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ペンギンと不思議な絵

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 丘は登るけど林の中に入って行かない。袋のように野原が萎んだ場所に傾いた小屋がひとつあった。道具小屋にしか見えないけど、あれが工房だってミュンヘンは言っていた。
 彼女が「ほらね」と指差すのは手作りのネームプレートだ。『ミュンヘンの工房』と、そのまんまのことが赤と青の絵の具でただ書かれている。
 建て付けの悪い扉はちゃんと閉まりきらない。僕が中に入ってからもひとりでに開いていった。
「変な匂いがする」
「うん。絵の具の匂い」
 僕の独り言が聞かれたけど、ミュンヘンは怒らずに答えている。でも僕が感じる変な匂いっていうのは、ちょっと生臭いっていうか魚の匂いで。
 案外何もない玄関を通っていよいよ工房の部屋に来た。すると途端にこの場所は物であふれかえっている。主に画材道具だろうけど、椅子も本棚も倒れたり転がったりして場所を埋めている。
 それにやけに爽やかなのは、床板の腐った部分から自然の草花が生えていたからだ。オレンジや白色の小花は居心地が良いのか、かなりの面積で自生している。そして……。
「……これは?」
 よく出来た模型かと思ったのは一瞬。だって今僕の目の前で動いて、絵の具の空き缶をクチバシで突っついているんだもの。
「ヴィレインワーゲンって言うの。可愛いでしょ?」
「へえ……」
 黒い背中と白いお腹。水かきのある黄色い足でペタペタ歩く動物って言うとペンギンだよね。
「そんな種類があるんだ」
「違う違う。彼の名前。誇り高い家系なんだよ? ちゃんとフルネームで呼んであげないとダメだから注意」
 確かに。僕が種類とかって言ったからか、謎のペンギンは僕のことを睨んで離さない。まさか子供でも丸呑みしちゃおうなんてことはないだろうけど……それでもちょっと怖いな。
「おーい。絵、見たいんじゃないの?」
 ミュンヘンが僕に呼び掛けた。見たいだなんて一言も言ってないけど、ここは助かったと思って彼女の方へと向かう。
 おそらく作業台だと想像できる机の前で僕を待っていた。
「じゃーん! どう?」
 僕は絵を見させてもらう。でも、ちょっとガッカリしてしまう。
「うんと……。すごい」
「どの辺りが?」
「えっと……。こことか」
 ピンクと白が混ざりきる前の箇所を指さしてみた。ミュンヘンの反応を僕から伺うと、ポイントを間違っていたのか「うーん」と唸られる。
 じゃあ次はこれ、と別の絵が登場した。それに関しても僕はまたガッカリだ。一応同じように「ここがすごい」と指をさしてみる。すると今度のミュンヘンは飛び跳ねて喜んでいる。……なんでだ?
「やっぱり君、見る目があるよ!」
 何故なのかすっごく褒められた。
「あ、ありがとう」
 全然嬉しくないのに、ちょっとだけ顔が熱くなるというか。心臓がバックンバックンと鳴っている。女の子に褒められたなんて初めてのことだからか。
「でも。何を描いたの?」
「ふふーん、よくぞ聞いてくれた!」
 貴族を真似て顎を触っている。
「この絵は人々の幸せ。でもその裏にある僻みや妬みの種をひとつひとつ地面に埋め込むようにしてみたってわけ。ふわ~っとしているけど、何となく不穏な渦があるように見えてくるでしょう? まるでまん丸ペンギンのお腹の下に隠された鋭い爪先みたいに」
「ペンギン?」
 さっきの……誇り高いペンギンを振り返って見たら、倒れた本棚の中に巣があってそこで眠っている。
「それからこっちは私の自画像」
 言われて慌ててミュンヘンの絵に視線を戻す。
「じ、自画像!?」
 僕はあまりに掛け離れた絵に驚きを隠せない。だって青と黄色と白の絵の具で、ただぐちゃぐちゃに塗りたくっただけだ。輪郭も目も黒い髪も何も無いんだ。
 ミュンヘンは、あははと笑った。何を驚くところがあったのかと本気で笑った。
「私は海なの。人の皮を被った海。だから本体は透き通った水。そこに思い出とか未来への希望が溶け込んで、この完璧な私を作り上げている。言うなれば……ええっと。……もしもペンギンに羽毛がなかったら他の鳥類と見分けがつかない! っていうことかな? どう? 分かった?」
「なるほど……」
 ミュンヘンは美人だけど変な女の子だってことはよく分かった。あと、たぶんペンギン好きなんだ。
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