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85 覚えていますか?

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 私は、筋肉痛と闘いながら自転車のペダルをこいでいます。もう景色を楽しむどころではありません。並んで走っている青木さんは楽しそうです。
 私が必死で自転車をこいでいると、少し前を走っている清徳さんの様子が、少しおかしいことに気が付きました。まっすぐ走っていませんよね? 青木さんもそう思ったらしく、私の横の位置から少しスピードを出して清徳さんと並びました。

「大丈夫ですか?」

「ああ」

「無理をしなくても。ここからなら別荘に戻るほうが近いですよ」

 青木さんが清徳さんに声をかけています。そうなんですか。ここからなら別荘に戻るほうが...。清徳さんが戻るなら、仕方ありません。付き添いとして私も戻ってあげましょうかね。
 私は清徳さんの答えを待っていましたが、清徳さんはそのまま自転車に乗っていくことを選んだようです。

 どうして~。無理しなくてもいいのに。半分やさぐれながら、私も自転車をこぎました。青木さんが、私と清徳さんのスピードに合わせて走ってくれています。
 気が付けば、いつの間にか前を行っているはずの皆さんの自転車が見えません。ずいぶん差が開いてしまいました。
 青木さんは私たちに合わせてくれていましたが、さすがにこの遅さに気になったようです。

「ちょっと前のみんなに言ってくるよ」

「お願いします。私はのんびり行きますので」

「私も...」

 私が青木さんに言うと、清徳さんもやはりこれ以上早く走れないのか青木さんに言いました。さすがにこれ以上見栄を張れないようですね。
 青木さんは、私と清徳さんに手を上げて軽やかに行ってしまいました。

「足が痛いですね」

「ああ」

 私と清徳さんは、青木さんがいなくなった途端、さきほどより速度が遅くなってしまいました。いつの間にか私の後ろで自転車を走らせている清徳さんに、聞いてみることにしました。するとどうでしょう。まさか肯定の言葉が返ってくるとは思いませんでした。
 私は清徳さんの自転車に並びました。

「思い出しますね~」

 清徳さんと並んで自転車を走らせていると、思い出すことがありました。清徳さんは覚えているでしょうか? 

「ああ。初めて自転車に乗った時の事だろう?」

 覚えていたんですね。



 確か小学生だったと思います。春休みにこの別荘に遊びに来ていた私は、お兄様に自転車の乗り方を教えてもらおうと、お兄様と買ってもらったばかりの自転車の練習をしていました。 
 
「僕も!」

 そういって清徳さんが、これまた買ったばかりの自転車を押しながら割り込んできました。お兄様は、苦笑しながらも私と清徳さんの二人に自転車の乗り方を教えてくれました。私が乗るときには、お兄様と清徳さんが後ろを持って。清徳さんが乗るときには、お兄様と私が後ろを持って。
 運動神経のいい清徳さんは、すぐに自転車に乗れるようになりました。でも私は三日ほどかかってやっと乗れるようになりました。その頃には、何回も転んだせいで足にいくつか擦り傷を作っていました。
 
 自転車を習い始めて翌日には、めんどくさくなって自転車の練習に身が入らなくなった私に、清徳さんが言ったのです。

「自転車が乗れるようになったら、あこそまで行ってみようよ」

 湖の一番奥の方を指さしています。

「遠いよ。それにもう乗りたくない」

「あっちの方においしいケーキ屋があるんだって。誰かが言ってた」

「へえ~」

 それでもまだやる気のない私に清徳さんは誘いをかけてきます。

「あそこには、ちよちゃんの好きなフルーツタルトもあるんだって」

「へえ~!!」

 当時私はフルーツタルトにはまっていました。俄然やる気が出ました。そのおかげで三日目にしてやっと自転車に乗ることができました。 
 もちろん自転車に乗れるようになった私は清徳さんをせかして、すぐに出かけました。もちろんあのケーキ屋さんに向かって。

「ねえ、きもちいいねえ」

 風を切って走っていくのは本当に気持ちのいいものです。隣に並んで走っている彼も気持ちよさそうです。

「そうだね~」

 私の返事に彼も満面の笑みで答えています。

「自転車だったらどこまででもいけそうだねえ」

「ほんとだね。このままおうちにもいけそうだね」

 おうちとは別荘の事ではありません。彼は、そんなことまで言い始めました。あの頃の私たちはまだ子供でした。私たちは本当に自転車でどこまででも行けそうだと思ったのです。
 
 でもそんなに簡単にはいきませんでした。彼の言ったケーキ屋さんは見つからず、私たちは自分たちがどこにいるのかさえ分からなくなってしまいました。迷子になってしまったのです。

「ねえ、ここどこ?」

「わかんない」

 私の問いに彼が泣きそうな顔を浮かべています。いつの間にか真上にあった太陽がもう沈みそうになっています。あたりがオレンジ色に染まっていきます。
 私たちは途方に暮れて、ちょうど近くにあった公園に行きました。自転車を降りてベンチに座ります。私は座ったとたん喉が渇いているのに気が付きました。お腹もすいています。お昼も食べていないからです。
 私はちょうど近くに自販機があるのを見つけて、飛んでいきました。

「ちよちゃ~ん、どこいくの?」

 後ろから心細そうな声がします。

「あそこでジュース買ってくる」
 
 私は、後ろを振り返り自販機を指さしました。手が届いた中で一番おいしそうなジュースを二本買い、急いで戻ります。彼に一本渡して、私はごくごくと飲みました。飲んでしまった後、彼を見ると彼はまったくジュースに手を付けていません。

「喉乾いていないの?」

 彼は泣いていました。声を殺して泣いていたのです。目から涙があふれているのか、ジュースを持っている手がぽとぽと落ちる涙で濡れていきます。
 それを見た私も心細さが身に染みてきて、泣いてしまいました。もちろん私は声を殺していません。わんわん泣きました。
 ただ思うに任せて泣いていると、いつの間にか背中にぬくもりを感じました。見れば彼がすぐ隣にくっつくように座っていて、私の背中をなでてくれていました。背中に小さな手を感じます。いつの間にか涙が止まっていました。

 その後すぐでした。私たちがいつまでも帰ってこないことに慌てたそれぞれの家族が、探し出してくれました。ただその後私と彼は、こっぴどく怒られたのでした。
 
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