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1章 悪霊の饗宴
04 無視
しおりを挟むこつこつと音を鳴らす靴底。
軍隊の行進というのはどうにも記念祝典のパレードを思わせるような一糸乱れぬ完璧な所作を想像してしまうものだが、そんなイメージに反して彼らの行動は実に無秩序すれすれのものにアンブロシアには思われた。
この作戦に起用されたボイジャー三機。自身を除いた二機のうちスカンダ号と呼ばれていた女には自分で言うところの白英淑のような御付人が三名ほど行動を共にしているものの、その足取りはアンブロシアやもう一機のボイジャーのキンコル号との同行を拒絶してるとしか思えない速足での移動を徹底している。キンコル号に至っては対照的で、夢の世界に広がる現実味のある町の中でふらふらと散策するようにあちらこちらへと自分の御付人を五名従えてうろついているのだ。
妙に静かな世界の中で誰も口を開かないものだから、自分も何か黙っていなくてはいけないものかとアンブロシアは気を揉んだが、そんな沈黙も彼の数歩先を歩いていた白英淑が破ってくれた。
「気にするな。敵の能力が判然としない以上、この遊撃のスタイルをとった初動はどこの国でも採用される柔軟な戦術でもある」
「あ、いえ……」
「それでも油断はするなよ。既にこの町がまるごと対象の"信号鬼"の能力展開域で、君の国で認知されているところの結界のようなコロニーの中だ。こちらが敵の姿を捕捉できなくとも、信号鬼は既に我々の侵入を感知しているはずだ」
「はい。でも、少しというか。だいぶ気になっていることがありまして」
「…いきなりの実戦だからな。君にはだいぶ無理なことをさせている自覚はある。気になることがあれば何でも遠慮せずに聞いて欲しい。それはこの任務が終わった後も変わらないよ」
「ありがとうございます。えぇと……なんだか皆さん、なんというか。すごいラフな格好をしているというか。とてもこれから悪魔の僕とかいう超能力者を相手する準備があるようには思えなくて……でも、あの基地みたいなテントには結構いろんな機材みたいなものがありましたけど」
[それには俺から答えようか。実に初心者らしい良い質問だね]
(こっちの会話は全部現実に聞こえてるわけか…これじゃあ誰が聞いてるかわからないな)
[残念ながら我々がやっていることってのは、他人が展開する夢想世界の特定空間に自分の意志と同質のアバターとして仮の肉体を潜航させているだけだ。現実世界からの物質の持ち込みは当然不可能だし、そこの世界で生成される物質というのにもかなりの制限がある。所詮は人間の記憶や感情という脳のリソースを使っての臨界だからね。意思を持った生き物とか、超高性能な自走兵器とかの性能にはその世界の滞在時間を大幅に削るレベルでの代償が生じる。それにもし誤射や流れ弾、大規模な爆発なんてもので民間人の夢の肉体を損壊させた場合に現実世界で当人に危険が及ぶという理由で重火器の生成はTD2Pでは原則として禁止されているんだ。AD2Pは違うけどね]
「じゃあ、丸腰で戦う必要があるんですね」
[そうは言ってないよ。まぁ、夢の世界では耐用値はともかく身体能力や攻撃性能は自分の夢なりのバフをかけられる。そこにいる戦闘員は全員が重力の制御や仮想肉体の強化で現実ではありえないレベルの動きができるし、火器が禁止されているからと言って近接武器はむしろ奨励されている。そこのサイコお姉さんが普段から剣を佩いているのもそれが理由だね。腕に自信があるやつ程、普段から現実で刃物を振り回して夢想世界での無双を狙うってわけ]
それを聞いてアンブロシアは英淑に視線を移す。英淑も彼の視線に気が付いたのか、警戒心のある険しい顔ではあるものの、少し気を許すように口の端だけに笑みを浮かべた。
「あの男の言う通り、こんな風に手慣れた獲物であればそれこそひと思いに生み出すことができる。これは夢想世界で万人に与えられた権利だ」
英淑が握っていた手を開いたかと思えば、開いた掌の上にぼんやりとした靄が浮かびあがり、それが瞬く間に一瞬の光となって物質を形造った。それはほっそりとした、それでいて確かな硬度を感じさせる片手剣だった。姿勢の良さもあるだろうが、英淑は女性としては長身な方でありその凛とした佇まいはどこか歴史的な剣舞を熟す芸者の姿が目に浮かんだ。
「僕にも何か、ナイフでも出せばいいですかね」
「いいや。君は今回の作戦で前に出て戦う必要はない。先述の通り、君には今は"風除け"としての役割がある。既に信号鬼の展開する空間深度は2000を超えている。この深度というのは夢想世界における自己領域での他者への影響度に言い換えることも出来る。生身の人間ではこういう深度の強い夢の中にいては夢の主、つまりは空間を展開している存在からの影響を強く受け、さっき説明したような自己強化も出来ず、深度が深い程にその身の危うさも増す。しかし、その深度の夢に堪えうる性能を持ったボイジャーを近くに置くことでその影響力を部分的あるいは全面的に軽減することができ、君はそこに立っているわけで我々一般軍人の防御力を底上げしている」
「それって言い換えたら僕がやられたら白さんも同時に…」
「君が倒されないように奮闘するのはボイジャーと行動を共にする者の役目だ。君には不安など感じてほしくない。どうか安心してこの場は私に任せてくれ。信じられるかはわからないが、私はこう見えてとても強いんだ」
冗談か本気か、英淑は微かに微笑んで見せた。アンブロシアが聞いていた経歴ではTD2Pではある部隊に所属する少尉という階級だったそうだが、これは一般人のアンブロシアからしても彼女がその歳の中では非常に優秀なのだろうという予想はついていた。それでいて武芸に秀でるとあれば、その気性も相まってその凛々しい姿により一層の頼りがいを見出してならなかった。
―――
―――
―――
「で、アンタはどんな夢を持ってるワケ?」
「ひゃあ!」
いつの間にか彼の眼前に出現した女。仄かに日に焼けた肌を大胆に見せつけるようなスポーティな軽装で先程からものすごい速さで自分たちの遥か先まで先行していたはずのボイジャー:スカンダ号がまるで風と共に現れるかのように瞬きの間に彼の前に姿を現したのだ。
一見するに自分と同じ日本人かそうでなくともアジア圏を思わせる顔立ちだがその目つきは非常に鋭く獲物を狙う猛禽類のようで、その上に先ほどの自分と同じような紫色のぼんやりとした光を纏う重瞳が発現していた。
「アンタのことは実験中に問題を起こした新機体ってことしか知らない。ベタベタした自己紹介なんてしたくないけど、アタシが本気を出せば間違ってアンタのこともバラバラにしかねないから、さっさと自分にできることを教えて」
「いや、できることって言っても……風除けとか」
「……どういうこと?アタシが馬鹿にされてんの?」
「何もしなくて良いって言われてるんですよ。ほんとに」
スカンダは怪訝な面持ちのまま傍らに立つ英淑に顔を傾げる。
「ちょっと。アンタ、これどういうこと?」
「彼はあくまでも調整段階の機体だ。実験段階では深度6000に到達してなお耐用値が17%を示していたことはこの目で確認した事実だ。単調なスカンダ号の能力行使ではこちらに大きな侵害はない。有事にはこちらに気にせずに全力を出してくれて良いと認識して頂きたい」
スカンダは顎に手を添えながら不服そうに悪態をついた。
「要は本当にただの風除けしかできない置物ってことでしょ。それにアタシの力が単調な能力って言われるのも不服なんだけど」
するとスカンダの姿がふっと景色の溶け込んだ。と同時に周囲に突風が巻き起こる。アンブロシアが風に怯んでいるうちに周囲からは激しい衝撃と破壊音が伝わり、まともに目を開けれるまでに風が弱まる頃には周辺の建造物が音を立てながら崩れ出した。
建物には何者かに蹴られでもしたかのような靴跡が散見できた。それでも、それが人の仕業のようにはとても思えなかった。
「見ての通り。いや、見てもわかんないか。アタシは"神速のボイジャー"。この身を韋駄天に昇華させるという偉大な夢を力に変える俊足の超人。人が生きてても一生味わうことができない神速の世界をアタシだけが実現できるわけ」
鼻を鳴らすスカンダを前にアンブロシアはぞっとした。なるほど神の速度。言い換えれば神の脚を以てすれば空想物とはいえ人間界の建物の破壊など蹴りの一つや二つでできるというもの。先ほどからの異様な歩行速度はその表れであるのか。それでいて周囲の存在にまでその俊足が影響するとあらば確かに強力な能力に違いない。
「でも、別に現実世界で足が速くなるわけじゃないですよね?」
悪意のないアンブロシアの一言。だが、スカンダはその何気ない声音に対して過敏な反応を顔に刻んだ。
「アンタ、糞むかつくわね」
「ええ、いや。でも、そうじゃないですか」
おそらく、神速を名乗る彼女に対して先手を取ることはまず叶わない。それでいてカウンターを仕掛けようにもその圧倒的な出力ととりわけ自身の脚のみを強化するという限定的かつ深度の深い力が働いてはその試み自体が愚策に成りかねない。この段階でのボイジャー同士の衝突は非常に問題があると英淑には痛い程わかっていながらも、どうすることも出来ないという焦りばかりが周囲を飲み込んでしまっている。
「でも、気分を害されたのなら謝罪します。どうか、こんな素人でも見捨てずにお願いします」
「……ッ。ボイジャーなんて放っておいても死なないんだから、アタシが見捨てずに守るのはアタシの仲間とこの目に映る無辜の民だけ…ってアレ!」
血相を変えるスカンダ。彼女はとても目がいいのか、かなり先の方の景色の先にある何かに目を止めてすかさずにその俊足で駆けだす。数度の瞬きの後、彼女が向かった先にはどうやら一つの交差点と点滅する歩行者用信号の前をのっそりと歩く老婆の姿があった。とても遅い歩みではとてもその老婆が信号の切り替えに間に合う十分な時間があるようには見えず、先程から不思議と増えだした街の車通りの多さも相まって彼女の咄嗟の行動も頷けた。
(…妙だな)
「この町に迷い込んだ夢の住人たちはその全てが朦朧とした意識の中で町を彷徨う羽目になるらしいな。深度2000台の夢の中では特別な処置をしない限りは夢にいる間はあんな風に意識も判然としないままに町を闊歩することになると見た。……しかし、この町を行きかうこの車の運転手たちも空間の影響を受けているのか?だとすれば町中が飲酒運転どころの騒ぎじゃないが…」
視線のかなり遠くでは既にスカンダが信号の転換にこそ間に合わなかったが、その俊足を以て老婆を横断歩道から抱え出していた。
「……もしかして、仕掛けられたか……?」
怪訝な面持ちを浮かべる英淑がそう言った途端。頭の中には別のメッセージが通り過ぎる。
『信号無視』
声音の分からない。まるで文字だけ迫ってくるようなその通知。
「~~~~~~ッ‼??」
鋭い勘と経験から危険を察知したスカンダだったが、そのメッセージの脳への影響もあってか一瞬だけ反応が遅れた。彼女の周囲の空間に僅かだが揺らぎが生じ、まるで意識の外側からの襲撃のようにその身には人間には余りある威力で突撃してくる普通乗用車の影が迫った。
その車は一拍も置かぬうちに彼女の右半身に勢いそのままに激突し、防御姿勢の間に合わなかったスカンダは顔を強張らせながらその衝撃に耐えた。人間では即死もあり得る威力の激突に堪えたスカンダは遠目でもわかるほどに激昂しており、自分に突撃してきたその車を次の瞬間には蹴り砕いてしまう。
「痛ってぇなッ!」
「スカンダ号!まだだ!!」
「あァん?」
彼女の超脚により宙に車の破片が舞う中、彼女の後方にはこれまたいつ顕れたかわからないようなマイクロバスが二台並んで彼女に緊迫した。エンジン音や走行音が聞こえないのか、スカンダはこれへの反応も遅れて今度はその背面に派手にマイクロバスの追突を受け、勢いを殺しきれずに凄まじい速度でアンブロシア号の方へと吹き飛ばされてきた。
鳥の影のように足元に飛来したスカンダだったが、アンブロシア付近で止まることにはうまく体勢を変化させて何事もなかったかのように着脚して立ち上がる。車に何度も轢かれたというのにその露出だらけの体には目立った外傷はなく、土埃がいくらかこびりついている程度に収まっていた。
「だ、大丈夫ですかスカンダさん!」
「別になんてことないわよ、こんなの。でも……結構痛かったわね。お目当ての奴のお出ましか」
『救護義務違反』
再び頭の中に妙なメッセージが流れる。
周囲を警戒する英淑。彼女は鋭い視線の往来ですぐに敵の位置を割り出し、先程一度消してしまっていた片手剣を出現させる。次いでアンブロシアも彼女の視線に沿って顔を曲げれば、その先にある信号機の上に何かがいることがわかった。
「あれか」「あれが…」
英淑とアンブロシアが同時に言葉を漏らす。英淑の表情が硬直し、すぐにでも飛び掛からんと姿勢を僅かに前傾させた時、攻撃を食らってもピンピンとしていたスカンダが急に痛みを訴えだして膝から崩れ落ちる。
「あッ…あああぁあああぁア‼」
「スカンダ号!」
スカンダについて回っていた隊の人間がすかさず近寄る。目立った外傷がなかったスカンダには今では衝突とは別に何やら皮膚にタイヤ痕のような傷が生じており、それが徐々に濃くなりつつそれに比例して痛みが増すと彼女は言う。
―――
―――
―――
「さっさと助けないからだ。交通事故の被害者は自分の認識とは裏腹に時間差で心身に異常を来すことが多いからな」
その声の主はいつの間にか彼らの傍らに立っていた。先ほどまでなかった信号機が地面から斜めに生えていて、その先に片足を乗せながら起用に静止している。
「てっきり信号関係のピカピカ光るだけの能力と考えていたが、どうにも見当が外れたかな」
英淑が手にした剣でその信号機に斬りかかる。斜めに生えた信号機は巻き藁よりもあっさりと両断され、その上にいた存在は空中でとんと跳ねる間に新たに出現した信号機に飛び乗る。
「最も身近なルールだろ。道路には危険がいっぱいだぜ」
「その割に適当なルールが設けられてるようだな。救護義務違反は轢き逃げした人間に課される罪。自分の力で出した車で轢いて、轢かれた人間にペナルティを与えるなんて馬鹿馬鹿しい」
「……加害者にも被害者にも問題はあるもんさ。それなりのペナルティもな。……ついでに言えば、これまでに貴様らに迫った車やこれから差し向ける危険車両に乗ってるのはこれまでに俺が書き集めた魂たちだぜ」
「……悪趣味な」
「せいぜい丁寧に愉しんでくれよ。下手に殺せば現実世界でたくさんの悲惨な事件が起きちまうからなぁ」
恍惚に歪む邪悪な笑み。
一見しただけでわかる常軌を逸した存在感。目に浮かぶ重瞳は青色の眩い光を纏っており、身を包む嫌に小奇麗な黒いタキシードはまさに闇そのものを衣にしているようだった。すぐ近くにいるのにその貌はどこか果てしなく遠いように感じられ、設えられたポケットに両の手を突っ込んだままそこに在る確かな余裕感。
これが悪魔の僕。
今この時に討伐が望まれる信号の鬼だ。
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