77 / 172
Ⅱ.籠れぬ冬
日向の中に佇むあの日
しおりを挟む
軋む廊下を歩きながら俺は昔のことを思い出していた。
カイセイが何やら気にして言って来てはいたものの、それも全部右から左へ聞き流しており、とにかく胸がザワザワする出どころを追っていたのだ。
「お母様のところへ行って差し上げなさいな」
それが脳で何度も言う。昔シャーロットに言われた言葉だった。
あの日は恐ろしくよく晴れた夏日であった。
父上の、閉じることもできない硬化した黒い瞳にも、あの夏の日差しは届かん。それが死んだということなのだと感じるには突然の知らせ過ぎて戸惑った。
物が作る影さえ怖くなり、俺はずっと日向の中にひとりで居たのを思い出す……。
気に入った中庭に居るのも、よく利用する椅子に座るのも、全てこの日の思い出になってしまいそうで、俺はなんでもない場所の芝生の上にずっと佇んで居た。
当時婚約者のシャーロットは今以上にズバズバと言葉を吐くから苦手で、いつも逃げるようにしていたと思う。けれどもその時だけは何処へも行きたくない気分であった。
俺は傍にシャーロットが立っていても、日向の中から動こうとしなかった。
「あなたがしょんぼりとしてどうするの。一番辛いのはお母様なのよ」
「母上には兄上がついている。俺はいい……」
シャーロットは肩を落とすだけで珍しく何も言ってこなかった。
俺はこの日より前に、戦争から帰ってきた死体の父上を目の当たりにしている。傷心中の身であったから気を使ってくれていたのだろう。
しかしそこへ駆けてきた兵士が仕切りに俺の名を呼んでいる。続いては奈落へも突き落とされるかのような悲報が告げられた。
「王妃様が今、お倒れに!」
突然胸を撃たれたかのような衝撃を覚えている。なにせこの一週間ほど前に、母上の特病は医者によれば治りつつあると、兄上から聞いたばかりだったからだ。
人はあまりにでかい衝撃を受けると時が止まったようになるようだ。
先に発たれた片方は後を追うようにして弱まっていくと聞いたことがあり、そんな嫌な話を突然思い出して急激に頭の中を駆け巡った。
「お母様のところへ行くのよ」
シャーロットの言葉でハッと我に返る。
「いや、お前が行ってやってくれ」
「もう馬鹿を言わないで。じゃあ一緒に行きましょう」
シャーロットは俺の手を引いたが、俺はそこで振りほどいてしまった。
「母上のことは任せる」
俺は何も考えぬまま、日陰を避けてどこかへふらふら歩きだしている。
「ちょっと、どこに行くのよ」
「さあな。そのうち戻ると思う」
「このままお母様が亡くなってしまったらどうするの!」
その言葉に足が止まり、息も苦しくなった。
「あなたはそうやって見ないふりをしているけど、本当は恐れているだけなんでしょう。ちゃんとお母様と向き合いなさいよ。逃げているだけでは何も変わらないわ」
「なら変わらなくていい」
「お黙り!!」
シャーロットの一声は城中にも響き渡った。石をも切るような声に何事かと城内の者がざわざわしだす。
「……変わらなくていいと言った? じゃあお母様はこのままご病気を重くされて弱っていっても良いと言うのね。今日辛い思いをひとりで背負わせて、それで良いと言うのね。お兄様だってお医者様を呼んで必死に尽くしているのに、あなたは無関係だって言うの。何より……亡くなったお父様のことだって」
「黙れ! 別の国のお前には関係の無い話だろう!」
「関係あるわ! 私はあなたの婚約者なの。だから言うのよ!」
俺もシャーロットも滅多なことでは本気で声を荒げたりなどはしない。集まった野次馬兵士のことも見えずに互いに思うことを言い合った。
今思えば、あれはシャーロットが口にする事実に、俺が必死になって反論していただけだ。
メアネル家御殿。用意された部屋にて、今晩はなかなか眠れずに寝返りばかりをうっている。
ガラス窓からは見事な星空が見えているが、窓辺で感傷に浸りたい気分でも無い。
「大丈夫ですか?」
隣のベッドから声がかかる。
「すまん。起こしてしまったか」
「いえ、私も寝付きが悪くて」
カイセイの声を背中に聞きながら、俺は少しだけ話をする。
「俺の方は昔のことを思い出していた。父上が生きていれば俺は叩かれずに済んだだろうか……とかな」
カイセイはフフと短く鼻で笑っていた。
「それは危険ですよ。あの方が今日のことを見ていたら明日は戦になりかねません」
血気盛んな父親だからな。俺はまったくその通りだと思って同じ様に鼻で笑った。
「父上の白黒付けたがる性格は、兄上も俺も全く引き継がなかった」
「そうかもしれませんね。でもお二人ともチェスだけは勝ち負けの数にこだわっていませんでしたか? 表みたいなものを作っていたではありませんか」
「またお前は懐かしいことを覚えているな……」
「エーデン殿が最強という噂を聞き、バル様が弟子にして欲しいと頭を下げに行かれたのですよ」
凄まじい勢いで思い出が蘇ってくる。
そういえばその事がエーデンとの出会いであり、俺が館の方へよく足を運ぶようになるきっかけであったな。
思い出していたらエーデンと一興やりたくなってきた。
いやでも城にはロマナがいるからエーデンは不在か。どういう因縁があるのか知らんが、エーデンはどうやったってロマナと顔を合わせたがらない。
「バル様。シャーロット様のことですが」
「ん?」
「あの方は、勢いでバル様にあのような発言や行為をしたわけでは無いと思いますよ。シャーロット様はきっとバル様のことを思って」
「ああ。言われなくても分かっている。なにせあいつとは長い付き合いだ。シャーロットに言われたことは真実であるし受け入れる」
するとカイセイは小さく安堵のため息を吐いた。どうやらカイセイにも気を負わせてしまったようだ。これは悪いことをしてしまった。
沈黙の間ができると、背中の方からわずかにあくびの息の音が聞こえてきた。それにつられて俺もようやくあくびが出始める。もしかしたら眠くなってきたのかもしれない。
「でもだな……」
俺は毛布とシーツを首の辺りまで引っ張り上げ、体の位置ももぞもぞ動いて調整した。
「俺としてはもう少しだけ時間をかけて分かりたい話だった」
これもまた、シャーロットには時間をかけ過ぎていると咎められそうな発言だと思う。
それこそ先に王妃の身に何かあったら、俺や兄上や国民はどうなってしまうのだろう……考えなくはない。
カイセイが何やら気にして言って来てはいたものの、それも全部右から左へ聞き流しており、とにかく胸がザワザワする出どころを追っていたのだ。
「お母様のところへ行って差し上げなさいな」
それが脳で何度も言う。昔シャーロットに言われた言葉だった。
あの日は恐ろしくよく晴れた夏日であった。
父上の、閉じることもできない硬化した黒い瞳にも、あの夏の日差しは届かん。それが死んだということなのだと感じるには突然の知らせ過ぎて戸惑った。
物が作る影さえ怖くなり、俺はずっと日向の中にひとりで居たのを思い出す……。
気に入った中庭に居るのも、よく利用する椅子に座るのも、全てこの日の思い出になってしまいそうで、俺はなんでもない場所の芝生の上にずっと佇んで居た。
当時婚約者のシャーロットは今以上にズバズバと言葉を吐くから苦手で、いつも逃げるようにしていたと思う。けれどもその時だけは何処へも行きたくない気分であった。
俺は傍にシャーロットが立っていても、日向の中から動こうとしなかった。
「あなたがしょんぼりとしてどうするの。一番辛いのはお母様なのよ」
「母上には兄上がついている。俺はいい……」
シャーロットは肩を落とすだけで珍しく何も言ってこなかった。
俺はこの日より前に、戦争から帰ってきた死体の父上を目の当たりにしている。傷心中の身であったから気を使ってくれていたのだろう。
しかしそこへ駆けてきた兵士が仕切りに俺の名を呼んでいる。続いては奈落へも突き落とされるかのような悲報が告げられた。
「王妃様が今、お倒れに!」
突然胸を撃たれたかのような衝撃を覚えている。なにせこの一週間ほど前に、母上の特病は医者によれば治りつつあると、兄上から聞いたばかりだったからだ。
人はあまりにでかい衝撃を受けると時が止まったようになるようだ。
先に発たれた片方は後を追うようにして弱まっていくと聞いたことがあり、そんな嫌な話を突然思い出して急激に頭の中を駆け巡った。
「お母様のところへ行くのよ」
シャーロットの言葉でハッと我に返る。
「いや、お前が行ってやってくれ」
「もう馬鹿を言わないで。じゃあ一緒に行きましょう」
シャーロットは俺の手を引いたが、俺はそこで振りほどいてしまった。
「母上のことは任せる」
俺は何も考えぬまま、日陰を避けてどこかへふらふら歩きだしている。
「ちょっと、どこに行くのよ」
「さあな。そのうち戻ると思う」
「このままお母様が亡くなってしまったらどうするの!」
その言葉に足が止まり、息も苦しくなった。
「あなたはそうやって見ないふりをしているけど、本当は恐れているだけなんでしょう。ちゃんとお母様と向き合いなさいよ。逃げているだけでは何も変わらないわ」
「なら変わらなくていい」
「お黙り!!」
シャーロットの一声は城中にも響き渡った。石をも切るような声に何事かと城内の者がざわざわしだす。
「……変わらなくていいと言った? じゃあお母様はこのままご病気を重くされて弱っていっても良いと言うのね。今日辛い思いをひとりで背負わせて、それで良いと言うのね。お兄様だってお医者様を呼んで必死に尽くしているのに、あなたは無関係だって言うの。何より……亡くなったお父様のことだって」
「黙れ! 別の国のお前には関係の無い話だろう!」
「関係あるわ! 私はあなたの婚約者なの。だから言うのよ!」
俺もシャーロットも滅多なことでは本気で声を荒げたりなどはしない。集まった野次馬兵士のことも見えずに互いに思うことを言い合った。
今思えば、あれはシャーロットが口にする事実に、俺が必死になって反論していただけだ。
メアネル家御殿。用意された部屋にて、今晩はなかなか眠れずに寝返りばかりをうっている。
ガラス窓からは見事な星空が見えているが、窓辺で感傷に浸りたい気分でも無い。
「大丈夫ですか?」
隣のベッドから声がかかる。
「すまん。起こしてしまったか」
「いえ、私も寝付きが悪くて」
カイセイの声を背中に聞きながら、俺は少しだけ話をする。
「俺の方は昔のことを思い出していた。父上が生きていれば俺は叩かれずに済んだだろうか……とかな」
カイセイはフフと短く鼻で笑っていた。
「それは危険ですよ。あの方が今日のことを見ていたら明日は戦になりかねません」
血気盛んな父親だからな。俺はまったくその通りだと思って同じ様に鼻で笑った。
「父上の白黒付けたがる性格は、兄上も俺も全く引き継がなかった」
「そうかもしれませんね。でもお二人ともチェスだけは勝ち負けの数にこだわっていませんでしたか? 表みたいなものを作っていたではありませんか」
「またお前は懐かしいことを覚えているな……」
「エーデン殿が最強という噂を聞き、バル様が弟子にして欲しいと頭を下げに行かれたのですよ」
凄まじい勢いで思い出が蘇ってくる。
そういえばその事がエーデンとの出会いであり、俺が館の方へよく足を運ぶようになるきっかけであったな。
思い出していたらエーデンと一興やりたくなってきた。
いやでも城にはロマナがいるからエーデンは不在か。どういう因縁があるのか知らんが、エーデンはどうやったってロマナと顔を合わせたがらない。
「バル様。シャーロット様のことですが」
「ん?」
「あの方は、勢いでバル様にあのような発言や行為をしたわけでは無いと思いますよ。シャーロット様はきっとバル様のことを思って」
「ああ。言われなくても分かっている。なにせあいつとは長い付き合いだ。シャーロットに言われたことは真実であるし受け入れる」
するとカイセイは小さく安堵のため息を吐いた。どうやらカイセイにも気を負わせてしまったようだ。これは悪いことをしてしまった。
沈黙の間ができると、背中の方からわずかにあくびの息の音が聞こえてきた。それにつられて俺もようやくあくびが出始める。もしかしたら眠くなってきたのかもしれない。
「でもだな……」
俺は毛布とシーツを首の辺りまで引っ張り上げ、体の位置ももぞもぞ動いて調整した。
「俺としてはもう少しだけ時間をかけて分かりたい話だった」
これもまた、シャーロットには時間をかけ過ぎていると咎められそうな発言だと思う。
それこそ先に王妃の身に何かあったら、俺や兄上や国民はどうなってしまうのだろう……考えなくはない。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる