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05-04 連なる片恋

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 彼の第六感は、相手が自分を“認識しようとしている”ことも分かるため、身を隠したり監視から逃れたりすることに長けている。しかし、自分から相手を探す、ということにはあまり使えない。

 王城内には土地勘が無かった。それ故に、奥まったところに留まっているとはいえ、セーリスとうまく偶然を装って会うのは非常に困難だった。


「姫様不足で死にそうだ……」


 ふらふらと休憩時間に王城を歩き回る。
 最後にイチャイチャしてから、やはり既に一週間が過ぎている。

 そもそも命令が無ければベタベタできないというのが大きな欠陥だ。セーリスはヘニルに問題を起こさないいい子ちゃんで居て欲しいと思っている。だが愛しのセーリスのためにそれを律儀に守れば彼女が命令を下すこともなく、それこそ彼女と大好きな時間を過ごすことも一切無くなるのだ。

 やはりセーリスが怒らない程度に悪いことをする必要があるかもしれない。そんなことを思った。


「はぁ……姫様がもっと淫乱だったらなぁ……イヤ、そんなんだったらあのギャップも無いのか。はあぁ……難しいなぁ」


 あの普段のツンケンした感じから、交わっている時の可愛らしい姿への変わり様が好きだった。その顔を自分だけが見られるのだとそう思えるのも特別感があっていい。もしもセーリスが色狂いだったら、そんなことは無かっただろう。


「……早く俺のこと好きになんねぇかな」


 何度目かのその台詞を呟きながら、今日も収穫が無さそうでヘニルはまた大きくため息をつく。いい加減セーリスと話したくて彼女を抱きたくて、恋しさで死んでしまいそうだった。
 戻ろうかと思い、最後に周囲を見回したヘニルは見慣れた姿がちらと視界の端を通り過ぎていくのに気付く。

 セーリスだ。

「! ひめさ」
「セーリス姫!」


 意気揚々と呼び掛けようとした声は、誰か別の男の声に遮られる。セーリスは後者の方に反応して後ろを振り返り、そしてなぜか逃げるように駆け出しそうになる。


「逃げないでください」


 声の主はセーリスの腕を掴んだ。それを見たヘニルはすぐに怒鳴りつけそうになるも、なんとかそれを堪えることができた。
 若い男だ。優男風のそこそこの美男で、装いからして女王の臣下の一人だろうか。


「離してください、ネージュ様」
「貴方が私を避けなければこのようなことは致しません」


 渋々とセーリスは男に向かい合うように振り返った。


「(誰だよアイツ、姫様に馴れ馴れしくしやがって……!)」


 内心で舌打ちしながらもヘニルはその光景を見守る。

 王城内であんな風にセーリスに声をかけるものは稀だ。セーリスも名前を知っているということはある程度見知った仲なのだろう。
 もしもセーリスを害するような人物なら飛び出すことも考え、彼は息を潜める。


「あの時からずっと私を避けておられましたよね。お元気でしたか?」
「……はい」


 俯いたままセーリスは応える。その姿はどこか辛そうだ。


「(昔アイツに何か嫌がらせでもされたのか……? くそ、許せねぇ……)」
「あの、どういったご用件でしょうか。私もう、デルメル様の元へ戻らないと」


 さっさと立ち去ろうとするセーリスに、男ネージュは苦笑を浮かべる。


「先週のことを聞きまして、また姫が苦しんでおられないかと心配しておりました。貴方のことをよく知らぬ者の言葉など、耳を貸さなくてもいいのですよ」


 先週のことというのは、恐らくこの前セーリスを侮辱したあの男のことだろう。


「……と割り切るのも、難しいですよね。人の言葉を真摯に受け止め過ぎてしまうところも、貴方の素直さ故です。また勉学でも困ったことがあればおっしゃってください。今は人目を避け、少しずつできることを増やしていきましょう」


 その口ぶりに、ヘニルは薄々と勘付いてしまう。


 ――前も、ヘニルと同じことを言った人が居たわ。不思議ね、そう言ってくれる人は、あの人だけじゃなかったんだ

 それを言ったのはきっと、この男なのだと。


「……、ありがとう、ございます」


 じわりとセーリスの頬が朱に染まる。落としていた視線を上げて、どこか恋しそうに潤んだような目を、その男へと向けていた。

 その姿を見たヘニルは咄嗟にその場から逃げ出した。

 心臓が早鐘を打っていて、嫌な汗が身体中から吹き出す。息が切れることなどほとんど無いのに、なぜか息が苦しかった。
 それ以上に酷く胸が締め付けられて、このまま潰れてしまいそうだと思った。


「……嘘だろ」


 あんな顔をしたセーリスを見るのは初めてだった。そしていつかそれを、自分に向けてくれるのだとずっと思い込んでいた。
 誰にも見向きもされなかった彼女なら、強くて美しい自分に惚れるものだと。

 行く宛も無く早歩きで進んでいたヘニルは曲がり角で誰かにぶつかりそうになる。その人物を見て、彼は息を呑んだ。それはデルメルだ。


「……貴方、こんなところで何してるの? また訓練をサボって……」


 すぐに横を通り抜けようとしたところで背後から呼び止められる。その声は凛としていて、相手の足を止めさせる謎の迫力があった。


「前から一つ聞きたかったのだけれど、もしも貴方の想いが遂げられなかったとして、貴方にセーリスの一生を見届ける覚悟はあるのかしら?」
「……!」
「何があったとしてもあの子の幸せを最優先に出来ると、そう言い切れる?」


 その質問に答えられず、ヘニルは無視して駆け出した。

 王城の外へ飛び出して、誰もいない建物の影に隠れて、壁に背を預けた彼は崩れるように座り込んだ。重々しく息を吐き出したところで、またあの光景を思い出してしまう。


 ――いいかクソガキ、もしもお前が人間の社会に生きることになったら、道は二つだけだ
 ――なんだそれ
 ――愛する者と生きる為に力を次に押し付け人間に成るか、愛する者の墓を永劫守り続けるか、だ


 父の言葉が反芻するように響く。デルメルの問いはきっとこれと同じものだ。

 もしもセーリスが自分の想いを知ってもそれを受け入れてくれなかったら、自分はセーリスの幸せを尊び、守ってやれるだろうか。いつか彼女があの男と結ばれて、自分はおめでとうと言えるのか。


「無理だ、そんなの」


 セーリスの焦がれた視線が向けられた男。
 穏やかな物腰。思慮深い言葉。粗暴とは無縁らしいその佇まい。

 そのどれもが自分とは違って、もしも彼がセーリスにとって好ましい男の姿なのだとしたら、自分は決して彼女に好かれることなど無いのだと思ってしまった。


「また……間違えちまったかも」


 過去に大きな失敗をしたことを思い出し、ヘニルは恐れるように蹲った。

 また大好きな人に受け入れてもらえないかもしれない。その絶望は深く、彼の心に残った生々しい傷を疼かせた。
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