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冬の七

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「うーん、一体どうしたらいいのかな?」

 千太もお雪さんのことについて真剣に考えてくれている。

「ねぇ、お雪さんのご主人が亡くなったのは私達がまだ子供の頃のことだけど、千太はお雪さんのご主人に会ったことはある?」

「うーん、同じ白木屋にいたんだから会ったことはあるかも知れないけど、ちょっと覚えてないな。
思い出せなくて、ごめん」

「あっ、いいのよ。気にしないで。
十年も前のことだもの、しょうがないわ」

 お雪さんのご主人について、もう少し詳しく分かればいいと思ったんだけど。

「そうだ、父さんに聞けばいいんじゃないか?」

「大旦那様に?」 

「ああ、父さんなら絶対に知ってるだろう。
帰ったら早速聞いてみるよ」

「ありがとう。
そうしてくれると助かるわ」

 大旦那様とはそう簡単にお話し出来ないから、千太が協力してくれてよかった。 



「まいどありーっ!」

 お互い次の仕事があるし、他にいい案も思いつかないので今日はここまでにしよう、と千太に会計をしてもらってから二人で店を出た。

「ありがとう、千太」

「どういたしまして。
久しぶりに唄と食事が出来て嬉しかったよ」

「私も、千太と一緒に過ごせて楽しかったわ」

 本人には絶対言わないけど、千太と食べる食事は特別美味しく感じるっていうことを、今日改めて気づかされた。

 これも私が千太に恋しているからなのかしら。

「唄、また僕と会ってくれるかい?」

 千太は不安そうな顔をした。

「そんな顔をしないで。
もう避けないって言ったでしょう?」

「絶対だよ?
……今度僕を避けたら、お前の長屋まで押しかけてやるから」

「あははっ!わかったわ。約束ね」

 真剣な顔でそんなことを言うから、つい笑ってしまった。

 そうよね。

 千太は私の住んでる長屋の場所を知っているんだから、押しかけることも出来たのよ。

 今までそうしなかったのは、きっと千太の優しさと気づかいだ。

 結局、千太をずっと避け続けるなんて最初から不可能だったんだわ。

 こうなったら、どれだけ片思いで苦しくても我慢するしかないみたいね。

 まあ、しばらくはお雪さんのこともあるから、あんまり千太への恋心を意識せずに過ごせるかも。

「じゃあ、僕は白木屋に戻るからここで」

「ええ、また会いましょう」

 私は千太と別れて、次の髪結いのお客さんのもとへ向かった。
 


 ーー夕七つを少し過ぎた頃。

 今日は他に髪結いの予定も無かったので、いつもより早めに長屋に帰って来た。

 色々なことがありすぎて、今日はとても疲れたから早く帰れてよかったわ。

 唄は、一人でぼんやりとしながらくつろいでいる。

 あっ、許嫁への文の返事をまだ書いていなかったから、今のうちに書いておこうかしら。

 許嫁のことを思い出して、ちょっとだけ憂鬱な気分になった。
 
 最近、許嫁の文に書かれている和歌が以前とは明らかに様子が違うからだ。


 最初に違和感を感じたのは、
『風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな』という和歌だった。
 
 次は、
『難波潟みじかき芦の節の間も逢はでこの世をすぐしてよとや』と送られて来た。

 そして一番最近の文には、
『相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくごとし』と書かれていた。


『風がとても激しいので、岩に打ちあたって砕け散る波のように、あなたの冷たさを私も心が砕けそうなほどに思い悩む今日この頃です』


『難波潟に生えている芦の、その節と節との短さのようにほんの短い間も、あなたに逢わずにこの世を過ごせと言うのですか』


『こちらのことを思ってくれない相手を一方的に思い続けるのは、まるで大寺の餓鬼の像を後ろから額を地につけて拝むようなものです』


 ……どうしてどんどん不穏になっていくのよ。

 私、許嫁には何もしてないつもりなんだけど。

 しかも、会えないのはそっちが名前も教えず、会いにも来ないからじゃない。

 私のせいではないでしょう。

 続けざまに、こんな恨みがましい文が送られて来るとさすがに気が滅入る。

 心当たりがまったく無いので、当たり障りのない内容で文を返しているけど、そろそろこちらから触れた方がいいのかしら?

 でも、どうしたんですか?って訊くのもなんだか怖いわよね。

 ……やっぱり、今回も当たり障りのない内容で返そう。

 それで、もし次の文も様子がおかしかったらその時は、思いきってちゃんと質問してみよう。

 お雪さんの話しを聞いてから、私も好きではない相手と結婚しない方がいいかもと思い始めてきた。

 だから、このまま結婚の話しはお断りすることになるかも知れない。

 でも、今は一応まだ私の許嫁なんだからもっと気にした方がいいわよね。

 どこの誰なのかも分からない、私のことを好きだなんて言う物好きな人。

 一体どんな人なのかしら?

 結婚の話しを断れば、この許嫁も私と同じく失恋の痛みに苦しむことになるだろう。

 文のやり取りをしている間に少しは情が湧いたのか、この人をあまり悲しませたくないなと何故か思ってしまう。

 千太を忘れて、この人を好きになれたら本当はいいんだけど。

 ……ん?待って。

 もしかして、私が誰かに恋をしているって許嫁も気づいたんじゃない?

 それで、恨みがましい文を送って来ているのかも。

 うん、そう考えると辻褄が合うわ。

 だとしたら、やっぱり許嫁と結婚するのかちゃんと真剣に考えないと駄目ね。

 お雪さんがわざわざ忠告してくれたんだもの。

 中途半端にせず、しっかりと考えて答えを出すべきよ。

 
 許嫁への文の返事を書きながら許嫁と結婚するかどうかを、私は母さんが帰ってくるまで悩み続けた。

 

 
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