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間隙:帰還 02 無惨な肢体※傷描写
しおりを挟む傷を負った兵士たちもまた、決して良い状況とは言えなかった。
治療中に亡くなってしまった兵もいる。今際には、魔術で意識だけを保たせ、最期に家族と話をする機会が設けられる。その様を涙が枯れた瞳で見つめては、いずれそこに自分が立つのではないかという恐怖に襲われた。
よく眠れるとデルメルに貰った香を使っても、眠れない日が続くようになった。
ふと眠りに落ちたかと思えば、今思えば幸せだったヘニルとの日々を思い出して、目が覚めた後に死にそうなほど苦しくなる。
もっと話しておけば良かった。もっと抱きしめておけばよかった。
そんな後悔ばかりが溢れ出して止まらない。
いつしか幻聴が聞こえてしまうほど、セーリスの精神は壊れかけていた。
――姫様!
「……姫様、姫様、大丈夫ですか」
声をかけられていることに数秒遅れて気付き、セーリスは視線を上げる。なんとか一命を取り止め、魔術による治療を受けていたその兵士は、虚な目で俯いていたセーリスを心配しているようだった。
「大丈夫です、気にしないでください」
なんとか笑みを浮かべてみるが、彼は彼女を気遣うように口を開く。
「……そうだ、ヘニル様の話、できますよ」
「え」
「本当に、ヘニル様はすごい方です。何せ最初に接敵した際、あっという間に一人目の首を取ったんですよ。すぐに五対二に持ち込んで、カアス様とも息ぴったりで」
兵士の口から語られるヘニルの姿を思い浮かべる。首を掲げて“姫様、とりましたよ~”なんて言っている様を想像すれば、笑っていいのか怒ればいいのか分からなくなる。
「俺が傷を負った際もすぐに庇ってくれて、双方撤退した際には今の早業は姫様に自慢できるって、お前も姫様にそう言ってくれよって、嬉しそうに話しておられました」
「……、……そう」
「早く帰還なされるといいですね。姫様が心配してるって聞いたら、きっと大層喜ばれると思いますよ」
心配したら喜ぶ、そんな姿は思い浮かばなくて、彼女は苦笑いを浮かべた。
「どうだろう……今の私を見たら、泣き虫だなって笑うんじゃないかな。それで好き勝手振り回して、また喧嘩したりとかして……、その前に手紙の返事を書かなかったことを、ちゃんと叱らなくちゃ」
「姫様……」
「ヘニルが……帰ってきたら……」
ぽたぽたと、床に涙が滴る。耳の奥から姫様と、懐かしい声が呼ぶような気がした。
「姫さま!」
自分を呼ぶサーシィの声に彼女は涙を拭って後ろを振り返る。
「ヘニル様が、ヘニル様が戻られました……!」
その日、ヘニルは王国に戻ってきたのだ。
未だ目覚めぬ、その身のまま。
◆
その日の仕事を済ませたセーリスは食事も取らずにヘニルの居る兵舎へと向かった。そこには待ち構えていたように傷だらけのカアスが居て、セーリスの来訪に面を上げた。
「姫、ずいぶんやつれたな」
「ヘニルは!?」
「落ち着け、大声を出すな。そっとしておくのが一番だ」
「生きてるんですか、助かるんですか……!?」
至る所に包帯を巻かれたカアスは落ち着かせるようにセーリスの肩を叩く。
「まだ判らん。一応ゆっくり連れ帰ってきたがまだ目を覚さない。傷の具合は姉様あたりから聞いたか?」
それにセーリスは首を横に振る。デルメルが言わなかった、というところから相当酷いのだろうということは理解できてしまったが。聞かせてくれと、そうセーリスはカアスに頼み込む。
彼女は肩を竦めるも、扉に背を預け説明を始める。
「まず利き腕の右腕を斬り落とされた。そりゃあもうズタズタに。アイツが絶対繋げとけって言うから無理やり縫合してもらったが、やはり悪手だったかもしれん。あとは内臓もいくつかやってる、ついでに胴体付近の骨も。まぁ、一応見た目は五体満足だ、そこそこ抉れてるが」
ざっくりとした解説だが、かなり伏せている部分もあるだろう。とにかくは五体満足だと、けれど昏睡するくらい弱っていると、そう彼女は言っていた。
顔を青くするセーリスに対してカアスは特に気遣う様子を見せない。あまり情を見せない彼女らしいと、そう思いながらセーリスは勇気を出して一言を絞り出す。
「顔を、見せてはくださらないのですか」
「……姉様からは見せるなと言われているが、まぁ、いいだろう。吐くなよ」
そう言うとカアスは扉を開けてくれる。暗いその中に恐る恐る足を踏み入れて、彼女はベッドの上に横たえられたその人物を視界に入れた。そしてふらつく足取りで彼の側へと歩み寄る。
酷い臭いだった。悪手だったかもしれない、というカアスの言葉を思い出して、セーリスは胃液が迫り上がってくるのを必死で堪えた。
処置を施されていても無残なその手を、震える手で取った。それは冷たく、血が巡っているようには思えなかった。
本当に彼は、まだ生きているのだろうか。そんな不安に駆られて胸元に手を伸ばす。左胸に手を当てても心音は響いてこない。
「こっちだ」
絶望に震えるセーリスの手を掴み、カアスはその真白な首に触れさせる。僅かにとくり、とくりと血管を血が通っていく感触に、彼女は大きく息をつく。
「分かるだろう、この状態だ。まだ心臓はギリギリ動いているとはいえ、このまま死んでもおかしくない」
「……腕を、切り落とすべきでは。このままでは」
「そうだな、医者もそう言っていた。だが、意識を失うまでこいつは絶対に繋げろと言った。利き腕だしな、捨てるって選択肢は無かったんだろう。戦うためにも……愛しの姫を抱きしめるためにも」
「なによ、それ……」
冷たい彼の手を握って、セーリスは涙を流す。それを見守るように、カアスは彼女の後ろに腰を下ろした。
「何代も世代を継いでいる神族ならともかく、ヘニルは二世代目だ。まだ半分ほど、神の創造物としての肉体を受け継いでいる。姉様は腕が千切れてもくっ付ければ動くからな、ヘニルも可能性としてはあり得る……そう思ったんだがな」
ふぅ、と彼女は大きく息をつく。その声は珍しく、酷く沈んでいるようだった。
「戦場での奴は恐ろしいほどに強かったよ。本気の殺し合いならば、確かに私より強い。下手をすれば、姉様よりも……、流石にそれはないか」
すすり泣く声を聞きながら、カアスはセーリスに語り続ける。
「ヘニルが無茶をしたなどと、そう言ってくれるなよ。テュールは死ぬまで進軍を止めなかった。どうしても奴を殺さねばならないとなった時、ヘニルは一切迷わなかった。確実に仕留めるために、致命傷に近い傷を負うことも……。だから目が覚めたなら、叱責よりも褒賞をくれてやれ」
珍しく饒舌に、そう彼女は語る。そこで真っ暗な天井に向けていた視線を、セーリスへと向ける。ゆっくりと這い出して、彼女の細い腕を掴んだ。
「やめろ、そんなことをしても無駄だ」
「離してください」
「私たちに魔術は効かん」
「放っておいてください……!」
カアスの手を振り払い、セーリスは彼の手に縋る。持てる全ての力を注ごうとしても、魔術は彼に触れる前にバラバラに砕けてしまう。
「ヘニル……」
もっと名前を呼んでと請う彼の言葉を思い出す。蕩けるような笑みも、自分の名前を愛おしそうに口にする姿も。
「目を覚まして、約束を、守って……ヘニル……」
その名を呼びながら、意識が途絶えるまでセーリスは魔術を使い続けた。
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