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06-05 獣の耳と尾

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「変化の魔術です。猫耳と尻尾」
「なんてもの使ってんのよこのばかっ!」


 ヘニルに胸ぐらを掴まれていたことなど忘れたかのようなけろっとした表情でラズマは言った。


「だって全然魔術効かないから、何でもいいかなって」
「待て、それずっと俺にかけてたってことか……?」


 知らずのうちにとんでもない魔術を喰らい続けていたヘニルはさすがに顔を引きつらせる。
 恐ろしい完成度だった。流石は神童と呼ばれる魔術師か。セーリスの頭に生えた耳はまるで本物のようで、更にぴこぴこと無意識に動かしてしまう。尻尾も同様だ。


「大惨事にならなくて良かったわね、ヘニル」
「いやいや。猫耳と尻尾が生えようが俺はワイルドイケメンで通りますよ?」
「自分で言ってるし」


 そんなことを話していると、カーランドはラズマに言う。


「ともかく、姫様にかけてしまった魔術を解きなさい」
「あー……実はずっと反射で術の構築していたんで、僕にも未知数なんですよね。そんな永続するものでも無いので、僕がバラして解くより、時間経過の方が早いと思います」


 ヘニルに術式を壊されてはそれを基に弱点を克服して再構築、ということをしているうちにすぐには解けないレベルに達してしまったと。その常識を外れた物言いにセーリスは項垂れる。


「どれくらい、かかるのでしょうか……」
「うーん、早くて一日……かかっても数日かと」
「こんな姿は晒せないわ。しばらく部屋に引きこもるしかないわね」


 数日程度ならばなんとか隠せるだろう。いや、隠さなくてもいいかもしれないが、流石にこれは恥ずかしい。


「姫様、本当に申し訳ございませぬ。全て私の責任です」
「いえいえ! 幸い大した事故でもありませんでしたし、お気になさらないでください」


 はぁ、とヘニルのため息が聞こえてくる。


「そうだぜじーさん、俺が気抜いてなきゃ姫様をこんな姿にはしなかったさ。ほんと、自分の無能さに腹が立ちますよ……まぁ、可愛いから結果オーライですけど」
「なに言ってんのこいつ」


 触りたそうにセーリスの頭に手を伸ばすヘニルを抑えるように手を上げ耳を押さえ付けてしまう。まだ人に触られるよりかは自分で触った方がダメージが少ない。


「ともかく今日は撤収しましょう、姫様。部屋まで運びます」
「そうしましょう……。それではカーランド様、また」


 申し訳なさそうにカーランドは何度も頭を下げる。イズナも同様だ。

 その姿に少し胸が痛くなって、セーリスは悲しげに目を伏せた。



 ……



 少しだけ変わってしまった主人の姿にサーシィは眉を下げる。


「そうですか、魔術が……」


 そして両手を伸ばし、柔らかそうなその耳に触れようとする。


「サーシィ」
「はっ……! 申し訳ございません、とても求心力が強く……」
「だよなぁ、触りたくなるよなぁ」
「ぴゃっ」


 後ろからふわっと耳に触れられセーリスは声を上げる。その様を見てサーシィは恐ろしい形相で背後の男を睨みつけたのだ。


「なぜ貴方がここにいるのですか、不埒者」
「なぜって、こんな可愛い……そうな格好になっちまった姫様を心配してだな。あとご命令のお駄賃をもらいに」
「姫様! なんども仰っております。この愚物をお部屋に入れるのはおやめくださいと!」
「サーシィさんの罵倒語録に俺はびっくりだわ」


 何度目かの注意にセーリスは困ったような顔をする。だが特に今回は少し試してみなければならないことがあるのだ。


「今回はちょっと……」
「もしかしたら俺の魔術の耐性? で打ち消せるんじゃね、と思ったんで実践するつもりなんですよね、姫様」
「絶対無理だとは思うけどね」


 既に別の相手に対して発動してしまった魔術を、術者が解く以外の干渉でどうこうできるとは思えない。

 しかしカーランドが言っていたように神族の魔術耐性は謎が多い。各国がその耐性解明にやっきになっているのは当然、神族に対する魔術攻撃を有効化するためだが、同時に似たような耐性を再現し別の用途に活用する意図もあるだろう。


「だから今晩はヘニルと一緒に過ごしてみる。ええっと……毎度毎度、ごめんね、サーシィ」
「……姫さまがお決めになられたのなら、口出しは致しません。ですが、いつか正しき判断をしてくださると、私は信じております」


 遠まわしにヘニルとは縁を切れと、そう言ってくるサーシィに彼は困ったような顔で笑う。


「それでは姫さま、失礼致します」
「おやすみ」


 サーシィに就寝の挨拶を済ませ、彼女を見送る。その姿が見えなくなったところで、ヘニルはセーリスを抱き寄せた。
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