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一刻を争う決断

少し出掛けましょう

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 リーデッヒの仲人でもさせられるのかと嫌な思いをしながら廊下を行く。それとも関係が拗れたから抹殺してくれとかって頼まれるんだろうか。どっちかなら、後の頼みの方が良いな……。
 軋む木床はやっぱり王室だとは思えない。豪華な花瓶じゃなくって、庭の花を切って飾ったものが廊下に並べてあるのも可哀想なくらいだ。
 ……まあ、そもそもセルジオに花を飾る習慣も無かったくらいだし。そこはまあまあ貴族っぽいか。
 エントランスと呼ぶに値しない。ただの館の出入り口に女王はいた。もうスラックスは履いてないみたいだ。女王の姿を見つけてから、そう思う。
「何です?」
 言葉をかけると女王は振り返る。ひたすらに外を眺めていたから、そこにリーデッヒが居るのかと思ったら居なかった。
「少し出掛けましょう」
「どこに」
「重要な場所にですわ」
 すると外に馬車がやってきた。しかし、ニューリアン王室御用達の、真っ赤な馬車とは違っていた。メアネル家紋を付けていない、ただの古い馬車だ。
 それに乗り込んだが。俺とテレシア女王の他に人は付けないらしかった。「危なくないですか」と言ったら「あなたがいるでしょう」と言われる。賛同はしなくても、俺は女王に守るように命じられていたことを久しぶりに思い出した。
 移動中はいつも通り無言で景色を眺めていられると思った。しかしこの時はやたらと女王が話しかけてくる。
「良い天気ね。今日は皆、仕事にも精が出そうだわ。そういえば社交界を開かなくてちゃね。あなたも出席する?」
「……」
「そうよね。だけど残念ながら『クロノス』への縁談の手紙も届いているのよ? この際、暗殺者なんて辞めてクロノスとして平凡な人生を送ってみたら?」
「……」
 無視を決め込んでいると、ふぅ、と女王の鼻の音が届いた。
「反抗期ね」
「……」
 前にも思ったが。調子の良さそうな女王と居ると、なんだか気持ちが害される。 
 馬車は裏道の適当な場所にて止まる。女王が自ら扉を開けて「降りるわ」と言うから手伝った。建物の隙間みたいな場所で本当に何もないが、人も誰も見当たらない。
「こっちよ」
 女王はノックもせずに知らない扉を開けて入る。そのうちに馬車は勝手に表通りへと帰っていく。
 お忍びで料理店にでも入ったのか。俺の勘が間違っていると言うように、建物に入った瞬間異臭が押し寄せた。女王も「ひどい匂いでしょう?」と言っていて、鼻を押さえながら古い階段を登っていく。
「何かの工場ですか?」
 鼻を抑えるまでもない俺が訊く。階段を登り終えると匂いはマシになり、女王が両手を自由にさせて答えた。
「ゴム紐を作っている工場よ」
「ゴム紐?」
 何もかもが意味不明だ。
 しかし。女王の目的がゴム紐を買いに来たのとは違うとすぐに分かる。
「テレシア!」
「ハンナ!」
 最上階の一室にて、見知らぬ夫人と会った。女王と夫人は出会うなり名前を呼び合って抱き合っている。かなり親しい人物だとは誰が見ても分かるだろ。
 女王にハンナと呼ばれた細身の夫人が俺を見つける。
「この人が、例の人ね」
 何て聞かされているのかは知らないが、俺のことは知っているみたいだ。
「ハンナ。今彼を紹介している時間はないわ」
「ええ、そうね。でも……テレシア。会えて本当に良かった。ずっとあなたのことを心配していたのよ」
 もう一度抱き合い、ハンナ夫人の方はそのうちに涙を流していた。
「……そうよね。時間が無いんだもんね。ぐずっ……。私のロッカールームはそっちよ。好きに使って。クロノス様のは既に選んであるから」
 そう言って俺と女王は離される。何をさせられるのかと思えば、用意した衣服に着替えろと言う。ハンナ夫人の夫のものだと聞かされた。
 言葉少なに伝えたらハンナ夫人は女王のところへ行ったんだろうか。俺は個室に残されていた。
 ただの町工場。上階を住居にして過ごしている一般人の家らしい。窓から外を眺めてみると、工場兼住居にした同じような建物が連なっている。
 大通りには教会の屋根があって、その向こうにメアネル家の古屋敷がありそうだが建物に隠れて見えない。しかし河辺の森のその奥に、セルジオの城壁の一部が見えた。
 こんな景色を見て過ごしながら、ニューリアンの市民は何を考えたりするんだろう……。
 トントントンとノックが鳴る。
「準備出来ましたか?」
 テレシア女王の声だった。俺はまだ何も衣服を着替えていない。


「ぷふっ」
 俺は思わず吹き出す。
「もう。何度も笑わないで」
 女王は顔を真っ赤にした。それがますますトマトのようで俺には可笑しい。
 ハンナ夫人の衣服に着替え、格好は市民になりすましている。これで表通りを堂々と歩いても何も思われない。トレードマークの黄金色の髪をしまってあると、ますます誰も女王とは気付かないようだ。
 しかしその隠し方が面白く。深緑色のスカーフで頭部をすっぽり覆う形に収まった。後ろ髪も前髪も全部スカーフの中に入れ込んであるもんだから、まるで乳児の真似でもしてるみたい。
「ぐふっ」
「もう!」
 恥ずかしくても外すことはしないらしく、代わりに早歩きで俺の前を歩いていく。
「迷子にならないでくださいねー」
「あ、あなたこそね!」
 ニューリアンの市街地に溢れるような人もいない。それに緑色のトマトは後ろから見ていてもすぐに分かるから助かる。
 俺は知らないうちにマリウスのパン屋二号店が出来ていたりしないだろうかと、探しながら女王の後ろに着いて行った。
 会話も無くして目的地には着いたようだ。次は何の工場だと構えていたら、そこはどうやら紙や本を扱っているらしい。
 看板はあったが、一般客向けの書店とは違うようで。建物内に入ってもカウンターは無いし、店主が出て来るということも無かった。
 並な植木と知らないオッサンの肖像画が飾ってある謎の場所だ。一応、清潔感と豪華さだけが微妙にある。
「まるで強盗犯ですね」
 隣の緑トマトに向かって言ったら、赤色トマトになってスカーフを掴み取った。
 腰まで長い黄金色の髪がふわっと現れるのは少し綺麗だったが……。
「これ以上の侮辱は許しませんよ。クロノス」
「……はい」
 ひどく反り返っている前髪のことは笑わないであげた方が良いんだろう。
「ところで良いんですか? こんなところで素性を出しても」
「良くはないけど仕方がないでしょう? からかわれるのが嫌なんだもの」
 ふん、と顔を背けてから、どこかの扉を開けて勝手に行く。俺はその後ろに続いた。
 外から見た感じだと小さめのビルだったが。隣の建物と連結しているのか、まっすぐ歩くだけでもかなり歩ける。
 それにしても長い通路だ。切れかかった電球で飾りも何もない。しかも右や左やと不規則に曲がられると俺は方向感覚を失わされる。
 最後はひとつの扉にぶち当たった。
 女王が開く。先の部屋から眩しい光が通路にまで伸びてきた。




(((毎週[月火]の2話更新
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