上 下
5 / 53

春の四

しおりを挟む
      


「「ご馳走さまでした」」

 蕎麦を美味しく食べ終わって、会計は千太がしてくれたので店を出る。

「まいどありーっ!」

 店主の元気な声を背に受けて歩き出す。

「美味しかったわ。ありがとう。
次は私がおごるわね」

 白木屋の跡取りだから千太の方が当然お金を持っているけど、友達同士なのにおごられてばかりだと私が嫌だから、交代でおごり合うことにしている。

「どういたしまして。
別に気にしなくてもいいのに。
じゃあ、僕は仕事に戻るからここで」

「ええ。また会いましょ。
仕事、無理をしない程度に頑張ってね」

 千太と別れて、長屋への帰り道を春風を切りながら歩いた。

 話しを聞いてもらったからか、すっきりして少し冷静になれた気がした。

 そのおかげで、長屋に帰ってからも母に朝の話しを問い詰めたりせず、いつも通りに過ごすことが出来た。

 


 
 ーー三日後の昼四つ、私は吉原に来ていた。

 私の常連客、花魁の蛍さんの髪結いをする為だ。

「楼主、おはようございます。
蛍さんの髪結いに来ました。」

「おお、朝からご苦労様。
蛍の禿(かむろ)も呼んである。
さあ、蛍のところまで案内してあげなさい」

「かしこまりました。
さあ、こちらへどうぞ」

 蛍さんの禿に連れられて部屋へと進む。

 禿は、先輩の遊女の身の回りの世話などをしながら色々なことを学んでいる見習いさんだ。

「失礼します。
蛍姉さん、髪結いさんをお連れしました」

「ご苦労様、どうぞ入ってくんなんし」

 遊女たちは独特な言葉づかいをするが、どうやら地方の出身者の言葉のなまりを無くして、出身地を隠して優雅に見せるためらしい。

 ちょっとわかりづらいけど、吉原に何回も来るうちに少しずつ私もわかるようになってきた。

「失礼します。
みなさん、おはようございます」

「「「おはようござりんす」」」

 部屋に入ると蛍さん以外にも数人の女性がいた。

 私の髪結いを見学しに来た禿や遊女などだ。

 遊女の髪結いをする時は、髪結いを覚えたいという人がいつも何人か見に来る。

 私に髪結いされる遊女たちは、髪結いの出来る人が増えたら便利だからと髪結いを見に来るのを許しているのだ。

「おはようござりんす。
お唄さん、今日もお頼み申しんす」

「蛍さん、こちらこそよろしくお願いします。
早速、準備して始めますね」

 蛍さんの後ろに立ち、風呂敷からくしを取り出して髪をとかす。

「お唄さん、いつものお話を聞かせて欲しいでありんす」

「わかりました、任せて下さい。
三日前に友人と蕎麦を食べに行ったんです。
場所は、吉原から少し離れた通りの蕎麦屋でーー」

 髪結いをしている間、蛍さんはよく外の話しを聞きたがる。

 遊女は吉原の外には出られないから、外の様子が知りたいんだろう。

 髪結いを見に来ている人たちも、いつも興味深そうに私の話しを聞いているし。 

 最初に外の話しを聞かせて欲しいと言われた時は、何か特別なことを言おうと試行錯誤して苦労したものだ。

 でも、蛍さんが別に特別なことじゃなくてもいいと言ったので、私は自分の普段の生活の話しをすることにした。

 私にとって普通のことも、外に出られない蛍さんたちにとっては特別なことだったようで、いつも私の話しを聞いている時の蛍さんたちはどこか嬉しそうだった。



「ーーそれで、蕎麦を一緒に食べに行った友人のお姉さんが昨日許嫁さんと顔合わせだったので、このあとどうだったか話しを聞きに行くんですよ!」

「まぁ、それは楽しみでありんすね。
次に来た時は、ぜひ結果を教えてくんなんし」

「もちろんです。
あっ、もうすぐ仕上げに入りますからみなさんよく見てて下さいね」

「「「わかりました」」」

 仕上げの手順は大切なので、見学に来ている人たちにもしっかり覚えてもらいたい。

 禿たちの髪で髪結いの練習をしたり、みんなやる気がすごくあるようなので、私も出来る限り教えてあげたいと思う。

「ーーここをこうして、
まげを横に輪にしてから中央を結んで……
はいっ、完成です!」

 今仕上げた髪型は『伊達兵庫』といって、遊女以外の人はすることのない髪型だ。

 蛍さんはこの髪型が一番のお気に入りのようで、基本的にこの髪型を結うことが多い。

「今日もありがとうござりんした。
相変わらずいい腕前でありんす」

「褒めていただいて嬉しいです。
蛍さんみたいにべっぴんな花魁さんだと、髪結いのやりがいもあるってものです」

 花魁とは、吉原の遊女の中でもほんの一握りの選ばれた人にしか許されない地位のこと。

 切れ長で涼しげな目、すーっと通った鼻筋、紅がよく映える白い肌に美しい黒髪。

 蛍さんは、その地位にふさわしい本当にべっぴんな人だ。

「うふふっ。お唄さんったら、よしなんし。
わっちにお世辞なんて言っても何も出やしんせん」

「あははっ、お世辞なんかじゃありませんよ。
蛍さんは本当にべっぴんさんです」

 道具の片付けをしながら蛍さんと笑い合う。

 吉原の遊女さんたちの生活は、辛く厳しいことも多いと聞く。

 だから私といる間くらいは、こんな風に気を抜いて笑い合うような時間があってくれたらと思う。

 世間には吉原を悪く言う人もいるけど、色々な事情を抱えながらも一生懸命に生きている彼女たちのことが、私は結構好きだから。

「お唄さん、楽しい時間でありんした。
また待っていんすにえ。
お気をつけて帰ってくんなんし。」

「私こそ、今日もありがとうございました。
次に来る時は、さっき言った顔合わせの話しもしますね」

「「「ありがとうござりんした」」」

 髪結い道具を持ちながら、蛍さんと他の見学に来た人たちに別れを告げて部屋を出る。

「それでは、入り口までお連れしますね」

「お願いします」

 蛍さんの禿に入り口まで案内してもらい、私は吉原を後にして白木屋へと向かった。


 

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−

皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。 二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

処理中です...