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Ⅱ.王位継承者
犬を探して遭難しかける2
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「お待たせして申し訳ございません」
花やロウソクで飾られた応接間には、俺以外の人物が席についていた。
詫びをいれつつ俺も自分の席に座ると顔合わせは始まった。
まずは乾杯をと、王妃のはからいでグラスに薄紅の低アルコールが注がれる。
「私は酒は不得意ですので」
……そうだ。ネザリアの王が断りを入れていたのを思い出した。
二度目に会った時には自身の城でこだわりの酒をがぶがぶ飲んでいたのに。
おそらく警戒して他所では飲まんのだろう。
「ではお水を差し上げて下さい」
新しく出したグラスには冷水が注がれた。
乾杯し、それぞれがグラスを傾ける中、きっとネザリアの王だけはその水さえも口を付けたフリだったであろう。
俺の目の前には、当時名も知らぬ結婚相手が座っていた。
だがその隣に彼女の母親なのかと思う婦人が座っていたのは俺にとって不思議だった。
「ネザリア・エセルと申します」
結婚相手は落ち着いた声で言う。
では隣の者は誰かと紹介を待ったが一向にその者の話にならない。
着飾ったエセルは髪もきちんと結ってあり、控えめではあるが美しい少女のような身なりをしていた。
婦人の方も小綺麗に化粧をし髪を結い、一段劣った布色のドレスを身にまとっている。
両者を比べればエセルの方が立てるべき人物だと分かるが、どちらが華があるかと言われれば婦人を思うのが正直なところだった。
ならばどちらが好みかと聞かれたならば……それは歳の近そうな方が良い。
「こんな雨になるとは思いもしませんでした。山の天気は難しいですな」
「そうですわね。これから冬になると特に雪続きですからエセルさんのお体が少し心配ですけれど」
「それなら心配ありません。この子は冬が好きなので」
当主同士がする会話は俺からすれば表面を撫でるようなものに聞こえる。
このエセルという姫は、見るからに冬より春の方が好きそうだろ。
枯れた季節より、暖かい場所に出て花など愛でそうだ。
「この小さな国だと自給自足で賄っておりますの」
「うむ。実に興味深いことです。この子は働くことが好きですよ」
ネザリア王が言うのを聞きながら、俺はエセルの白く細い腕をぼんやり眺めていた。
ネザリア王国との付き合いはほぼ皆無のようなもの。
首都の名前も王の名も聞かされるまでは知らなかった。
相手国にとって、この国クランクビストもどうせそんなものだっただろう。
ある日突然「あなたは結婚しなさいな」と王妃に言われて承知した。
しかし王妃はこの顔合わせの場で、やたらとこの国が過酷でエセルが耐えられるかと問う。
ネザリア王はエセルなら大丈夫だと必ず答えている。
話は合致したように見えて実は噛み合っていない。だが少しのズレは本人同士に任せる成り行きが正当なものだ。
よって顔合わせは上手くいき、ネザリア王と我が王妃は誓約書類にそれぞれサインをした。
俺は名前を告げた以外は一言も会話に入らずに結婚が決まった。
それはエセルも同じである。婦人に関しては名前すら紹介されずに応接間を去った。
「あの婦人は一体誰だったんだ」
ようやく聞けたのは顔合わせ後、着替えの途中である。
「母親にしては扱いが雑過ぎるだろ。あれがネザリアの文化なのか?」
同じ部屋に居て、これからのスケジュールを告げていたカイセイが答えてくれた。
「あの方はエセル様専属の世話係ですよ」
「世話係だと?」
「ええ。エセル様と同じくこちらに参られるようです」
つまり城の中に住むということである。
あまり聞いたことのない事例に俺は急に戸惑った。
「エセル……殿は、言葉が通じないのか? 人を付かせる理由などそれぐらいしか思い当たらんのだが」
「いいえ? エセル様が城に仕える者とお話ししているのを目にしましたが、言葉に困るような場面はありませんでしたよ」
俺は深く考え込み、とりあえず名だけは聞いておいた。婦人はリトゥと言う。
「変わった名だな」とだけ告げておく。それ以来、目にするごとに彼女の印象は変わっていった。
単純に仕事の出来る使用人まで。特にこれといって怪しむべき点も見当たらなかったのだ。
少々エセルに対して熱くなるところが気に入らなくても、専属使用人であるなら正当だと俺も思っていた。
だが、姿を消してからメルチと絡みだしていると言うなら、何故だと思わずにはいられない。
* * *
……樹海の中をもうどこを目指すでもなく歩いている。
「小屋ですか」
ふと後ろを歩く者がそう言った。
足を止めて見ると確かに小屋らしき木目が遠くの方に見えていた。
俺はもうあれが現実なのか、それとも過去に思いを馳せていた続きの幻想なのか分からず、しかし足はそっちに向けだした。
次第に周りの景色に見覚えが湧いてきた。
いや、勘違いかもしれん。いいや、知っているぞ……と、頭の中では一転二転を繰り返しながら進んでいるが。
リトゥを留めていた小屋の傍には、勝手に無法者がたむろしていたキャンプ地があるはずだ。
だがそれも背高草に飲み込まれているため目印でも何でも無い。
初めて小屋に近づく俺達は、木柵の入り口が分からず周囲を一周した。
「思ったよりもでかい小屋ではないか」
城の付近にこんなものがいつ頃建てられたのだと驚き、意識も現実にようやく戻ってきたようだ。
「カイセイの姿はあったか?」
「……」
監視役は答えん。やはりここは現実に間違いない。
木柵の中には井戸も畑も完備されており、十分生活が出来そうに見える。
草が生え放題であるものの、クワや竹籠のような農具はきちんと専用の棚に収納されていた。
まさにいつも通りの生活がぱったり絶たれたかのようである。
リトゥは、旧ネザリアの者達によってある日姿を消した。
別に野蛮人に無茶苦茶をされたというわけでも無さそうで、俺は少しばかり安心したくらいだ。
「おい、中に入るぞ」
内側の鍵に手を回しながら俺は言う。
監視役は俺から目を離し興味深く辺りを見回していた。
呼びかけると監視役は慌てて翻してやって来た。
花やロウソクで飾られた応接間には、俺以外の人物が席についていた。
詫びをいれつつ俺も自分の席に座ると顔合わせは始まった。
まずは乾杯をと、王妃のはからいでグラスに薄紅の低アルコールが注がれる。
「私は酒は不得意ですので」
……そうだ。ネザリアの王が断りを入れていたのを思い出した。
二度目に会った時には自身の城でこだわりの酒をがぶがぶ飲んでいたのに。
おそらく警戒して他所では飲まんのだろう。
「ではお水を差し上げて下さい」
新しく出したグラスには冷水が注がれた。
乾杯し、それぞれがグラスを傾ける中、きっとネザリアの王だけはその水さえも口を付けたフリだったであろう。
俺の目の前には、当時名も知らぬ結婚相手が座っていた。
だがその隣に彼女の母親なのかと思う婦人が座っていたのは俺にとって不思議だった。
「ネザリア・エセルと申します」
結婚相手は落ち着いた声で言う。
では隣の者は誰かと紹介を待ったが一向にその者の話にならない。
着飾ったエセルは髪もきちんと結ってあり、控えめではあるが美しい少女のような身なりをしていた。
婦人の方も小綺麗に化粧をし髪を結い、一段劣った布色のドレスを身にまとっている。
両者を比べればエセルの方が立てるべき人物だと分かるが、どちらが華があるかと言われれば婦人を思うのが正直なところだった。
ならばどちらが好みかと聞かれたならば……それは歳の近そうな方が良い。
「こんな雨になるとは思いもしませんでした。山の天気は難しいですな」
「そうですわね。これから冬になると特に雪続きですからエセルさんのお体が少し心配ですけれど」
「それなら心配ありません。この子は冬が好きなので」
当主同士がする会話は俺からすれば表面を撫でるようなものに聞こえる。
このエセルという姫は、見るからに冬より春の方が好きそうだろ。
枯れた季節より、暖かい場所に出て花など愛でそうだ。
「この小さな国だと自給自足で賄っておりますの」
「うむ。実に興味深いことです。この子は働くことが好きですよ」
ネザリア王が言うのを聞きながら、俺はエセルの白く細い腕をぼんやり眺めていた。
ネザリア王国との付き合いはほぼ皆無のようなもの。
首都の名前も王の名も聞かされるまでは知らなかった。
相手国にとって、この国クランクビストもどうせそんなものだっただろう。
ある日突然「あなたは結婚しなさいな」と王妃に言われて承知した。
しかし王妃はこの顔合わせの場で、やたらとこの国が過酷でエセルが耐えられるかと問う。
ネザリア王はエセルなら大丈夫だと必ず答えている。
話は合致したように見えて実は噛み合っていない。だが少しのズレは本人同士に任せる成り行きが正当なものだ。
よって顔合わせは上手くいき、ネザリア王と我が王妃は誓約書類にそれぞれサインをした。
俺は名前を告げた以外は一言も会話に入らずに結婚が決まった。
それはエセルも同じである。婦人に関しては名前すら紹介されずに応接間を去った。
「あの婦人は一体誰だったんだ」
ようやく聞けたのは顔合わせ後、着替えの途中である。
「母親にしては扱いが雑過ぎるだろ。あれがネザリアの文化なのか?」
同じ部屋に居て、これからのスケジュールを告げていたカイセイが答えてくれた。
「あの方はエセル様専属の世話係ですよ」
「世話係だと?」
「ええ。エセル様と同じくこちらに参られるようです」
つまり城の中に住むということである。
あまり聞いたことのない事例に俺は急に戸惑った。
「エセル……殿は、言葉が通じないのか? 人を付かせる理由などそれぐらいしか思い当たらんのだが」
「いいえ? エセル様が城に仕える者とお話ししているのを目にしましたが、言葉に困るような場面はありませんでしたよ」
俺は深く考え込み、とりあえず名だけは聞いておいた。婦人はリトゥと言う。
「変わった名だな」とだけ告げておく。それ以来、目にするごとに彼女の印象は変わっていった。
単純に仕事の出来る使用人まで。特にこれといって怪しむべき点も見当たらなかったのだ。
少々エセルに対して熱くなるところが気に入らなくても、専属使用人であるなら正当だと俺も思っていた。
だが、姿を消してからメルチと絡みだしていると言うなら、何故だと思わずにはいられない。
* * *
……樹海の中をもうどこを目指すでもなく歩いている。
「小屋ですか」
ふと後ろを歩く者がそう言った。
足を止めて見ると確かに小屋らしき木目が遠くの方に見えていた。
俺はもうあれが現実なのか、それとも過去に思いを馳せていた続きの幻想なのか分からず、しかし足はそっちに向けだした。
次第に周りの景色に見覚えが湧いてきた。
いや、勘違いかもしれん。いいや、知っているぞ……と、頭の中では一転二転を繰り返しながら進んでいるが。
リトゥを留めていた小屋の傍には、勝手に無法者がたむろしていたキャンプ地があるはずだ。
だがそれも背高草に飲み込まれているため目印でも何でも無い。
初めて小屋に近づく俺達は、木柵の入り口が分からず周囲を一周した。
「思ったよりもでかい小屋ではないか」
城の付近にこんなものがいつ頃建てられたのだと驚き、意識も現実にようやく戻ってきたようだ。
「カイセイの姿はあったか?」
「……」
監視役は答えん。やはりここは現実に間違いない。
木柵の中には井戸も畑も完備されており、十分生活が出来そうに見える。
草が生え放題であるものの、クワや竹籠のような農具はきちんと専用の棚に収納されていた。
まさにいつも通りの生活がぱったり絶たれたかのようである。
リトゥは、旧ネザリアの者達によってある日姿を消した。
別に野蛮人に無茶苦茶をされたというわけでも無さそうで、俺は少しばかり安心したくらいだ。
「おい、中に入るぞ」
内側の鍵に手を回しながら俺は言う。
監視役は俺から目を離し興味深く辺りを見回していた。
呼びかけると監視役は慌てて翻してやって来た。
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