上 下
14 / 53

夏の二

しおりを挟む



 二人とも食事を食べ終え、いよいよ蛍さんは本題に入った。

「実は、最近わっちの間夫の権八様の様子がーー」

 ーー蛍さんの話しはこうだった。

 蛍さんの間夫の権八さんという方が、最近なぜか以前よりも多く蛍さんのもとに通っているという。

 これだけ聞けば、何も問題など無いように聞こえるだろう。

 心を寄せる人がたくさん会いに来るのは、むしろ良いことなのでは?とすら思われるかも知れない。

 しかし、蛍さんは遊女の中でも一番位の高い花魁。

 本来ならめったに会えるものではない。

 何しろ、花魁というのは会うだけでもとんでもない量の金銭を払わなければ会えないものなのだ。

 だから、権八さんも今まではあまり頻繁に蛍さんに会いに来ることが出来ていなかった。

 一つの季節が終わる前に、一度会えるか会えないかというくらいの頻度だったらしい。

 それが去年の秋頃から少しずつ頻度が増えて、ついこの前の春には四度も会いに来たとか。

 これは明らかに異常だ。

 権八さんは地方出身の下級武士だというし、何か大きな臨時収入があるとも思えない。

 では、どうやって蛍さんに会う為の金銭を用意しているのか?

 蛍さんはそれを心配しているという。

「……なるほど、それは気になりますね」

「わっちが聞いても、『案ずることは無い』と言うばかりで、権八様はなんにも教えてくれやしんせん」

 いや、絶対明らかに何かあるじゃない。

 ちょっとやそっとのことで用意できる金額では無いのだから、蛍さんがこんなに心配するのも当然のことだ。

「本当に、どうしてそんなにたくさんの金銭を用意出来るんでしょうね?」

「ほんに心配でありんす。
わっちに会う為に、何か良からぬことに権八様が手を染めているやもと」

「蛍さん……」

 確かに、権八さんが大量の金銭を用意する方法なんてそれ以外にはもはや無いような気がする。

「わっちは、この吉原という籠の中に囚われた鳥でありんす。
ここから権八様を、ただ案ずる事しか出来やしんせん」
 
 蛍さんの美しい切れ長の瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちた。

 本当は権八さんのことが心配で、今すぐにでも一体何をしているのか確かめに行きたいんだろう。

 でも、蛍さんはこの吉原の花魁。自由に外に出ることなど叶わない。

 そんな蛍さんに、私はどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。

「蛍さん、権八さんが何もしていないことを祈りましょう。
きっと、きっと大丈夫です」

「お唄さん……」

 涙を流す蛍さんが泣き止むまで、私は寄り添うことしか出来なかった。



 ーーそれからしばらくして、蛍さんはようやく泣き止んだ。

「お唄さん、今日は本当にありがとうござりんした」

「いえ、結局話しを聞くだけでなんの解決にもなりませんでした。
私に何か出来ることがあれば、蛍さんの力になりたいんですけれど」

「ふふ、こんな話しはここじゃあ簡単には出来やしんせん。
だから、話しを聞いてくれるだけでも十分ありがたいでありんす」

 蛍さんはそう言って微笑んで見せた。

 本当に、何か蛍さんにしてあげられることがあればいいのに。

「私、蛍さんの話しならいくらでも聞きます!
だから、何かあったらまた遠慮なく話して下さいね」

 そう言って、蛍さんの手を握った。

 私がしてあげられるのは、残念だけどそれくらいしかないから。

「うふふ、ほんにお唄さんは優しゅうありんす。
お気をつけて帰ってくんなんし」

 蛍さんと別れて、何も出来ない悔しさを抱えつつ吉原を後にした。



 長屋への帰り道の途中、見知った背中を見かけた。

「師匠?もしかして、そこにいらっしゃるのは師匠じゃありませんか?」

「おぉ、唄じゃないか!
今日は仕事の帰りかい?」

「ええ、そうなんです。
師匠はこれからどこかに行かれるんですか?」

 師匠はとても顔が広くて、よく色んな人と会っている。

 まだ日暮れまでは時間があるし、これから誰かに会いに行くんだろう。

「いや、いつもならそうするところだが、今日はもう私も帰ろうと思っていてね。
なんせ、最近は物騒だからね」

「え、物騒?
何かあったんですか?」

「おや、知らないのかい?
近頃は、あちこちで辻斬りが出てるみたいでね。
犯人もまだ捕まってないんだ」

「辻斬り、ですか……」

 辻斬りといえば、武士が通行人を刀剣で切りつけるというなんとも物騒極まりないものだ。

 そんなことが起きていたなんて全く知らなかった。

「知り合いの岡っ引きから聞いたんだが、金目の物を奪う為に金持ちばかり狙うらしい。
でも、いつ普通の奴まで手にかけるかわかったものじゃないから、お前さんも十分に気をつけるんだよ」

 金目の物を狙った辻斬り。

 辻斬りをするのは武士。

 蛍さんの間夫の権八さんは下級武士で、最近なぜか大量の金銭を得ている。

 ……まさか。いや、さすがにそんなはずは。

 嫌な予想が頭の中に浮かんで来てしまって、慌ててそれを振り払った。

「師匠、心配して下さってありがとうございます。
どうか、師匠もお気をつけて」

「ああ、こんなに物騒だから私もしばらくはなるべく早く家に帰ろうと思っているんだ。
それじゃあ、私はそろそろ」

「はい、ありがとうございました」

 師匠と別れて歩き出してからも、私は一度頭に浮かんだ嫌な予想を消し切れずにいた。

 昼間見た蛍さんの涙を思い出す。

 ああ、お願いだから、蛍さんが悲しむようなことにならないで。
 
 唄には、ただそう祈ることしか出来なかった……。

 
 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

御懐妊

戸沢一平
歴史・時代
 戦国時代の末期、出羽の国における白鳥氏と最上氏によるこの地方の覇権をめぐる物語である。  白鳥十郎長久は、最上義光の娘布姫を正室に迎えており最上氏とは表面上は良好な関係であったが、最上氏に先んじて出羽国の領主となるべく虎視淡々と準備を進めていた。そして、天下の情勢は織田信長に勢いがあると見るや、名馬白雲雀を献上して、信長に出羽国領主と認めてもらおうとする。  信長からは更に鷹を献上するよう要望されたことから、出羽一の鷹と評判の逸物を手に入れようとするが持ち主は白鳥氏に恨みを持つ者だった。鷹は譲れないという。  そんな中、布姫が懐妊する。めでたい事ではあるが、生まれてくる子は最上義光の孫でもあり、白鳥にとっては相応の対応が必要となった。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−

皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。 二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...