夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

16 宿借りし雀蜂

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 TD2P佐呑支部。
 日本には元からTD2Pの支部や拠点は数多く存在したが、建設計画や運用がボイジャーに委ねられた例はこれが世界で初のパターンだった。
 佐呑支部の建設の背景には発案者であるボイジャー:キンコル号による佐呑島での監獄建設の意図があり、あくまでも佐呑支部には監獄塔を運営するために必要なTD2Pの機能を確保するため最低限の設備しか設けないというのが初期の構想であった。だが、開発事業が続くにつれてキンコルはなし崩し的に上層部やTD2P内部の反対勢力からの意見を押しのける形で開発規模を拡大させ、佐呑の支部には都市部の支部に引けを取らない水準の設備や機能が備わる結果となった。
 TD2Pは管理塔や戦略塔などといったメイン機能を軸に捜査部や情報局や軍部などに分かれ、系統化された物資のやり取りや独自の経理の在り方が存在する。佐呑にはそのTD2P運営における様々な機能を包括的に運営できるようにそれぞれの部署にかなりの人名が充てられている。これだけの規模での支部が実戦兵器であるボイジャーにより作られているとなると、世間からの目もまた自然とこの佐呑に集まる結果となっている。

 天童大佐の執務室はまさに王道。無駄にだだっ広い部屋の真ん中には来客応接用のふかふかのソファが向かい合っているものの、そんものはただの飾りであると言わんばかりに天童大佐は執務室の奥にある座椅子に深く腰を埋めながら、眼前で立って礼を尽くす二名の軍人を眺めている。
 大佐は仕立ての良い珈琲を余韻たっぷりに啜ると、騎乗のモニタに映る世間ニュースの記事を何処か遠目に流し見していた。


「さて、どうしたものだろうな。佐呑周遊の許可を出したとはいえ、まさかその道中で英雄沙汰になるとは。
 …傍から見ればクラウンの拿捕など世界を彩るトップ記事になり得るのだろうが、軍部たる我々が浮足立つにはあまりにもきな臭すぎるとは思わんか?」

 天童大佐は呆れた様子でモニタから眼前の二名の軍服の男に視線を移す。机に置いた新聞を指先でトントンと叩きながら、片手間に葉巻に火を点けた。
 二日前に日本海で起こった珍事件であるクラウン拿捕と反英雄撃退のニュースは世間を騒がす種となっている。無論、世間が騒ぐ内容はどれもが肯定的な意見というわけではなく、この事件に対して都市伝説染みた考察の高説を垂れる動画配信者などが乱立する事態となっている。当然、TD2Pの関係者の間では当時のガブナー雨宮の証言から反英雄が故意に退去を選択したのは知れ渡っているが、世間からの波風を考慮してこの情報は公には伏せられている。
 別解犯罪のスペシャリストである曲芸師クラウンの拿捕に関しては紛れもない戦績であるため、反英雄の一件を度外視してもなお余りある事件ではあるのだが、それでも軍の関係者や研究塔の有識者からすればクラウンの動きにも懐疑的な意見を寄せる者は多く存在するのが実情だった。

 
「仰る通り、仮初に持て囃された英雄こそが最も反英雄の逆鱗に触れる対象。反英雄のような神出鬼没の怪物の動きなど予想の余地などありませんが、汚名返上や捲土重来の思いを以て佐呑に顕れる可能性は低く見積もるべきではないと存じます」

 一本背に筋を通したような見事な立ち姿。礼節は重んじていながらも、どこか歯に絹を着せないツンとした物言いをしたのはTD2Pの軍部に所属する孟秋蒋メン・チュンチャン中尉だった。
 彼は天童大佐が聯隊指揮官を務めていた頃の訓練兵であり、長きにわたって彼から目を掛けられてきた忠臣とも言える存在だった。天童大佐が建設途中の佐呑支部に赴任すると決定した時から彼もまた自身の率いる中隊をそのまま佐呑支部での常駐部隊とし、自身の所属を佐呑へと移した。
 天童大佐の虎の子と言って間違いない逸材であり、明晰な頭脳と的確な判断力。犠牲を厭わない徹底した戦略性からこれまでに二体の悪魔の僕の討伐を成功させているほどの実力者だった。半面、天童大佐に擁立された完全な出世コースの競走馬ということもあり、部下として従える上の世代の軍人からの評価はお世辞にも高いとは言えなかった。

「クラウンもまたのらりくらりと動きを捉えられぬ点から捜査部が長年手を焼いてきたビックネーム。大願成就して佐呑の監獄塔に収監できたのは非常に喜ばしい祝い事にはありますれば、反面このバゼット、末恐ろしい悪寒を感じてなりませぬ」
 変わったトーンで話すもう一人の軍服はTD2P軍部の擲火戦略小隊てきかせんりゃくしょうたいという部隊を率いるバゼット・エヴァ―コールという男だった。彼は唐土たちのように佐呑への周遊の招待が届いた外部の人間であり、彼は自身の部隊の中にボイジャーを一機保有している。

「収監したクラウンは『バク』による万全な拘束を行っているから管理体制にケチをつけるなというのがキンコルの言い分だが、全く彼奴はTD2Pの経費を何だと思っているのか」
「さようですなぁ。このまま獏の運用を佐呑の監獄塔の中心に据えるのであれば、あのキンコル号のこと、佐呑に発電所と変電所を作りましょう!とか言い出しかねないでしょうに」
「そも、クラウン相手に万全も何もあったものではないでしょう。大佐への不調法をお許し頂ければ、早々に小官があのふざけた曲芸師の処分を実行して見せましょう」

「孟中尉、気持ちはわかるが今は止せ。佐呑での指揮命令権は既に私よりもキンコルの方が上だ。彼奴が佐呑の自治権を持っていると勘違いしてもらっても困るが……それ以上に我々は肩身の思いを許容せねばな。今はそれが肝要だ」
「……言葉を択ばずに敢えて申し上げます。それではなぜ、大佐はこの佐呑への赴任を選ばれたのでしょうか」
 孟中尉はどこか身を引いた発言をする天童大佐の様子が気がかりだった。
「本部がキンコルに一定以上の権力を与えている以上、支部建設から監獄の完成までが何らかの目的として強い力が働いているのはもはや自明のこと。運用が本部に限定されていた獏が佐呑で解禁されたことも彼奴の立場がさらに向上することの証左だ。キンコルがあの黒い腹の中で何を企んでいるかは想像に難くないが、ここは我々日本支部の軍部が実質的な抑止力として佐呑に実働部隊を置いておくだけの現状だけで甘んじておくべきだろう?」
 それを受けてバゼット・エヴァーコールは苦笑いを浮かべた。
「はて、あのキンコルが意識的な小競り合いを意識するとは思えませんなぁ。牽制しているつもりでいて、気づかぬうちに大佐の軍が彼に良いように操られる可能性もあるのでは?」
「何を言うか。キンコルが力を持つのは別に悪いことではない。むしろ、今は奴を最大限にお膳立てすることこそが、世界平和を実現するための何よりの一助となるだろうよ」
「ふはっは!大佐の口からそのような世迷言が聞けるとは思いませんでしたぞ‼」

 天童大佐を小馬鹿にするような態度のバゼットに孟中尉は鋭い睨みを浴びせる。
「おやおやこれはなんとも恐ろしいや。若くして中尉という高官に成りあがるだけの気迫はありますな。しかし、どうにも同期の白殿もまた此度の英雄劇の立役者だとか。心中穏やかでないこと、切にご理解を寄せておりますれば、なにとぞご容赦を」
「小官があの女の事を気にする道理などない。比べられても反吐が出るだけだが、それよりもなぜ畑違いの貴官が一兵卒の入隊時期まで知っている?」
「ふはっは。いやなに、単なる嗜みにございますれば。…さらに言えば、腐ってもこのバゼット・エヴァーコール、世界存続の重要なピースたるボイジャーを任された人間。己の身の振り方以上に周囲に気を割いて止まない性根こそが、この小心者たる私めをこの官位に身を置かせるだけの一助となり得ているのでしょうな。いやはや、いやはや、困り果てた性分にございます」
「食えない奴だ。…小官はともかく、大佐に不調法を働くようであればその態度を改めていただくことになることを努々忘れずに置かれますように」
 孟中尉は吐き捨てるように言った。

「両名とも私が見初めた優秀な人材だ。仲良くしろとは言わんが、これからは協力の姿勢を見せてもらわねばならん」
「ほう。これは異なことを」
「佐呑常駐の中隊はともかく、擲火戦略小隊を動かすに足る事態が起こるということでしょうか?」

「ああ。バゼット小隊長においてもまさかあのキンコルが本当に周遊を促すために佐呑に招き入れたとは思っていまい」
「ええ。無論にございます。しかして、あのキンコルの心中を察するには難しく思っておりましたが、大佐殿に置かれましては検討が付いていると?」

 大佐は葉巻を執拗に吸う。

「そう待たぬうちに佐呑を起点とした夢想世界では抗争が起こるだろう。私が思う限りでは戦争と言い換えられる程の大規模でな」
「……キンコルが戦争を扇動していると?」
「そうは言っておらん。だが、クラウンが佐呑に居る。それだけで事件が起こることは確実だ。日本中のボイジャーに佐呑への招致があったことは報告にあがっており、周遊に参加しないボイジャーにも佐呑のパスがキンコルから渡ったという。アンブロシアの合流を以て口火を切るという確証もないが、そう待たずとも事態は動き出すだろう」
「それだけのボイジャーの動員が求められる戦いをキンコルが目論んでいるということですか?」
「その辺りの答え合わせはこれからの夢の世界で嫌でも実現するだろうよ」
 
 そこでバゼットは体をくねくねとさせた。
「ほっほう。よもや我がボイジャーの『オルトリンデ』がかような辺境で遊ぶだけの数日に成りかねないと憂いていた折、それは魅力的なお話に聞こえますなぁ。キンコルが整えた戦いの舞台というものにも興味が尽きませぬしな」
「意気軒高で何よりだ」

「数日前に本部から『グラトン号』が佐呑に上陸したという知らせも耳に入っておりますれば、なんとなんと、この小さき島に既にキンコル、オルトリンデ、グラトン、アンブロシアという四機のボイジャーが存在することになりますな!なんと壮観なことでございましょう!」
 そこで孟中尉が言葉を発する。
「いいや、存在する」
「はて、中尉殿に置かれましても異なことを申されますな」

「そうでございますよね、大佐」
 それを聞いて天童大佐はにったりと微笑んだ。

「ああ。佐呑には五機、ボイジャーが存在する」

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 大海原を前に広大に織りなされる丘陵地帯。
 眼下に海を据える草原に立ち尽くすキンコルは、どこかおぼろげな憂いを帯びた瞳を海の青へと向けている。
 
 風が海に吸い込まれるように吹いている。踝の辺りまで伸びた仄かに秩序が失われた草がどこか悪戯な感覚で脚を撫でた。


「僕の夢の話をしようか」

 徐に口を開いたキンコル。カンカン照りの空からたっぷりの日差しを浴びる二人。草原に伸びた影は二つだけで他に誰が相席するでもなかった。

「僕はね。平和が好きなんだ。争いがなく、争いにより奪われることが何一つない世界を作りたいと、ずっと思ってる」

「平和、ですか」

「そう。平和だ。その状態を安寧と言い換えてもいいし、罪から赦された魂の行きつく楽園でも、苦痛の円環から解放された涅槃に至った状態を指しても良い。どんな文明においても必ず崇拝された最終地点。理性に縛られた人間が誰しも必ず夢に見る"解放の地"を僕は作りたいんだ」

「楽園は、いいですね」

「少しでも共感してくれるのなら嬉しいよ。
 僕のボイジャーとしての存在意義はそれに尽きると思ってる。認知認識に差こそあれ、やっぱり人間の根源的な欲求としてそういう安寧を求める精神は常に人間が生きるテーマとしてそこに存在する思うわけだ。だからこそ、人類が渇望する平和をこの手で生み出すことで、万人の救済を実現したいんだ」

「悪人まで救済するんですか?」

「する。もちろん、立場上のこともあるし、大前提が平和を求めていても命を奪うことは時として必要に迫られる。ボイジャーであれば討伐を言う名の殺生は個人の心情を度外視した存在意義としてあるわけだからね。できればこの佐呑のように監獄を増やし、やがて力を増した僕の能力で投獄した悪人たちも全て救済する。一切合切の衆生が闘争の牙を削がれ、私欲を持たず、自我を得ず、種の存続という神のルールから解放されるんだ。
 そうすればどうだろう?
 欲に駆られた人間の愚かな行いはようやく正される。全ての人間は人間であるというアイデンティティの喪失を以て完成するんだ。完成した人間は人を傷つけず、争わず、誰もが真の平和の恩恵を享受することができるんだ」

「そんなことが可能なんですか?」

「夢を見るってのも人間に与えられた罰の一つだと思うね。だって、僕はそれがしたくて堪らないんだから。
 願えば何でも叶うって言ってるわけじゃないよ。そんなものはご都合主義だ。
 ならばどうするか。答えは簡単。実現するまでやればいいのさ。身を焦がす程の情熱を注ぎ続けるんだ。
 身に余る理想なんてない。僕がこうして願い、思い焦がれ、渇望するからこそ、救いの道は開かれる。
 誰よりも救済に依った僕がこの欲求を以て世界の万悪から全人類を救い出す。
 これこそが使命であり宿命であるんだ」

「人間のありのままの姿は悪だと、そういっているように聞こえますね」

「そうだよ。人間は万悪の扉に通じている。君らが性格の裏付けとして獲得した自我は、もれなく欲求に後支えされた代物だ。人間はきっかけ一つで巨悪になり得る。悪意は伝播し、世界はあっという間に黒く染まることだってあるさ。悪は根絶やしにするって決まり文句があるけど、それは手段として当然採用されるステップだろうね。何故なら、人間は一人残さず救済しなければ、一人でにその身を悪に転じさせてしまうんだから」

「なんか。すごいですね」

「こんな話は滅多にしないさ」

「じゃあ、なんで僕に?」

「そうだな。敢えて言えば、今の君は無自覚だろうけど、僕は君を一目見た瞬間からその心臓に絡みついたどす黒い魂のようなものを直感した。君のその魂はまさしく僕が救いたいもののように思えた。だからこそ、思いを共有し、同じ思いを以て世界の救済の手伝いをしてもらいたいと思ったんだ」

「今の僕こそアイデンティティを失った空っぽの人間ですよ。僕の持っている夢でさえ、頭の中で判然とそこに在るとは言い難いんですから」

「そりゃあそうだろう。君は間違いなく巨悪だ。まっさらでどす黒い欲望を孕んだ怪物。…何者かであるかなんて関係ない。おそらく君は何者にでもなり得るんだ。そのためにアイデンティティは失われた。運命論を信仰しているわけじゃないけど。やっぱり物事には理由があると思うんだ」

「人を怪物呼ばわりしてくれますね」

「君はその体の在り方に疑問を抱いている。いや、違うな。
 君はもうその肉体の力に気が付いている。自分で想定した限界を遥かに上回る法外な力を認識してしまった。
 身を護るようにして魂を渦巻いた貝殻の奥へ奥へと押しとどめようとしているけど、それは適切じゃないな。
 君は、自分をヤドカリだと思っているだろ。だが、君は自分の意に反して暴れまわる羽の拍動に気付いている。
 巻貝の強靭な巣にしがみ付いているが、中身である君の魂はさながら大雀蜂だな。
 その身を遥かに凌ぐ巨躯を絶命させ得る毒針を持っているのに、それでいてその針を腹ごと殻に閉まっている」

「僕の在り方なんて、他人にわかってたまるもんですか」

「意識に反して、君はやがてその殻から身を捩って姿を現すことになるだろう。
 その時、ぜひ君には僕の良き友人でいてもらいたい。
 これから起こる戦いは決して甘いものではないけど、僕は最後まで戦い抜く。
 最後に訪れるのはハッピーエンドさ。極楽はもう、この手の中にありってカンジ」

「…………」

「さ、お迎えの時間だ。なんとも、密談ってのは時間制限があってむずか痒いな。
 いつもは人に本音なんて言えないんだけど、どうか今の話は覚えていてほしい」

「いいですよ。理想を追求するってのは大事ですよね」

「はは。毒針を隠していても、どうにも君には隠し切れない荒っぽさがあるなぁ」






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