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3章 2週間前
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ばさりと書類が音を立てるのを、自身が手放したからだと気づく余裕もなかった。
頭の中が目まぐるしく回る。
その可能性は考えていなかった。
王妃ともあろう人が、まさか優先するとも思わなかった。
いや、マルグリッドは王妃などではない。王妃として教育されてもなければ、座についてなお、王妃としての役目を果たそうともせず、ただ、その名のみを甘受してきた人だ。
お飾りの王妃ではあったが、それでも欲はあると思っていた。
我が子に王位に就けるという欲に、彼女の顕示欲の方が勝るとは思っていなかった。
「私ではお気に召さないと?」
「お前でなく侯爵令嬢と言うべきだな」
「ですが、それでは」
「あれが愚かなのは、自身が子爵家の出で、王妃が何たるかも知らないくせに、自身こそが王妃で、自身の子が王位に就くのは当然だと思っていることだ。当然だから、その妃がどんな出自であっても問題ないと思っている。であれば、自らより低い、男爵家か平民の出の方がいい」
あれが王妃の名を手に入れたのも、そもそも余が王位に座ったことすらも、偶然に過ぎないのだがな。
そう言ってアーデルベルトは笑ったが、その目はまったく笑っていない。
シェイラは動揺して思わず椅子をずらしてしまうが、絨毯の柔らかな毛が音を立てるのを防いでくれる。
どう猛な獣のようなアンバーの双眸がシェイラを見据えた。
最初、突きつけられたのは怒りだと思った。
エルンストにもマルグリッドにも嫌われた役立たず。お前さえうまく立ち回ればよいものとの糾弾に肩を竦める。
母が平民の出だったアーデルベルトの後見は民衆だ。そして、子爵令嬢だったマルグリッドの背後にはユーリエがいるといっても、リッカの勢いには及ばない。
エルンストがアーデルベルト同様、民衆の後押しを得るほどの人物であればまた違っていたかもしれない。が、学術院での勉強すらおろそかなエルンストが王位を得るには、リッカ派の高位貴族の令嬢、シェイラが不可欠だ。
シェイラの存在こそがエルンストを王太子たらしめていると言ってもいい。
だというのに、まだ成人ではないエルンストはともかく、マルグリッドの行動は愚行としか言えない。
男爵令嬢を後押しすることも、その意思を示す道具として、事もあろうにテゥトゥーリアの青を使うことも。
「あの青は、エルンストが渡したものとしておいた方がまだましだろうな」
1つ息を吐き出したアーデルベルトはシェイラを見る。
はいと頷いた後、シェイラはしばらく口を閉ざした。
こみ上げたのは、悔しさでも悲しさでも、ましてや敗北感でもない。
エルンスト同様、シェイラにも彼に対する感情はない。婚約者となれと言われたから婚約者となり、婚約者が王太子だったから、王太子妃になるべく修行をしてきただけのことだ。
そこに愛情はない。
それでも信頼が築ければと思っていた。
けれど、程なくして信頼を築くことも無理と悟り、ただの傍観者となった。何の感情もない視線をエルンストに向けながら、王太子妃候補に与えられる仕事を淡々とこなしていた。
そうすることしか出来なかった。
が、エルンストがアリアを側に置くようになり、珍しく長続きするのを横目に見ながら、何度か考えたことがあった。
彼女は、エルンストに愛され、信頼を得る。
ならばよいではないかと、投げやりなことを、考えたことが、あった。
エルンストが王位を得るには、リッカ派の高位貴族の令嬢が不可欠だ。
が、それはシェイラである必要はない。
ただ、マティアス侯爵令嬢という器であれば、中身は誰でもいい。であれば、アリアがマティアス侯爵家の養女になればよいではないかと。
アリアが王妃に相応しい人物であればと誰よりも願うのは他でもない、シェイラだった。
ギリギリのところで踏みとどまり、顔を上げたシェイラを見ていたアーデルベルトがその時見せたのは怒り、ではなく、ひどく楽しそうなものだった。
「陛下?」
「シェイラ=マティアス侯爵令嬢」
何かを企んでいるかの双眸がシェイラを見、らしくもなく侯爵令嬢などと呼ぶ。
コクリと喉が鳴る。
5年前、エルンストを後継にと望み、それにフェルディナンドが従った時、アーデルベルトには3つの選択肢があった。
1つはエルンストを後継とすること。
1つはジークヴァルトを後継とすること。
そして最後の1つは。
「そなた、余の継妃となる気はあるか」
呆然とした表情でシェイラが見上げているのを、アーデルベルトは面白そうに見下ろす。
しゃらしゃらと音は鳴る。
シェイラの動揺を写すように、鈴は鳴る。
アーデルベルトはその音を心地よく聞く。
1つは、新たに生まれたアーデルベルトの王子を後継とすること。
その母は、高位貴族の令嬢であればなおいい。
頭の中が目まぐるしく回る。
その可能性は考えていなかった。
王妃ともあろう人が、まさか優先するとも思わなかった。
いや、マルグリッドは王妃などではない。王妃として教育されてもなければ、座についてなお、王妃としての役目を果たそうともせず、ただ、その名のみを甘受してきた人だ。
お飾りの王妃ではあったが、それでも欲はあると思っていた。
我が子に王位に就けるという欲に、彼女の顕示欲の方が勝るとは思っていなかった。
「私ではお気に召さないと?」
「お前でなく侯爵令嬢と言うべきだな」
「ですが、それでは」
「あれが愚かなのは、自身が子爵家の出で、王妃が何たるかも知らないくせに、自身こそが王妃で、自身の子が王位に就くのは当然だと思っていることだ。当然だから、その妃がどんな出自であっても問題ないと思っている。であれば、自らより低い、男爵家か平民の出の方がいい」
あれが王妃の名を手に入れたのも、そもそも余が王位に座ったことすらも、偶然に過ぎないのだがな。
そう言ってアーデルベルトは笑ったが、その目はまったく笑っていない。
シェイラは動揺して思わず椅子をずらしてしまうが、絨毯の柔らかな毛が音を立てるのを防いでくれる。
どう猛な獣のようなアンバーの双眸がシェイラを見据えた。
最初、突きつけられたのは怒りだと思った。
エルンストにもマルグリッドにも嫌われた役立たず。お前さえうまく立ち回ればよいものとの糾弾に肩を竦める。
母が平民の出だったアーデルベルトの後見は民衆だ。そして、子爵令嬢だったマルグリッドの背後にはユーリエがいるといっても、リッカの勢いには及ばない。
エルンストがアーデルベルト同様、民衆の後押しを得るほどの人物であればまた違っていたかもしれない。が、学術院での勉強すらおろそかなエルンストが王位を得るには、リッカ派の高位貴族の令嬢、シェイラが不可欠だ。
シェイラの存在こそがエルンストを王太子たらしめていると言ってもいい。
だというのに、まだ成人ではないエルンストはともかく、マルグリッドの行動は愚行としか言えない。
男爵令嬢を後押しすることも、その意思を示す道具として、事もあろうにテゥトゥーリアの青を使うことも。
「あの青は、エルンストが渡したものとしておいた方がまだましだろうな」
1つ息を吐き出したアーデルベルトはシェイラを見る。
はいと頷いた後、シェイラはしばらく口を閉ざした。
こみ上げたのは、悔しさでも悲しさでも、ましてや敗北感でもない。
エルンスト同様、シェイラにも彼に対する感情はない。婚約者となれと言われたから婚約者となり、婚約者が王太子だったから、王太子妃になるべく修行をしてきただけのことだ。
そこに愛情はない。
それでも信頼が築ければと思っていた。
けれど、程なくして信頼を築くことも無理と悟り、ただの傍観者となった。何の感情もない視線をエルンストに向けながら、王太子妃候補に与えられる仕事を淡々とこなしていた。
そうすることしか出来なかった。
が、エルンストがアリアを側に置くようになり、珍しく長続きするのを横目に見ながら、何度か考えたことがあった。
彼女は、エルンストに愛され、信頼を得る。
ならばよいではないかと、投げやりなことを、考えたことが、あった。
エルンストが王位を得るには、リッカ派の高位貴族の令嬢が不可欠だ。
が、それはシェイラである必要はない。
ただ、マティアス侯爵令嬢という器であれば、中身は誰でもいい。であれば、アリアがマティアス侯爵家の養女になればよいではないかと。
アリアが王妃に相応しい人物であればと誰よりも願うのは他でもない、シェイラだった。
ギリギリのところで踏みとどまり、顔を上げたシェイラを見ていたアーデルベルトがその時見せたのは怒り、ではなく、ひどく楽しそうなものだった。
「陛下?」
「シェイラ=マティアス侯爵令嬢」
何かを企んでいるかの双眸がシェイラを見、らしくもなく侯爵令嬢などと呼ぶ。
コクリと喉が鳴る。
5年前、エルンストを後継にと望み、それにフェルディナンドが従った時、アーデルベルトには3つの選択肢があった。
1つはエルンストを後継とすること。
1つはジークヴァルトを後継とすること。
そして最後の1つは。
「そなた、余の継妃となる気はあるか」
呆然とした表情でシェイラが見上げているのを、アーデルベルトは面白そうに見下ろす。
しゃらしゃらと音は鳴る。
シェイラの動揺を写すように、鈴は鳴る。
アーデルベルトはその音を心地よく聞く。
1つは、新たに生まれたアーデルベルトの王子を後継とすること。
その母は、高位貴族の令嬢であればなおいい。
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