王の鈴

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5章 別離

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ジークヴァルトとヴィリーを襲ったライドゥル兵は、あまりにも幼く、間諜とは思えないほど迂闊に口を開いた。
もしかしたら、兵士だったのは死んだ方の若者だけで、この少年はカモフラージュに過ぎなかったのかもしれないと、シェイラが書き起こした調書を手に、フェルディナンドは深く深くため息をついた。
年は17、未成年だ。
ライドゥルでは異なるのかもしれないが、ティトゥーリアでは18歳の誕生日を迎えるより前に入隊する者はいない。兵学校の門戸こそ16歳以上の男女に開かれているが、正式に入隊し、配属されることはない。
子供の精神で耐えられる場所ではないからだ。
愚かなと思った。
少年の発言がカラフェ男爵の逮捕の決め手となった。
死んだもう1人のライドゥル兵は何故、この少年を共に連れて行ってやらなかったのだろうと、哀れにも思った。
王命として最短で出された逮捕状は、既に屋敷を軍が張っていたこともあり、つつがなく執行された。
しかしながら男爵の取調べは簡単に進まない。狡猾な男は、のらりくらりとかわし、けれど思わせぶりな態度で、若い文官を翻弄した。
既に覚悟をしているのか、或いは時間稼ぎか。
後者だろうなとありありと分かる様子に、すぐさま刑場に送ってやろうかとも考えたが、前の戦争の「孤児」を引き取り養っていたのだと情緒たっぷりに主張する男に、処刑に値するほどの罪状はまだない。
警戒してはいたのだろう、敵に武器を流していた証拠は見つからない。
まぁ、子供相手ほどに楽には進められないだろうと息を吐き出したフェルディナンドは、別の意味で面倒なもう1人の「罪人」のことを考える。
(さっさと、修道院に送っておけばよかったものを)
口元に笑みを刻んだ宰相は、自身についているドリューという書記官を呼ぶ。
「王太后様宛だ」
「承知しました」
走り書きのメモを渡し、執務机に置かれたカップを手に取る。
さて、こちらの子供は何を口走ってくれるだろうか。


王妃マルグリッドが王宮から離宮へと居を移したことは、国王アーデルベルトだけではなく、もう1人、彼にも大きな影響を与えた。
アーデルベルトとマルグリッドの子、エルンストである。
学術院の卒業パーティーで婚約破棄を突きつけるという暴挙に出た彼は、廃嫡され、王太子としての地位を失い、けれど、王子の地位はかろうじて安堵された。
愚かな王子に世継ぎの地位を与え続けるわけにはいかなかったものの、「次」がいない王家がそう易々と王子を手放すわけにはいかなかったからである。
エルンストは王太后カテリーナの元に預けられた。
王宮の一の女人である彼女がエルンストの庇護者となれば、表立って王家の判断を非難出来る者はいない。アーデルベルトから直々にエルンストのことを頼まれたカテリーナは承諾し、彼の庇護者となるとともに再び学術院に戻ることの出来ない彼の再教育を請け負った。愚かなだけの王子をいつまでも許容できるわけではないのだ。
エルンストはカテリーナが嫌いだった。母マルグリッドがカテリーナに会う度不機嫌となり、当たり散らしていたからだ。
王妃にありながらマルグリッドは王宮の女主人ではなかった。
マルグリッドは家柄が圧倒的に不利だった。更に、面倒な公務からは逃げ、贅沢に耽っていた彼女に女性陣が従うはずもない。
貴族の夫人達も、王宮の女官達でさえも、まずはカテリーナの意向を聞き、尊重した。
カテリーナは最初こそマルグリッドを名実伴った王妃となるよう協力を申し出たものの、一向に王妃としての責務を果たそうとしない彼女に、やがて、諦めた。
自らの怠惰を棚に上げ、マルグリッドはカテリーナを嫌いに嫌った。
カテリーナがいるから自分は蔑ろにされるのだと叫んだ。
カテリーナに対する悪口、というより呪詛のような言葉ばかりを聞いて育ったエルンストは、カテリーナに苦手意識を持つしかなかった。が、その感情を拗らせたのはシェイラが婚約者となってからである。
マルグリッドへの期待をやめたカテリーナは、次の王妃に一番近い場所にいたシェイラに、マルグリッドを素通りし、仕事を分けるようになった。孤児院の訪問や運営、お茶会や夜会の招待状の代筆など、少しずつ仕事を増やしたシェイラは王宮内での存在感を広げていった。
何故、あの「化け物」を王妃にしようとするのか。苛立ちに、カテリーナのことも疎ましく思うようになった。
アーデルベルトに命じられ、王太后の宮殿に足を踏み入れたエルンストを、意外にもカテリーナを歓迎してくれた。
再教育の言葉通り、教師陣が既に集結しており、目の回るようなスケジュールを組み込まれた。
王太子どころか王族としての最低限の知識すら備えていなかったことは初日にしてバレ、教師陣は頭を抱えた。その筆頭は宰相から命を受け外交の講義を受け持ったイザク=マティアスだったりするのだが、妹を貶めた王子に対しても淡々と講義をこなしていた。
勉強などまったくやる気はなかったのだが、手を抜けば次は王子の地位も失いますよという言葉の深刻さに、逃げ出すことも出来ず、ただただ目の前の課題をこなしていった。
カテリーナは出来るだけ一緒に食事をしましょうと誘った。
嫌味を言われるのだろうかと嫌々ながら食堂に現れたエルンストに、彼女は日々の講義の内容を聞き、助言をくれた。
それ以外の何気ない話もした。
エルンストの話をいつも楽しそうに聞いてれるカテリーナに、少しずつ、親しみを抱くようになった。カテリーナの方も、エルンストにアーデルベルトと似た部分を見つける度、片方で複雑さを抱きつつも、親愛にも似た感情も抱き、この状況を楽しむようになった。
子供の頃から家族の団欒などからは程遠く、食事も一緒に摂ったこともほとんどなかったエルンストにとって、カテリーナは初めて出来た家族のような存在だった。そして、驚くことにアーデルベルトもやってくるようになった。
昨日の昼が二度目だ。アーデルベルトは共に食事をし、カテリーナと何か難しい話を、ついでにエルンストとも会話をしていった。
いつも厳格な王がここに来た時はとても寛いでいて、エルンストもなんとか自然に話ができるようになった。
廃嫡されたというのに、奇妙なほどに穏やかで、初めて経験する時間にエルンストは落ちつき、自身の行動を省みるようになった。
アリア=カラフェのことは一瞬の熱病であったかのように、どうでもよくなっていた。


自身の婚約者を嫌い、化け物とさえ呼んで遠ざけ、自身の王妃に相応しい女を探し続けた。自然と学術院の講義もおなざりとなり、成績は下降線を辿っていた。
そして、アリア=カラフェと会った。
彼女こそが自身の王妃となる女だと思ったエルンストはさらにシェイラが疎ましくなり、卒業パーティーの日、卒業生達の前で婚約破棄を叫んだ。
何も知らなかったのだ。
化け物の象徴のように思えた、あの左右の異なる瞳の片方が王のものだったことも。
シェイラが。
あの、面白みのないとばかり思っていた彼女が、婚約者と引き離されながら、エルンストを王にするために婚約者となったことも。
彼女が、エルンストの王妃となるのを辞退したがっていたことも。


この日は、朝からセドナ語の講義だった。
王族であれば最低限セドナ語は流暢に扱えて当然なのだが、エルンストはそれも十分ではなかった。
この日の講義はこれで終わりだった。午後からカテリーナがお茶会を開くとのことで、エルンストは自室にいた方がいいだろうという配慮だった。
お茶会とは、エルンストに代わって世継ぎとなったジークヴァルトの婚約者選びを意味する。
5年前、シレジアに降った叔父は未だ婚約者がいなかったらしい。
エルンストの王太子としての地位に障りがあってはという配慮だったらしいが、その間浮ついた噂1つなかったジークヴァルトが何故、そうせざるを得なかったのか多分、今は知っている。
なのに何故、婚約者選びなのか。
つい責めるような口調でカテリーナに尋ねると、ひどく苦い笑みを浮かべ彼女は言った。
王の婚礼に自由はありません、と。
ずきりと胸が痛んだ。
『王妃としての資質があり、かつ、貴族社会をまとめ上げなければなりません。私を母として生まれた王太弟には、ユーリエ公爵家に近しい家から王妃を迎えるのが順当です。もし、それを違えようとするのならば、そうしてなお、貴族の忠誠を受けるに足る強さが必要です』
『ですがっ』
『王族とはあなたが思っている以上に自由のない存在ですよ、エルンスト王子』
遠くを懐かしむように目を細めた王太后は、ふ、と息を吐き出した。


教えてあげましょう、何故あなたの父君が王となれたかを。
多くの偶然の産物です。
陛下の上の兄君2人は若くしてお亡くなりになり、ジークヴァルトは若かった。そして、戦時だった。陛下は当時軍属しておられ、戦争の勝者となられ、民衆の圧倒的な支持を得た。
貴族はひれ伏し、陛下は王冠を手にされ、あなたはマティアス侯爵家の力を借り、王太子となった。
主に私の実家、リッカはジークヴァルトを王にも世継ぎにも出来なかった。
けれど今、あなたの幼さがあなたから地位を奪い、ジークヴァルトの前に王冠が引き寄せられた。
そのような偶然を運命と言うのです。
掴み取る力がない者は、善いとされた物を受け取るしかないのですわ、…私のように。


そう言って笑んだカテリーナはどこか寂しげで、エルンストは何も言い返せなかった。
アリアが好きだからと婚約破棄を叫んだ自分がただただ、情けなかった。


講義を終えたエルンストは、お茶会が始まるまでの時間を剣の鍛錬に充てようと庭へと出た。
すると、そこに、意外な人を見つける。
その人は女官ともともに、庭で、花を摘んでいた。お茶会のテーブルに飾る花なのかもしれない、時折、彩りを考えてか手が止まり、視線が動く。
「何故…」
思わず呟けば、気づいた彼女は顔を上げた。
途端に周囲の女官達に阻まれ、自身がひどく警戒されていることに気づく。
無理もない、そう思いエルンストは立ち去ろうとしたが、はたと気づき、彼女を覗き見る。
左右の揃いの碧が、どう対応したらいいのかと迷い、不安げに動く。
やはり「化け物」ではなかった。
片方の目の色が変わっただけで、こんなにも警戒が薄れるなんて我ながら現金だと思う。が、今となっては、彼女に抱いた苛立ちが、父に対してのものだったと気づく。
「シェイラ」
努めて穏やかな口調で名を呼べば、一瞬言葉を失った彼女は、けれどさすが次期王妃として教育を受けていた賜物か、すぐに表情を戻り、腰を落とす。そのまま、口を開こうともしない様子にはっとする。
もう、婚約者ではない彼女は、普通の令嬢のように、王族の次の言葉を待っている。本当に彼女は婚約者ではなくなったのだと思い知らされるようで、複雑さがこみ上げるが、それらを口にすることをなく、発言を許す。
「何故、こちらに来ているのだ」
「王太后様にお茶会の準備を手伝って欲しいと呼ばれました」
告げて、にこりとする。
完璧に整った笑みに、エルンストは動揺する。
「何故そのように笑顔でいられるのか。そなた、今日の茶会は…」
思わず声を上げると、笑顔が少しばかり陰る。きれいな碧が揺らめくのに、不覚にもどきりとする。
「はい、王太弟殿下の婚約者選びのお茶会です」
「だから何故」
そんな風に笑っていられる?
お前は叔父上と結婚を約束していたのだろう?
戻りたいと思っていたのだろう?
顔にありありと書かれた問いに、困ったように笑う。
「私が王妃など不相応ですわ」
「でもお前は俺の!」
「確かに教育は受けました。ですが、殿下がこの方こそはという方を見つけられることをずっと願っておりましたわ」
確かにそう言っていた。
けれど、これはそんなことではなくて。
「お前が望まなかったのは、俺の王妃となること、」
「王子殿下」
矢継ぎ早の訴えを敬称を呼ぶことで止める。
周囲の女官達が心配げに見上げるのを大丈夫と押さえ、元に戻ったきれいな笑みが改めてエルンストを見る。
アーデルベルトの王位を偶然と言ったカテリーナの笑みと重なる。


「私では王となられるあの方の役に立たないどころか足でまといになります」


そう告げたシェイラを、化け物と罵った少女を、この時になって初めてきれいだと思ってしまった。
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