王の鈴

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5章 別離

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見かけた後ろ姿にジークヴァルトは背を正した。込み上げる吐き気をこらえ、何事もなかったように一歩を踏み出す。
「マティアス公爵」
「殿下」
軍司令部に戻るとフェルディナンドが来ていた。多忙な宰相閣下がわざわざ説教でもしに来たのですかと笑いかけると、思ったよりも強い口調が戻ってくる。
「えぇえぇ、王太弟という高貴なご身分でありながら共1人で城下に出たことについてはいくらでも説教して差し上げましょう」
「昨日テレーゼにも言われ、ヴィリーを連れて行ったのだけどね」
ジークヴァルトは肩を竦める。
「殿下!」
「宰相」
少しも堪える様子のないジークヴァルトにかっとしたフェルディナンドが思わず声を荒げると、すっとジークヴァルトの声のトーンが下がる。
フェルディナンドは思わず目を見張った。
兄達から年が離れ、大切に育てられてきた優しげな王子というのがフェルディナンドが持つジークヴァルトに対する印象だ。
年に一度くらいしか王都に戻ってこない彼はいつも物腰も柔らかで控えめだった。叔父という立場にありながらも王太子であったエルンストに対しても礼儀を保ち、目上の者に対する礼儀を取ってきた。
それは、自身の微妙な立場を守るための処世術なのだろうと思っていた。
彼がシレジアに下って以来、明らかに軍がうまく回るようになった。
それは、優秀な部下達に囲まれた中、和を尊ぶ彼がうまく機能したくらいにしか考えていなかった。
エルンストのような愚かさはない。が、アーデルベルトのような苛烈さもない。学術院の成績は優秀で、先祖返りとさえ言われる王家そのものの青を持つ王子。指導力が足りないながらも平時の王として十分に機能するだろう。足りないところがあれば臣下が支えればいいのだ、それがエルンストは廃嫡が為った後のフェルディナントの考えだった。
しかしながら、纏うオーラが変わる。
王族らしい優雅さを残しながら、確かに彼こそが国境を守り抜く指揮官だったのだという軍人らしい凄みを垣間見せる。
「物盗りがたまたま襲った相手がティトゥーリア軍の兵士だった」
「それは」
「返り討ちに遭うなんて、随分と間抜けなことだね」
対して所持金も持っていなかったのに人を見る目のない。なんてことはないように言いながらも目は笑っていない。
「ところで、カラフェ男爵の件はどうなっていますか」
突然変わった話を訝しみつつも、フェルディナンドは応じた。
「ほとんど証拠は揃っています、あと2日もあれば逮捕状を出せると考えておりますが」
「2日か…」
呟いたジークヴァルトはおもむろに軍服の内に手を入れ、取り出したそれをフェルディナンドへと投げる。
「これは」
「そのならず者の1人が持っていました」
どう考えますかと青い双眸が問う。


カラフェ男爵は逮捕直前。
その容疑はライドゥルとの内通。
日中物盗りに見せかけたならず者は、ジークヴァルトの頬をかすり一房髪を散らした。ヴィリーの軍服の袖を切り取った。
軍の中でも指折りの剣の使い手であるヴィリー、そして彼には多少劣るもののジークヴァルトの2人が、単なる物盗りごときに例え一瞬でも遅れを取るはずはないのだ。
そしてたった今、フェルディナンドに渡した物。
それは、物盗りのうちの1人から取り上げたものだった。
ロケットペンダントだ。
内に彫られたのは双頭の白百合、中に入っていたのは錠剤、大体の毒薬に身体を慣らしているジークヴァルトが1粒口に含み、諜報に携わる者がよく所持する即効性のものを確認している。
毒薬を奪われた方の男は舌を噛み切り、同様に服毒しようとし、一瞬躊躇ったもう1人は轡を噛ませ牢に入れている。


「双頭の白百合と言えば、ライドゥルの」
「えぇ、ライドゥル軍です。カラフェ男爵の屋敷を隠れ家とし、ティトゥーリア王家のお家騒動を幸いに動き出したということではないでしょうか」


カラフェ男爵邸にはヴィリーを行かせ、見張らせています。
ついては宰相にお願いが。
生け捕りにした「ライドゥル兵」と男爵の扱いについて、宰相府に任せても構いませんか。
軍を動かしてもいいのですが、私が信頼を置く部下のほとんどは、まだシレジアにいるのでね。心許ない。
高貴な青が威圧感を持ってフェルディナンドを見る。
「今のところカラフェを疑っていますが、ビッドナーなど、他にも可能性はあります」
ビッドナー子爵家は王妃マルグリッドの実家だ。ユーリエが納得していたところで、ユーリエ派のすべてがジークヴァルトを認めているわけではないだろう。
この手のきな臭さは慣れている。
5年前、エルンストが立太子した時と同じだ。ジークヴァルトがシレジアに降ることで面倒なことの大半は解決したが、それからの5年間の間とて、命を狙われなかったことがまったくないわけではない。
「承知しました、宰相府が承りましょう」
「そうですか、礼を言います」
了承したフェルディナンドににこりと笑ったジーヴァルトは息をつく。
宰相が受けてくれたのだからこの件については安心できるだろう。
そろそろ限界か。
ジークヴァルトの身体が揺れる。


「王太弟殿下!?」


「大きな声を、出さないでください」
咄嗟に腕を出したフェルディナンドの肩に状態を預けながら、深呼吸をする。
その時、かすった息が思いのほか熱いことに気づきフェルディナンドは慌てた。
実は怪我をしていたのだろうかと軍服を確認するが、血の跡は見当たらない。
では何だを覗き込むと、毒の種類を確認しましたという言葉が戻ってくる。
「なんてことを…!」
「大概の毒には慣れています。5年前は随分と、色んな毒を試させてもらいましたから」
ライドゥル軍のどのあたりが使うものか確認したかったんです。
おそらく諜報要員だと思います。
「多少、身体が受け付けてないだけでしょう。一晩休めば問題なし」
それだけ言って、かくりと身体が力を失う。
意識のないジークヴァルトを抱えることになったフェルディナンドは部屋の外に待機する近衛兵を呼び、殿下を休ませるよう命じる。
毒の件はおそらく、ジークヴァルトの言う通りだろう。
慣らしてあるとは言え無謀過ぎる。1つや2つ小言を言ってやりたいと思ったが、その相手は意識を失っている。
多分、寝れば治るというのは確かだろう。
しばらくして解毒剤を用意した医官がやってきて、既に必要な対処は為されていたことを知る。
荒い呼吸を繰り返しながら眠るジークヴァルトを横目にフェルディナンドは軍司令部を出た。
ここで出来ることはもうなく、彼がやるべきことは多かった。
詰所で待っていた部下に矢継ぎ早に命令を下す。
そして宰相府へと戻る途中、王の執務室にも寄り、ジークヴァルトとのやり取りを報告する。
黙ってその内容を聞いていたアーデルベルトは、しばらくして分かったと応じた。
5年前、アーデルベルトがシレジアを手に入れた。
戦争の勝者としては当然の権利ではあるが、相手がいつまでも黙っているとは限らない。
ライドゥルはシレジア、更にはそれ以上の領土を狙っている。
エルンストの廃嫡を王家の綻びと相手が考えたのならば、急ぎ、体制を整えなければならない。
彼らの思惑はそのまま、こちら側のものでもある。
「シレジアの人員を補強する」
「はい」
「駐ライドゥル大使館の人員も増やせるか」
「言語に通じた者を用意します」
応じたフェルディナンドは、シレジアの方は王太子殿下に任せた方がよいでしょうと進言する。
「ジークに?」
「はい、少なくとも軍の方は殿下にお任せして問題ないでしょう。大使館員の方は私の方で選抜はしますが、殿下の裁可を仰ぎたく存じます」
「ジークに?」
怪訝そうに問われるが、特に気にせずはいとうなずく。
「あの方は、我々が思っていたよりもよほど、シレジアの軍を取りまとめていらっしゃるようです」
ですから適任でしょうと告げ、ジークヴァルトより承った命を遂行すべく、急ぎ王のもとより下がる。
フェルディナンドが一息ついたのは、夜遅くなってからだった。
もう夕食の時間はとっくに過ぎ、今夜も屋敷には帰れないことを覚悟した。
ちょうどタイミングを見計らっていたかのように女官が軽食とお茶の用意を持ってきて、部下達に休息を命じる。
緊張が和らいだ宰相の執務室で、茶器に手を付けたフェルディナンドは、ジークヴァルトの容態を気に掛ける。
「さすがに今夜はお辛くていらっしゃるか」
呟きながらしばらく考える。
彼が襲われたのはマティアス侯爵邸を訪ねる途中だった。シェイラが今朝目を覚ましたと報告を受けているが、であれば会えなかったのか、と。
それを少し残念に思ったフェルディナンドはおもむろにイザクを呼んだ。
マティアス邸にジークヴァルトが襲われたと知らされたのはその夜、日付を越えようかという時間だった。
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