夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

15 快挙

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 頬を撫でるような潮風。曇天に似合う小雨が風に混じってバルコニーにミストのように行き渡る。
 風に吹かれて血だまりが揺れる。両肩と太腿に穴が開いた曲芸師はケタケタと不気味に顔を揺らして嗤う。
 まさに、己の傷などどこ吹く風といった具合だった。


「カッコつけちゃって…あらあらまぁまぁ。良いじゃないの、佐呑の監獄塔。あっしも元々そこに用事があったわけだ」
 血だらけの体をあえて大袈裟に揺さぶりながらクラウンは言う。既に立つだけの余力はなく、脚の弾傷が痛むのか時折体がピクリと跳ねる。
 そんなクラウンの耳元を弾丸が掠める。ガブナー雨宮は拳銃の弾丸を手早く補充した後、胸元から紙煙草を取り出して風と水飛沫を避けながら火をつける。煙を二度三度と肺に入れてから改めて拳銃をクラウンに向け、伸びている脚の爪先の辺りをやたら分厚い靴事撃ち抜いた。

「おうっふ」
「その減らず口をさっさと閉じないと、もう一本の脚もいかせてもらう」
「いいねぇ、君。さっきまで汗汗しながら泣きそうになってた男とは思えない掌返し。コメディセンス〇」
「もうお前に脅しはしない」
 ガブナーは発砲する。クラウンの左脚の脛の辺りを弾が命中し、血がどっと噴き出す。

「死んじゃうんだけども。どうなんだろ?あっしを捕まえたいんじゃないの?」
「止血しろってか、この極悪人が。失血で死ぬなら死んでもいいさ。ついでにまたお友達を呼ぼうとするのなら今すぐに頭を撃ち抜く」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、ちょっと皆さん都合が悪いみたいでねぇ。ま、宴ってのはなるべく大人数でやるってのは紀元前からのお決まりなわけだし、こんな湿気た舞台じゃはしゃげないわな」
 ガブナーが左足の爪先に狙いを定める。
「ほんと、これ以上撃たれたらガチで死んじゃうわ。黙ろ。おやすみー」

 するとクラウンは押し黙る。ケタケタと動いていた首が寝落ちしたようにガクンと下がり、わかりやすい鼻提灯を作りながら早くも爆睡している様子だった。クラウンの全身は服の下から血でぐちゃぐちゃに濡れているが、それでも死なずにそこに在るというのは彼の身体強度の賜物なのだろう。
 ガブナーは煙草を片手にクラウンに歩み寄る。その表情はどこか浮かない。
「おい、テメェ……ふざけんな!」

 ガブナーはクラウンの顔面を思い切り蹴りつけ、傷口の肩を踏み抜く。
 何かに駆られるように必死にクラウンの肉体を痛めつけていく。

(こいつ……夢想世界に落ちやがった‼乗客が危ないッ)


―――
―――
―――
 
 広大な空間。夢想世界の体積は現実世界の空間を何十倍にも引き延ばしたような大きさに変化している。だが、周囲の光景や空間はある程度現実世界の就寝地点に起因した座標に引っ張られることもあり、今、彼が立つその場所は曖昧に膨張した巨大船の内部だった。

「うーん。快適」

 アフロが元気に繁茂する。
 クラウンは現実世界で撃ち抜かれた両肩と両脚の傷を完全になかったものとし、元気いっぱいに体を伸ばした。

「なんだろうね、あのドSアロハ野郎。今度、見つけたらぶち殺してやるぜぃ」

 夢想世界に海はない。空もなければ地面もない。
 夢の世界はあくまでも夢を見る存在が構成するフィールドに変化する。この周辺は多くの集合意識と認識の関係で船に似た構造となっているが、船としての機能は少しも有していない。夢想世界での構造物になんらかの意味を持たせるには、よほど強い意識体からの干渉があったり、単純に固有冠域という形で理想の機能を持った世界を作るなどの手段をとらなくてはいけない。

「さて、どうしたもんかねぇ。佐呑の監獄塔に行くのは良いんだけど、やられっぱなしってのもブランドに傷がつくわけだし…地味に近くの人間皆殺しにしようか」
 クラウンは想像力で生み出した高級酒をがぶがぶと飲みながら、思索に耽る。

「いや、待てよ。そういえば、アレいたじゃん。例のボイジャー」
 邪悪に笑む。
「あれ、殺せばおもろくね。そうしよっ」

 浮足立つ曲芸師。現実世界では血まみれな衣装もこちらでは卸したてのような仕上がりだ。


『アンブロシア、そいつだ!周辺空間深度がどらえらい数値だ、間違いない、悪魔の僕だ‼』

「お?」

 振り返るクラウン。どこか遠くから聞こえるような声はおそらく自分を指して悪魔の僕と言い放った。
 振り向きざまに眼前に飛び込んできたのは黒い火球。それもとんでもない大きさで、数秒と待たずにクラウンを呑み込むように直撃した。

「冠域延長:シャオ・アバロン

 それは黒々と燃える太陽の砲弾だった。全身どころか周辺の空間をまるごどその焔の中に収め、球の内部の凄まじい温度の灼熱を以て一種の攻撃としている。





「どっひゃぁあああああああ。糞うぜぇぇえええええええええ。まじうぜぇええええええ。ナニコレ」

 身を包み込む炎の空間。内部にじっくりと火を通すように、執拗に体に纏わりついてくる嫌らしい炎だった。

『うわっ、マジかよ。そいつクラウンだ!クラウン!とんでもない大悪党のビックネームだ!』

「照れるじゃん。天の声。そっかー、もう居たのかボイジャー」
 クラウンは少し離れた位置に立つアンブロシアの姿を視認した。
「ただ、あっしは悪魔の僕じゃないんだよなぁ。ちょっとなんでもできるパーフェクトヒューマンってだけで」

『空間深度7000、だと‼?……キンコルの固有冠域と同じくらいじゃないか。アンブロシア、絶対に出力を抑えるなよ‼』

「いや、マジで怠いわ。なんなん、君たち皆して何にもしてないアフロ痛みつけて楽しいわけ?」
 燃えながらクラウンは項垂れた。
 太陽は彼を中点に置きながらなおも燃え続ける。あまりに執拗な火力にクラウンは少し可笑しくなった。
「しっかし、夢想世界であっしに喧嘩売るとか、新鮮みがすごい。生きがいいね、海だけに」
 
 クラウンを呑み込んだ巨大な太陽の上空に、さらに巨大な何かが出現する。最初は宙に線を描いたような模様だったが徐々にそれには形と質感が与えられ、やがて天蓋を思わせる超大な扉へと姿を変えた。
 扉の装いは如何にも堅牢で重厚。開くのにも途轍もない馬力が必要であろうと思わせる超肉厚な巨大扉だった。

「いいさ。痛み分けってか、引き分けでも良いよ。君もこれから大変だろうから、大先輩からのありがたい餞別をくれてやろう」

 扉が開く。ゆっくりと時間をかけて開かれそうな堅牢な扉が、内側から蹴り飛ばされでもしたかのように勢いよく開け放たれる。扉が開くだけで周囲には凄まじい風圧が遊び、太陽の形が歪む程だった。
 扉の輪郭を鷲掴みにして顔を出したのは、一体のピエロだった。バルーンで作られたようなデフォルメ化されたキャラクターであったが、やはり扉に対応してその姿は途轍もない巨体だった。ロゴに用いられそうなキャッチーな白塗り厚化粧のオレンジ色のアフロヘアのピエロがもっさりとした動作で扉を過ぎると、三頭身の巨大なピエロは呆けているアンブロシアめがけて拳を一発繰り出した。

「は?」

 現実離れした光景に呆然としていたアンブロシアに迫る巨大な拳。あまりにも唐突なその挙動に彼は一切の抵抗を許されず、特大のパンチを見舞われて意識を暗転させた。


―――
―――
―――


 目が覚めればそこに待っていたのは途方もない不快感だった。
 起き抜けに一発吐き下すかと、喉元まで不快感が迫ってきたが、逸る鼓動を落ち着かせようとその場で何度も深く呼吸することで一旦は収まった。目元まで汗が伝う。俯いた鼻先から汗が一滴、零れ落ちた。

「お疲れ様。唐土君」
 セノフォンテ・コルデロが唐土に水のペットボトルを勧めた。彼はそれを勢いよく飲み干すと、ムカムカする胃の辺りを摩りながら、白黒とする意識を奮い起こす。
 コルデロと唐土は向いあう形で海を見渡せる窓際の椅子席に腰かけていた。

「コルデロさん……どうなったんですか。あの後………っていうか英淑さんは!」
 唐土の鼓動は再び高鳴る。
 事の発端は英淑の提案だった。食堂でガブナーに呼ばれた後の英淑は唐土とコルデロに夢想世界での待機を指示した。コルデロは技術面でのバックアップのために現実世界に居たが、唐土はそれなりの時間を何者かが夢想世界に出現した際の邀撃を目的として夢想世界で待ち構えていたのだ。
 英淑は確証こそないが、ガブナーの様子から何か強大な犯罪者が搭乗していると確信し、万が一にそれが夢想世界に逃れた際に船員を守る目的で彼らの待機を促したのだ。

「まぁ、俺もそんなに仔細は知らないんだけどね。一応、成果に関しては、ほら、アレを見なよ」
 コルデロは窓の外を指さす。意図はわからなかったが、促されるままに唐土は窓の外の景色を見た。


 そこに在る光景に唐土は絶句した。
 既に佐呑の港に入港間近といった具合まで航海が進んでいた。窓から見える景色はまさに佐呑の港に他ならないが、そこに集った人間の数とまるで一国の王を迎え入れるかのようなとんでもない歓迎ムードがそこにはあった。軍服を着て敬礼のポーズをとっている集団もいれば、明らかな一般人が日本国旗の描かれた手持ちサイズの旗を必死に振ったり、"英雄万歳"と描かれた手作りと思われる大布を広げている者も見られた。

「………………どういうことです?」
「現代の情報の広がるスピードはえげつないって話だわな。世界中のニュースやSNSが今回のこのカーフェリーに注目を浴びせてる。理由は二つだね。一つはこれまでにただ一度の勝利も対処も願わなかったカテゴリー5の怪物、『反英雄』って超大物を白英淑とガブナー雨宮のたった二人で退けたこと。二つ目は君が夢想世界で抑えたあのクラウンっていう大悪党をこの船での拿捕を実現させたことだね」

「じゃあ、あのピエロのパンチを食らった後もあのアフロはうまく太陽で抑え込めてたってことですか?」
「ああ。君が夢の世界でワンパンで殺されてからこうして目覚める前に、奴は夢の世界を退去してこの船に乗っていた実体に戻った。その実体ってのもあのガブナーってやつが既に縛り上げた上に全身ハチの巣にしてある状態だから、完全に拘束したと言っても良いだろうね」
「英淑さんは、その、なんでしたっけ。英雄?ってのと戦って無事なんですか?」
「いいや。あっちもワンパンされてる。命に別状はないが、打撲や骨折の程度が酷い。内臓も傷ついてるだろうから暫くは絶対安静だろうね。まぁ、夢想世界ならケロッとしてそうなもんだけど」
「じゃあ無事なんですね。…良かった」

 コルデロは手元でいじっていたスマホの画面を唐土に見せる。
 
「これはバルコニーで殺された若者が生配信してた映像。これも世界中に出まわっちゃってるけど、この鎧の奴が世界に七体しかいないカテゴリー5の化け物で、さらに極めて限られた現実世界で夢想世界の力が使える究極反転って技が使える反転個体だね。こいつはこれまでに何度もTD2Pの軍を返り討ちにしたとんでもない虐殺者なわけだけど、こいつをどうやってか対処しちまったんだからあのお姉さんも大したもんだ」

「現実世界で夢想世界の力を使う…?……それじゃあ、こいつは現実世界で固有冠域が…」
「使えるね。人間に勝てる道理なんかない。ま、どんな絡繰りを使ったのかは後で聞いてみようや。しばらくは忙しくなるぜ。何しろ君が燃やしたあのアフロもとんでもないビックネームだからね。不意打ちとはいえ、倒して夢想世界での大暴れを防いだのは素晴らしい戦果だ。新人の成績としては最高点をぶっちぎりで飛び越えたようなもんさ」

 コルデロはスマホを手元に戻し、操作する。

「まぁ、この動画を撮ってた若者も皆殺しにされんだけどね。まぁ四、五人死んだ程度で済んでるのがそれだけで軌跡ってレベルの相手だったんだよ。ほんよ」

「そう、ですか」

 どこか嚙み切れない思いを抱えながら、一行はいよいよ佐呑に上陸する。

 歓声は凄まじいパレードを思わせる盛況っぷりを演出していた。これだけの騒ぎになる理由はやはり敵が強大だったからだろうとわかってはいるものの、唐土にとってこの騒ぎはどこか得体のしれない道化に演出された定められたシナリオのように感じてならなかった。

 金銀に舞い踊る紙吹雪。盛大な音楽を奏でる楽団は軍服を着ており、成程この島にTD2Pの支部があるということの意味が分かり、この組織の大きさに怖気付いてしまうような心地だった。


 本来はここまでの出迎えはするつもりはなかったのだろうが、観光客が掃けた後に唐土やコルデロを迎え入れた軍人たちはいかにも高位の士官のような顔ぶればかりだった。その中に混じるやたらでかくてどこか掴めない不気味な雰囲気を醸し出す姿を目に捉え、唐土は先日の信号鬼戦を思い出した。



「やぁ‼よく来たね、こここそが俺のホームでありTD2Pの重要新拠点。
 世間を騒がす英雄たちは殊更に丁重にもてなそうか!
 よくぞ、我が佐呑島へ‼」


 キンコルは実に大袈裟に言い放つ。

 これこそが世界を揺るがす大事件の幕開け。
 "佐呑島防衛戦"の始まりだった。


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