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Ⅰ.進む国/留まる国
対談‐叱られる‐
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大窓から眩しいほどの日差しが入り込んでいる。それによって部屋が温められるはずであるが、何故か俺の指先はいつまで経っても冷えていた。
統一されたアンティーク調の家具はオルバノ王の趣味である。そしてこの部屋に合わせた小ぶりのシャンデリアはイアリス妃のとっておきだ。一言ずつでもそれらの賛辞を送っておくべきだったと思ってももう遅い。対面した応接用の席でオルバノ王が難しく唸っていて、その向かいに座る俺は深く深く頭を下げているのである。
イアリス妃もこの場にいる。彼女は静かに見守っていた。やがてオルバノ王の唸りが溶け、低く重みのある声がした。
「……訳は分かったが連絡をくれないのは頂けないなあ。約束の時間を過ぎても来ないから、何かあったのかと心配するじゃないか」
「たいへん申し訳ございませんでした。私が動揺してしまい、皆に正当な指示を出すことが出来なかったためです」
俺はますます謝意を表した。
「うむ。上に立つ者、常に粛々とし、時に己の上にも立たねばならん。お前も私もただの人だ。人とは感情的に行動をする生き物である。だがしかし、我々は人の上に立ち導かなくてはならない身だ。時には自分の感情をも他人のように捉え、いつでも冷静を欠いてはならぬ。心しておくが良い」
「……はい。肝に命じて参ります」
代々一家で国の長い歴史を動かしてきた王の言葉だ。特段身に沁みた。
手厳しい当主ならここで話が終わりとなることもあるだろう。しかしオルバノ王はその後明るい声に変わる。
「もう良いよ、頭を上げなさい。君たちももう良い。こっちへ来て座りなさい」
部屋の端で控えるカイセイとエセルに向かっても、オルバノ王は優しく言った。頭を上げた俺が二人に小さく頷き、カイセイがエセルを連れて空いたところへ座った。イアリス妃が安堵のため息をつく。
「さあさ、お茶でも飲みましょう」
暗い雰囲気を打開するような明るい声でイアリス妃が言った。次いでイアリス妃はメイドを呼び寄せ、金縁の素敵なカップを全員に用意させた。
ふわりと湯気を立てながら注がれているのはメルチ特産の茶である。それを一口飲むと異様な味が広がった。これは美味いか不味いかも判断し難い謎の風味である。俺はその不快な飲み物をすぐに腹の中に収めた。
「お味はどうかな?」
試すような言い方でオルバノ王がエセルに聞いていた。俺も個人的にエセルがどのように答えるか興味があり耳を済ませた。なにせこの時点で国交はもう始まっている。
エセルは聞かれてもう一度口に含む。静かに飲み込むと少し眉に皺を寄せた。
「初めて飲んだ味です。何でしょう……燻したような風味がありますね」
美味いとも不味いとも言わなかったエセルの反応に、オルバノ王がどう答えるかと思っていたが、オルバノ王は突如大いに笑い出すのであった。
俺とカイセイはヒヤヒヤした思いで見守っている。あの肥やした髭から口内が見えるのはなかなか無いことだ。これはどっちの意味なのか早く答えが欲しい。
オルバノ王はイアリス妃が止めるまで笑い続けた。それで今度は指をエセルの目の前に突き立てて言う。
「よく分かったね。ちょっぴり正解だ。これはシェード家秘伝の茶葉でな、国外の人間には口に合わないように出来ているんだよ。いやぁ驚いた。じっくり味わってくれるなんて大したお嬢さんだ」
もう一度笑い出すオルバノ王の前で、俺とカイセイは同時に肩を下ろしていた。その様子をイアリス妃に見られていたらしい。口元に手を当てながら優しい微笑みを向けていた。
「……まあ大概の人間は美味いと言うがね。君の場合は特殊かな」
オルバノ夫妻はエセルのことを気に入ったようだ。彼女に対してベタ褒めであったが、しかし最後には”特殊”という言葉で締めくくられる。暗黙の了解というものがそこに存在していた。
話題は我々が経験した事件に関するものになる。
「時にネザリアは酷いことをするもんだ」
「まったくよね。こんな可愛いエセルさんを狙うなんて卑怯よ」
オルバノ夫妻はまるで当事者のように腹を立ててくれている。二人が本当に心の優しい方でよかった。俺は控えめに感謝を述べた。
ちなみにここでもエセルの出身は別の国だということにしてある。だから二人は堂々とネザリアのことを酷評することができるのだ。それにエセル自身もネザリアを憎んでいるから、俺はそこに関して特に気に留めてはいない。
「バル君、何か気に障ることでもしたのかい?」
オルバノ王が俺に尋ねて来たが、俺が答えるよりも先にイアリス妃が否定した。
「嫌だ、違うでしょ? バル君がそんなことするはず無いじゃない。きっとエセルさんが欲しくて手を出してきたのよ」
「ええ?! だってエセル君はもう婚姻を結んでいるんだよ?」
「もう、あなたって本当に鈍感なんだから。だって相手はカイリュよ? 力尽くで手に入れるに決まってるじゃないの」
軽く口論になっていく二人を見守りながら、ふと母上が言っていたカイリュの奇行の数々を思い出してしまった。ネザリア国王カイリュという男は、自身に反対するものを殺した上に城壁に吊り上げ野鳥に食わすのだそうだ。俺はなんて男を敵にしたのか今更嘆いても手遅れだ。その男こそがエセルの父親であるのだから。
気が散っているうちに、オルバノ夫妻の口論はいつのまにか全然違う論点で争われていた。カイセイと二人で止めながら、これでリュンヒンが困っているのだなと同情している。
「イアリス! 二十年以上も前のことをお前は!」
この言葉が決定打であった。
しかしさすが二十年も連れ添った絆を感じた。激しく燃え上がりそうな論争がぱったり終わると、次には二人同じ顔でニコニコしているのだ。そして何事もなかったかのように元の話題に戻るのである。
「そうだ! 今のネザリアを知っている?」
イアリス妃がいつもの明るめな声色で言う。”今の”というのが非常に気になった。
「”今の”ネザリアですか?」
「そうよ。あーんなに小さな国だったのに、今はすごい事になっちゃったでしょう?」
なっちゃったでしょう? と言われても詳細を知らない俺はぼんやりしていた。やっぱり知らないのね。とイアリス妃の表情が途端に暗くなる。オルバノ王も深刻そうになりまた腕を組み始めた。
統一されたアンティーク調の家具はオルバノ王の趣味である。そしてこの部屋に合わせた小ぶりのシャンデリアはイアリス妃のとっておきだ。一言ずつでもそれらの賛辞を送っておくべきだったと思ってももう遅い。対面した応接用の席でオルバノ王が難しく唸っていて、その向かいに座る俺は深く深く頭を下げているのである。
イアリス妃もこの場にいる。彼女は静かに見守っていた。やがてオルバノ王の唸りが溶け、低く重みのある声がした。
「……訳は分かったが連絡をくれないのは頂けないなあ。約束の時間を過ぎても来ないから、何かあったのかと心配するじゃないか」
「たいへん申し訳ございませんでした。私が動揺してしまい、皆に正当な指示を出すことが出来なかったためです」
俺はますます謝意を表した。
「うむ。上に立つ者、常に粛々とし、時に己の上にも立たねばならん。お前も私もただの人だ。人とは感情的に行動をする生き物である。だがしかし、我々は人の上に立ち導かなくてはならない身だ。時には自分の感情をも他人のように捉え、いつでも冷静を欠いてはならぬ。心しておくが良い」
「……はい。肝に命じて参ります」
代々一家で国の長い歴史を動かしてきた王の言葉だ。特段身に沁みた。
手厳しい当主ならここで話が終わりとなることもあるだろう。しかしオルバノ王はその後明るい声に変わる。
「もう良いよ、頭を上げなさい。君たちももう良い。こっちへ来て座りなさい」
部屋の端で控えるカイセイとエセルに向かっても、オルバノ王は優しく言った。頭を上げた俺が二人に小さく頷き、カイセイがエセルを連れて空いたところへ座った。イアリス妃が安堵のため息をつく。
「さあさ、お茶でも飲みましょう」
暗い雰囲気を打開するような明るい声でイアリス妃が言った。次いでイアリス妃はメイドを呼び寄せ、金縁の素敵なカップを全員に用意させた。
ふわりと湯気を立てながら注がれているのはメルチ特産の茶である。それを一口飲むと異様な味が広がった。これは美味いか不味いかも判断し難い謎の風味である。俺はその不快な飲み物をすぐに腹の中に収めた。
「お味はどうかな?」
試すような言い方でオルバノ王がエセルに聞いていた。俺も個人的にエセルがどのように答えるか興味があり耳を済ませた。なにせこの時点で国交はもう始まっている。
エセルは聞かれてもう一度口に含む。静かに飲み込むと少し眉に皺を寄せた。
「初めて飲んだ味です。何でしょう……燻したような風味がありますね」
美味いとも不味いとも言わなかったエセルの反応に、オルバノ王がどう答えるかと思っていたが、オルバノ王は突如大いに笑い出すのであった。
俺とカイセイはヒヤヒヤした思いで見守っている。あの肥やした髭から口内が見えるのはなかなか無いことだ。これはどっちの意味なのか早く答えが欲しい。
オルバノ王はイアリス妃が止めるまで笑い続けた。それで今度は指をエセルの目の前に突き立てて言う。
「よく分かったね。ちょっぴり正解だ。これはシェード家秘伝の茶葉でな、国外の人間には口に合わないように出来ているんだよ。いやぁ驚いた。じっくり味わってくれるなんて大したお嬢さんだ」
もう一度笑い出すオルバノ王の前で、俺とカイセイは同時に肩を下ろしていた。その様子をイアリス妃に見られていたらしい。口元に手を当てながら優しい微笑みを向けていた。
「……まあ大概の人間は美味いと言うがね。君の場合は特殊かな」
オルバノ夫妻はエセルのことを気に入ったようだ。彼女に対してベタ褒めであったが、しかし最後には”特殊”という言葉で締めくくられる。暗黙の了解というものがそこに存在していた。
話題は我々が経験した事件に関するものになる。
「時にネザリアは酷いことをするもんだ」
「まったくよね。こんな可愛いエセルさんを狙うなんて卑怯よ」
オルバノ夫妻はまるで当事者のように腹を立ててくれている。二人が本当に心の優しい方でよかった。俺は控えめに感謝を述べた。
ちなみにここでもエセルの出身は別の国だということにしてある。だから二人は堂々とネザリアのことを酷評することができるのだ。それにエセル自身もネザリアを憎んでいるから、俺はそこに関して特に気に留めてはいない。
「バル君、何か気に障ることでもしたのかい?」
オルバノ王が俺に尋ねて来たが、俺が答えるよりも先にイアリス妃が否定した。
「嫌だ、違うでしょ? バル君がそんなことするはず無いじゃない。きっとエセルさんが欲しくて手を出してきたのよ」
「ええ?! だってエセル君はもう婚姻を結んでいるんだよ?」
「もう、あなたって本当に鈍感なんだから。だって相手はカイリュよ? 力尽くで手に入れるに決まってるじゃないの」
軽く口論になっていく二人を見守りながら、ふと母上が言っていたカイリュの奇行の数々を思い出してしまった。ネザリア国王カイリュという男は、自身に反対するものを殺した上に城壁に吊り上げ野鳥に食わすのだそうだ。俺はなんて男を敵にしたのか今更嘆いても手遅れだ。その男こそがエセルの父親であるのだから。
気が散っているうちに、オルバノ夫妻の口論はいつのまにか全然違う論点で争われていた。カイセイと二人で止めながら、これでリュンヒンが困っているのだなと同情している。
「イアリス! 二十年以上も前のことをお前は!」
この言葉が決定打であった。
しかしさすが二十年も連れ添った絆を感じた。激しく燃え上がりそうな論争がぱったり終わると、次には二人同じ顔でニコニコしているのだ。そして何事もなかったかのように元の話題に戻るのである。
「そうだ! 今のネザリアを知っている?」
イアリス妃がいつもの明るめな声色で言う。”今の”というのが非常に気になった。
「”今の”ネザリアですか?」
「そうよ。あーんなに小さな国だったのに、今はすごい事になっちゃったでしょう?」
なっちゃったでしょう? と言われても詳細を知らない俺はぼんやりしていた。やっぱり知らないのね。とイアリス妃の表情が途端に暗くなる。オルバノ王も深刻そうになりまた腕を組み始めた。
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