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08-04 狂犬の観察

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 こっそりと建物の影から訓練場を覗き込む。カアスの姿が見えないのはデルメルの一撃を食らって一時的に療養中だからか。


「(観察と言っても、こちらが見ていることは筒抜けなのでは……?)」


 ヘニルの姿が視認可能な距離というのは、神族からすれば容易に感知できる近さだろう。
 ふとヘニルの方を見れば、彼は王城の方あたりを見つめて突っ立っている。何を見ているのかと思っても、サーシィの目にはただ王城を見ている、としか分からない。


「主従揃ってやることは狂犬の観察か、暇なのか?」
「ひゃっ」


 背後から突然声をかけられたサーシィは小さく悲鳴を上げる。
 そこに立っていたのはカアスだ。頭には痛々しく血が滲んだ包帯が巻かれている。


「カアス様、そのお怪我は……」
「ああ……どうやら姉様の逆鱗に触れたらしい」


 ははは、と笑ってはいるものの彼女はガタガタと震えている。目は笑っておらず完全に据わっている。どうやらデルメルの一番効果があるとの言は事実であるらしい。


「あの狙撃を受けると思い出す……初めて姉様に会った時、喧嘩を売って、追い詰めたと思ったら感知の外から何千何万と身体に石礫をぶつけられ、私は姉様に負けたのだ」
「それは……壮絶な戦いだったのですね……」


 話を聞く限りでは喜劇のようにも思えるコミカルさだが、実際にあのデルメルの投石をたんまりと浴びせられたと考えれば普通ならば惨死ものだろう。


「それは置いておいて、昨日もお前の大事な姫様がヘニルの様子を見に来ていた」
「姫さまが、ですか。何か心配事でもあったのでしょうか」
「さあな。大方国を離れる前に何か行動を起こそうとしてのことだろう」


 そう言われればヘニルもカアスも、来週には国を発っているのだとサーシィは思い出す。セーリスがその前に、と思うのも想像に難くない。

 サーシィは再度ヘニルへと視線を向ければ、彼はまだ王城の方を見ている。


「今日は姫様はどこで仕事してるんだ?」
「今日はカーランド様の工房のお手伝いです」
「なるほど、じゃあ地下だな」


 カアスは肩を竦めると同じようにヘニルの方を見遣った。彼女の目には彼が何を捉えようとしているのか分かるのだろう。


「どこかの窓から姫の姿が見えないかと思っているんだろう。それによって奴のその日の機嫌が決まる」
「機嫌……?」
「姉様の手伝いをしている日は良い、執務室の窓から姫の姿が見えるからな。何か気に食わないことが起こっても大体我慢して無視できる。だがそうじゃない日は喧嘩早くなる。今日は耐えたが」


 残念だとでも言わんばかりにカアスは言う。そういえば今日も喧嘩になりかけてそれをデルメルに訴えに来たのだったか。


「惚けてる時間が長いな。姫と何かあったのか?」
「まぁ、喧嘩のようなものを……」


 ははーん、と面白そうなものを見るように彼女は笑う。


「あれがどうやって姫の機嫌を取るのか、見物だな」


 そう言うなりカアスは訓練場へと戻っていく。何やらすぐさま言い合いを始める二人の姿を見守りながら、サーシィはどうしたものかと頭を悩ますのだった。



 ◆



 どうやらカアスが教えたらしく、訓練を終えた夕暮れ頃になるとヘニルは一直線に王城地下の魔術工房へと向かっていった。恐らくはセーリスに会いに行くためだろう。


「(ですが既に姫様は仕事を終えて戻られているかも……)」


 そう思った矢先、運が良いのか悪いのかセーリスは工房から出てくる。そしてすぐに視界に入ったその乳白色の髪に顔をしかめる。


「姫様!」
「なんでこんなとこにいるのよ……」


 ヘニルを避けて足早に通り過ぎようとするのを、彼はすかさず遮るようにセーリスの前へと出る。


「どきなさい。主人の行く道を遮る騎士なんて居ないわ」
「うっ……だからほんと悪かったって、そう謝ってるじゃないですか。姫様が許してくれたらこんなことしませんよ」


 仲直りしようと、ヘニルはにこりと笑みを浮かべて見せる。これはもしかして彼なりの謝辞の表明なのだろうか。
 しかし誰が見てもそれは逆効果だろう。ヘラヘラと笑っている姿を見せれば、反省などしていないと思われても仕方がない。そしてセーリスの顔は正にその思考回路をそのまま辿っていることを表していた。


「そんな顔見せられて許せると思ってるの? しばらくその顔見せないで、一ヶ月くらい!」
「っ、このまま戦いに行けって言うんですか」


 悲痛なヘニルの言葉に何も返答せずセーリスは片手で彼を押し除けて歩き出す。慌てたヘニルは咄嗟にセーリスを後ろから抱きしめて引き止める。


「姫様っ、ほんと、ごめんなさい、お願いですから……」
「離して!」


 本気で嫌がっている声にはっとなり、彼は絡めた腕を緩めてしまう。すぐさま彼の腕から飛び出したセーリスは全速力で走り去っていく。
 その後ろ姿を追いかけることができず、ヘニルは立ちすくむ。困ったように頭を掻いてとぼとぼとどこかへ歩き出した。
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