38 / 120
05-03 女傑カアス
しおりを挟む
訓練場は周囲に背の高い建物が無く開けている。それもあって、神族の視力であればそこから王城の窓を通り過ぎる人影さえ見ることができる。
その日もヘニルはぼーっと王城を見つめていた。
訓練は死ぬほどつまらない。そもそも、真面目に訓練をするとセーリスには言ったが、神族であるヘニルが本気で訓練しようものなら訓練場は使い物にならなくなってしまう。それに王国軍にも僅かに反感を抱いていた彼は、自分の力を全て見せることを拒否し続けてきた。
「(あ、姫様)」
彼が王城を見つめていたのは、厳密にはデルメルの執務室の窓なのだが、そこにはよくセーリスの姿が見えるためだ。訓練などというものをするよりも、まだ遠く離れたセーリスを眺めていた方がずっとマシなのだ。
「(姫様、王城の奥から出て来ねえから遭遇すんのが大変なんだよなぁ……でも、人の目が怖い、だったか。そりゃ仕方ない)」
セーリスの境遇には怒りを覚えるばかりだった。
セーリスもさっさと王国なんぞに見切りをつけて出ていけばいいのに、寧ろ自分が外へ連れてってやるというのにと、そう思うこともある。
けれど彼女の好きなところの一つは、王族としての気高さ、それに対する真面目すぎる姿勢だった。周囲から不要とみなされながらもそれに抗おうとする姿が、ヘニルは大好きなのだ。
「(だから攫ってもなぁ、って感じなんだよなぁ。それに、王国を出ても……)」
窓から見えるセーリスがくすくすと笑っている。それを見たヘニルは薄暗い考えなどどこかへ吹き飛んで、じっとその横顔を見つめた。
「はー……あんな顔、俺の前じゃ見せてくれねぇ」
「またセーリス姫を見ているのか」
背後から聞こえてきた声にヘニルは眉を寄せる。嫌々振り向けば、そこに立っていたのは女傑カアスだ。
カアスのことは父親からも聞いていない。だが、王国の無敵の盾と称される神族で、神族がたった二人しかいない王国の戦線をずっと維持している優秀な戦士である、ということは知っていた。
だが正直、彼としてはデルメル以上に苦手そうな手合いだった。
その赤い目に、いつも獰猛な色が見えているからだ。
「てめぇにゃ関係ねーだろ」
「ふむ……」
以前はヘニルを監視するように、声をかけるでも無くじっとこちらを見てくるだけだったのだが、どういう風の吹き回しだというのか。
「お前はセーリス姫に惚れているんだったな」
「だから何だよ」
カアスの思考は読めない。他の兵士との交流もかなり少ないため、彼女自身は人間に特別思い入れは無いのだろう。もしくは、兵士の方が避けているのか。
「大した美人でも無し、姫のどこが好きなんだ?」
「…………、は?」
一気に血が頭に上る心地だった。
「てめぇ、もっぺん言ってみろ、ぶっ殺す」
「なぜ怒る。事実だろう」
「殺す……!」
訓練用の木剣を振り下ろせば、しかし微動だにしないカアスの首にぶつかりばきりと折れる。この程度では打撲にすらならないだろう。
「……面白い、殺し合うか」
「望むところだデカ女。その減らず口ごとたた……」
そこでヘニルは停止する。
そういえばセーリスとの約束で、陰口に反撃せず無視しろと言われていたのを思い出す。そしてここでカアスと喧嘩でもしようものなら、再度デルメルの不興を買うだろう。
「どうした?」
「(いや、でもあの時の約束は人間に対してって話だから、別にカアスなら殴ってもいいんじゃないか……?)」
固まったまま動かないヘニルを見てカアスは首を傾げる。
「(それにカアスをぶちのめせれば、姫様に俺がどれくらい強いか証明できる……、そうすれば)」
ヘニルは思い浮かべる。カアスをぶちのめした自分を見て、セーリスがどんな反応をするのか。
“ヘニルったら、本当に強いのね、かっこいいわ……”
頬を赤く染めて、潤んだ瞳で見つめられて、彼女の方から抱いてくれと懇願してくるのでは。
「よし、殺る」
「ふ、かかってこい」
一転してやる気を見せるヘニルにカアスも構える。その様を見てヘニルは思った。
「(あ、こいつ典型的な戦闘狂いだわ)」
唐突に殴り合いを始めた神族二人に、周囲の兵士は困ったような顔をする。宮宰を呼んでくるしかないと、そう誰かが言い出す声があった。
その後カアスをぶちのめす前にデルメルが到着し、スリングを鞭のように扱った彼女にボコボコにされたのは言うまでもない。そして幸か不幸か、ヘニルがカアスと喧嘩したことは、たまたまセーリスが休憩中だったため彼女が知ることは無かった。
その日もヘニルはぼーっと王城を見つめていた。
訓練は死ぬほどつまらない。そもそも、真面目に訓練をするとセーリスには言ったが、神族であるヘニルが本気で訓練しようものなら訓練場は使い物にならなくなってしまう。それに王国軍にも僅かに反感を抱いていた彼は、自分の力を全て見せることを拒否し続けてきた。
「(あ、姫様)」
彼が王城を見つめていたのは、厳密にはデルメルの執務室の窓なのだが、そこにはよくセーリスの姿が見えるためだ。訓練などというものをするよりも、まだ遠く離れたセーリスを眺めていた方がずっとマシなのだ。
「(姫様、王城の奥から出て来ねえから遭遇すんのが大変なんだよなぁ……でも、人の目が怖い、だったか。そりゃ仕方ない)」
セーリスの境遇には怒りを覚えるばかりだった。
セーリスもさっさと王国なんぞに見切りをつけて出ていけばいいのに、寧ろ自分が外へ連れてってやるというのにと、そう思うこともある。
けれど彼女の好きなところの一つは、王族としての気高さ、それに対する真面目すぎる姿勢だった。周囲から不要とみなされながらもそれに抗おうとする姿が、ヘニルは大好きなのだ。
「(だから攫ってもなぁ、って感じなんだよなぁ。それに、王国を出ても……)」
窓から見えるセーリスがくすくすと笑っている。それを見たヘニルは薄暗い考えなどどこかへ吹き飛んで、じっとその横顔を見つめた。
「はー……あんな顔、俺の前じゃ見せてくれねぇ」
「またセーリス姫を見ているのか」
背後から聞こえてきた声にヘニルは眉を寄せる。嫌々振り向けば、そこに立っていたのは女傑カアスだ。
カアスのことは父親からも聞いていない。だが、王国の無敵の盾と称される神族で、神族がたった二人しかいない王国の戦線をずっと維持している優秀な戦士である、ということは知っていた。
だが正直、彼としてはデルメル以上に苦手そうな手合いだった。
その赤い目に、いつも獰猛な色が見えているからだ。
「てめぇにゃ関係ねーだろ」
「ふむ……」
以前はヘニルを監視するように、声をかけるでも無くじっとこちらを見てくるだけだったのだが、どういう風の吹き回しだというのか。
「お前はセーリス姫に惚れているんだったな」
「だから何だよ」
カアスの思考は読めない。他の兵士との交流もかなり少ないため、彼女自身は人間に特別思い入れは無いのだろう。もしくは、兵士の方が避けているのか。
「大した美人でも無し、姫のどこが好きなんだ?」
「…………、は?」
一気に血が頭に上る心地だった。
「てめぇ、もっぺん言ってみろ、ぶっ殺す」
「なぜ怒る。事実だろう」
「殺す……!」
訓練用の木剣を振り下ろせば、しかし微動だにしないカアスの首にぶつかりばきりと折れる。この程度では打撲にすらならないだろう。
「……面白い、殺し合うか」
「望むところだデカ女。その減らず口ごとたた……」
そこでヘニルは停止する。
そういえばセーリスとの約束で、陰口に反撃せず無視しろと言われていたのを思い出す。そしてここでカアスと喧嘩でもしようものなら、再度デルメルの不興を買うだろう。
「どうした?」
「(いや、でもあの時の約束は人間に対してって話だから、別にカアスなら殴ってもいいんじゃないか……?)」
固まったまま動かないヘニルを見てカアスは首を傾げる。
「(それにカアスをぶちのめせれば、姫様に俺がどれくらい強いか証明できる……、そうすれば)」
ヘニルは思い浮かべる。カアスをぶちのめした自分を見て、セーリスがどんな反応をするのか。
“ヘニルったら、本当に強いのね、かっこいいわ……”
頬を赤く染めて、潤んだ瞳で見つめられて、彼女の方から抱いてくれと懇願してくるのでは。
「よし、殺る」
「ふ、かかってこい」
一転してやる気を見せるヘニルにカアスも構える。その様を見てヘニルは思った。
「(あ、こいつ典型的な戦闘狂いだわ)」
唐突に殴り合いを始めた神族二人に、周囲の兵士は困ったような顔をする。宮宰を呼んでくるしかないと、そう誰かが言い出す声があった。
その後カアスをぶちのめす前にデルメルが到着し、スリングを鞭のように扱った彼女にボコボコにされたのは言うまでもない。そして幸か不幸か、ヘニルがカアスと喧嘩したことは、たまたまセーリスが休憩中だったため彼女が知ることは無かった。
0
お気に入りに追加
381
あなたにおすすめの小説


今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる