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09-07 その生に呪いを
しおりを挟むその日から母は、ヘニルを無視するようになった。
しつこく世話を焼こうとすれば、暴力を振るわれる、そんな地獄の日々が始まった。それは最愛の人を失う要因となったヘニルに怒りと絶望の矛先が向いた、それだけのことだと、ヘニルはそうやって理解しながらも苦しまずにはいられなかった。
神族の身は常人の暴力に痛むほどやわではなかった。けれどまだ子供だった彼には、その環境はあまりにも過酷だったのだ。
大好きな母親に拒絶される。叩かれる。
いつしか彼もまた、自分のせいで父が死んだのだと思うようになった。だから耐えた。それで母の気が済むのなら安いものだと、行き場のない悲しみが母を殺してしまわないように、自分が母を守らなければと、そう思ったからだった。
だがある時、終わりの見えないその責め苦に我慢の限界が来てしまったのだ。もしかしたら母が死ぬまでずっと彼女から拒絶され続けるのかと、そう思えば不安になって、どうにか現状を変えたいと思った。
そしてヘニルは母に泣きながら縋った。
「俺は、母さんのこと大好きだよ……、っ、だから、だからお願い、母さん……」
もうやめてくれと請うた。どうか自分を拒絶しないでほしい、叩かないでほしい、前のように愛してほしいとそう願った。
けれど。
傷つけないよう力を込めていなかった手は容易く振り払われる。
母は強くヘニルを睨みつけ、言い放った。
「お前なんて、産まなければ良かった……! ウラノスを、あの人を返して、返してよ……!!」
その言葉に耐えきれなかったヘニルは檻のような家から逃げ出した。森の中で一人泣き喚いて、縮こまって、これが夢であってくれと願い続けた。
嘘だ。ごめんなさい。許して。そう言葉を吐き出した。
自分の想いなど口にしなければよかった。苦しくともずっと、永遠だとしても絶望などせず、母の悲しみを受け止めるべきだった。懇願などしなければよかった。そんな後悔をした。
何時間かそうしている内に頭は冷えて、ヘニルは家に残してきた母のことが心配になった。父が居なくなった今、母を守れるのは自分だけだ。だから側を離れていけないのだと、その時になって思い出したのだ。
不安で胸がいっぱいになる。嫌な予感が全身を蝕むようで、夕暮れの中必死になって家に戻った。
「母さん……?」
家に人気は無く、彼は焦った。それどころか、家の周辺にも人の息遣いさえ聞こえてこない。
母もまた家を飛び出して行ったのかと思った。けれど、父の贈り物でもあるこの家を母が捨てていくとは思えなかった。
「まさか」
家の裏手へと、必死にその可能性を否定しながら向かった。そこにあるのは父の墓だった。
「……――――」
そして、そこに母はいた。既に事切れた状態で。
胸や首を何度もナイフで切り裂いた跡があった。その目は光をなくし、涙の跡がいくつも頬に残っていた。父の墓の前で、寄り添うように母は死んでいたのだ。
「は、はは……」
乾いた笑い声が口から溢れた。それと同時に、瞳から涙が止めどなく流れてくる。
自分のせいだ。そう思った。
自分のせいで父が死んだ。自分のせいで母が壊れた。そして彼女は自ら命を絶った。
――お前なんて、産まなければ良かった……!
その通りだ。そうすれば母は大好きな父と、その生の終わりまで一緒に居られたはずなのだ。死ぬその瞬間まで、幸せだったとあの綺麗な笑顔を浮かべていられたはずだった。
「俺が、いなければよかった」
こんな結末になるなら、自分なんていなければよかった。生まれてこなければよかった。
本当は彼のせいではなかったはずなのに、けれど彼は自分を責めずにはいられなかった。それは彼が両親の言うことに従順だったことも要因だったのかもしれない。
母の苦しみを否定しないために。母の絶望をしっかりと受け止めるために。
自分など存在してはいけなかったのだと、そう思ってしまった。
「……ごめん、ごめんなさい、母さん……母さんの幸せを、壊して、ごめんなさい……」
地面に転がっているナイフを手に取った。
もはや生きる理由を否定された自分に価値などないのだと、そう思った。もう生きていたく無いくらい苦して悲しくて、それならば大好きな母と父の墓の前で死んだ方がマシだと思った。
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