた。
 確かに、獏という装置を用いることによる犯罪者の対処や別解犯罪自体の抑止力は極めて高い効力を示すだろう。それでいて、自己を最強と定義する固有冠域すらも無効化してしまうのならば、夢想世界で奪われる命や連動して現実世界で起こる事件も減るだろう。強力な力を持った存在を無力化できるというのであれば、それ以上に望ましいことなどないのではないかと思えた。


「獏の運用には多大なるリソースが必要でね。年間の維持費でも数百億とかかる贅沢品だ。だからこそ、こういう大物の拿捕は獏をお飾りにしないためにも良い広告塔になってくれるだろう」

 一行が立ち止まった監獄塔最下層の独房前。あれほど巨大だったシャンデリアも、そこからでは光の粒すら見つけることができなかった。
 最下層に存在する三つの独房。今、人間がいる部屋は一つだけだった。

「まったく、噂の監獄はどれだけオサレなもんかと期待してきたってのに、随分と陰湿な待遇じゃないの。あっしはここじゃあVIPみたいなもんじゃないのかい?」
 全身が包帯塗れになったクラウンがそういう。独房には一つだけ照明が存在するが、それだけではクラウンの姿の全貌を掴むことが難しいほどに辺りは昏かった。

「獏の影響力が最も強い最下層でこれだけ虚勢張られたら、こっちも気が沈むな。クラウン」
「会話下手糞かお前。ボイジャーって共通語とか無理なのかね」
「せいぜい長い独房生活に楽しみでも見出してくれよ。お前は暫定的な終身刑。この佐呑の終わりまでここに居てもらうことになるんだからな」
「はん。なら割と早く出れそうじゃん」

 クラウンは舌を出してキンコルを挑発した。

「おい、キンコル。もう十分だろう。何も最下層で長居する用事もあるまい。アンブロシアのメンテナン…」
「ああ、いいよ。もう行こうか」

 キンコルは吐き捨てるように言った。
 一行は四畳半の独居房に背を向けて、クラウンを尻目に引き返していった。


「…………………………………」

 出した舌をちろちろさせながら、クラウンはその場でもぞもぞと寝転がった。

「早く来いよなぁ」


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