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冬
冬の十一
しおりを挟む妻を愛し愛されて、二人の子宝にも恵まれ、仕事も上手くいっている。
柊之介にとって、私はまさに理想そのものだったらしい。
時々、自分自身を私に重ねて幸せな気分になったりしていたそうだ。
だから私を、自分の理想を死なせたくなかった。
罪深い自分でも、誰かの役に立てて良かったと柊之介は言っていた。
……確か、それくらいからだったかな。
柊之介の声が少しずつ、か細くなっていったのは。
死期が迫っていることを悟った私は、柊之介の手を強く握った。
お前が罪深いだなんて、そんなことあるもんか!
ただ、愛されたかっただけだろう?
こんなに愛する人の為に尽くしてきたっていうのに、お前が悪いはずがない!
夜更けだというのに、私は大きな声でそう言ったよ。
だって、自分のことを悪いと思ったまま柊之介が死んでいくなんて、私は嫌だったんだ。
すると、柊之介は嬉しそうに笑って、私の手を弱々しい力で握り返してきた。
そして、柊之介は苦しそうに息も絶え絶えになりながら、
「あなたに出会えて良かった。
本当にありがとうございました。
最後に、一つだけ頼まれてくれませんか?
俺がいなくなって一人きりになってしまう彼女を、どうか白木屋で働かせてやって下さい。
後生ですから」
私に雪のことを頼んできた。
「わかった。
必ずお前の望み通りにすると、約束しよう」
私の言葉を聞いて、柊之介は安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます。
自由に、幸せになって欲しいと彼女に、伝え、てくだ……」
一筋の涙が柊之介の頬を流れ落ちて、そのまま柊之介は動かなくなった。
最後まで妻の幸せを願いながら、柊之介は亡くなったんだ。
私は柊之介のまぶたをそっと閉じさせて、夜が明けるまでずっと、柊之介の手を握り続けた。
「ーー江戸に帰ってから、私は柊之介を丁重に弔ったよ。
そして約束通りに、今日まで雪を白木屋の下女として働かせているんだ」
全てを話し終えた大旦那様は、悲しそうにどこか遠くを見つめるような目をしていた。
「大旦那様、お話しを聞かせて下さってありがとうございました。あの……」
話しを聞き終わってから、どうしても気になっていることが一つある。
でも、それを大旦那様にお尋ねしていいのかがわからなくて、言いよどんでしまった。
「父さん、柊之介さんの最後の言葉をどうして雪に伝えていないんだい?」
私が疑問に思ったことを、大旦那様を真っ直ぐに見つめながら千太が言ってくれた。
お雪さんが柊之介さんの最後の言葉を知っていたなら、あんなに罪悪感を感じ続けるとは思えない。
「ははっ、やはり気づかれてしまったか。
私もね、最初は雪に伝えようと思っていたよ。
だけど、白木屋に働きに来た雪を見たら伝えたくないと思ってしまったんだ」
「どうしてですか?」
柊之介さんの最後の言葉を知れば、お雪さんの考えも変わるかも知れないのに。
「雪は全然仕事が出来なくて、知っていて当然だろうと思うようなことすら、知らないこともあった。
それを見て、柊之介がずっと雪の為にどれだけ尽くしてきたのかが、私にはわかったよ」
「「!!」」
私と千太は息を飲んだ。
大旦那様の目には怒りが浮かんでいたから。
「こんなに尽くして、最後まで雪のことを考えていたのに、愛されずに死んでいった。
柊之介は、きっと雪を恨んだりしないだろう。
それでも、私はどうしても雪の幸せを願えないんだ」
「大旦那様は、ずっと苦しんでいらっしゃったんですね」
苦々しい顔をしていた大旦那様は、私の言葉を聞いて驚いたように、目を見開いた。
「私は、苦しんでいたのかな?」
「少なくとも、私にはそう見えます。
大旦那様だって、本当はわかっていらっしゃるんでしょう?
二人にはお互いそれぞれの事情があるのに、良いか悪いかを私達が勝手に推し量るべきではないと」
「……」
真剣な表情で、大旦那様は私の言葉の一つ一つに耳を傾けている。
「お雪さんも、柊之介さんとのことをずっと悩んでいましたから、私はお雪さんだけが悪いとは思いません。
もちろん、別に柊之介さんを責めるつもりもありませんけど」
「唄、つまり何が言いたいんだい?」
千太が私に問いかけた。
ああ、まどろっこしく言いすぎたみたいね。
「失礼を承知ではっきりと言わせていただきますが、大旦那様がお雪さんに怒りを抱くのは、お門違いかと思います」
「「えっ!」」
まさか、私がそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
千太も大旦那様も驚いている。
「大旦那様は、柊之介さんに最後の言葉を託されたんですから、それをちゃんと伝えるべきでした。
それに、柊之介さんとお雪さんが選んだ人生の道を他人である私達が、とやかく言うべきではありません」
「おい、唄。
ちょっと、言いすぎじゃないか?」
小声で千太が話しかけてきたけど、今は無視させてもらう。
遠慮して控えめにしていたら、私の言いたいことは伝わらない気がしたから。
「大旦那様、季節が人を選んで訪れたりすると思いますか?」
「お唄ちゃん、急に何を言っているんだい?
そんなこと当然あるはずがないだろう」
怪訝そうな顔で、私の質問に大旦那様が答えた。
「ふふっ、ですよね。
私も、そう思います」
「お前、本当に一体何の話しをしているんだ?」
焦れたように、千太が私を問いつめる。
「春夏秋冬、どんな人にも必ず平等に季節は訪れる。当たり前のことですよね。
それと同じように、この世の全ての人にそれぞれ幸せになる権利がある、と私は思うんです」
大旦那様に私の考えが伝わって欲しい、と願いながら話しを続けた。
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