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I.危機と恋心
家庭的な暮らし1
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あのオフィス街から二つほど通りを越えれば閑静な住宅街に入った。新しく建った高い建物に邪魔されないでさっき僕らがいた迎賓館も見えている。
「アルゼレアさんって言うのね。一人で旅をしているなんてすごいわ!」
歩道を歩きながらリサは手を叩いて嬉しそうに言う。アルゼレアから本の解読のためにフェリーに乗ってきたという話をした。
まさか無運賃で乗り込もうとしたことや、僕まで共犯だったなんてことは、アルゼレアも僕も暗黙の了解というやつで口を閉ざしていた。
「ティナー。あなたはどうしてこっちへ?」
「あ、ああ。僕?」
えーっとと悩みながら民家の垣根なんかを眺めている。
そうしているとリサから「良いニュースじゃ無さそうね」と先に笑われた。確かにその通りだから僕も苦笑する。
「実は、ちょっとしたトラブルで免停になってしまって……」
「め、免停!?」
リサは驚いたけど、僕の方もリサがそんな「免停」を口にするのに驚いてしまう。でもやっぱり彼女は上品に咳払いをした後に言い直した。
「お医者さんにはもうなれないってことなの?」
悪い話に対して僕を心配してくれている。
「医者じゃないよ。精神医。まあ専門職に就けないのは一年間だけだし、その期間の保証金はもらえてるから大丈夫かな」
「保証金って退職金?」
「ううん。民間裁判の対等請求って感じ。僕が専門免許を停止する代わりに、相手は僕の生活を保証してくれたんだ。もちろんトラブル相手の厚意じゃないよ。裁判長の判断で。異例中の異例だったと思うよ、たぶん……」
冬なのに、その家の庭には大ぶりの淡いピンクの花が咲いていた。こんな季節にも咲く花があるのか、なんてぼーっと考えていた。
「あれ?」
三人で横並びだったはずが、ふと僕だけ歩いていることに気付く。
後ろを振り向いて見れば、リサは僕の経緯に驚くあまり歩みが遅れているようだった。そしてもう一人アルゼレアもだ。
「……言ってなかったっけ?」
アルゼレアは僕の顔を見てぶんぶん首を横に振っている。
すっかり昼食を忘れていた僕とアルゼレアは、リサの家に入るなりキッチンから流れてくる匂いにようやく時間を知らされた。
そこで物をすがるようなつもりはなくても二人同時にお腹が鳴った。
「あら、大変。何か食べていくでしょう?」
コートをフックハンガーにかけながらリサは言う。橙色のワンピース姿になったら「少し待っていてね」とキッチンに立った。
僕らを座らせたリビングのテーブルには、常備してあるビスケットがレースペーパーの上に乗せられて出された。
僕はビスケットを二枚取ってひとつアルゼレアに渡す。
それからリサと少し話をしようとキッチンの方へ向かった。
「良い家だね」
「ほんと? ありがとう」
背中を向けたまま柔らかい声が返ってくる。
丁寧な暮らしが垣間見える大きな家だ。家具の上には必ずキルト生地やレースが乗せられているし、ランプシェードや絨毯は雪の結晶模様があしらわれている。
きっと季節ごとに変えているんだと思う。男で一人暮らしの家なら絶対にこうはいかない。
知り合いの家を興味深く見回していたら、キッチンに戻った時リサと目が合った。僕は瞬時に笑顔を繕った。
「すぐに出来るものがスープぐらいなんだけど、具沢山にするわね!」
彼女は探りをする僕に不信感を表すのではなく、暖かい笑みを返してくれる。
「う、うん。ごめんね」
「気にしないで。あなたにご馳走できるなんて嬉しいもの」
笑顔のままで鍋の方を向いたけど、鍋に蓋をしてまたすぐに僕の方を向き直る。
その時の表情は笑顔じゃなくて何だか落ち込んだ感じだった。
「何かあったの?」
僕から聞いたらリサはハッとして首を振る。
そして彼女は突然手の平を合わせて閃いたらしい。
「そうだわ! うちでハーブを育てているの。少し入れても良い?」
「うん、良いよ?」
「アルゼレアさんは苦手じゃないかしら?」
分からないけど「多分大丈夫」と答えたら、リサは軽くステップを踏みながら裏口へと行ってしまった。
「ごめんなさいね。こんなこと……」
「いや。良いんだよ。むしろこんなことしか出来ないから……」
僕は手首をくるりと返す。
すると電球が眩しく光を放った。電球の付け替え作業だ。うまくいった。
ただし間近にいた僕はその光源に目をやられて少し叫ぶ。叫ぶだけなら良かったけど、そのまま脳まで眩んで割と高い位置から地面に落ちてしまった。
「ティナー! だ、大丈夫!?」
「大丈夫。大丈夫……」
リサはもう僕が居ない脚立を抑えたままで心配そうに見ていた。
痛かったけど大怪我でもなかった僕は、床に這いつくばったまま視線の先でもっと危ない人を見つける。
「あっ、アルゼレア!」
彼女もまた踏み台に乗って、戸棚の高い場所に手を伸ばしていた。
何か木箱を上に仕舞おうとしていたらしいけど、木箱の重さによって体の軸が後ろの方へ斜めを向いている。
まさに今後ろに倒れる……というところだ。
僕は走り出して彼女が転倒する手前で抑え込んだ。
「あ……ありがとうございます」
「いえいえ……」
瞬発力も走る速さも精神医にはあまり求められない。とにかくアルゼレアが怪我をしなくて良かったけど、危うく僕が肉離れを起こすところだ。
僕は、目をパチクリさせているアルゼレアから木箱を取り上げる。彼女から聞けば木箱の中には裁縫道具が入っているんだそうだ。
「棚の上で良いの? また使うんだったら出し入れしやすい場所の方が良くない?」
要領を考えた僕はまだ脚立を支えているリサに問いかける。
しかしリサはあれから少しぼーっとしがちだ。この時もハッとしてから「そうよね」と微笑みながら言った。
(((次話は明日17時に投稿します
Twitter →kusakabe_write
Instagram →kusakabe_natsuho
「アルゼレアさんって言うのね。一人で旅をしているなんてすごいわ!」
歩道を歩きながらリサは手を叩いて嬉しそうに言う。アルゼレアから本の解読のためにフェリーに乗ってきたという話をした。
まさか無運賃で乗り込もうとしたことや、僕まで共犯だったなんてことは、アルゼレアも僕も暗黙の了解というやつで口を閉ざしていた。
「ティナー。あなたはどうしてこっちへ?」
「あ、ああ。僕?」
えーっとと悩みながら民家の垣根なんかを眺めている。
そうしているとリサから「良いニュースじゃ無さそうね」と先に笑われた。確かにその通りだから僕も苦笑する。
「実は、ちょっとしたトラブルで免停になってしまって……」
「め、免停!?」
リサは驚いたけど、僕の方もリサがそんな「免停」を口にするのに驚いてしまう。でもやっぱり彼女は上品に咳払いをした後に言い直した。
「お医者さんにはもうなれないってことなの?」
悪い話に対して僕を心配してくれている。
「医者じゃないよ。精神医。まあ専門職に就けないのは一年間だけだし、その期間の保証金はもらえてるから大丈夫かな」
「保証金って退職金?」
「ううん。民間裁判の対等請求って感じ。僕が専門免許を停止する代わりに、相手は僕の生活を保証してくれたんだ。もちろんトラブル相手の厚意じゃないよ。裁判長の判断で。異例中の異例だったと思うよ、たぶん……」
冬なのに、その家の庭には大ぶりの淡いピンクの花が咲いていた。こんな季節にも咲く花があるのか、なんてぼーっと考えていた。
「あれ?」
三人で横並びだったはずが、ふと僕だけ歩いていることに気付く。
後ろを振り向いて見れば、リサは僕の経緯に驚くあまり歩みが遅れているようだった。そしてもう一人アルゼレアもだ。
「……言ってなかったっけ?」
アルゼレアは僕の顔を見てぶんぶん首を横に振っている。
すっかり昼食を忘れていた僕とアルゼレアは、リサの家に入るなりキッチンから流れてくる匂いにようやく時間を知らされた。
そこで物をすがるようなつもりはなくても二人同時にお腹が鳴った。
「あら、大変。何か食べていくでしょう?」
コートをフックハンガーにかけながらリサは言う。橙色のワンピース姿になったら「少し待っていてね」とキッチンに立った。
僕らを座らせたリビングのテーブルには、常備してあるビスケットがレースペーパーの上に乗せられて出された。
僕はビスケットを二枚取ってひとつアルゼレアに渡す。
それからリサと少し話をしようとキッチンの方へ向かった。
「良い家だね」
「ほんと? ありがとう」
背中を向けたまま柔らかい声が返ってくる。
丁寧な暮らしが垣間見える大きな家だ。家具の上には必ずキルト生地やレースが乗せられているし、ランプシェードや絨毯は雪の結晶模様があしらわれている。
きっと季節ごとに変えているんだと思う。男で一人暮らしの家なら絶対にこうはいかない。
知り合いの家を興味深く見回していたら、キッチンに戻った時リサと目が合った。僕は瞬時に笑顔を繕った。
「すぐに出来るものがスープぐらいなんだけど、具沢山にするわね!」
彼女は探りをする僕に不信感を表すのではなく、暖かい笑みを返してくれる。
「う、うん。ごめんね」
「気にしないで。あなたにご馳走できるなんて嬉しいもの」
笑顔のままで鍋の方を向いたけど、鍋に蓋をしてまたすぐに僕の方を向き直る。
その時の表情は笑顔じゃなくて何だか落ち込んだ感じだった。
「何かあったの?」
僕から聞いたらリサはハッとして首を振る。
そして彼女は突然手の平を合わせて閃いたらしい。
「そうだわ! うちでハーブを育てているの。少し入れても良い?」
「うん、良いよ?」
「アルゼレアさんは苦手じゃないかしら?」
分からないけど「多分大丈夫」と答えたら、リサは軽くステップを踏みながら裏口へと行ってしまった。
「ごめんなさいね。こんなこと……」
「いや。良いんだよ。むしろこんなことしか出来ないから……」
僕は手首をくるりと返す。
すると電球が眩しく光を放った。電球の付け替え作業だ。うまくいった。
ただし間近にいた僕はその光源に目をやられて少し叫ぶ。叫ぶだけなら良かったけど、そのまま脳まで眩んで割と高い位置から地面に落ちてしまった。
「ティナー! だ、大丈夫!?」
「大丈夫。大丈夫……」
リサはもう僕が居ない脚立を抑えたままで心配そうに見ていた。
痛かったけど大怪我でもなかった僕は、床に這いつくばったまま視線の先でもっと危ない人を見つける。
「あっ、アルゼレア!」
彼女もまた踏み台に乗って、戸棚の高い場所に手を伸ばしていた。
何か木箱を上に仕舞おうとしていたらしいけど、木箱の重さによって体の軸が後ろの方へ斜めを向いている。
まさに今後ろに倒れる……というところだ。
僕は走り出して彼女が転倒する手前で抑え込んだ。
「あ……ありがとうございます」
「いえいえ……」
瞬発力も走る速さも精神医にはあまり求められない。とにかくアルゼレアが怪我をしなくて良かったけど、危うく僕が肉離れを起こすところだ。
僕は、目をパチクリさせているアルゼレアから木箱を取り上げる。彼女から聞けば木箱の中には裁縫道具が入っているんだそうだ。
「棚の上で良いの? また使うんだったら出し入れしやすい場所の方が良くない?」
要領を考えた僕はまだ脚立を支えているリサに問いかける。
しかしリサはあれから少しぼーっとしがちだ。この時もハッとしてから「そうよね」と微笑みながら言った。
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