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I.危機と恋心

エシュの巨大砂時計

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 モルタルやレンガの建物がコンクリートへと生まれ変わろうとしている。激烈な産業革命に劣らぬように、形だけでもと急いで建て替えるんだそうだ。
 ここはもともと裕福な国ではなかったけど、東と南の二国と統一するやいなや波が削り取る砂城のように総崩れに遭った。
 課されたものは異文化融合と再建構築。それらは同時進行でうまく行くはずがない。
 神は人間に示されている。人間は失敗したのだと。平和を望むあまり、自滅するのだと嘆いておられるのじゃ……。と、これらは道端で見知らぬ人が説いた言葉だ。
「あ、ありがとう。それじゃ」
 僕はジャッジの袖を掴んで早歩きにその場を離れた。
 何かしらの代金をねだられそうだったけど、僕らを追いかけてまでは取らないそうだった。
 懲りずにまた同じ場所で観光客らしい人を見つけようとウロウロしている。あの人がエシュ教の信者なのかどうかは分からない。
「気味の悪りぃ国だぜ」
 ジャッジが言うのには同意しないけど、僕も少し身の毛が立っていた。
 横断歩道の信号で僕らが足を止めていたら、まるで僕らの背中に張り紙でもされているのかと思うほど必ず人が歩み寄ってくる。
 頼まなくても説き言葉を投げかけてくる御老人が多い。僕は構わないで信号が変わったら急いで歩き出した。
 ちょっと不謹慎だけど、まるでゾンビに追われているみたいな感覚だ。
 標識を頼りに進んでいると、行き先方向に立派な迎賓館が現れた。
「そこだよ。中に入ろう」
「おいおい、嘘だろ」
 ようやく安置に辿り着けたと思ったら、しかしジャッジが「俺はまだ自由で居たい」とごねている。
 迎賓館はもう現役で無く、今は展示会場のようなものだ。ジャッジが勘違いしているみたいに信徒が行き来する神聖な場所とはまた違う。
「分かったぞ、フォルクス! 俺の隠し事を暴こうってんだな? 俺への仕返しにインチキ臭ぇ占い師にヒントでも与えてもらうってかぁ?」
 開き直りのジャッジがつくづく滑稽だ。
 入り口の前で大声を出されていたら観光客に冷たい目で見られている。
「馬鹿なことを言ってないで早く行こう」
「どんと来いだ。やってやろうじゃねえか!」
 不思議と肝が据わったようで、ジャッジは僕を追い抜いて前を進んでいく。

「なんっ……じゃこりゃー!!」
 僕とジャッジは迎賓館の中にいても冷たい目を向けられ続けた。
「おい、静かにしろよ」
 しかしジャッジの興奮は収まりはしない。
 神聖な場所じゃないにしても美術館や博物館では静かにするのが鉄則だ。それをジャッジは知らないらしかった。そこで僕の取った奇策はこうだ。
「じっくり見ていなよ。終わったら出口で落ち合おう」
 返事は無かったけど伝えたことにして、僕は死角でジャッジが見えなくなる場所に移動した。
 そしてやっと、僕もずっと見たかった物を見上げる。
 天井まで届く巨大な砂時計だ。高さは三階層分の吹き抜けにぴったり収まっている。
 でもここは古い建物だから部屋の天井が普通の建物よりも高い。きっと四階層分くらいあるんじゃないかな。とにかくデカい。
 そしてガラスの中の砂は上から下へと落ちていた。その音はサラサラというよりもチリチリと鳴っていた。
「これは人の命が爆ぜる音である」と、恐ろしいけど神秘的な説明文が看板には書かれていた。
 アスタリカ国立図書館で見たレプリカは、一般的な砂時計を大きくしたものだ。それでもかなりの迫力があったことには違いない。
 けど、やっぱり本物は違う。
 メインは中心核にある巨大な二層の砂時計だけど、その周りにも幾つものガラス球が備わっていた。大小様々、形も色々だ。
 どれもガラス管が繋がっている。入り組みすぎていて目で辿るのは相当難しい。下から見上げているし、管は透明だから余計に無理だった。
 管と球の中には同じ砂が通っている。何となく人間の血管と臓器みたいだと医者の端くれとして感想を持った僕だった。
 詳しい真相は謎のままだと説明文は告げている。
「様々な歴史教授や数学博士が、砂の動く時間を計算したが合わなかった」と、現在も調査は進行中らしい。

 人の靴の音が響き、砂がチリチリと鳴る異次元のような空気感。
 まるで宇宙の中にいるみたいだった。照明も少し落とされているし余計にそう思ってしまう。
 ここに来れば日頃の色々な出来事も忘れられるんだろう。
 本当に、僕らが砂の一粒になっていて、いずれ神が救ってくれるのだと希望を持たせてくれるみたいだ。
 僕を含めた観光客の足が止まるのは、誰もが思い思いの苦労をここで溶かしているからだと思う。
 そんな不思議で強い力があるんだろう。この砂時計は……。
「……もし? もし?」
 心も体も砂になっていた頃、僕の後ろで女性の声がした。
 誰かを呼んでいるように聞こえて振り返ると、それは僕のことを呼んでいた。
「ティナー?」
 懐かしさのある柔らかい声と、ウェーブのかかった金色の髪で僕は気付く。
「……リサ? 君、リサじゃない!?」
 答えるように彼女は照れくさそうに微笑んだ。やっぱりその笑い顔は数年前とまるっきり一緒だ。
「懐かしいよ。いつこっちに渡ってたの?」
「えっと、そうね……」
 何か答えようとしたリサだったけど、ふと何か気付いて左手を後ろに隠した。僕も察しがついて彼女が結婚したのだと分かった。でも言いはしなかった。
「ねえ、ティナー。ちょっとうちで話さない? しばらくぶりだもの。話したいことがいっぱいあるわ」
「もちろんだよ。僕も話したいことがたくさんある。ちょっと待っててジャッジを呼んでくる」
 リサとはジャッジ同様古い友人だ。そんな人と旅の最中で出会えたんだから、喜びで足取り軽くジャッジと落ち合う入り口に向かった。
 しかしジャッジの姿はどこにも無い。
 あれだけ騒ぎ立てていたから警察に連れて行かれたのかとも思ったけど、警備員はそういう騒動も無かったと言った。
 不思議に思っていたら後からリサがやって来た。
「ジャッジと一緒に来たの?」
「ああ、うん。でも居なくなったみたい」
 優しい彼女は「心配ね」と表情を曇らせたけど、僕の方は全然気にしなかった。
 むしろ逃げたなと恨むくらいの気持ちでいる。
「実はもう一人同伴者がいるんだけど一緒でも良いかな?」
「ええ、もちろんよ。歓迎するわ」
 明るいひだまりのような笑顔に甘えて、僕とリサはアルゼレアを迎えに行った。


(((次話は明日17時に投稿します

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