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Ⅱ.拓かれる秘境国
風荒れる丘‐待つ男‐
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会議が終わってあの歴史的建造物を出た頃には空はオレンジ色であった。
だが残念だ。長過ぎる話し合いが終わった開放感に浸るのも、石の天井が最後まで落ちてこなくて気が抜けるのも、しかしまだ先なのである。
俺は人目を盗んでひとりの男を連れ出していた。
その男は「これからデートの約束が!」といつまでも言っているが、俺は口を抑え込んででも芝生中の小道に引っ張ってきたのだ。
「あんな言い方は無いだろう。俺は少しヒヤヒヤしたぞ」
早速ずっと言いたかったことを俺は言ってやる。
その男つまりリュンヒンであるが、彼も自覚はあったようだ。
「だって! かしこまった言い方をしたって年寄りには響かないだろう?」
「だとしてもだ。わざと怒りを買うことは無いだろうが」
リュンヒンはちっとも反省の色を見せておらず、俺の少し前をスタスタと歩いて行く。
それを追いかける形で丘を下っていると、後ろから「おーい」と声がした。
「バル君! リュンヒンさん!」
振り返って見るとキースである。
下り坂を注意しながら走ってきて、俺達の前に止まった。
「お前生きてたのか」
「は、はい。なんとか……」
少し苦しそうにキースは言う。
本当に命からがら逃げて来たんだろうかと俺は心配をした。
「そうだバル君! ニューリアンに来ていたと聞きましたよ。うちがこんな状況じゃなかったら一目挨拶に行きたかったんですけど。すみません……」
「状況はシャーロットから聞いていた。気にするな」
「ええ!? シャ、シャーロット様が僕のことを!?」
俺は少し考え、それとは若干違うような気がしたがキースの勢いに負けて頷いておいた。
「そ、それで……シャーロット様はお元気でしたか? 他には僕のことはなんて? あっ、立ち話もあれですし、よかったら三人で夕食でもどうです? お二人と色々話したいです僕!」
俺は素直に良いなと思って返事をした。
その間リュンヒンは少しむずかしい顔をしたままうつむいている。
せっかく後輩が誘ってくれているのに何やら神妙な顔をしてまるで空気が読めていない。
「……あっ。リュンヒンさんはこのあとご予定が?」
「こいつに気なんか使わんで良い。どうせ大した用事でもないだろう。なあ、リュンヒン」
俺はリュンヒンの背中を強めに叩いた。
それでいつもの顔に戻ったリュンヒンが、キースの誘いを受けた返事を返していた。
涼しい風に吹かれる小道を男三人で歩くには少々狭い。
身を寄せ合いながら、何を食べようかなどと雑談交えで歩いていると、急に先頭のキースが立ち止まった。
俺は危うくつんのめって転びそうになる。
「リュンヒンさん。あそこ、テダムさんではありませんか? ほらあそこ」
そうキースが言うので俺も見える位置に顔を出した。
確かに指をさす場所に人が立っているのが見える。シルエットはリュンヒンを少し丸めたような感じだ。
「背格好や立ち姿はテダムに見えなくもないが、果たして本人か?」
そのまま見ていたら、あちらもこっちを見ているらしい。片手を振ってきた。
テダムらしきあの人物はリュンヒンに手を振り返しているのかと思ったがそうでもない。
弟ならあれが兄か兄じゃないかの見分けぐらいすぐ付くだろうと思うのだが、リュンヒンはただぼーっとしている。
「お前に用事だろう?」
「いや、君だ」
俺がリュンヒンに言うと、違うと返された。
「お、俺に?」
よく分からんが、とりあえずこの小道の先へ降りていくことにする。
「会議は上手く行ったかい?」
「まあ、そうだね……」
敷地の入口に着くなりリュンヒンとテダムの兄弟話が繰り出されている。
別に普段からよく喋るような兄弟では無かったが、この時は何だかぎこちないやり取りに聞こえた。
「お前ら喧嘩でもしたのか?」
「……」
急にどっちもが黙るからそういうことらしい。
するとテダムは俺の方に向き告げる。
「バル殿。悪いけどちょっと時間を下さい」
「ああ。別に良いが」
リュンヒンの言った通り、テダムの用事は俺にであった。
その隙にリュンヒンがキースを連れて行く。「また後で」とキースは最後まで手を振ってくれていた。
ふたりきりになったこの場には、何か悪いことを知らせるような風が急に吹き荒れてきた。
しばらく合わないうちに少し伸びたテダムの前髪が、その風に煽られて揺れている。
兄弟でよく似た顔で俺のことを見つめていて、何か神妙で難しい表情もそっくりだ。
「場所はここで良いのか?」
「うん。少し相談しようかと」
俺はあまり良い相談では無いような気配がしている。
それを匂わせるみたいに上空では風がビュウビュウ音を立てていた。
「率直に。エセルさんを私に譲って欲しい」
「えっ」
「エセルさんだ。今ネザリアに訪れている彼女を、僕の傍に置きたいと考えている」
衝撃的なことを二度も言われた。
一応確認のつもりで俺は問いかける。
「傍に置きたいというのは、籍を入れるという意味で間違いないか?」
「今はそう考えている。けど君の意思を聞かなくてはならないと思って」
「当たり前だ」
俺がピシャリと言ってもテダムは怯まず姿勢を崩しはしない。
じっと俺から目を離さず、口元は閉じられ力が入っている。
「ちゃんと俺が納得できる理由があるのだろうな?」
俺から少し睨むと、沈黙していたテダムがふうと力を抜いた。
「……やっぱり怒るか」
するとテダムはそのまま傍の芝生の上に尻を乗せてくつろぎだした。
靴を脱いできちんと揃えたら、両足をほおり投げて悠長に夕日を見上げている。
深呼吸をして息を整えたかと思うと、次には背中から寝っ転がり目を閉じて寝ようとした。
「おい! だから理由は何なんだ!」
テダムがぱちりと目を開ける。
「あ、ああ。理由ね。理由かぁ……」
ふわぁと大きなあくびをしながら寝言のようにむにゃむにゃと言う。
おかげでこちらも戦意喪失だ。俺もテダムの横に腰を下ろして聞くことにした。ネザリア統治でテダムがかなり大変な目にあっているのは俺のせいだからな。
「ちゃんと寝ているのか?」
「うん。ぐっすりとね」
「……そんな腫れた瞼で言われてもな」
実際、油断すればテダムは今すぐにでも寝ていきそうであった。
「ネザリア統治でてんやわんやなんだろう? すまんな、何もかもを任せきりにして」
「いや、いいよ。弟のフォローなだけだから」
本人は気負いしていないらしく前向きな声で言う。
それで俺が安心しかけていたら「殺されかけるのも慣れているし」と後に続き、俺は余計に複雑な気持ちになった。
だが残念だ。長過ぎる話し合いが終わった開放感に浸るのも、石の天井が最後まで落ちてこなくて気が抜けるのも、しかしまだ先なのである。
俺は人目を盗んでひとりの男を連れ出していた。
その男は「これからデートの約束が!」といつまでも言っているが、俺は口を抑え込んででも芝生中の小道に引っ張ってきたのだ。
「あんな言い方は無いだろう。俺は少しヒヤヒヤしたぞ」
早速ずっと言いたかったことを俺は言ってやる。
その男つまりリュンヒンであるが、彼も自覚はあったようだ。
「だって! かしこまった言い方をしたって年寄りには響かないだろう?」
「だとしてもだ。わざと怒りを買うことは無いだろうが」
リュンヒンはちっとも反省の色を見せておらず、俺の少し前をスタスタと歩いて行く。
それを追いかける形で丘を下っていると、後ろから「おーい」と声がした。
「バル君! リュンヒンさん!」
振り返って見るとキースである。
下り坂を注意しながら走ってきて、俺達の前に止まった。
「お前生きてたのか」
「は、はい。なんとか……」
少し苦しそうにキースは言う。
本当に命からがら逃げて来たんだろうかと俺は心配をした。
「そうだバル君! ニューリアンに来ていたと聞きましたよ。うちがこんな状況じゃなかったら一目挨拶に行きたかったんですけど。すみません……」
「状況はシャーロットから聞いていた。気にするな」
「ええ!? シャ、シャーロット様が僕のことを!?」
俺は少し考え、それとは若干違うような気がしたがキースの勢いに負けて頷いておいた。
「そ、それで……シャーロット様はお元気でしたか? 他には僕のことはなんて? あっ、立ち話もあれですし、よかったら三人で夕食でもどうです? お二人と色々話したいです僕!」
俺は素直に良いなと思って返事をした。
その間リュンヒンは少しむずかしい顔をしたままうつむいている。
せっかく後輩が誘ってくれているのに何やら神妙な顔をしてまるで空気が読めていない。
「……あっ。リュンヒンさんはこのあとご予定が?」
「こいつに気なんか使わんで良い。どうせ大した用事でもないだろう。なあ、リュンヒン」
俺はリュンヒンの背中を強めに叩いた。
それでいつもの顔に戻ったリュンヒンが、キースの誘いを受けた返事を返していた。
涼しい風に吹かれる小道を男三人で歩くには少々狭い。
身を寄せ合いながら、何を食べようかなどと雑談交えで歩いていると、急に先頭のキースが立ち止まった。
俺は危うくつんのめって転びそうになる。
「リュンヒンさん。あそこ、テダムさんではありませんか? ほらあそこ」
そうキースが言うので俺も見える位置に顔を出した。
確かに指をさす場所に人が立っているのが見える。シルエットはリュンヒンを少し丸めたような感じだ。
「背格好や立ち姿はテダムに見えなくもないが、果たして本人か?」
そのまま見ていたら、あちらもこっちを見ているらしい。片手を振ってきた。
テダムらしきあの人物はリュンヒンに手を振り返しているのかと思ったがそうでもない。
弟ならあれが兄か兄じゃないかの見分けぐらいすぐ付くだろうと思うのだが、リュンヒンはただぼーっとしている。
「お前に用事だろう?」
「いや、君だ」
俺がリュンヒンに言うと、違うと返された。
「お、俺に?」
よく分からんが、とりあえずこの小道の先へ降りていくことにする。
「会議は上手く行ったかい?」
「まあ、そうだね……」
敷地の入口に着くなりリュンヒンとテダムの兄弟話が繰り出されている。
別に普段からよく喋るような兄弟では無かったが、この時は何だかぎこちないやり取りに聞こえた。
「お前ら喧嘩でもしたのか?」
「……」
急にどっちもが黙るからそういうことらしい。
するとテダムは俺の方に向き告げる。
「バル殿。悪いけどちょっと時間を下さい」
「ああ。別に良いが」
リュンヒンの言った通り、テダムの用事は俺にであった。
その隙にリュンヒンがキースを連れて行く。「また後で」とキースは最後まで手を振ってくれていた。
ふたりきりになったこの場には、何か悪いことを知らせるような風が急に吹き荒れてきた。
しばらく合わないうちに少し伸びたテダムの前髪が、その風に煽られて揺れている。
兄弟でよく似た顔で俺のことを見つめていて、何か神妙で難しい表情もそっくりだ。
「場所はここで良いのか?」
「うん。少し相談しようかと」
俺はあまり良い相談では無いような気配がしている。
それを匂わせるみたいに上空では風がビュウビュウ音を立てていた。
「率直に。エセルさんを私に譲って欲しい」
「えっ」
「エセルさんだ。今ネザリアに訪れている彼女を、僕の傍に置きたいと考えている」
衝撃的なことを二度も言われた。
一応確認のつもりで俺は問いかける。
「傍に置きたいというのは、籍を入れるという意味で間違いないか?」
「今はそう考えている。けど君の意思を聞かなくてはならないと思って」
「当たり前だ」
俺がピシャリと言ってもテダムは怯まず姿勢を崩しはしない。
じっと俺から目を離さず、口元は閉じられ力が入っている。
「ちゃんと俺が納得できる理由があるのだろうな?」
俺から少し睨むと、沈黙していたテダムがふうと力を抜いた。
「……やっぱり怒るか」
するとテダムはそのまま傍の芝生の上に尻を乗せてくつろぎだした。
靴を脱いできちんと揃えたら、両足をほおり投げて悠長に夕日を見上げている。
深呼吸をして息を整えたかと思うと、次には背中から寝っ転がり目を閉じて寝ようとした。
「おい! だから理由は何なんだ!」
テダムがぱちりと目を開ける。
「あ、ああ。理由ね。理由かぁ……」
ふわぁと大きなあくびをしながら寝言のようにむにゃむにゃと言う。
おかげでこちらも戦意喪失だ。俺もテダムの横に腰を下ろして聞くことにした。ネザリア統治でテダムがかなり大変な目にあっているのは俺のせいだからな。
「ちゃんと寝ているのか?」
「うん。ぐっすりとね」
「……そんな腫れた瞼で言われてもな」
実際、油断すればテダムは今すぐにでも寝ていきそうであった。
「ネザリア統治でてんやわんやなんだろう? すまんな、何もかもを任せきりにして」
「いや、いいよ。弟のフォローなだけだから」
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