上 下
79 / 104

79 言いたいことを言います

しおりを挟む
 私たちはペダルをこぎ始めました。ですが、清徳さんはここに来るまでに力を使い果たしてしまったせいか、先ほどまでの力が出ないようです。私も一生懸命こいでいますが、なかなかボートは前に進みません。

「悪かった」

 隣から声がしました。どうやら清徳さんから出た声の様です。いつものように張りのある声ではなくずいぶん小さな声ですが。

「仕方ないですよ。ペダルをこぐのが楽しかったんでしょう? ボートに乗ると童心に帰りますよね」

 清徳さんにしてはあまりのしなびた声に、思わず同情を覚えてしまい私は優しい言葉をかけていました。 

「違うんだ。あれは...」

 清徳さんが何か言いかけてやめてしまいました。やめないでくださいよ。気になります。

「違うって?」

 私はボートを漕ぐのをやめて体ごと清徳さんの方を向きました。清徳さんは、はじめこそ私の視線を無視してひたすら前を向いてこいでいました。が、私がずっと見ているのを感じたのでしょう。

「君が楽しそうに話していたから、つい...」

 清徳さんがぼそぼそと話し出しました。でもまた途切れてしまいます。私は清徳さんが途中まで言った言葉を反芻してみました。

 えっ? えっ__?

 気が付けば声に出てしまったいたのでしょうか。人間驚くと声に出してしまうって言いますからね。

「ついイラッとして離れたかったんだよ!」

 清徳さんは顔を真っ赤にさせて叫ぶように言いました。これではまるで嫉妬していたみたいですね。

「そうだよ! 面白くなかったんだ!」

 あらまあ、またもや声に出してしまっていたようです。いったいどうしたんでしょう、清徳さんは? 

「こんなこと自分勝手だと思ってるんだ...」

 今度は先ほどまでの叫び声はどこへやら、再び小声に戻ってしまいました。ぼそぼそといっています。ですが私が今いるのは彼清徳さんのすぐ隣です。どんなに小さい声でも聞こえてしまいます。
 ただ清徳さんの独り言ともいえる言葉を聞いていて、なんだかむかむかとしてきました。ふつふつと怒りがわいてきます。
 あんなに私を嫌っていたのに。いつも私がそばに行くたびにいやそうな顔をしていたのに。次から次へと嫌な思い出が蘇ってきました。

「ごめん。本当に悪かった」

 いつの間にか私もぼそぼそと独り言を言っていたようです。その言葉を聞いた清徳さんが今度は謝り始めました。私の手に何かが当たりました。雨でも降ってきたのでしょうか。いえ違います。膝に置いていた私の手に当たったのは、自分がこぼした涙でした。
 前世を思い出してから、自分の中で清徳さんとの事はなんてことないと思っていました。いや思い込もうとしていました。ですが、やっぱり私は傷ついていたんです。小さい頃からずっとそばにいた初恋であろう人に、あんなに邪険にされていたことに。清徳さんには彼女が出来て、あんなに優しい目で彼女を見つめる彼を見ては、心におった傷が深くなっていたのです。だからこそ前世を思い出して、清徳さんのことはきれいさっぱりと忘れようとしていたのに。

 あの頃の私が泣いているんです。悲しい思いをしていた私が。

「今さら言わないでください」

「わかってる。本当にごめん」

 私が泣いているのを清徳さんはわかったのでしょう。また謝ってきました。涙でにじんだ目で清徳さんを見れば、うなだれている清徳さんがぼんやりと映っています。

「あんなに仲が良かった彼女がいるじゃないですか。私の事はほおっておいてください」

「彼女とはもう別れている」

「えっ。なんで?」

 もうこれ以上彼女の事を話題にするつもりはなかったのですが、つい言葉が口から出ていました。

「わからない。ただもう好きではなくなったんだ」

「まだ間に合いますよ。今からでも遅くありません。謝ったらどうですか? 誠心誠意謝ったらきっと許してくれますよ」

「そうなのか? じゃあ今から謝るよ。いくらでも。ごめん。本当にごめん」

「何言ってるんですか。私に謝ったってしょうがないじゃないですか。謝るのは彼女さんにですよ」

「私が謝りたいのは君にだ。君に謝りたいんだ」

 清徳さんは私の目をじっと見つめています。どうしてこうなったのでしょう。いきなりの事に驚きすぎて、さっきまで出ていた涙が引っ込んでしまいました。

「もういいですよ。許します」

「そうなのか? 許してくれるのか。じゃあこれからもよろしく!」

 これ以上謝ってもらいたくなくて、気が付けば私は清徳さんを許していました。ただ清徳さんの発言に首をかしげます。それになぜか清徳さんはすごくうれしそうです。不思議です。

「これからもよろしくって何ですか? 確かに今までの事は許しますけど、もうよろしくされなくていいです。むしろこれからは、かかわり合いたくないです」

「そんなこといわないでくれよ~」

 この前の職場での事もあるので、ズバッといってやります。すると清徳さんは、今度はこれ以上ないっていうぐらいに眉を下げて、悲しそうな声を出しました。何言ってるんですか。許してあげるだけで良しとしてくださいな。

「じゃあ心を入れ替えるから、変わった僕を見てほしい。そばにいさせてほしい」

 清徳さんは私に懇願してきます。清徳さんの頭の上にあるはずがないのに、なぜだか下に垂れた耳が見える気がします。おまけに垂れ下がったしっぽまで。いやあ、私の意図が全く伝わっていないようですね。

「いいですか。もういいなずけではないんです。赤の他人です。ですからこれ以上私にかかわらないでください」

 そこまできっぱりといえば清徳さんも納得してくれますよね。言い切ったらなんだか気分がよくなりました。なんだかんだで気持ちに踏ん切りをつけたかったんですね。さっぱりしました。

 清徳さんは、私が急に笑顔になったのを穴が開くほど見ていましたが、そのうち彼も笑顔になりました。しかもなんだか後ろから黒いものが出ている気がするのは、きっと私の目の錯覚ですよね。先ほどまでの悲しそうな顔はどこに行ったのでしょうか。彼のあまりの急激な変化に今度は私が清徳さんの顔をじっと見ます。

「じゃあ、私の顔はもう見たくないんだよね。そうか。そうか。それなら今君が働いている会社はどうするの? あそこにいると、私の顔を見ることになるよね。だってあそこはうちの系列会社だし。ね!」

 ね! って何ですか? そんなに首をかしげて言ってもかわいくないですよ。ちょっと勘弁してくださいよ~。あの会社気に入ってるんですから!

  

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【1/23取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

平民の方が好きと言われた私は、あなたを愛することをやめました

天宮有
恋愛
公爵令嬢の私ルーナは、婚約者ラドン王子に「お前より平民の方が好きだ」と言われてしまう。 平民を新しい婚約者にするため、ラドン王子は私から婚約破棄を言い渡して欲しいようだ。 家族もラドン王子の酷さから納得して、言うとおり私の方から婚約を破棄した。 愛することをやめた結果、ラドン王子は後悔することとなる。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

処理中です...