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I.不幸に見舞われた男の末路

気になる女の子1

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 結婚適齢期というものがあるなら僕はとっくに過ぎている。
 でもそれはお爺さんが語ったみたいに貴族内での適正年齢だから、一般人の僕にとっては若過ぎると思うんだ。
 普通に学校を出て、就職してから順調に仕事に慣れていけば、僕ぐらいの歳にはなってしまう。
 それで結婚適齢期を過ぎてしまうんだったら、結婚なんて僕の人生には入る隙が無かったという事になる。
「女性との接点ね……」
 男社会の世の中だ。確かに病院には看護師という女性が必ず居るわけだから、あんな風に疾患が無いのにスケベ目的でやってくる人も居るのか。
 僕にはよく分からないな。
 看護師を女性として見たことがない。……もしかして失礼なこと言ってる?
 バス席から景色を眺めていると、ポツポツと雨粒が窓に張り付いていた。
 そこからはザーザー降りにはならずに、いつまでも降ったり止んだりの嫌な天気が続いている。
 景色が止まることでバスが停車場に着いたのだと気付けた。
 でも僕は、郊外の深緑部から街になっていく過程が好きで見入っている。
「あの」
 そのせいで声を掛けられていることに気付けず、最終この肩に手が触れられることで振り返った。
「あっ、はい!?」
 女性だった。席を代わって欲しいのかと思って立ち上がったけど、別に他の席も空席が目立っていた。
「あの、落とされていませんか」
「え? ……ああ」
 彼女の手には僕のネームプレートが乗せてある。病院内で働くには必ず首から下げておかなくちゃいけない大事な物だ。
「あ、ありがとう。僕のです」
 静かに受け取って着席する僕に、彼女は「良かった」とは言わない。微笑みもしない。短く会釈をしただけで離れた場所に座りに行った。
 離席中の運転手がもう乗車客が居ないと見切りをつけて扉を閉めている。どうやら彼女はこの停車場で乗車したらしい。
 カランコロンとハンドベルで大きな音を鳴らしてから、バスはエンジンを噴かせて出発した。
 僕は揺れながら、一緒の動きをするあの女性の赤毛の後頭部だけを見つめていた。
 あの女性は子供のように小さな背丈で顔も幼かったように思う。それなのにあどけなく笑ったりしなくて、妙な静かさがあって逆に気になってしまっていた。
 そして僕は自分のネームプレートに目を落とす。
 一瞬だけど記憶では、これを拾ってくれた彼女の両手は黒いレースの手袋をはめていたと思う。そんなものは子供には似合わないと思うのが普通だ。
「……」
 だめだ。正直気になって仕方がない。
 他にも何か大きめの物を抱えていた気がする。それが何だったのかまでは、落とし物に注意が向いていて分からなかったけど。
 子供相手だからって急に声を掛けるのも何だか気が引ける。もしも貴族の娘さんだったりなんかしたら打首にもなるかもしれない。
 しかし気になる……と、僕は悶えた。

 考え事はもうすっかり収まってしまった後だ。人はそんなにひとつのことに執着し続けてはいられない。僕はぼんやりと窓の外を眺めて過ごしていた。
 この辺りは森になっている。けれどもそれは自然にある森では無くて、人工的に作られた森なんだと噂で聞いていた。
 森には入り口があって大きなアーチ型の門が構えている。
 何か公園の入り口なんだろうか。綺麗に整備された歩道の上に、警備員を配置してあった。
 バスの窓からその森の内部を出来るだけ隅々まで覗こうとする。しかしびっしりと生えた木に阻止されて何も見ることは出来ない。
 かろうじて見えているのは、森の木々を突き抜ける三角屋根の一角だけだ。
「レイヴェル城跡ですー。降りる方は他に居ませんかー?」
 知らない間にバスが停車していた。
 運転手が扉を閉める音が聞こえる。
 この場所を「城跡」と呼ぶけど、今でも貴族が暮らしているというのは誰でも知っている話だ。
 そして、あの森の中の三角屋根がレイヴェル城なのかどうかは、実はそこまで詳しくない。この辺りはお金持ちの大きな家が多いから別の建物なのかも。
「……あれ?」
 エンジン音を聞くのと同時に、僕はあの女性がこの停車場で降りていたのに気付いた。
 赤髪の少女のような姿で、やっぱり両手は腕の中腹から黒い布で覆われている。そして箱のような物を抱いている……ように見えたが後ろを向いてしまった。
 エンジンが回り出してから車が動くには時間が少し掛かっていて、その間、彼女が城跡の門番と何やら話をする様子を見せられている。
 どうやら貴族の娘さんだったらしい。それなら黒いレースの手袋も納得がいった。知らないけどピアノでも習っているんだろう。
 しかし見ていたら、門番は怪訝な表情だ。主人の娘が帰ってきたというのに、彼女を追い返すように手の甲を返していた。
 バスはこのタイミングで動き出してしまう。
 すぐに景色は後ろへと流れて彼女のことも見えなくなってしまった。
 僕も諦めて再び前を向き直した。彼女の赤毛が座っていた空席を見つめる。と、その肘掛けに傘が掛かっていたのを見つけた。
 次の停車場は城跡からすぐのところだ。
 もちろん僕の降りたかった場所では無いけど、僕はそこでバスを降りた。
 曇天の空模様の下、僕の手には二つの傘がぶら下がる。
 城跡までは一本道だ。きっと彼女に会えるはずだと疑わずにバスで走った道を引き返して歩いた。
 歩きながら、傘ぐらい失くしたってすぐに買い足せるよな。って我に返ったりもしたけど、勢いで出てきてしまったんだから引き返すタイミングも無い。
 目先に森の入り口になるアーチと警備員が見える。
 しかし、幼くて物静かで赤毛で黒いレース手袋で何か荷物を抱えている彼女はどこにも居なかった。
 警備員だと思っていた人は軍服を着た軍人だった。顔は前を向いたままだけど目玉は僕から離さずに睨んでいる。
 彼女の行方を聞こうにも恐ろしくて出来なかった僕は、一旦門番の前を素通りすした。
 それから「道を間違ったかなぁ?」なんて聞こえるよう呟きつつ、首を傾げながら道を引き返した。
 ぽつりぽつりと冬の雨が降り出した。
 バスを待つには寒いし、市内まで歩くには遠過ぎた。
 女の子が好みそうなチェック柄の傘をぶら下げた男は、ぼちぼち次のバス停へ向かって歩くことになる。
 まあ、僕の人生は小さな不幸が連鎖していることが常だから、これくらいの不運は仕方ないとやり過ごせる。
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