絵の具と切符とペンギンと【短編・完結済み】

草壁なつ帆

文字の大きさ
6 / 7

使わなかった切符

しおりを挟む
「あっ、警察官さん。魚屋さんに寄っても良い?」
「魚屋? ダメだよ。君たちをまっすぐ家に届けるのが僕の使命だ」
 ガラガラと走る馬車の中。ボックスの席にミュンヘンと僕が向かい合わせ。僕の横に警察官のお兄さんが座っている。周りはすっかり夜の街で、僕はこのまま家へと運ばれたかったけどミュンヘンが急に言い出したんだ。
「君は口が達者だから騙されるなよって釘を刺されているからね」
 警察官さんは腕を組んで鼻を鳴らしていた。ミュンヘンはぷくっと頬を膨らませている。その時だけ僕より歳下みたいに見えた。でもやっぱり少しお姉さんだ。
「絵を売って魚を買ってきなさいって言われたんだよ。だから魚屋さんに下ろして」
「ダメダメ。それに魚屋なんて朝方の商売だろ? こんな時間に開いてないよ」
「開いてるお店ならあるし道も知ってるから、そこに行きたいってお馬の人に言って?」
 警察官さんはちらっと後ろの小窓を振り返った。僕も一緒に振り返ってみたら馬を操る人の背中がある。馬車の中の話は届いていないみたい。
「だって飛び出して来ちゃったんだもん。私の絵なんか小魚一匹も買える価値がないって言うから。悔しくてたまらない」
 馬車の中ではそんな話がされた。警察官さんと僕がミュンヘンに視線を戻すのが同時だった。
 僕がミュンヘンのお芝居に心を打たれるはずがなく、なんでそんな嘘をつくんだろうと不思議で「誰に言われたの?」と口を出た。僕とミュンヘンが兄弟じゃないことはもうバレていたから構わずに聞いた。
 ミュンヘンはこの馬車の中で、しくしくと泣いて鼻を赤くしている。
「お兄ちゃん。……あと、お父さんとお母さんも。後半は一緒になって笑ってた。絵の具を塗りたくっただけの絵なんて、犬にでも描けるって言ってた」
 服の袖で涙を拭うけど、それでもボロボロと落ちて止まらない。
「そうなの?」
 尋ねられたのは僕。ミュンヘンの友達だってことになっているから、警察官さんが僕に真実なのかと聞いてきたわけだ。当然僕は今初めて知ったからびっくりしている。
「……そうです。ヴィレインワーゲンっていう友人も彼女をいじめるんです」
 ぶっ。と、ミュンヘンは吹き出す。でもそれは泣きすぎて咳が出たのだと慌てて誤魔化した。僕は調子を合わせてみたんだけど軽く失敗したのかな。
 でも、警察官さんには効果があったみたいだ。小窓を軽く叩いてから馬車を止めさせて、ミュンヘンから魚屋さんの道筋を伝えさせた。

 市場はもう閉まっていて何の明かりも付いていない。僕も警察官さんも付き添いつつ不安になっていた。しかし確かに一店だけ灯りをつけた露店がある。
 お店の人は気難しそうなおじいさん。氷を撒いた台の上にツヤツヤの魚をたくさん乗せている。
「こんな時間に売れますか?」
 警察官さんから何気なく聞いたんだと思う。お店の人は警察官さんの身なりをじっと観察してから「法は守ってる」とだけ言って新聞で顔を隠してしまった。
 とん、と僕の肩にミュンヘンが意図的にぶつかってくる。
「もう。君がヴィレインワーゲンを出すから笑っちゃったじゃん」
 小声で言って、くすくすと笑った。
 警察官さんはお店の人との会話に夢中だ。そして僕は、ミュンヘンがどうしてこう明るく笑って居られるんだろうと、ひとりだけ置いてけぼりだった。
「ねえ」
 だから僕からも小声で問いかける。
「あの話って本当?」
「あの話? なんだっけ?」
 ミュンヘンはそれも明るく言って、バケツに入ったイワシ達が欲しいと視線を切り替えてしまった。僕のそばからも離れて行った。
 大きな魚じゃなくて良いのかと警察官さんが話している。ミュンヘンの絵は売れたけどまだお金が入っていないから、ここで財布を開くのは警察官さんだった。
「大きな魚の身を美味しく食べるんじゃなくって、小骨の多い魚に手間をかけさせたいんだ」みたいなことをミュンヘンが意地悪く言っていた。
 家族の話を涙を流しながらしていたミュンヘンだけど、家族をこらしめてやるんだって酷いことも言っている。
「……」
 そんなこと、やめた方がいいよ……。僕は心の中でそう言った。
 でも。なんだかミュンヘンが羨ましいなって少し思った。そんな時、ミュンヘンは僕にまた肩を当てる。
「片道切符にしとけばよかった。損しちゃったね」
 思わずドキリとした。耳打ちされるとは思わなかったから。
 ポケットの中には片道分を切り取った往復切符が入っている。僕の分はミュンヘンに奢ってもらったんだった。

 見覚えのある道にやってくると、先にミュンヘンが自ら馬車を降りて家に帰った。その後で僕が送られる。
 綺麗なお家は夜の中にたたずんでいて、僕に帰ってきたという気持ちにさせない。警察官さんがベルを鳴らしたら玄関の明かりが付いて人が出てきた。
「もう! 心配したのよ!?」
 義母さんはパジャマのままで扉を放って駆け出してきた。僕を強く抱きしめると暖かくて、ふわりと花の香りがする。
「では、私共はこれで」
「本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
 馬車が角を曲がって行ってしまうまで見送り、義母さんの「入りましょう」という声で家の中に入る。
 もう夜はかなり遅い時間だ。寝室から出てきた父様とは廊下で出会った。僕の居場所は電話で伝わっていたみたいだから、すごく問い詰められるということはなかった。
「自分の部屋にへ行きなさい」
「はい……」
 ひとりで階段を登って部屋の扉を開ける。そして唯一の僕の居場所。机に向かって座った。
 夜はおやすみの時間を過ぎていて、小さなランプの灯りだけをつけた。でも疲れていたし、お腹も空いていたし、その机に突っ伏していた。
 階段を上がってくる音。扉を開ける音。机の上にコトンと置かれて、ほんのりスパイスの匂いが届く。
 ガチャリと扉が閉まったら、カチャンと別の音が鳴った。金属のフックが掛かる音で、僕が悪いことをすると鳴る音だ。それで顔を上げたら机の隅に僕の夕食が乗った台が置かれている。
 サラダが萎びていて果物は茶色くなっていた。ミルクスープに膜が張っているからスプーンでそっと救って退ける。お肉もパンも硬い。でも美味しい。
 続き部屋にある水道で食器を洗ったら、顔と歯を洗って寝ようとじゅんびをした。ベッドに横になってから、そうだと思い出した。僕のポケットから小さな紙切れが取り出せる。
「ダメだ。やっぱり今日だけか……」
 片道分の切符は回数券にならないかなって期待していた。でもちゃんと今日の日付が刻まれている。だとしたらこれはもうゴミだけど、僕は枕の下に入れておくことにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

神は激怒した

まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。 めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。 ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m 世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。

処理中です...