15 / 172
Ⅰ.ネザリア・エセルの使命
馬鹿なことを
しおりを挟む
緊迫した空気は時が過ぎることで緩やかになっていき、城や町にはいつも通りの風が吹くようになった。皆は通常営業に戻り、俺も書斎で判を押す日々を送っている。時にぼーっと窓を眺めていると、頭の中で勝手にエセルのことを考え始めるので困ったものだ。エセルは命を取り留めたが、まだ眠ったままである。
それとエセルをかばって毒盛りの矢を受けた男であるが、怪我の穴が塞がるまで医務室に閉じ込めてある。それはもうピンピンと元気で三人分の食事を一度に食しているらしい。リトゥもまた、まだあの部屋に留めている。この二人の今後は今まだ保留中だ。特にリトゥのことは俺一人では決められないからな。
「メルチ訪問……あまり先延ばしには出来ませんね」
廊下で並んで歩いていた。隣でカイセイが口にした。
「ああ。出来るだけ早く行かねばとは思っている。それにエセルも連れて行った方が良いだろう。目覚めるまで待つしか無い」
「……そうですね」
侍女が頻繁に出入りする部屋に俺とカイセイで入った。ひとつベッドが置いてあり、静かに寝息を立てたエセルがいる。その健やかな寝顔を見下ろしていると、なんだか俺は安らかな気持ちになった。安心して眠っていておくれ。と、こんな状況でなければそっと頭を撫でていただろう。
エセルの長いまつげを観察するみたいに眺めていると、あろうことかエセルが目を覚ましたようだ。薄目が開き顔を少し動かしている。そのぼんやりした目で俺と目が合うと、か細い声を出した。
「……王子ですか」
「エセル、起きたのか」
瞬きするだけの薄い反応であった。まだ意識が虚ろなようだ。カイセイはエーデンに知らせると部屋を出ていった。事にバタバタしだす周囲の音に、だんだんエセルもはっきりと目を覚ましていく。
「王子、私生きてますか?」
「ああ、生きている。エーデンがすぐに治療をしてくれたからな。もう大丈夫だろう」
「そうですか。ありがとうございました。エーデンさんにもお礼を言わないと」
エセルは微笑んで言った。俺はそれを見てようやく安心できた。いつもの他人を真っ先に気遣うエセルが帰ってきたのだ。
「お前、もう四日間も寝ていたんだぞ」
「まあそんなに!」
それからエセルは「あっ」と思いつく。
「メルチ王国には行かれたんですか? 四日ということは出発されなかったのでしょうか?」
ようやく目を覚ましたかと思えば、焦ってそんなことを言い出してきた。それを止めるために、俺はエセルの額に手のひらを付けてやった。
「まずは何か食べろ。四日分食べるのだぞ、分かったな」
「はい」
エセルの額が熱く伝わってくる。きっとまだ熱があるのだ。
俺の手が冷たいらしくエセルは気持ちよさそうにしていた。そのままゆっくり目を閉じたから眠るのかと思いきや、また何か思い出して飛び起きだす。
「手紙は!」
「手紙? ……ああ」
俺もこの時に思い出し、懐に入れたままであった手紙を取り出した。女性の前であるからな、一段と気を使って丁重に糊を剥がしていると、エセルの刺さるような叫び声がすっ飛んできた。
「い、今読むんですか!?」
「なんだ、二人きりでも話せないようなことが書いてあるのか?」
カイセイが根回ししてくれたのだろう。さっきあんなにウロウロしていた侍女の姿が、ひとりも見えなくなっている。
「ダ、ダメです!」
「なんでだ俺宛だろう?」
エセルがそこに手を伸ばして取り上げようとしてくる。あまりにも動くのでこの病み上がりを少し叱ったら、大人しく諦めてくれたようであった。
「……」
さすがに黙読だ。内容はまあ俺に対する感謝文である。いままでお世話になりました。と別れを暗示するような文も時々見受けられた。
「俺のことをえらく褒めてくれるではないか」
「もう。感想とか言わないで下さい」
「この『決心がつきました』というのはどういう意味なんだ?」
「質問も禁止です。一切答えません!」
最後まで読み終わったので手紙は懐に仕舞った。再び視界に現れたエセルが、顔を真っ赤っ赤にしてプンプン怒っている。ちなみに何で怒っているのかは分からない。だがそれが、こんなに嬉しく感じるのはいったい何故なんだ。こういうのが愛おしいと言うのではないか。
……馬鹿なことを。
久しぶりに会ったからそんな風に思ってしまうだけだろう。喧嘩別れをしていても時を挟めばまた肩を組み合える。そういうものだろう人とは。そこに愛だの友情だの名前を付けたがるものなのだ。お前が一番分かっているはずだろう? ……頭の中で俺同士の会話がなされている。
「で、決心ってのは何だ? 俺を殺す決心か?」
気を取り直し改めて聞いた。だがエセルはすでに眠そうになっていた。薄目を開けたまま、ふわふわな口調で答えてくれる。
「違いますよお。私の決心は今も、父を打つことですう……」
あまりに弱々しい決心に俺は鼻で笑っていた。もう一度エセルの額に手を置くと、エセルはゆっくりと目を閉じる。そしてまたすぐに静かな寝息を立て始めた。
「そんなんじゃ難しいだろうな」
優しく言い、俺はエセルの寝顔におもむろに近付く。そしてエセルの唇にそっとキスをした。手のひらで感じ取る熱が、唇からも伝って届いてきた。
「早く元気になってほしい……」
「……はい」
目を閉じたままでエセルは小さく返事をした。
それとエセルをかばって毒盛りの矢を受けた男であるが、怪我の穴が塞がるまで医務室に閉じ込めてある。それはもうピンピンと元気で三人分の食事を一度に食しているらしい。リトゥもまた、まだあの部屋に留めている。この二人の今後は今まだ保留中だ。特にリトゥのことは俺一人では決められないからな。
「メルチ訪問……あまり先延ばしには出来ませんね」
廊下で並んで歩いていた。隣でカイセイが口にした。
「ああ。出来るだけ早く行かねばとは思っている。それにエセルも連れて行った方が良いだろう。目覚めるまで待つしか無い」
「……そうですね」
侍女が頻繁に出入りする部屋に俺とカイセイで入った。ひとつベッドが置いてあり、静かに寝息を立てたエセルがいる。その健やかな寝顔を見下ろしていると、なんだか俺は安らかな気持ちになった。安心して眠っていておくれ。と、こんな状況でなければそっと頭を撫でていただろう。
エセルの長いまつげを観察するみたいに眺めていると、あろうことかエセルが目を覚ましたようだ。薄目が開き顔を少し動かしている。そのぼんやりした目で俺と目が合うと、か細い声を出した。
「……王子ですか」
「エセル、起きたのか」
瞬きするだけの薄い反応であった。まだ意識が虚ろなようだ。カイセイはエーデンに知らせると部屋を出ていった。事にバタバタしだす周囲の音に、だんだんエセルもはっきりと目を覚ましていく。
「王子、私生きてますか?」
「ああ、生きている。エーデンがすぐに治療をしてくれたからな。もう大丈夫だろう」
「そうですか。ありがとうございました。エーデンさんにもお礼を言わないと」
エセルは微笑んで言った。俺はそれを見てようやく安心できた。いつもの他人を真っ先に気遣うエセルが帰ってきたのだ。
「お前、もう四日間も寝ていたんだぞ」
「まあそんなに!」
それからエセルは「あっ」と思いつく。
「メルチ王国には行かれたんですか? 四日ということは出発されなかったのでしょうか?」
ようやく目を覚ましたかと思えば、焦ってそんなことを言い出してきた。それを止めるために、俺はエセルの額に手のひらを付けてやった。
「まずは何か食べろ。四日分食べるのだぞ、分かったな」
「はい」
エセルの額が熱く伝わってくる。きっとまだ熱があるのだ。
俺の手が冷たいらしくエセルは気持ちよさそうにしていた。そのままゆっくり目を閉じたから眠るのかと思いきや、また何か思い出して飛び起きだす。
「手紙は!」
「手紙? ……ああ」
俺もこの時に思い出し、懐に入れたままであった手紙を取り出した。女性の前であるからな、一段と気を使って丁重に糊を剥がしていると、エセルの刺さるような叫び声がすっ飛んできた。
「い、今読むんですか!?」
「なんだ、二人きりでも話せないようなことが書いてあるのか?」
カイセイが根回ししてくれたのだろう。さっきあんなにウロウロしていた侍女の姿が、ひとりも見えなくなっている。
「ダ、ダメです!」
「なんでだ俺宛だろう?」
エセルがそこに手を伸ばして取り上げようとしてくる。あまりにも動くのでこの病み上がりを少し叱ったら、大人しく諦めてくれたようであった。
「……」
さすがに黙読だ。内容はまあ俺に対する感謝文である。いままでお世話になりました。と別れを暗示するような文も時々見受けられた。
「俺のことをえらく褒めてくれるではないか」
「もう。感想とか言わないで下さい」
「この『決心がつきました』というのはどういう意味なんだ?」
「質問も禁止です。一切答えません!」
最後まで読み終わったので手紙は懐に仕舞った。再び視界に現れたエセルが、顔を真っ赤っ赤にしてプンプン怒っている。ちなみに何で怒っているのかは分からない。だがそれが、こんなに嬉しく感じるのはいったい何故なんだ。こういうのが愛おしいと言うのではないか。
……馬鹿なことを。
久しぶりに会ったからそんな風に思ってしまうだけだろう。喧嘩別れをしていても時を挟めばまた肩を組み合える。そういうものだろう人とは。そこに愛だの友情だの名前を付けたがるものなのだ。お前が一番分かっているはずだろう? ……頭の中で俺同士の会話がなされている。
「で、決心ってのは何だ? 俺を殺す決心か?」
気を取り直し改めて聞いた。だがエセルはすでに眠そうになっていた。薄目を開けたまま、ふわふわな口調で答えてくれる。
「違いますよお。私の決心は今も、父を打つことですう……」
あまりに弱々しい決心に俺は鼻で笑っていた。もう一度エセルの額に手を置くと、エセルはゆっくりと目を閉じる。そしてまたすぐに静かな寝息を立て始めた。
「そんなんじゃ難しいだろうな」
優しく言い、俺はエセルの寝顔におもむろに近付く。そしてエセルの唇にそっとキスをした。手のひらで感じ取る熱が、唇からも伝って届いてきた。
「早く元気になってほしい……」
「……はい」
目を閉じたままでエセルは小さく返事をした。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる