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聞いてないのか?

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「おーい」下校時間、穂乃花の後ろ姿を見つけて声をかける。なぜだか彼女は少し顔を赤くして微笑んだ。

「今日は遅刻してきたんだね。夜更かしでもしたの」彼女の機嫌がいつもに増して良い。

「いやー昨日の夜さぁ、変な夢を見ちゃって眠れなくなって結局テレビ見てたら寝るのが遅くなってさぁ」結局目が覚めたのは10時過ぎであった。母親になぜ起こしてくれなかったのかと抗議したが、何度も起こしたけれど起きなかったということであった。

 結局学校に投稿したのは昼休み前で、到着して早々に弁当を食べるという快挙に出た。
 その様子を見てさすがにクラスメイト達は唖然としていた。

「変な夢ってどんな夢なの?」正直、人の夢の話ほど退屈なものはない。空を飛んだだの、お化けが出ただのストーリー性もなくまとまりの無いものが多く、聞かされても共感する事は稀である。

「それがさぁ、満員電車の中で俺と穂乃花が一緒でさ。ぎゅうぎゅう詰めの中で俺がお前の事を庇おうとしたんだけど、そこで突然にお前が俺にキスしてくるって話。爆笑だろ!」俺は彼女が笑う事を期待していたが、彼女の顔は真っ赤になり今にも爆発しそうなくらい、ワナワナと震えていた。

「あれ?穂乃花さん……?」

「お前っていうな!それと……、このオタンコナスが!」彼女は俺の尻に強烈なタイキックを食らわせた。

「痛!!」俺は鞄を放り投げて蹴られた箇所を擦った。

「もう、知らない!」彼女はアカンベーをしてから笑った。

「な、なんなんだよ!」鞄を拾い上げると彼女の後ろを家来のように歩いていく。

「おう!穂乃花!」突然、彼女の名前が呼ばれる。それは綺麗な成人男性の声であった。

「あっ!お父さん」声の主は彼女の父親であり、俳優の渡辺直人であった。いかにも高そうな高級車の後部座席の窓を開けて顔を覗かせている。

「今日は撮影が早めに終わったからみんなで食事でもと……、お友達かい?」俺に気がついたようで着けていたサングラスを外す。やはり、一流芸能人はオーラが違うと感心する。

「こんにちは」俺は丁寧に頭を下げる。

「君は……、そうか、あのCMの時の男の子だね?」どこかで見ていたのだろうか、俺が白川純一の代役を努めた事を知っているようであった。

「ええ、成り行き上、そういうことになりました」俺は人差し指で頬をコリコリと掻いた。

「そうか、穂乃花と仲良くしてくれて有り難う。父親の渡辺直人といいます。宜しく」彼は紳士的に右手を差し出してきた。握手という慣習に不馴れであったが俺も右手を差し出して彼の手を握りした。

「俺、いや僕は渡辺光といいます。宜しくお願いします」俺は丁寧に自分の名前を告げた。

「渡辺光君?」俺の名前を聞いて彼は少し血相を変える。

「そうなの、彼も名字が渡辺なの。紛らわしいから下の名前で呼び合っているんだけど……、あっ、念のために言っておくけれど彼氏とかじゃないからね」なぜか穂乃花は慌てふためいている様子であった。

「あっ、いや、光君……失礼した、君のお母さんはもしかして、真由美さんと云うのでは……彼女は、その……お元気かい?」唐突に母親のことを聞かれて驚く。

「ええ、いたって……、もしかして、うちの母親の事をご存知なんですか?」今朝もピンピンしていた。

「そうか……、君はお母さんからは何も聞かされてもいないのか?」神妙な顔つきで彼は俺の手を強く握りしめた。

「い、痛い……」その力強い握手に俺の顔が歪む。

「お父さん……」穂乃花は父の様子がいつもと違う事に驚いていた。
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