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I.危機と恋心
家庭的な暮らし2
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旦那さんの仕事が忙しくて家を空けることが多いという話で、僕とアルゼレアはリサの家の用事を少し手伝っている。
スープだけと言いつつ、パンもサラダもデザートのプディングもいただいてしまったわけだから、感謝の言葉だけでは僕もアルゼレアも帰れなかった。
ここは本当に静かな住宅街で子供の声もしない。
換気のための窓から風が入り、白いカーテンを擦らせる音だけが鳴っていた。
家の用事というのは色々あるけど、しっかりとした書斎で僕とアルゼレアが麻紐で本を縛るのは図書館に寄付するかららしい。
僕は作業の途中、アルゼレアの黒いレースの手袋を見守った。
リサはこれを気にしないのか、それともアルゼレアから話を聞いたのかは知らない。
光の具合でアルゼレアの手の傷が透けて見えないか……なんて。好奇心と言ったら不謹慎だけど、でも僕が全く気になっていないと言えば嘘だ。
「……上手だね」
僕はアルゼレアに声をかける。
上からものを言っているみたいだけど、僕はひとつの本束もうまく結べていない。その間にアルゼレアはもう三束もきっちり締められていた。
彼女は声を掛けられて一度目線を上げたけど、すぐに自分の作業の続きをする。
麻紐を操って最後にギュッと左右で引くと、ちゃんと本にピッタリ沿って決まるようだ。
「……」
それを自慢することは無い。だけど決して僕を無視しているわけでもない。次の本束を縛るのはゆっくりと。僕に手順が見えるようにやってくれた。
言葉や表情じゃなくてもアルゼレアの心の優しさは伝わる。
しかし。見本の手の動きに合わせてやってみてダメだ。コツを掴んでいるつもりでも出来ない。同じようにやっているのに全然だった。
「な、なぜ……」
これだと簡単に麻紐から本が抜き取れる。
「私、やりましょうか」
「ごめん。僕あんまり器用じゃないのかも」
苦笑していると、アルゼレアも僅かに頬を緩ませた。
「ティナー?」
突然呼ばれたのに肩を震わせて僕は真後ろを振り向く。リサが物音も無しに扉のところに立っていた。
「もし出来たらなんだけど……」
水道管の様子を見てほしいということで僕だけ庭の方に移動する。
リサが育てているというハーブを眺めるのも程々に、僕は排水口付近のくぼみに顔を覗き込ませて水道管のパイプを探した。
「僕なんかより業者に頼んだ方が良いと思うよ?」
レンガのくぼみに跳ね返ってリサに声を届ける。一応状況ぐらい見てみようと思うけど、下手に素人が手を出さない方が良いとも伝えた。
リサもそれについては分かっていると言う。
「でも、何から伝えれば良いのか分からないじゃない? なんだか頼みにくくて」
まあ気持ちは少し分かるから別に責めることも無かった。
冷たいそよ風の吹く中、リサも付きっきりで何かと手伝ってくれる。水の出が悪いと言うから水道管にヒビでも入っていたらと思って僕は探していた。
「平気そう?」「懐中電灯を持って来るわね」「これで汗を拭いて」医療現場で働く看護師のように気が利く彼女だ。
「二人はどういう関係なの?」
時にリサはちょっとした質問もした。
「二人?」
「アルゼレアさんよ。フェリー乗り場で出会ったんでしょう? 今は? すごく親そうに見えたけど。恋人同士?」
僕は配管の泥を拭いながらフッと笑う。
「違うよ」
突然なんてことを言い出すんだと呆れながら答えた。
「じゃあ結婚は?」
「してないよ」
「恋人が他にいるの?」
「いない、いない」
まるで未確認生物の存在を否定するみたいに僕は告げている。リサは「もう、茶化さないで」と怒っていたけど、残念ながら僕にとって真実だ。
「そんなに僕がモテるように見えてた?」
リサは僕のことを昔から高く見過ぎだ。
水道管と睨み合うのをやめて、涼しい風とリサに借りたタオルで顔の汗を引かせてもらう。
「やっぱり僕じゃ分からないな。水道屋に行こう。アルゼレアに話してくるよ」
僕は靴の汚れを払ってからアルゼレアを探す。
用事が済んだら僕は店の外へ出る。外ではリサとアルゼレアが立ち話をしながら待っていてくれた。
女性同士で楽しく会話をしているように見えた。
二人が僕が出てきたのに気付くと揃って駆け寄ってくる。
「はい、これ」と僕からリサへは、さっきもらったばかりの伝票控えを渡した。水道工事の日程と大まかな流れなんかも書いてある。
「ありがとう。うちに帰ったら返すわね」
「いや、いいよ。宿泊費の代わりにして」
アルゼレアはリサの家に泊めてもらうことになった。おかげで僕は部屋を二つ取らなくて済む。
それと比べれば安いものだとは言わないけど、これぐらい大した事は無い。
新しい街をアルゼレアとはまだ歩けていなかった。
「どうする? 本屋でも行く?」
飲食店よりも本屋や雑貨屋が好きなアルゼレアは少し微笑んで頷いた。
たしかリサの家から歩いてくる途中に大きな本屋があった。あと、可愛らしい文房具店やおしゃれな雑貨屋もあったはずだ。
そういう店を見たという話をアルゼレアに聞かせながら、僕らはゆっくりと歩き出していた。
「ティナー」
リサが僕を呼ぶ。
彼女はまだ水道屋の前に居た。伝票に何か不都合があったかと戻ろうとしたら、リサはおずおずと言った。
「わ、私も一緒に行っていいかしら?」
僕は二つ返事で「うん。もちろんだよ」と返す。
「ごめん。勝手にそのつもりだった」
彼女の予定も聞かずに連れて行こうとしていた僕は、やっと自分の傲慢さに気付いてその場で少し頭を掻いている。
リサも困った笑顔のままだった。だけど水道屋から別のお客が出てくると、急いでこっちに駆けてきた。
(((次話は明日17時に投稿します
Twitter →kusakabe_write
Instagram →kusakabe_natsuho
スープだけと言いつつ、パンもサラダもデザートのプディングもいただいてしまったわけだから、感謝の言葉だけでは僕もアルゼレアも帰れなかった。
ここは本当に静かな住宅街で子供の声もしない。
換気のための窓から風が入り、白いカーテンを擦らせる音だけが鳴っていた。
家の用事というのは色々あるけど、しっかりとした書斎で僕とアルゼレアが麻紐で本を縛るのは図書館に寄付するかららしい。
僕は作業の途中、アルゼレアの黒いレースの手袋を見守った。
リサはこれを気にしないのか、それともアルゼレアから話を聞いたのかは知らない。
光の具合でアルゼレアの手の傷が透けて見えないか……なんて。好奇心と言ったら不謹慎だけど、でも僕が全く気になっていないと言えば嘘だ。
「……上手だね」
僕はアルゼレアに声をかける。
上からものを言っているみたいだけど、僕はひとつの本束もうまく結べていない。その間にアルゼレアはもう三束もきっちり締められていた。
彼女は声を掛けられて一度目線を上げたけど、すぐに自分の作業の続きをする。
麻紐を操って最後にギュッと左右で引くと、ちゃんと本にピッタリ沿って決まるようだ。
「……」
それを自慢することは無い。だけど決して僕を無視しているわけでもない。次の本束を縛るのはゆっくりと。僕に手順が見えるようにやってくれた。
言葉や表情じゃなくてもアルゼレアの心の優しさは伝わる。
しかし。見本の手の動きに合わせてやってみてダメだ。コツを掴んでいるつもりでも出来ない。同じようにやっているのに全然だった。
「な、なぜ……」
これだと簡単に麻紐から本が抜き取れる。
「私、やりましょうか」
「ごめん。僕あんまり器用じゃないのかも」
苦笑していると、アルゼレアも僅かに頬を緩ませた。
「ティナー?」
突然呼ばれたのに肩を震わせて僕は真後ろを振り向く。リサが物音も無しに扉のところに立っていた。
「もし出来たらなんだけど……」
水道管の様子を見てほしいということで僕だけ庭の方に移動する。
リサが育てているというハーブを眺めるのも程々に、僕は排水口付近のくぼみに顔を覗き込ませて水道管のパイプを探した。
「僕なんかより業者に頼んだ方が良いと思うよ?」
レンガのくぼみに跳ね返ってリサに声を届ける。一応状況ぐらい見てみようと思うけど、下手に素人が手を出さない方が良いとも伝えた。
リサもそれについては分かっていると言う。
「でも、何から伝えれば良いのか分からないじゃない? なんだか頼みにくくて」
まあ気持ちは少し分かるから別に責めることも無かった。
冷たいそよ風の吹く中、リサも付きっきりで何かと手伝ってくれる。水の出が悪いと言うから水道管にヒビでも入っていたらと思って僕は探していた。
「平気そう?」「懐中電灯を持って来るわね」「これで汗を拭いて」医療現場で働く看護師のように気が利く彼女だ。
「二人はどういう関係なの?」
時にリサはちょっとした質問もした。
「二人?」
「アルゼレアさんよ。フェリー乗り場で出会ったんでしょう? 今は? すごく親そうに見えたけど。恋人同士?」
僕は配管の泥を拭いながらフッと笑う。
「違うよ」
突然なんてことを言い出すんだと呆れながら答えた。
「じゃあ結婚は?」
「してないよ」
「恋人が他にいるの?」
「いない、いない」
まるで未確認生物の存在を否定するみたいに僕は告げている。リサは「もう、茶化さないで」と怒っていたけど、残念ながら僕にとって真実だ。
「そんなに僕がモテるように見えてた?」
リサは僕のことを昔から高く見過ぎだ。
水道管と睨み合うのをやめて、涼しい風とリサに借りたタオルで顔の汗を引かせてもらう。
「やっぱり僕じゃ分からないな。水道屋に行こう。アルゼレアに話してくるよ」
僕は靴の汚れを払ってからアルゼレアを探す。
用事が済んだら僕は店の外へ出る。外ではリサとアルゼレアが立ち話をしながら待っていてくれた。
女性同士で楽しく会話をしているように見えた。
二人が僕が出てきたのに気付くと揃って駆け寄ってくる。
「はい、これ」と僕からリサへは、さっきもらったばかりの伝票控えを渡した。水道工事の日程と大まかな流れなんかも書いてある。
「ありがとう。うちに帰ったら返すわね」
「いや、いいよ。宿泊費の代わりにして」
アルゼレアはリサの家に泊めてもらうことになった。おかげで僕は部屋を二つ取らなくて済む。
それと比べれば安いものだとは言わないけど、これぐらい大した事は無い。
新しい街をアルゼレアとはまだ歩けていなかった。
「どうする? 本屋でも行く?」
飲食店よりも本屋や雑貨屋が好きなアルゼレアは少し微笑んで頷いた。
たしかリサの家から歩いてくる途中に大きな本屋があった。あと、可愛らしい文房具店やおしゃれな雑貨屋もあったはずだ。
そういう店を見たという話をアルゼレアに聞かせながら、僕らはゆっくりと歩き出していた。
「ティナー」
リサが僕を呼ぶ。
彼女はまだ水道屋の前に居た。伝票に何か不都合があったかと戻ろうとしたら、リサはおずおずと言った。
「わ、私も一緒に行っていいかしら?」
僕は二つ返事で「うん。もちろんだよ」と返す。
「ごめん。勝手にそのつもりだった」
彼女の予定も聞かずに連れて行こうとしていた僕は、やっと自分の傲慢さに気付いてその場で少し頭を掻いている。
リサも困った笑顔のままだった。だけど水道屋から別のお客が出てくると、急いでこっちに駆けてきた。
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