クランクビスト‐終戦した隠居諸国王子が、軍事国家王の隠し子を娶る。愛と政治に奔走する物語です‐ 【長編・完結済み】

草壁なつ帆

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Ⅰ.ネザリア・エセルの使命

王の隠し子

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 城内の一番静かな部屋に王妃がいる。そこへ向かう廊下は他の廊下と同じ作りであるのに、何故か急に冷え込む感じがする。
 俺の気持ちがそうさせているのか、奥に進むにつれ空気が重くなるのか不明だ。しかしどうしてか引き返したい気持ちになる。
 その気持をぐっと堪えながら一歩一歩足を進め、俺は王妃の待つ部屋に向かった。
 扉近くで働く一人の侍女と出会う。
「王妃様がお待ちです。中へどうぞ」
 王妃に仕える侍女は、俺と会っても特別へりくだる様子を見せない。
 物静かに軽く目を伏せるだけで、後はすぐに自分の仕事に戻って行ってしまった。
 相変わらずだなと少し見送ってから一人で扉をノックする。中の声を待たずに扉を開けて、この身ごと王妃の部屋へ押し入った。

 すぐ目の前に現れた書斎机に王妃はいない。灯りも付けられておらず、天窓から差す光だけで明るさを保っている。
 俺はそこから射す光の中に立ち、この部屋をぼうっと眺めた。
 椅子の向きは真正面を向き、卓上のペンも等間隔に並んでいる。棚の本も欠けるところがない。よく掃除され塵ひとつ無い部屋だ。
 この一切の乱れなく完璧に整ったこの部屋は、まさに息をしていないように、ただただ静かであった。
 右手の部屋への扉が半開きになっている。そこを開けると、広いベッドの上で上体を起こしている母上がいた。彼女は俺にすぐ気付いて小さく手を振っている。
「ごめんなさいね。あなたが来るのが遅いから、もう休もうと思っていたところなのよ」
 傍の椅子に腰掛ける前にそんなことを言われる。ちょうど侍女が王妃の薬を持ってくるところであった。
 王妃は薬を置かせて「あとで飲むわ」と告げていた。
 なんとなく俺は王妃から逃げるように床板やら壁やらを見ている。

「それで? 事情はカイセイから聞いたけど、あなたはどうするつもりなの?」
 見舞いの挨拶もさせずに王妃は本題から入った。
「……事情がはっきりするまでは動き様が無いので、まずはメチルと領土問題解決を図るつもりです」
「あらそう。ネザリアは待ってくれるかしらね」
「さあ。しかし何とかします……」
 王妃の丸々とした目が見つめてくる。何かを見透かして王妃の肩から力が抜けた。
「つまり何も考えていないってことなのね」
 王妃は額に手を当てて首を振っている。やれやれ、という感じに。
「ネザリアの国王。ネザリア・カイリュは恐ろしい男なのよ。反乱者はみーんな火炙りにしてしまうんだから。それで城壁に吊るして野鳥に食べさせてね、民への見せしめにするの。あなたもそうなりたい?」
 いきなり背筋がゾッとする話だ。俺はプルプル首を振った。
「でしょ?」と王妃は頬を膨らませる。そして悲観的に続ける。
「あなたって本当に私の事が嫌いよね。何だか知らないけど意地なんか張ってないで、すぐここに来ればいいのに。素直にエセルさんのことを教えてーって言えばいいじゃない」
 怒るというよりも拗ねているようだった。息子の俺には拗ねた母との接し方が一番難儀である。
「……一応自分で決めた結婚でしたので」
「あら、可笑しなことを言うじゃないの。あなたにエセルさんを宛てがったのは私でしょ?」
「そうですが。私ももう子供ではありませんし……」
 強気な姿勢を崩さない王妃に、俺の方はたじたじであった。
「あらそう。でもあなた、その割に苦労してそうじゃない?」
 ぐうの音も出ん。

 俺がいつまでも黙っているから王妃は鼻を鳴らしていた。すると侍女を呼び寄せて、少し部屋を出るように命じていた。
 迅速に動く世話係の者だ。一声だけでパッタリ居なくなった。
「エセルさんの母親はね、一般市民なの」
 不意にそのようなことを口に出す。俺はハッとなり顔を上げた。
「……父親は?」
「父親はカイリュ国王。つまり彼女は隠し子ということよ」
 平然とした態度で告げられて俺は衝撃のあまり脳内が動転した。
 王妃は何故それを知っていて何故俺に話さないのかが疑問で、次第に王妃に対して静かな怒りに変わってきた。
 俺の力の入った拳に、氷のように冷たい手がそっと置かれる。
「今時珍しいことでもないのよ。みんな自分のことで手一杯な時代なんだから、誰だって間違うことはあるでしょう。だからカイリュにもエセルさんにも目くじらを立てないであげてね」
 王妃がやけに冷静である理由はそういうことであった。だがエセルのことが心配だ。
「それをエセルは知っているのですか」
「ええ、知っているわ。彼女ずっと知らずに生きていたけど、あなたとの結婚が決まる一年くらい前にね、お城に召されたの」
 町の高台で市民の暮らしを案じるエセルのことを思い出した。我が事のように考えられる良い子だと思っていたら、あろうことか当事者だと言うのか。
 すると母上が少し目を細めて微笑んだように見える。
 その向こうには窓に青々とした空が広がっている。最上階であるからか透き通った空しか映っておらず、雲もなく一色塗りつぶされたような景色では空が美しいかどうかも判断しようがなかった。
 風が吹いているのか止まっているかも分からないし、時間が進んでいるのか、もしかして後戻りしているのではないかとも思ってしまう。
 時間が後戻りしていれば、今この事情を知った俺は契約書を前にしエセルを突き放しただろうか。
 いったい俺はどうして結婚を決めたのか。
 長年拒否し続けてきたのに何故エセルなのだろうか。
 改めて考えてみると分からないでいた。
「母上は何故そのような身の方を俺の結婚相手にしたのですか」
 聞くと王妃は口をつぐみ、その真っ青な窓を見やった。表情を見せないで口だけ動かしている。
「ちょっとした仕返しよ」と「うんと苦労すればいいわ」が、ぶつぶつ聞こえた。子供じみた酷い動機であった。
 貴族は皆、自分の事だけを可愛がり他者のことを放棄する姿勢である。位が高くなるに連れてその傾向があって、周りの人間さえも自分の歪んだペースに巻き添えにしていくから恐ろしくてたまらない。
 俺はその姿勢が心底嫌いだった。だが、たぶん俺も知らずに巻き添えにされていたと思う。
「母上……」
「なによ。あなたが決めた結婚なんでしょう」
 顔を背いたままで静かに俺を突き放した。王妃もまた高貴な貴族のひとりなのである。
「……」
 会話が途切れていると、途端に母上の病状が浮き出て見えるようだ。白く痩せた肌に鎖骨が出たり隠れたりし、彼女が精一杯に息をしているのが痛々しく見えた。
 気丈に振る舞うのもまた儚さを感じざる負えない。言いはしないが薬の数も増えているようであった。
 ぼんやり薬の粒を数えていると、王妃がいつのまにかこちらに向き直っている。昔から変わらない丸々とした目で見られていた。
「引き受けたからには台無しにしないでね」
「はい。ちゃんとそのつもりですから安心して下さい」
 王妃は肩をすくめた。俺の安心は信用されていないようである。
 廊下に出ると外に出されていた侍女が何人か部屋に戻っていった。どうやら扉の前で話し終わるのをずっと待っていたようだ。
 軽く布で覆ってはいたが、侍女の手にはちょっとした医療器具のようなものも持っていた。きっと母上は薬を飲んで横になられる。
 あとどれくらい生きられるかなどは口にしたくない。


 時に俺は、エセルをエーデンのところに託したことを王妃に話し忘れたと足を止めた。少し振り返ったものの、もうだいぶ歩いて来てしまったからすぐに諦めることにした。
 気を取り直して仕事に戻ろうと行くと、廊下の角で人とぶつかりかけてしまう。
「……っと」
 絶妙なバランスで耐え、転ばずに済んだ。相手もまた同じであった。
 ぶつかりかけたのはリトゥであった。よりにもよって突然出会いたくないナンバーワン人物だ。
「よう。精が出るな」
 当然、目上を敬う挨拶のようなものもしてこない。まあこれはいつものことでもう慣れた。
「水を変えに行くならもっと近い水場があっただろう」
 俺はリトゥが手に持っていた銀の水差しを指摘した。
 ここはエセルの部屋から位置も遠いし階層も違う。いったいこんな所に何の用があるのかと不思議でいると、リトゥが相変わらずのきつい口調で答える。
「そちらの使いが置いていった水が臭くてたまりませんの。ぬる水を寄越してどういうつもりなのかしら。ちゃんと教育が行き届いてないのではなくて?」
 俺は苦笑で返していたが、リトゥが「どうなの?」と詰め寄ってきた。頬を掻きながら後ずさりをしている。
 ああそうだ。と、この場に関係なく思いつき、話題を変えようと思う。
「エセルに研究者の手伝いをさせることにした。きっとそっちに居ることが多くなると思うからよろしく」
「て、手伝い?!」
 声をひっくり返してるリトゥを置き去りにして、俺はひゅるり身を翻した。そこから駆け出して、さらばと方手を振っている。
 リトゥは追いかけて来ずその場で地団駄を踏んでいた。
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