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09-03 破壊の権化

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「……親父の言ってたこと、大体分かったかもしれねぇ」


 あれまでは神族同士で本当の殺し合いなどしたことは無かった。否、明確に相手を殺さなければならないと、そう思って武器を振るうのは。
 それが神族に備えられた破壊衝動を呼び起こす。父がそう神族アスラを形容したように、元々自分たちは破壊の権化なのだと。


「確かに馬鹿馬鹿しいな、こんなんじゃ人間と一緒に生きるなんて到底無理な話だ。あーあ、姫様に会ってようやく生きる意味を見つけた気がしたのに、また振り出しに戻った気分だ」


 敵の血潮に塗れ、命を一瞬で奪い取り、身体を切り裂く痛みを自分は喜んでいた。まさしく怪物だ。
 きっとウラノスはそれから必死に遠ざかろうとしていたのだ。だから戦う理由を与える人の国に、決して肩入れするなと言ったのだ。

 テュールの首を刎ねた時、ヘニルは喜びに震えた。その時の歪んだ笑みを思い出す度、薄寒くなる。

 そして怖くて怖くて仕方がなくなる。

 いつしか自分が、愛しい人のためと宣いながら、後戻りできない獣に成り果てることに。
 そしていつしか獣となった自分が、愛しい人のあの細く綺麗な首を切り落としたいと、そう欲してしまうようになる……そんな不安に。


「ヘニル」


 ノックも無しに扉を開けて入ってきたのはカアスだ。主にノーガードで突っ込むヘニルの防御を担当していた彼女もそれ相応の怪我を負ったのだが、最近その怪我に新しいものが増えたことに彼はすぐに気がついた。
 なんでもデルメルにぶん殴られたらしい。


「今日もセーリス姫が来ていたぞ。追い返したが、本当にそれでいいのか」
「……ああ」
「目が覚めた時には部屋を飛び出して会いに行ったというのに、どういう心境の変化だ?」


 再度彼は重々しいため息を吐き出す。


「もう人の一生分くらい働いた気がすっから、いいかなぁって」
「何だそれは」
「……腐った部分がある程度治ったらまた野に戻ろうかな、って言ってんの」


 それにカアスは驚いたような顔をする。


「正気か。セーリス姫のことはどうするつもりだ」
「どうするって、姫様はちゃんと自分のやる事見つけられたみたいだし、もう俺が付き纏う必要もないだろ」


 彼の言葉を聞き、カアスは閉口する。あの戦いが終わってから彼女は多少ヘニルに対してそれなりの情を抱いているらしい。だが相変わらず、デルメル以上にその思考回路は読めない。
 扉に背を預け、彼女は腕を組んで寝台に座るヘニルを冷たく見下ろす。


「怖気付いたか」


 その言葉にヘニルは視線を上げる。僅かに殺気すら感じさせるそれを向けても、カアスは動じない。


「獣が姫の首を食い千切る夢でも見たのか」


 図星のその言葉に彼は気分を害したとでも言いたげに顔を顰める。


「……お前に何が分かる」
「ああ、分からんな。生憎と私は、人間を愛しいなどと思ったことはない」


 カアスは鼻を鳴らした。二人は殺気をぶつけ合い、睨め付け合う。


「だがお前が今直面しているものが、人に惹かれた神族の宿命という奴だ。姉様もお前と同じように苦しんでいたな、何百年前の話だったか……それは覚えていないが」


 目を閉じ、カアスはヘニルから顔を背けた。


「姉様はよく話していた。創造神と魔法がこの世を創るものなら、神器と神族は破壊するために産まれてきたものだと。道具としての性質が強い神器と違い、我らは破壊衝動という獣を生まれながらに埋め込まれている」
「……なんの、ために」
「知らん。創造神か、その代理のメディオクリタスにでも聞くしかなかろう」


 心底どうでも良さそうな声でカアスは吐き捨てる。彼女としても創造神にそう作られた、というのはどこか癪に障る部分があるのだろう。


「ともかく、悦に浸り衝動に身を委ねた際に、それが致命的な隙となる。姉様はそれを突いて私を下し、お前は片腕といくつかの内臓の犠牲でテュールの首を刎ねた。まぁ、要するに頭を使わない馬鹿な神族に、人の世を生きる資格は無いということだ」


 かつての自分をそうだったと嘲笑するカアスにはどこか諦めのようなものが見えた。一応彼女的にはデルメルに手酷く敗北したのは苦い思い出なのだろう。


「……そういう意味ではお前は姉様同様、人と共に生きられるはずだ。きちんと獣性を飼い慣らせている。そこまで悲観することでも無い」


 一瞬その話の流れに納得しかかるヘニルだったがすぐに首を横に振る。


「そんなわけねぇ、俺は……俺は姫様の血が見たいと思っちまった。その姿はきっと綺麗だろうって……ダメだ、姫様を傷付けたくない、俺はあの人と一緒に生きたいだけだ……でも、それができないなら」

「はっ、そんなもの、長らくご無沙汰で溜まってるからだろ」

「……は!?」
「しこたまヤれば消える」
「はぁ!?」


 わなわなと震えヘニルは顔を赤らめる。


「獣性を飼い慣らすというのはそういうことだ」
「破壊衝動を全部、性欲に転換しろ、ってか……!?」
「簡単な話だろう。今までもそうしてきたのでは無いのか」


 今までも、その言葉にヘニルは思考を巡らせる。

 確かに今まで、王国に来てから戦闘欲のようなものは感じなかった。それも全部性欲としてセーリスにぶつけてしまっていたからだというのか。
 神族の生殖能力にはいろいろ制約がある癖に妙に性欲が強いのはこれが原因かと、なぜか納得できてしまってヘニルは驚いた。


「まぁ、お前が王国を出ていくなら止めはしないさ。そうだ、知っているか? セーリス姫が兵士の治療をするようになってから想いを寄せる輩が多くなった。彼女に命を救われたものなどは姫を聖母のように崇め大切にするだろうな」


 挑発するようなその言葉にヘニルは怒りに震える。

 セーリスは自分が見つけた女だ。不躾な中傷に傷付いた彼女に寄り添い、一番最初にその身を愛でたのは自分だ。それを今更想いを寄せるなんて、横取りもいいところだ。
 しかし再度ヘニルは逡巡する。神族である自分が彼女と寄り添うことに、じわりと罪悪感が覗く。

 彼女との子供を望めば力を失う。もう今回のように戦士として大戦果を上げることは二度とできなくなり、彼女の期待に応えることもできなくなるだろう。王国が再び窮地に陥ったとしても、何もできなくなる。子供に厄介な神族の業を背負わせることにもなる。

 そして、簡単に命を落とす弱き存在に成り果てるのだ。力を手放さなければ絶対にセーリスが死ぬまで側に居てやれる。だが、人になればそれは確約できなくなる。父のように、愛した者を置き去りにして死ぬことだってあり得るのだ。そしたらセーリスはもしかしたら、母のように――


「いい加減ウジウジするな、鬱陶しい」


 がっとカアスの手がヘニルの首を掴み、ギラついた目で彼を睨め付ける。それは見間違うはずもない、獣の目だった。


「お前が悩む一分一秒は塵芥のようなものだが、その塵芥で人は老い死んでいく。少しでも惜しいと思うのなら迷うな、クソガキ」


 よもやカアスからそのようなことを言われるとは思っていなかったヘニルは黙り込む。確かに、不老の自分の一秒とセーリスの一秒の重さは違う。悩み時間を浪費すること自体が、セーリスへの想いに対する不正義になり得るのだ。

 その言葉を咀嚼して、ヘニルは左手でカアスの手を払った。


「てめぇに説教されて多少持ち直すなんざ、俺もイカれちまったかね」
「ふん、お前のせいでしばらく暴れられなさそうだ。精々無様に足掻いて来い」


 今度は何百年待つか、とカアスは零す。それを見たヘニルは呆れたように笑った。


「……よし、姫様に会いに行こっと」
「ああ、そうだお前」


 意気揚々とセーリスの元へ行こうとするヘニルをカアスは呼び止める。


「相当臭いぞ」
「…………」
「腐敗臭がする」
「……うっそぉ」


 そういえばまだ腐り掛けだったと、彼はそう思い出した。
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