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塔の大穴から鮮やかな夕暮れ空を見上げ、しいらは小さく息をつく。
「お休みも今日で終わりか~」
「終わりか」
「毎日が休日だったらいいのにねぇ」
何気ない彼女の呟きに、ナシラは何かを思いついたように手を叩く。
「じゃあ、毎日休日にしよう」
「あ、ごめん今の無し。ナシラがそう言ったら本当にそうなりかねないから、別の意味でアイゴケロースが破滅するから……!」
慌てて前言撤回をし、彼女は小さく笑みを浮かべた。
今のナシラは英雄というよりも、アイゴケロースの執政という肩書きの方が強い。一応司祭たちはブレーキ役を務めてくれるだろうが、それでもこの世界を救った彼の一言は何よりも重く受け止められてしまう。
ガレアノに口を酸っぱくして言われているせいか、こんな風にナシラは執政として自分が何をするべきなのか日々考えていた。だが、なかなかその答えは出ないようだった。
「もっと単純なのでいいんじゃない? みんなが幸せになれる世界、とか」
「単純……」
しばらくしいらと同じように空を眺めていたナシラは、じっとしいらを見つめる。そして繋いだままの手を優しく握り締めた。
「しーらは今、幸せ?」
「いきなりだなぁ」
突然の質問に、彼女は困ったような顔をする。けれど、しばらく口をつぐんで考えたしいらは、ナシラの方を見ながら言う。
「幸せ、だよ。確かにまだ、今こうして生きてることが信じられない気もするし、前のことを思い出すと、落ち込んじゃう。間違えたこととか、後悔とか、いっぱい」
たくさん間違えてきたと、しいらは思った。けれど今はその間違いを、目を背けることなくしっかりと受け止められる気がしたのだ。
きっとそれは、彼のおかげだ。
「でもね、今はもう、いいことなんて起こるはずない、なんて思わないよ。だって君が、ナシラが、私に希望を見せてくれたから」
「うん」
「まだ怖いけど……信じられるよ。ナシラと一緒の未来なら、きっと……楽しいことも、嬉しいことも、これからたくさんあるって」
しいらの答えに、ナシラは満足げに微笑んだ。そして優しく、しいらの髪に触れてくる。
静かにお互いを見つめ合う。どきどきと高鳴る胸は、ただひたすらに彼への想いを表していた。
「また弱音を吐いているようだったら一度引っ叩こうかと思いましたが、安心しました」
そんな良い雰囲気をぶち壊したのは、聞き覚えのある女性の声だった。
しいらがぎこちなく背後を振り返れば、金髪の美女が立っている。それに反射的に身構えてしまうも、しいらはずっとやらなければいけないと思っていたことを思い出し、項垂れた。
元聖女ガトリン。彼女が経験したあまりにも凄惨な悲劇。望まぬまま聖女となり、幾度も最愛の人の死を経験し、心をすり減らしてきた彼女に対して、しいらはあまりにも失礼な態度を取ってしまっていたのだ。
確かにオルトスのことは秘密にされていたとはいえ、それでもしいらは謝りたかった。
「ガトリンさん、その、今まで生意気な口利いて、本当に――」
「謝る必要はありません。私も、貴女にはかなりキツく当たりましたから」
勇気を出した謝罪の言葉はあっさりと遮られ、しいらは表情を引きつらせる。やはりガトリンとは相容れないらしい。
しいらのことなど気にすることなく、ナシラの顔を見たガトリンは悲しげに目を伏せる。けれど以前のように青ざめることはなく、しっかりとその場に立っていた。
「ずっと、謝りたかった。ナシラ……あの時、貴方に酷いことを言ったと」
「…………」
ガトリンと対面したナシラの表情は複雑そうだった。それにもめげることなく、彼女は静かに頭を下げる。
「ごめんなさい。言いたかったのは、それだけです」
重い空気の中無言で見つめ合う二人を、しいらはハラハラしながら見守る。しばらくそうしていると、ナシラは緊張した表情を緩め、小さく息を吐いた。
「いいよ。ガトリンのせいじゃない」
「ナシラ……」
「みんな、悪くない。オルトスも、ガレアノも、ガトリンも。みんな、必死に頑張った。それだけだから」
拙いながらも温かいナシラの言葉に、ガトリンはじわりと目元に涙を浮かべた。
そう、アイゴケロースを襲った悲劇は、誰かに非があるものではなかった。ただ皆愛するものを守るために、闘い続けていただけなのだ。ガトリンが結果的にナシラをひどく拒絶してしまったことも、彼女が置かれていた状況を考えれば非難することなどできない。
静かに涙を拭っていた彼女は、ようやくしいらの方を見る。その目に以前のような刺々しさはなくて、こんな風にガトリンに見つめられるのは初めてだと思った。
「正直、今でも貴女のことは好きになれません」
「私も全く同意見なんですけど」
「でしょうね。……でも」
大きく深呼吸をしたガトリンは、しいらにも小さく頭を下げた。ほんの少しだけ、だったが。
「先ほど、カルキノスに戻っていたのです。他の宮も……さすがにオツロが消滅したりはしていませんでしたが、オツロの厄災が止まり、弱体化の傾向が見られるそうです」
「それって……」
「アイゴケロースに根を張っていたオツロが消えた影響でしょう。アイゴケロースがオツロに打ち勝ったことが広まれば、きっと更なる希望を他の宮に呼び起こすことにもなるはず」
思わずしいらはナシラの方を見る。彼もまた、ガトリンの報告に驚いているようだった。
「この偉業はオルトスが果たすはずだった……そう思ってしまうことは否定しません。今はただ、喜ばしいと、思います」
静かな声でそう言ったガトリンは、優しく微笑んだ。きっとそれは、無理に浮かべたものではないと、しいらは思った。
それを見ていたナシラは、一歩前へと足を踏み出した。そしてガトリンをじっと見つめる。
「オルトスがいなければ、きっとオツロは倒せなかった。オツロを倒せるかもしれないって、皆に希望を与えたのは、オルトスだから」
静かにナシラは語る。自分のオリジナルたる、英雄の話を。
「オルトスが自分の死を前にしても諦めなかったから、今僕がここにいる。全部、オルトスのおかげだ」
「っ、ナシラ……」
「オルトスは、ガトリンの英雄は、十二宮で最も優れた、偉大な勇士だ。誇りに思う」
ナシラの言葉に何度も頷いて、ガトリンは強く唇を噛み締めた。失った最愛の人の姿を思い出しながら。
滅びに直面した世界において、オルトスはまさしく救世主だった。たとえ彼が既に死んでしまっていたのだとしても、彼が起こした奇跡に等しい偉業は、アイゴケロースのみならず十二宮に光を与えたのだ。
「それも、貴女がいてくれたから、貴女が私の代わりに聖女の役目をしっかりと果たしてくれたから。それだけは、本当に、感謝しています、しいら殿」
ガトリンは感謝を口にした。しいらが聖女の役を引き継いでくれたからこそ、今の結果があるのだと。
「ありがとう、オルトスの意志を繋いでくれて、彼の戦いに意味があったんだと証明してくれて」
「そんなの、私だって……」
つられて泣き出しそうになりながら、しいらも言葉を吐き出した。
四番目の複製体、ナシラが今まで生きてこられたのは、きっとガトリンが彼に生きる喜びを教えてくれたからだ。例えオルトスの記憶を一切持ってなかったとしても、彼を支え、愛そうとしてくれたからだ。
「ありがとうございます、ガトリンさん。ナシラを、守ってくれて」
その言葉に、ガトリンは泣き出してしまう。
ガトリンのことなんて、どうしたって好きになれない。そうは思いながらも、しいらは涙を流す彼女の背を優しく撫でていた。
19 了
「お休みも今日で終わりか~」
「終わりか」
「毎日が休日だったらいいのにねぇ」
何気ない彼女の呟きに、ナシラは何かを思いついたように手を叩く。
「じゃあ、毎日休日にしよう」
「あ、ごめん今の無し。ナシラがそう言ったら本当にそうなりかねないから、別の意味でアイゴケロースが破滅するから……!」
慌てて前言撤回をし、彼女は小さく笑みを浮かべた。
今のナシラは英雄というよりも、アイゴケロースの執政という肩書きの方が強い。一応司祭たちはブレーキ役を務めてくれるだろうが、それでもこの世界を救った彼の一言は何よりも重く受け止められてしまう。
ガレアノに口を酸っぱくして言われているせいか、こんな風にナシラは執政として自分が何をするべきなのか日々考えていた。だが、なかなかその答えは出ないようだった。
「もっと単純なのでいいんじゃない? みんなが幸せになれる世界、とか」
「単純……」
しばらくしいらと同じように空を眺めていたナシラは、じっとしいらを見つめる。そして繋いだままの手を優しく握り締めた。
「しーらは今、幸せ?」
「いきなりだなぁ」
突然の質問に、彼女は困ったような顔をする。けれど、しばらく口をつぐんで考えたしいらは、ナシラの方を見ながら言う。
「幸せ、だよ。確かにまだ、今こうして生きてることが信じられない気もするし、前のことを思い出すと、落ち込んじゃう。間違えたこととか、後悔とか、いっぱい」
たくさん間違えてきたと、しいらは思った。けれど今はその間違いを、目を背けることなくしっかりと受け止められる気がしたのだ。
きっとそれは、彼のおかげだ。
「でもね、今はもう、いいことなんて起こるはずない、なんて思わないよ。だって君が、ナシラが、私に希望を見せてくれたから」
「うん」
「まだ怖いけど……信じられるよ。ナシラと一緒の未来なら、きっと……楽しいことも、嬉しいことも、これからたくさんあるって」
しいらの答えに、ナシラは満足げに微笑んだ。そして優しく、しいらの髪に触れてくる。
静かにお互いを見つめ合う。どきどきと高鳴る胸は、ただひたすらに彼への想いを表していた。
「また弱音を吐いているようだったら一度引っ叩こうかと思いましたが、安心しました」
そんな良い雰囲気をぶち壊したのは、聞き覚えのある女性の声だった。
しいらがぎこちなく背後を振り返れば、金髪の美女が立っている。それに反射的に身構えてしまうも、しいらはずっとやらなければいけないと思っていたことを思い出し、項垂れた。
元聖女ガトリン。彼女が経験したあまりにも凄惨な悲劇。望まぬまま聖女となり、幾度も最愛の人の死を経験し、心をすり減らしてきた彼女に対して、しいらはあまりにも失礼な態度を取ってしまっていたのだ。
確かにオルトスのことは秘密にされていたとはいえ、それでもしいらは謝りたかった。
「ガトリンさん、その、今まで生意気な口利いて、本当に――」
「謝る必要はありません。私も、貴女にはかなりキツく当たりましたから」
勇気を出した謝罪の言葉はあっさりと遮られ、しいらは表情を引きつらせる。やはりガトリンとは相容れないらしい。
しいらのことなど気にすることなく、ナシラの顔を見たガトリンは悲しげに目を伏せる。けれど以前のように青ざめることはなく、しっかりとその場に立っていた。
「ずっと、謝りたかった。ナシラ……あの時、貴方に酷いことを言ったと」
「…………」
ガトリンと対面したナシラの表情は複雑そうだった。それにもめげることなく、彼女は静かに頭を下げる。
「ごめんなさい。言いたかったのは、それだけです」
重い空気の中無言で見つめ合う二人を、しいらはハラハラしながら見守る。しばらくそうしていると、ナシラは緊張した表情を緩め、小さく息を吐いた。
「いいよ。ガトリンのせいじゃない」
「ナシラ……」
「みんな、悪くない。オルトスも、ガレアノも、ガトリンも。みんな、必死に頑張った。それだけだから」
拙いながらも温かいナシラの言葉に、ガトリンはじわりと目元に涙を浮かべた。
そう、アイゴケロースを襲った悲劇は、誰かに非があるものではなかった。ただ皆愛するものを守るために、闘い続けていただけなのだ。ガトリンが結果的にナシラをひどく拒絶してしまったことも、彼女が置かれていた状況を考えれば非難することなどできない。
静かに涙を拭っていた彼女は、ようやくしいらの方を見る。その目に以前のような刺々しさはなくて、こんな風にガトリンに見つめられるのは初めてだと思った。
「正直、今でも貴女のことは好きになれません」
「私も全く同意見なんですけど」
「でしょうね。……でも」
大きく深呼吸をしたガトリンは、しいらにも小さく頭を下げた。ほんの少しだけ、だったが。
「先ほど、カルキノスに戻っていたのです。他の宮も……さすがにオツロが消滅したりはしていませんでしたが、オツロの厄災が止まり、弱体化の傾向が見られるそうです」
「それって……」
「アイゴケロースに根を張っていたオツロが消えた影響でしょう。アイゴケロースがオツロに打ち勝ったことが広まれば、きっと更なる希望を他の宮に呼び起こすことにもなるはず」
思わずしいらはナシラの方を見る。彼もまた、ガトリンの報告に驚いているようだった。
「この偉業はオルトスが果たすはずだった……そう思ってしまうことは否定しません。今はただ、喜ばしいと、思います」
静かな声でそう言ったガトリンは、優しく微笑んだ。きっとそれは、無理に浮かべたものではないと、しいらは思った。
それを見ていたナシラは、一歩前へと足を踏み出した。そしてガトリンをじっと見つめる。
「オルトスがいなければ、きっとオツロは倒せなかった。オツロを倒せるかもしれないって、皆に希望を与えたのは、オルトスだから」
静かにナシラは語る。自分のオリジナルたる、英雄の話を。
「オルトスが自分の死を前にしても諦めなかったから、今僕がここにいる。全部、オルトスのおかげだ」
「っ、ナシラ……」
「オルトスは、ガトリンの英雄は、十二宮で最も優れた、偉大な勇士だ。誇りに思う」
ナシラの言葉に何度も頷いて、ガトリンは強く唇を噛み締めた。失った最愛の人の姿を思い出しながら。
滅びに直面した世界において、オルトスはまさしく救世主だった。たとえ彼が既に死んでしまっていたのだとしても、彼が起こした奇跡に等しい偉業は、アイゴケロースのみならず十二宮に光を与えたのだ。
「それも、貴女がいてくれたから、貴女が私の代わりに聖女の役目をしっかりと果たしてくれたから。それだけは、本当に、感謝しています、しいら殿」
ガトリンは感謝を口にした。しいらが聖女の役を引き継いでくれたからこそ、今の結果があるのだと。
「ありがとう、オルトスの意志を繋いでくれて、彼の戦いに意味があったんだと証明してくれて」
「そんなの、私だって……」
つられて泣き出しそうになりながら、しいらも言葉を吐き出した。
四番目の複製体、ナシラが今まで生きてこられたのは、きっとガトリンが彼に生きる喜びを教えてくれたからだ。例えオルトスの記憶を一切持ってなかったとしても、彼を支え、愛そうとしてくれたからだ。
「ありがとうございます、ガトリンさん。ナシラを、守ってくれて」
その言葉に、ガトリンは泣き出してしまう。
ガトリンのことなんて、どうしたって好きになれない。そうは思いながらも、しいらは涙を流す彼女の背を優しく撫でていた。
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