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序章 ボイジャー
02 昏山羊と航海者
しおりを挟む人は夢を見る。
将来なりたいもの、成し遂げたいもの。
今欲しいもの。手に入れたくてしょうがないもの。
三大欲求。或いはそれを超える宿望、野望、希望。
とにかく、理由も様々だが人は何か叶えたいものが夢となって、それを果たさんと大なり小なり力を得る。
叶わないとわかっていても手を伸ばしてしまったり、多少の無茶を顧みずにリスクに飛び込んだり。
時には夢枕にてその望みを満たす場合もあるだろう。やはり人間にとって夢想というのはどうにも都合がよく、夢の中だからこそ人はその記憶を辿った本性を露わにすることもある。
しかし、皆が暗黙のうちに了解しているのは、夢というのはそのほとんどが成し遂げられず、成し遂げられるとしても何らかの代償が伴ったり、どうしようもない制約が設けられているという点だ。だからこそ、夢に彩られた幼少期から人はリアリズムに強制され、想像力を失っていく。それこそが秩序と社会性に守られた人間という生き物の処世術であり、人類はみな自分の夢を自分以外に託し、後世への発展を願うことで存続を果たして生きてきたのだ。
だからこそ『其れ』とは性分が合わなかったのだ。
其れは突如として人の前に顕れた。
青い肢体を持った脅威の巨躯。その双眸は炎のように青く燃えており、照らされた貌は生き物でいう山羊のような風体だった。大仏を見下ろし、自由の女神を下肢よりさらに見下す超大な怪物。
それは人間の夢見た悪魔の姿に他ならなかった。
悪魔は自らを名乗らず、人間を前に夢を問うた。
曰く、夢はあるかと。
その悪魔と相対した人間たちとの間にどんな取引が、所謂悪魔の契約が働いたのか、今でもはっきりとはしていない。
だが、悪魔は確かに世界の形を変えた。
人間の人間性と引き換えに夢の世界でその魂に力を与えた。人は夢を追う楽しさ、叶える恍惚の思いを味わった。それで満足できれば、それでいい。万人が夢を得ても、心地よさを味わって終わりならば悪魔との取引も早々に幕を下ろしていたのかもしれない。
そこで起こった事件は悪魔の手によるものではなく、人間が起こしたものだった。それも人知の及ばぬ神秘の領域の事件だ。ある夢見る子供が与えられた力を用いて世界中の個人の夢にさらなる影響力を与えた。既に討伐されたその子供曰く、夢は大きい方が楽しいとのことだった。そして、世界の形がさらに変容を迎える。人々の夢には新たな概念が生まれ、個人の夢の世界からみんなの夢の世界に仕組みが入れ替わった。各々の心の領域が特別な空間として主張を強め、他者の侵害をも厭わない数多の世界が同時並行的に存在するようになり、まるで一つの超大なキャンバスに絵を描くような特異な領土戦争が幕を開けたのだ。
ある者は暴力を崇拝し、ある者は支配者として他者の世界の侵害を実行する。平和への願いも転ずれば人類虐殺に繋がりかねない諸刃の力こそが個々の有する夢の世界であり、より強い意志や欲望を夢へと昇華させたものこそが悪魔に魅入られた”悪魔の僕”として人類の共通の脅威となった。
―――
―――
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「で、そこで擁立されたのが国家同士の”対悪魔の僕”を想定した政府公認の討伐登録機関のTD2PとAD2Pなんだよね。これらはそれぞれ”Trans-Pacific DEMON defeat Partnership”と”Atlantic-Ocean DEMON defeat Partnership”って意味で、それぞれの海をほんわかした境界として夢に憑りつかれた悪魔の僕の拿捕だったり討伐のために日々心血を注いでいるってわけ」
湖畔から折り返してくる照った日の光。キラキラとチラつくやわらかな温かみを感じながら、痩躯の少年は振舞われた珈琲の入ったカップに口をつける。口をつける前に彼からこぼれた「はぁ」という相槌に対し、少々不服そうに眼前の木椅子に腰かける若者は言葉を続ける。
「君はそのTD2Pの方で実用化が期待されていたボイジャーという機体の一つ。国籍は日本で一応は登記上で唐土己っていう名前がついてるね。でも詳細はだいぶ暈かされてる書かれ方ってのは研究一筋で文章がニガテな俺からしても明白だね。戦闘機としての名前は"アンブロシア"、でも耐用実験の中でちょっとしたトラブルが起きてこんな田舎で謹慎してるけど。まぁ元気そうだしそこは別に問題ないよね。ちょっと記憶がデリートされちゃったのが玉に瑕。六歳児にでもわかるように説明するのも骨が折れるわぁ」
「僕は16歳ですよ。記憶はなくなりましたが、六歳児扱いされる筋合いは…」
「16歳児も変わんないよ。あー。ほんとこんな田舎じゃあ暇すぎて死ねるわ。んん。もう君の体弄るにも滅茶苦茶偉い人の許可とかいるしさ。メンテナンスっつっても簡単な問診が限度。そうでなくてもこんな世界の義務教育も忘れてもらってちゃあ次に何を教えればいいやら」
「はぁ……」
「また退屈そうにしてくれるぇ君。俺なんてもともとAD2Pの方では天才のコルデロ先生なんて言われて結構評価高かったんだぜ?モテたし、頭良すぎて一週間でTD2Pの公用語覚えたしね。それがこんな極東の田舎で三人暮らしなんてさ。一人は記憶喪失の欠陥機体だし、一人は堅物のサイコ剣士の御姉さん。てか、こんな暮らししてんのあんたのせいなんじゃないの?元少尉どの」
唐土己。もといボイジャー機体の新型[アンブロシア]のメンテナンス技師であるイタリア人セノフォンテ・コルデロは首を傾げて少し遠くでPCを操作している白英淑特命左官に吐き捨てた。当の白は顔色一つ変えずにタイピングを続け、少し間を置いてから視線を変えずに言葉を返す。
「この生活に鬱屈しているのは皆同じだ。技師としての力量は知らないが、お前に大きな顔をされる筋合いはない。与えられた仕事に不満があるのなら、さっさと辞めて都会で酒でも引っかけていればいいだろう」
「でた。軍人さんは頭硬ってぇわ。仕事のためなら何でもします。犬にもなりますってか。俺にはそんな縦社会の敬虔な駒には成り下がれないね。……それともあれかい?唐土君の頭をぶっさして記憶をぶっ飛ばしたのも仕事だから何の引け目も感じてないって?」
「当たり前だ。ボイジャー計画には様々なリスクが常に付きまとうことは織り込み済み。もしそれが一般人を巻き込みかねない重大なトラブルの発生につながり、危険がすぐそこにあるのならば私は一切の躊躇なく誰の首でも撥ねる。それに唐土君には目覚めて二言目には私のとった対処の説明をしたし、理解も得ている。謝意はあるが、後悔はなく、私はそもそも唐土君を殺すために剣を刺したのだから」
「ほぉらサイコだ。サイコ。人権道徳で育ってなお、命の選別は得意ですってか。だから嫌いなんだよ軍部の奴等はさ」
「私にしてもボイジャー計画には最初から懐疑的な所感を持っている。少なくとも、私は彼に殺意を剥けることも、子供を戦闘機にして戦場に投入することも前向きに捉えていない。自己発言になんと責任も伴わない学者にはわからないだろうけどな」
随分と気まずい空気が流れている。
どこか呆けた考え方をする唐土にも、この二人の険悪な空気には許容しがたい居心地の悪さが目立つように思えた。
「で、そのボイジャー計画っていうのは何ですか?」
「ん、説明してないのかサイコお姉さん?」
「教養に関することはメンテナンス技師の仕事だろう。TD2Pの事業の中でも最も唐土君に必要な説明だ」
「んん。ま、いいか。ボイジャー計画。ここではTD2Pのボイジャー計画とでも言えばいいかな。このボイジャーには航海者という意味があって、かつて宇宙に投げ出された惑星探査機のボイジャーに擬えられたTP2Dの改造人間を用いた戦闘機運用計画のことだわ。宇宙を泳ぐ航海者のように、ボイジャーには夢の世界において期待される役目がざっくり二つある。…言ってしまえば"風除け"と”戦車”だ」
「はぁ」
「さっき言った悪魔に魅入られたイカレた現実逃避マンたちってのは非常に厄介な存在でね。人類の最上位の天敵といっても全然過言じゃないわけ。TD2Pでは今現在までに42体のシモベの討伐と400体近くの拿捕・投獄に成功してるわけだけど、それまでに世界中で殉職した構成員や協力者、民間での被害を雑に合算しても既に8000万近くの命が奪われている。
シモベの持つ能力は夢に依って幅広く、そんでもってどれも夢の中では絶大な効力を発揮して独裁空間を生み出している。単純な話、そいつが"一番強い土地"が夢の中であって、その夢に外部から干渉して討伐を試みる以上、いつだって不利な戦いは避けられないのさ。世界中の夢が繋がった空間の"夢想世界"ではただでさえ全人類がバフされてんのに、そこにチート能力の開花までしたのが悪魔の僕ってわけ」
そこで唐土己は疑問符を浮かべるように呆けた顔をしてずっと手に収めていた珈琲カップをそばの机に置いた。
「でもそれって、夢の中の話ですよね。なんで夢の中で暴れる人がいるからって死人やら被害者やらっていう話になるんです?」
そこでセノフォンテ・コルデロは邪悪そうな笑みを浮かべた。
「さっきも言った通り、人間の夢は一つの世界として繋がってしまったんだよ。そして夢ってのは人間が見るもの。白昼夢にしろレム睡眠にしろ、それは人間の頭の中で解像度を得る特殊な空間だ。特定の周波数がある電子機器を一斉に狂わせてしまうように、夢想世界でダメージを受けた人間は自ずと現実世界でも影響を受ける。夢で派手に殺された人が心臓マヒで死んでしまったり、夢の中で洪水に溺れた人々が朦朧としながら海に集団自殺を図るとか、例に挙げればそれこそきりがない。だからこそ、夢の中で自分が殺されないように誰もが自己防衛に走り、行き過ぎた防衛本能が歴史的な大虐殺を招くことだってあるわけだ」
「そんな……」
そこで、英淑が暫く閉じていた口を開く。
「悪魔の僕にもその成立の所以はケースバイだ。話が通じる奴もいるし、何がなんでも神の領域まで登り詰めることを最上としてリスクを厭わない危険な連中もいる。TD2PやAD2Pでは全ての悪魔の僕の情報を管理しているが、その危険度に応じてカテゴライズされた悪魔の僕の中でも最低レベルのカテゴリー1と最高位のカテゴリー5では、ヒヨコと太陽のレベルの大差があると言えるな」
「はは、ご丁寧にどうも」
「フン」
「とはいえ人類の叡智が人類の天敵である悪魔の僕に対して全霊を以て討伐を試みるという姿勢はかなり初期から確立されていた動きだから、カテゴリー1のような雑魚が時間経過で増加していくことはないと言われているし、実際は既に減少傾向だね」
「それはつまり、強いのが多いってことですか?」
「そう。理由は自明。TD2Pは徹底した雑魚狩り気質で若い芽はとにかく早めに摘むっていう習慣がある。君が実験中にトラブって頭ぶっ刺されたのもそういう体質が要因だね。マジでビビりやがんの。……そのほかには当然、悪魔の僕自体が人間ベースだから当然のように成長したり、能力向上すんのが当たり前ってわけ。厄介だからって慎重になればなるほど、より手が付けられない強敵への成長を促してるわけだ。初期ではこれを超えるシモベは出てこないって言われてた唯一無二のカテゴリー5の怪物だって、今では7体までいるカオスの極致。人間の生存はこの7体の虫の居所に直接左右されるって言っても問題ないね」
「はぁ」
「……ここまで話が後手に回っているのにも理由はあるが、そんな人類側の打開策として実験・運用されてきたのがボイジャー計画だ。ボイジャー計画で生み出された改造人間の戦闘機には夢の世界におけるシモベの強力な能力を中和する作用がある。他人の夢など強制されればこちらにとって悪夢に他ならない。体よく言えば地獄だな。生身の人間が多少夢の世界のバフを受けたとして、地獄をばら撒く悪魔の僕に対抗などできるはずもない。そういう意味での"風除け"と"戦車"の役割がボイジャーにはある。
強烈な独自領域を展開する悪魔の僕の地獄に堪えうる耐用値と悪魔にも負けない能力を持った選ばれた人材。そんなボイジャーを戦略の中核に据え、向上した防御面から一気に悪魔の僕の討伐や拿捕を可能とし、人類生存の道を拓くことこそがボイジャー計画。君はその新型のボイジャーだった」
「でも、僕には記憶が……そんなたいそうな兵器だって自覚だって全然ないですよ」
「ああ。できることなら私はあのまま死なせてやりたかった。君のような子供に……これから先、その身果てるまで地獄を味合わせるなど私には看過し難い」
そこでセノフォンテ・コルデロが嫌みたらしく英淑に訊く。
「看過し難いってのはまるで看過することになったってカンジだな。まだ、実戦の見通しは立ってない謹慎中だろう?」
「わかっていて言っているのか?…残念ながら、今しがた本局から通達があった。近日中に唐土己君、いやボイジャーのアンブロシア号の実戦運用が開始されるそうだ」
「え…!?」
「対象は割れてんのか?」
「…一昨日、誕生した新個体だそうだ。対象識別名は……『信号鬼』」
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