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夏
夏の二
しおりを挟む二人とも食事を食べ終え、いよいよ蛍さんは本題に入った。
「実は、最近わっちの間夫の権八様の様子がーー」
ーー蛍さんの話しはこうだった。
蛍さんの間夫の権八さんという方が、最近なぜか以前よりも多く蛍さんのもとに通っているという。
これだけ聞けば、何も問題など無いように聞こえるだろう。
心を寄せる人がたくさん会いに来るのは、むしろ良いことなのでは?とすら思われるかも知れない。
しかし、蛍さんは遊女の中でも一番位の高い花魁。
本来ならめったに会えるものではない。
何しろ、花魁というのは会うだけでもとんでもない量の金銭を払わなければ会えないものなのだ。
だから、権八さんも今まではあまり頻繁に蛍さんに会いに来ることが出来ていなかった。
一つの季節が終わる前に、一度会えるか会えないかというくらいの頻度だったらしい。
それが去年の秋頃から少しずつ頻度が増えて、ついこの前の春には四度も会いに来たとか。
これは明らかに異常だ。
権八さんは地方出身の下級武士だというし、何か大きな臨時収入があるとも思えない。
では、どうやって蛍さんに会う為の金銭を用意しているのか?
蛍さんはそれを心配しているという。
「……なるほど、それは気になりますね」
「わっちが聞いても、『案ずることは無い』と言うばかりで、権八様はなんにも教えてくれやしんせん」
いや、絶対明らかに何かあるじゃない。
ちょっとやそっとのことで用意できる金額では無いのだから、蛍さんがこんなに心配するのも当然のことだ。
「本当に、どうしてそんなにたくさんの金銭を用意出来るんでしょうね?」
「ほんに心配でありんす。
わっちに会う為に、何か良からぬことに権八様が手を染めているやもと」
「蛍さん……」
確かに、権八さんが大量の金銭を用意する方法なんてそれ以外にはもはや無いような気がする。
「わっちは、この吉原という籠の中に囚われた鳥でありんす。
ここから権八様を、ただ案ずる事しか出来やしんせん」
蛍さんの美しい切れ長の瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちた。
本当は権八さんのことが心配で、今すぐにでも一体何をしているのか確かめに行きたいんだろう。
でも、蛍さんはこの吉原の花魁。自由に外に出ることなど叶わない。
そんな蛍さんに、私はどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。
「蛍さん、権八さんが何もしていないことを祈りましょう。
きっと、きっと大丈夫です」
「お唄さん……」
涙を流す蛍さんが泣き止むまで、私は寄り添うことしか出来なかった。
ーーそれからしばらくして、蛍さんはようやく泣き止んだ。
「お唄さん、今日は本当にありがとうござりんした」
「いえ、結局話しを聞くだけでなんの解決にもなりませんでした。
私に何か出来ることがあれば、蛍さんの力になりたいんですけれど」
「ふふ、こんな話しはここじゃあ簡単には出来やしんせん。
だから、話しを聞いてくれるだけでも十分ありがたいでありんす」
蛍さんはそう言って微笑んで見せた。
本当に、何か蛍さんにしてあげられることがあればいいのに。
「私、蛍さんの話しならいくらでも聞きます!
だから、何かあったらまた遠慮なく話して下さいね」
そう言って、蛍さんの手を握った。
私がしてあげられるのは、残念だけどそれくらいしかないから。
「うふふ、ほんにお唄さんは優しゅうありんす。
お気をつけて帰ってくんなんし」
蛍さんと別れて、何も出来ない悔しさを抱えつつ吉原を後にした。
長屋への帰り道の途中、見知った背中を見かけた。
「師匠?もしかして、そこにいらっしゃるのは師匠じゃありませんか?」
「おぉ、唄じゃないか!
今日は仕事の帰りかい?」
「ええ、そうなんです。
師匠はこれからどこかに行かれるんですか?」
師匠はとても顔が広くて、よく色んな人と会っている。
まだ日暮れまでは時間があるし、これから誰かに会いに行くんだろう。
「いや、いつもならそうするところだが、今日はもう私も帰ろうと思っていてね。
なんせ、最近は物騒だからね」
「え、物騒?
何かあったんですか?」
「おや、知らないのかい?
近頃は、あちこちで辻斬りが出てるみたいでね。
犯人もまだ捕まってないんだ」
「辻斬り、ですか……」
辻斬りといえば、武士が通行人を刀剣で切りつけるというなんとも物騒極まりないものだ。
そんなことが起きていたなんて全く知らなかった。
「知り合いの岡っ引きから聞いたんだが、金目の物を奪う為に金持ちばかり狙うらしい。
でも、いつ普通の奴まで手にかけるかわかったものじゃないから、お前さんも十分に気をつけるんだよ」
金目の物を狙った辻斬り。
辻斬りをするのは武士。
蛍さんの間夫の権八さんは下級武士で、最近なぜか大量の金銭を得ている。
……まさか。いや、さすがにそんなはずは。
嫌な予想が頭の中に浮かんで来てしまって、慌ててそれを振り払った。
「師匠、心配して下さってありがとうございます。
どうか、師匠もお気をつけて」
「ああ、こんなに物騒だから私もしばらくはなるべく早く家に帰ろうと思っているんだ。
それじゃあ、私はそろそろ」
「はい、ありがとうございました」
師匠と別れて歩き出してからも、私は一度頭に浮かんだ嫌な予想を消し切れずにいた。
昼間見た蛍さんの涙を思い出す。
ああ、お願いだから、蛍さんが悲しむようなことにならないで。
唄には、ただそう祈ることしか出来なかった……。
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