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 頑張ったって必ず報われるわけではない。そんなの、当たり前のことだ。誰だって知っている。
 けれど過去の彼女は、その事実から目を背け続けていた。だからこそ、それを現実でまざまざと見せつけられたとき、耐えられぬほどの絶望に呑み込まれてしまった。


「努力なんて、自分が納得するためにするものだよ。それなのに、周りに期待して、報われなかったことに勝手にショック受けて……ほんと馬鹿みたい」


 ベッドの上で蹲りながら、しいらはそう吐き捨てた。
 報われなかった。報われなさすぎた。楽しいことも嬉しいこともあったはずなのに、もう何も思い出せなくなっていた。魔法が解けてしまった母のいない世界は、彼女にとってあまりにも残酷なものだった。


「だからもう、頑張らないって決めたのに、何も抱えない、何も大事にしないって……なのに」


 それが危険なことだとは分かっていた。母のときと同じことが起こり得ると、頭の片隅では分かっていた。それなのに。
 どうしようもないほどに恋しく思ってしまった。自由気ままな彼の姿を、微かで優しいあの笑みを、温かな腕の中を。


「ほんと、ばかだ…………」


 彼は行ってしまった。自分が希望になると、そうしいらに伝えて。
 ただそばにいてくれるだけで良かったのに。母みたいに、いなくなって欲しくないだけなのに。
 再び自分を襲うかもしれない悲劇に、彼女は震えた。また深い苦痛の海の中に沈んでいって、ずっとそこでもがいているような心地だった。

 既にナシラが出ていってからかなりの時間が経っていた。延々と続くかのような無情な時間に擦り減っていくしいらを、ルーヴェは心配した様子で見つめる。


「きっとナシラは帰ってきます。そう貴女に約束したのでしょう? ですから……」
「そんな気休めいらないです。いいことなんて何もない、これからも……ナシラだって、もう……」
「そんなことを言ってはいけません……!」


 既に諦めかけているしいらをなんとかルーヴェは押しとどめようとする。今にも再び命を絶ってしまいそうな彼女の姿は、ルーヴェにとって放っておけるものではなかったからだ。


「努力の報いを期待することの何がいけないのです。誰しもが苦痛とは無縁でありたいと、常に幸せでありたいと願っています。貴女はただ、ただ……巡り合わせが悪かっただけなんです。貴女に非は一つもありません」


 必死に呼びかけてもしいらは何も言わない。もはや自分の言葉など届かないことなど分かっていながら、ルーヴェは語り掛け続ける。


「ナシラは必ず帰ってきます。あれほど貴女を大切にしていた彼が、何の策もなしにオツロと決着を付けようとするはずがありません」


 そんな二人の姿を少し離れた場所から見ていたガトリンは、重々しくため息をついた。今の弱りきったしいらの姿は、彼女からすれば不快以外の何物でもなかった。
 未だ虹の浮かんだ白い空を塔の大穴から眺めて、そしてしいらへと視線を向ける。


「未来に希望が持てないのなら、また終わりにすればいいのではありませんか」
「ガトリン殿……!」


 ガトリンの嫌味にもしいらは顔を上げない。それにガトリンは僅かに眉根を寄せるも、構わずに言葉を続けた。


「辛いのでしょう。苦しいのでしょう。逃げたいのでしょう。それなのになぜ、貴女はまだ生きようとしているのですか?」


 しいらは思わず唇を噛み締めた。
 全部諦めているのなら、いいことなどもう起こらないと思っているのなら、なぜ以前のように自分を殺さないのか。そうガトリンは言いたいのだ。


「ガトリン殿、しいら殿を刺激するような発言はやめてください!」
「いいえ、ルーヴェ殿。今の彼女に自分の命を手放す勇気などありません」
「それは、なぜ……」


 鋭く突きつけられた自分の本心に、しいらは苦々しげに顔を歪める。
 裏腹だ。何もかもが。本当は分かっていたはずなのに、しいらはそれを認めたがらなかった。


「彼女はこの状況でも、ナシラの生存を諦められないのですよ。……絶望的な結果を目にするまでは。けれどそれは、まだ希望に縋っていることと同義です」
「……そんな、もの」


 もう信じないと決めた。希望なんて抱かない方が楽だから、裏切られると辛いから、だからこの先にいいことなど何も起こらないと決めつけて、自分の目を塞いでしまった。

 でも本当はまだ信じていたかった。この先にきっと、幸せが待っているんだって。
 ナシラが、生きて戻ってきてくれるんだって。


「死ねるわけ、ない……もしナシラが、帰って、来たら……」
「ええ、そうでしょう。貴女にとってナシラは、生きたいと思える唯一の理由なのですから」


 だからと、ガトリンは言葉を続ける。


「自分の本当の気持ちだけは、受け止めてあげなさい」


 その言葉に、彼女の心は震える。
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