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08-12 請願
しおりを挟む既に夜も深い頃だというのに、執務室には灯りがついていた。
兵舎へと戻る途中、覚えのある投石を受けたヘニルはふらりとそこを訪れた。人気は一切無いものの、部屋の施錠などはされていない。何より、そこにその人物が居ると、彼は確信していたからだ。
「危ねぇじゃねーか。あと少しで脳漿ぶちまけるとこだったぜ」
部屋の主である少女は彼の言葉にくすりと笑う。その笑みを見たヘニルは薄寒くなるような感触さえした。
「屋根の上を走り回る狼藉者を見つけたから打っただけなのだけど、まさか貴方に当たりそうになったなんて知らなかったわ」
「よく言うぜ」
直前になって殺気に気付かなければ間違いなく致命傷レベルの大怪我だった。自分の直感に自信のあったヘニルは、よもや狙撃に気付かないとは思っていなかった。
「……いつから気付いてたんだ?」
「最初からおかしいとは思ってたわ。王国にあまりいい感情を持ってない貴方が、私におべっかを使って、特に必要の無い訓練も真面目に受けてるんだもの。何か裏があると思ってた」
鋭いデルメルの指摘に彼は僅かに眉を寄せる。
可愛らしい少女の姿をした彼女は、幼気という言葉など不似合いだ。
纏う雰囲気は父親と同じだ。どんなに足掻いたとしても、埋められることのない圧倒的な力の差を持つ、そんな相手。
「確信したのは、それまで真面目に訓練を受けていた貴方が何の前触れもなく訓練をサボったこと。そしてその日、セーリスも仕事を休んでいた。まぁ、なんとなくそんなところだとは思ってたわ」
「今まで見逃してたのはなんでだ」
デルメルであれば、セーリスとの関係を知った瞬間自分を殺すものだと考えていた。彼女の同族嫌いは筋金入りだ。愛娘同然のセーリスに悪い虫がくっついていたなどと知れば、念入りに踏み潰されるのだろうと。
けれど先ほどの狙撃も途中でヘニルが気づけるように敢えて殺気を漏らしたようにも思えた。
「一つは、貴方がただセーリスを喰い物にしているわけでは無いと知っていたこと。もう一つは、あの子の選択を信じるべきと思ったこと。最後は私都合でしかないけれど、貴方が確かに利用価値のある戦力だったということ」
まるで全てを見透かされているような気がして彼は大きく息をついた。初めて会った時からあまり相手にしたくない人物と思っていたが、ここまで厄介な手合いとは思っていなかった。
「(曲がりなりにも、同族狩りをしてた”デメテル“、その上王国を数百年維持してるだけのことはある……やっぱ万が一にも俺が敵うような奴じゃない、親父の言う通りだ)」
そう内心で呟き、ヘニルは執務室の椅子に座るデルメルの前に膝をついた。
「……デルメル様」
見下ろす冷たい視線を感じながら、彼は頭を下げる。
「責任は全て俺にあります。姫様は俺の甘言に騙されただけ、何の罪もありません」
「そう」
ぐいっと首にスリングが巻きつけられ、顔を上げさせられる。
「どんな罰も、受ける覚悟です」
「…………」
何も言わずにじっとヘニルを見つめた後、デルメルはすぐにスリングを外し仕舞い込む。
「私は、同族の奴らに同情なんてしないわ。お前のことも、どんなに思慮深く聡明で、苦難に満ちた道を辿ってきたのだとしても、私はお前が生きているだけ、存在しているだけでお前を憎まずには居られない」
けれど、そうデルメルは続ける。その瞳には激しい憎しみの中に、ほんの僅かな慈悲の色が見て取れた。
「セーリスに救いを見たと言うのなら、貴方を認めてあげてもいい。この王国はそうやって生まれたものだもの」
その口ぶりからして、王国の発端となったのはデルメルと初代国王なのだろう。彼女もヘニル同様、儚い人間という生き物に、何か救いのようなものを見てしまった。
そしてそれを何百年も守っているのだ。
「二十しか生きていないガキのくせに、一丁前にいろんなことに頭を悩ませてる様はムカついたけれど、まぁ、考え無しの馬鹿より何百倍もマシだわ」
「酷い言い草ですねぇ。親父が知らなくていいことまで教えやがったからこっちは困ってるんだってのに。つーか、どんだけ俺の思考読めてんですか、気持ちわるー……」
はっきりと嫌悪感を出せばデルメルはくすくすと笑う。会話中も生きた心地がしないのだが、それでも今までよりかは随分マシになったような気がした。
「貴方の仕官の理由が、実はもう一つあったっていうのも知ってるわよ」
「うわ、なんで知ってんだよ……」
「同族嫌悪、という奴じゃないかしら。……もう死にたいとは思ってないの」
直球のその質問にヘニルは肩を竦める。
「まぁ……先のこと考えりゃ憂鬱にはなりますがね。姫様が生きている内は、しばらく死に場所のことも考える必要はなさそうですし」
「セーリスと結ばれなかったら、私に介錯を頼むつもり?」
「そうですね。あんたが一番、楽に殺してくれそうですから。ニーシャンもカムラも、俺をみすみす殺すような真似はしないでしょうし」
特に気にする様子もなくそう言い放ったヘニルに、今度はデルメルが呆れたように息をつく。
「自害できないという呪いなんて本当に厄介よ。悪意すら感じるわ」
「いやー、俺としてはあんたがまだ正気を保ってることのほうが驚きですけどねぇ。スサノオなんか、もう完全にぶっ壊れてましたから」
「そう、あの男も哀れなものね」
二人の間に沈黙が訪れる。もう話すことは無いだろうと、そう思ってヘニルは立ち上がるも、デルメルに名前を呼ばれ視線を上げる。
「最後に教えて。貴方のその絶望の原因は何? それとセーリスと、何の関係があるの?」
踏み込んだ質問に、彼は視線を落とす。
「別に、あんたが経験してきたであろうモノよりゃちっぽけなもんですよ。姫様のことだって、ただ俺よりちっさいのに懸命に努力する姫様の姿に、どうしようもなく惚れちまっただけです」
いつもの薄ら笑いを浮かべ、戯けたように言う。けれどデルメルには、その表情の裏にある苦痛が読み取れてしまう。
一人で居る時はずっと、そんな顔をしていたような気がした。彼がその苦痛を忘れられていられる時など、セーリスの側に居る時だけだ。そう思ったから、二人の関係に勘付きながらも決して触れようとしなかった。
「親父のことは尊敬してますけど、自分の末路を母に伝えてなかったことだけは恨んでいます。いや、知らなかっただけかもしれねぇけど……そのせいで母さんは」
苦しげに眉を寄せ、ヘニルは吐き捨てる。
「俺は臆病者ですから、本当は人間に成るのだって怖いんですよ……あんな脆い身体じゃ、ちょっと病気にかかったくらいで死んじまう。ははっ、神族に向いてなさすぎて困りますよねぇ!」
本心を隠して笑う姿に、デルメルはそっと目を閉じる。
「……生きて帰ってきなさい、ヘニル。真っ当な交際をするっていうなら、邪魔するようなことはしないであげるから」
「いやー、お母様の公認とは心づよ」
ひゅん、と顔の横をなにかが掠めていく。ぎこちなく後ろを振り向けば、ナイフが見事に壁に刺さっていた。
「お前に母と呼ばれる筋合いはないわ」
「すいませんっ、調子乗りすぎました……!」
慌てた様子でヘニルは執務室を出て走り去っていく。
それを見送ったデルメルはしばらくして、小さく笑みを溢した。
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