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後編

本業

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 すぐに電車に乗って引き返したあたしは、ド田舎の館に帰るんじゃなく、一番栄えた駅で降りていた。赤と青のチェック柄の旗を掲げてる大きなお城がある。久しぶりだ。なんだか前よりも大きく見えるかも。
 国民はいつも気前が良くてロマンチストが多い。新聞会社よりも花屋の方が儲かるメルチ王国って言われてる。そんなことないって思ってたけど、ネザリアに行ってみたら、そうかもって思い直した。
 ナンパの質も高いし。ぶんどるには良い国だなって……改めてこの国を好きになりながら、変な気持ちで道を行く。
 あれから一切も連絡は取ってないけど、事務所はまだあるのかな?
 場所の立地が高いだけに、日当たり最悪・騒音はもっと最悪のあの事務所。
 せっかくあたしは望み通りに人生が変われて、この業界からも足を洗えたと思ったのに。結局思いつくことって言ったらこれしかないし。
 なくなってても良い。むしろ、なくなってた方が良い。とかって思いながらも、本当に事務所がなかったら結構困ると、頭の中は行ったり来たりしてる。
 でも、事務所はあった。外から見たらもろ廃屋。こんなところに入って行くなんてマジで嫌だ。
 錆びた鉄扉を目の前に、少しは躊躇ってる。
「出戻りなんて変に思われるかな。いや、何も思わないよね。別に居ないなら居ないで、あたしひとりでも大丈夫だけど……」
 なんて言いながら、もう触ることもないと思ってた鍵を差し込んだ。それが楽々回せてガチャっと開いちゃった。
 季節は夏。部屋の中が腐ってる可能性もある。恐る恐る開けてみるけど……この部屋は日当たりが悪いだけに熱がこもらないみたいだった。あたしが暮らしている日当たり良好の館とは間逆らしい。
「……女の匂い」
 オデールは健在みたい。

 さっそく取り掛かる。何たってあたしには時間がないから。
「ちゃんと上手くやってよね」
「分かってるって」
 久しぶりに会ったオデールは、なにも良い男に変身してるなんてことがなかった。清潔感を保った見た目で持ち物は少なめ。それに、あたしの目標額を真っ先に伝えたら、理由も聞かずに二つ返事で「了解」と言うところも変わらない。
 お互いにお金を稼ぐという目的は一致してても、理由だったり使用目的を明かしたことなんてなかった。でもこの時だけは、ちょっとぐらい聞いてくれても良いのにって思った。
 新婚生活のこととか、突然こんな大金が必要になる理由とか。何にも気にならないのか! ……っていう不満は、オデールの頭に念じてみても入って行かないみたい。
 オデールは作業に集中してから、印刷機を使って何枚かの紙を完成させた。それをあたしに手渡して、あたしが封筒に詰めて鞄に仕舞ったら準備は整う。
 時間はぴったり。
 二人で事務所を出て少し街を歩いた。つばの広い帽子はかぶれない。しっかりと固めで結った髪を揺らしながら、オデールとは程よい距離感を保って歩いてく。
 目の前に銀行の大看板が見えたところで、オデールは売店へと向かって道を逸れる。あたしは真っ直ぐ銀行の中へ入る。二人はここで手分けした。
 まさか強盗なんて計画してない。もっと大きな額を手に入れるためには、もっと大胆な手段が必要なの。
 休日前の銀行は混雑していた。若手のお兄さんがあたしにすぐに気付いて駆け寄った。
「整理番号をお持ちですか?」
 あたしは「ええっと……」と、少し自分の首筋を触る。ふわっと香った匂いは、昔から好きでよく付けていた香水。この匂いがあるとあたしもやる気が出るんだ。
「203号室でお花を生けたくって……」
 令嬢や婦人が高貴な男と密会する口実に使う常套句。そして花の種類はあらかじめ男の方から伝えられている。
「左様ですか。何の花を使われますか?」
「そうですわね……。六枚花弁の黄色い花ですわ。奥に小さな蜜壺を作りますのよ?」
「かしこまりました。ご案内します」
 さすがオデール。失敗しない男ね。そもそもオデールがつるんでいる女自体が、こういう常套句で男をたぶらかす連中ばっかだし。
 階段を上がって奥の部屋。203号室の扉をノックし、あたしが中に入るとひとりの男がいる。男って言っても大抵おじさんなんだけどさ。
「ああ、会いたかったよ。アンジャンヌ!」
「リブトミーさん……」
 知らない名前で呼ばれるのも平気。臭い男と抱き合って初対面で涙を流すのだって得意。
「ああんっ、急がないでっ!」
 キスは無理。ゲロが出ちゃう。
「ごめんごめん。ずっと会いたかったんだアンジャンヌ」
「私もです。リブトミーさん。ずっとあなたのことを思って……」
 シクシクと泣くと男は顔色を変える。
「どうしたんだいアンジャンヌ」
「何でもないですわ」
「言ってごらんよ。僕には君が何故か悲しそうに見える。あの一件がまだ解決していないのかい? 僕たちのために何とかしてあげよう」
「ああ、リブトミーさん……」
 言葉の端々から感じる男の本音。いつだって女よりも上に立っていて「力になりたい」だの「役に立ちたいだの」の気持ちで動く生き物。
 でも、そんなのは全部建前。愛なんかを育てるための金額よりも、自分自身を守るための金額をねだる方が効率が良い。
「実は……」
 もっと効率を上げるために仕方がないからキスのひとつやふたつもくれてやる。後で強烈なお酒を飲んで消毒しておくから。
 案の定、おじさんは喜んだ。きもっ。……じゃなくて、集中しなくちゃ。
 おじさんの膝の上に座って涙を流す名女優を演じきる。わざと落ちた風を装ってカバンを床にぶちまける。いくつもの紙がドラマチックに広がった。中身は桁の多い数字が羅列してる。
 それを見たおじさんの顔がわかりやすく青くなった。
 あたしは良かれと思って、わんわん泣いた。


 *  *  *


 うえーーーっ。思い出すだけでも気持ちわるい。記憶もなくしてやるって、事務所にあったお酒を片っ端から全部飲み干したのに。全然飲めちゃった……。
 記憶はなくならないし、お酒による吐き気も催さないし。単純にムカムカするだけに終わる。頭も痛い。こんな仕事まじで嫌だ。
 ガタンゴトンって路面電車が通ったら、うるさいし、建物ごと揺れてるし、ほんっとに最悪。まじで最悪。
「クソ喰らええええ!!」って叫んでたら、いつのまにかオデールが帰ってきてた。
「外まで聞こえてんぞ」
「うっさいな。あんたがあのクソジジイとキスしてよ」
「キモイこと言ってんなよ。ほらっ」
 テーブルの上にオデールが何かを放り投げる。
「あたしはソファーに座ってるんだから、こっち渡してよ」
「自分で取りに行け。お前が欲しい金なんだろ?」
 あたしはチッと舌打ちをして、ぐわんぐわん揺れる視界でテーブルの方へと進んだ。そこにはあたし名義の銀行手帳が転がってる。
 開いて見てみるけど文字が踊ってて数字の桁を数えられない。
「オデール。足りてる?」
 力尽きてテーブルに突っ伏した。オデールは「足りてない」って言った。あともう少し目標金額に足りてないらしい。
「さっき電話あって残りは分割にして欲しいって」
「はあ? あのクソジジイ……」
 今度はわいせつ罪で訴えてやろうか!!
 イライラして力が入っていた。……でも。なんだか急に腑抜けた。
「水買ってくる」
 廊下の壁に体をバシバシ当てながら玄関から外に出る。オデールが心配になって一緒に外に着いてくるなんて無い。

 雨上がりの夜。ひとりで転けながら歩いてて、数歩よたよた進んだら何しに来たのかすっかり忘れた。
 とりあえず頭が痛くて辛いから、その辺の横道に入って濡れた壁にもたれかかってる。冷たくて気持ちがいい。
 何にあんなに怒ってたんだか。何でそんなに頑張ってんだか。
「お姉さん、ひとり? 大丈夫?」
 夜の道に女の子ひとりは危ないよって親切に教えてくれる男がいた。こんな風に声をかけてくる男があたしの周りには多いな。それぐらい魅力的な女なのかな。
 それとも……ちょろそうな女に見えるのかな。
 肩を抱いて強引に肌へ口を付けてくる。こんな道中で堂々と。でも、そういうのもアリだよね。
「ねえ、お兄さん。あたしが若いから?」
 整った顔にある鋭い目と見つめ合った。お兄さんはフッと笑う。
「そうかもね」
 思った通りの答えだ。
「そっか。じゃあ大人の世界教えてよ」
「大人の世界?」
「分かんないけど。もっとお兄さんに色々教えてもらいたいかも」
 今度はあたしからキスをする。高級な葉タバコの香りじゃなくて、爽やかなミント系の香りがあたしにも移った。
「彼氏でもに振られた?」
 聞かれてあたしは、うーんと少し考えるふりをする。
「内緒」
 するとお兄さんは気を良くした。
「いいよ。じゃあ良い場所に連れてってあげる」
「うん……」
 そのままあたしは路地裏に入っていく。今晩はたぶん事務所に帰らない。




(((次話は明日17時に投稿します

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