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Ⅰ.最後の宴
元婚約者
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さあアルバートの今後をどうしようか。俺は腕を組み考えた。傍ではアルバートが膝を抱えて座り込んでおり、長さを揃えた手間のかけてあるこの芝生を指で引きちぎっている。
「アルバート。お前の剣は滅茶苦茶だ。それがネザリアのやり方なのか? それでは一端の兵士にも及ばんぞ」
「……」
ぶちぶちという音だけが聞こえている。
「まあしかし、お前のエセルにかける情熱だけは大したものだ。どうだお前、エセルのボディーガードでもやってみないか?」
そう言うとアルバートは顔を上げた。へんてこな表情で口をぽかんと開けていた。
俺はアルバートの横にしゃがみ込んでこう伝える。
「この国はな、お前の国より規模が小さいのだ。国民全体を自給自足で回している。分かるか? お前が一日に食った三人分の食事はサービスじゃない。金で払えんなら働いてもらうしかあるまい」
ぼーっとしている額を指で突くと、アルバートはゆらゆら揺れた。
「それともネザリア王につき出そうか。勝手に行動してたらふく飯を食ってきたと聞いたら、お前は一体どうなってしまうんだろうな?」
「や、やるとも! というか、あんたに言われなくたって、僕はもともとエセル様を守るために居るからな!」
訓練所から掃除係に格下げされていたくせに、何を堂々とうそぶいているのか。とにかく威勢だけは受け止めておき、アルバートをエセルの傍に付かせることに決めた。
「エセル様は僕が命を掛けてお守りします!」
晴れて釈放となり役割まで貰ったアルバートは、これからますます調子に乗っていくのだろうと思う。そして俺はいつかこの日を後悔する時が来るんだろうなと、何故かこの瞬間そんな気持ちに駆られていた。
* * *
俺とカイセイが働く書斎には、だいたい一時間ごとに抱えるくらいの紙が運ばれてくる。大きな事件から些細な申告まで、この国で起こった全てのことが逐一記載された書類だ。俺やカイセイは分担しつつ、それらの書類全てに目を通すのが仕事なのである。
必要があれば可否の判を押している。一枚一枚しっかり見ないといけないのではあるが、さすがに人間の集中力には限界があるもので、俺はそろそろ瞼が重くなってきていた。
「ふわあ……」
さっきから欠伸も何連続と出てくる。
外は曇天であり知らぬ間に雨も降り始めているようだ。今季初めて暖炉に火を付けていると部屋の中はじんわり温められ、ますます俺を眠りの世界へ誘ってくれた。
俺はあやうく机に額を衝突しかけて顔を上げる。きっかけは扉の開く音で、目の前にはカイセイの姿があった。
いつもは真っ直ぐ背を伸ばしているカイセイであるが、この時は背中を丸めてトボトボ歩いて自分の席についていた。一応気になって声をかけてみる。
「やけに元気が無いのではないか。風邪か?」
「いいえ違いますよ。あの男のせいです」
「あの男?」
「ネザリアの掃除係の男ですよ」
嫌々に言い捨てた。何だかよっぽど酷いことがあったらしい。雨に打たれたのか頭も肩も水気が付いていて、真四角に畳まれたハンカチを取り出し熱心に拭き取っている。
「まったく。あのしつこさは異常だ……」
いつでも冷静で堅実な実によく出来た俺の側近は、上着の袖をハンガーに通しながら珍しく愚痴のようなものを呟いていた。
何があったか知らんが詮索してこちらにも危害が飛ぶと厄介であるから俺は黙り込んだ。途中であった紙の続きに目を通し判を押している。
すると室内に雷鳴が鳴り響いた。打ち付けるような激しい雨音も追いかけてくるように聞こえてきた。別に俺は割れるような雷鳴にビビるようなことはなく、仕事の手を止めなかった。しかし荒れる天気と共に、俺の書斎机に更に追い打ちをかけるものが置かれた時は別である。
「俺宛か?」
「もちろんです」
背筋を伸ばしたカイセイがそこに立っており、静かに渡してきたのは可憐な便箋であった。これは見覚えがあるどころか、もう目にする機会は無いと思っていたくらいである。
「シャーロット様よりバル様へ」
「……その名はもう聞かずに済むと思っていたのに」
若干嫌な記憶が過るが、恐る恐るそれに手を付けた。香水でもふりかけてあるのか甘ったるい匂いが手にも移る。達筆な文章を下まで読み終わると俺はホッと胸を撫で下ろした。
「いかがでしたか?」
「シャーロットが俺の結婚を祝いたいと言っている」
そう言うとカイセイも安堵の溜息を吐いた。
二人して安心したのは、北西部に位置する友好国の姫メアネル・シャーロットが俺の元婚約者であるからだ。婚約破棄になって以降、今回初めて届いた手紙であった。
「至って平和な文章だった」
「そうですか。それは何よりです。ああ、よかった」
シャーロットはあまり裏表の無い性格であるから、この文章はそのまま受け取っても良さそうだ。皇族関係の男女問題はたまに事件に発展する場合があるなど、物騒なことを耳にするから余計に身構えていた。
彼女が伝えた内容は、祝いを届けたいから城に来たいというものだった。カイセイに話すと日程を調整してくれると言う。しかし少々困った問題もあった。それをカイセイが遠慮がちに細々と告げてくる。
「一応ですが、シャーロット様が来ることをエセル様にもお伝えしたほうがよろしいのではないでしょうか? バル様とのご関係も話しておくべきかと思います」
「ああ、その必要はあるな。では俺から話しておく」
便箋は机の奥の方に仕舞った。
雷雨はなおも激しく窓に打ち付けていた。風も荒々しく音を立てて葉や枝どころか民家の屋根まで吹き上げられている。そんな嵐の様子を窓越しに見守っていた。酷い荒れようだなあと、他人事で薄ら笑いながらである。
「アルバート。お前の剣は滅茶苦茶だ。それがネザリアのやり方なのか? それでは一端の兵士にも及ばんぞ」
「……」
ぶちぶちという音だけが聞こえている。
「まあしかし、お前のエセルにかける情熱だけは大したものだ。どうだお前、エセルのボディーガードでもやってみないか?」
そう言うとアルバートは顔を上げた。へんてこな表情で口をぽかんと開けていた。
俺はアルバートの横にしゃがみ込んでこう伝える。
「この国はな、お前の国より規模が小さいのだ。国民全体を自給自足で回している。分かるか? お前が一日に食った三人分の食事はサービスじゃない。金で払えんなら働いてもらうしかあるまい」
ぼーっとしている額を指で突くと、アルバートはゆらゆら揺れた。
「それともネザリア王につき出そうか。勝手に行動してたらふく飯を食ってきたと聞いたら、お前は一体どうなってしまうんだろうな?」
「や、やるとも! というか、あんたに言われなくたって、僕はもともとエセル様を守るために居るからな!」
訓練所から掃除係に格下げされていたくせに、何を堂々とうそぶいているのか。とにかく威勢だけは受け止めておき、アルバートをエセルの傍に付かせることに決めた。
「エセル様は僕が命を掛けてお守りします!」
晴れて釈放となり役割まで貰ったアルバートは、これからますます調子に乗っていくのだろうと思う。そして俺はいつかこの日を後悔する時が来るんだろうなと、何故かこの瞬間そんな気持ちに駆られていた。
* * *
俺とカイセイが働く書斎には、だいたい一時間ごとに抱えるくらいの紙が運ばれてくる。大きな事件から些細な申告まで、この国で起こった全てのことが逐一記載された書類だ。俺やカイセイは分担しつつ、それらの書類全てに目を通すのが仕事なのである。
必要があれば可否の判を押している。一枚一枚しっかり見ないといけないのではあるが、さすがに人間の集中力には限界があるもので、俺はそろそろ瞼が重くなってきていた。
「ふわあ……」
さっきから欠伸も何連続と出てくる。
外は曇天であり知らぬ間に雨も降り始めているようだ。今季初めて暖炉に火を付けていると部屋の中はじんわり温められ、ますます俺を眠りの世界へ誘ってくれた。
俺はあやうく机に額を衝突しかけて顔を上げる。きっかけは扉の開く音で、目の前にはカイセイの姿があった。
いつもは真っ直ぐ背を伸ばしているカイセイであるが、この時は背中を丸めてトボトボ歩いて自分の席についていた。一応気になって声をかけてみる。
「やけに元気が無いのではないか。風邪か?」
「いいえ違いますよ。あの男のせいです」
「あの男?」
「ネザリアの掃除係の男ですよ」
嫌々に言い捨てた。何だかよっぽど酷いことがあったらしい。雨に打たれたのか頭も肩も水気が付いていて、真四角に畳まれたハンカチを取り出し熱心に拭き取っている。
「まったく。あのしつこさは異常だ……」
いつでも冷静で堅実な実によく出来た俺の側近は、上着の袖をハンガーに通しながら珍しく愚痴のようなものを呟いていた。
何があったか知らんが詮索してこちらにも危害が飛ぶと厄介であるから俺は黙り込んだ。途中であった紙の続きに目を通し判を押している。
すると室内に雷鳴が鳴り響いた。打ち付けるような激しい雨音も追いかけてくるように聞こえてきた。別に俺は割れるような雷鳴にビビるようなことはなく、仕事の手を止めなかった。しかし荒れる天気と共に、俺の書斎机に更に追い打ちをかけるものが置かれた時は別である。
「俺宛か?」
「もちろんです」
背筋を伸ばしたカイセイがそこに立っており、静かに渡してきたのは可憐な便箋であった。これは見覚えがあるどころか、もう目にする機会は無いと思っていたくらいである。
「シャーロット様よりバル様へ」
「……その名はもう聞かずに済むと思っていたのに」
若干嫌な記憶が過るが、恐る恐るそれに手を付けた。香水でもふりかけてあるのか甘ったるい匂いが手にも移る。達筆な文章を下まで読み終わると俺はホッと胸を撫で下ろした。
「いかがでしたか?」
「シャーロットが俺の結婚を祝いたいと言っている」
そう言うとカイセイも安堵の溜息を吐いた。
二人して安心したのは、北西部に位置する友好国の姫メアネル・シャーロットが俺の元婚約者であるからだ。婚約破棄になって以降、今回初めて届いた手紙であった。
「至って平和な文章だった」
「そうですか。それは何よりです。ああ、よかった」
シャーロットはあまり裏表の無い性格であるから、この文章はそのまま受け取っても良さそうだ。皇族関係の男女問題はたまに事件に発展する場合があるなど、物騒なことを耳にするから余計に身構えていた。
彼女が伝えた内容は、祝いを届けたいから城に来たいというものだった。カイセイに話すと日程を調整してくれると言う。しかし少々困った問題もあった。それをカイセイが遠慮がちに細々と告げてくる。
「一応ですが、シャーロット様が来ることをエセル様にもお伝えしたほうがよろしいのではないでしょうか? バル様とのご関係も話しておくべきかと思います」
「ああ、その必要はあるな。では俺から話しておく」
便箋は机の奥の方に仕舞った。
雷雨はなおも激しく窓に打ち付けていた。風も荒々しく音を立てて葉や枝どころか民家の屋根まで吹き上げられている。そんな嵐の様子を窓越しに見守っていた。酷い荒れようだなあと、他人事で薄ら笑いながらである。
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