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しおりを挟むアイゴケロースの聖女、呼び名はメレフ。金色の髪の女性、ガトリンと名乗った彼女も以前はその名で呼ばれ、かつてはこの聖宮に住み、聖女としての役目を果たしていたのだという。
出身はもちろん、カルキノス。今のところ、最後のカルキノスの聖女、だった。
「まず最初に……もう少しまともに服を着れないのですか」
しいらの周りを一周したガトリンは、険しい表情で言う。しいらが着ている聖女の服をひとつまみすると、あれこれぴしぴしと正していく。
「確かに聖女の主な役目は英雄との夜伽です。ですが聖女は娼婦ではないのですよ。聖女の名に恥じぬ、清廉な姿でなければなりません。貴女にその自覚はあるのですか?」
「……すいません」
「筋肉も薄い……もっと運動なさい。それでは英雄の癒し手の役は果たせませんよ」
次々とガトリンはしいらに対してダメ出しをしていく。
やれ言葉遣いが汚い、発音が正しくない。知識の確認をすれば、こちらに来て一月も経つのにまだそんなことも知らないのかと責められる。挙げ句の果てには説教が始まり、聖女に必要なものは云々ぐちぐちと御託を並べられる。
一緒にいたルーヴェは必死に耐えてくれと伝えてきたが、いくらなんでも我慢の限界だった。なぜ初対面の相手にここまでダメ出しをされなければならないのか。そう、しいらは苛立ちを表に出した。
「確かに私は聖女の仕事がこなせてるとは言い難いけど、この世界の言葉だってある程度話せるようになって、お役目だって一日も休んでないんですけど」
今だって十分働いている。声を荒げてしまいそうになるのをなんとか堪えて、しいらはそう主張した。
だがその言葉に微塵も揺らぐことなく、ガトリンはすぐさま口を開く。どうやら退くつもりは一切ないらしい。
「貴女には聖女という仕事の重要性が何一つ分かっていない。聖女は英雄にとっての生命線なのですよ? そして宮の執政でもある英雄の補佐役であり、英雄の品格を示す顔でもあるのです。アイゴケロースの人々の前で、自分が聖女であると胸を張って言えますか!」
「は、はぁ……? そんなの、言えるわけないでしょ。だって私は突然異世界に連れてこられて、聖女は夜に英雄様と寝とけばいいって言われただけだし」
「口を開けば言い訳ばかり! 異世界から来たなどという話は免罪符にはなり得ません」
しいらの事情に一切同情を見せず、ガトリンは厳しい表情で彼女を睨みつける。
自分ではどうしようもない事情を言い訳などと切り捨てられたしいらは、流石に怒りを露わにする。そんな彼女の火に油を注ぐように、ガトリンの言葉が無慈悲にも突き刺さった。
「聖女として恥じぬ姿になるよう、貴女は更なる努力を重ねるべきなのです!」
一歩も引かず口論を続ける二人を、ルーヴェはおろおろとした様子で見つめる。何せしいらをそれなりに知っている彼には、先程のガトリンの言葉がしいらの地雷のようなものを踏んだのが分かったからだ。
一瞬押し黙ったしいらは、きつく自分の手を握り締めた。爪が手のひらに食い込んでしまうほど、強く。
「聖女としての努力、って何ですか。どうせオツロと戦うのは英雄さまなのに、安全な場所にいる聖女に何ができるって言うんです」
声が震えるのは、理不尽さに対する怒りからだった。頭の中に響いてくる呪いのようなあの言葉をかき消すように、しいらは続ける。
「どんなに頑張ったって絶対に報われるわけでもないのに。辛いのを必死に耐えたって、その先必ず幸せになれるわけでもないのに」
それはガトリンへの恨み言であると同時に、彼女の中でずっと引っかかっていたものでもあるのだろう。一瞬だけ泣き出しそうな顔をしたしいらは、絞り出すような声で問いかけた。
「どうして人に努力しろなんて、言えるんですか」
「しいら殿……」
恨めしそうにしいらに睨まれたガトリンは、少しだけ冷静になったのか小さく息をつく。
「言ったでしょう。聖女は英雄にとっての生命線。オツロとの戦いには、強い生命力が必要となる」
しいらの視線にも物怖じすることなく、ガトリンは彼女の目の前に立った。
「生命力は、身体に備わるものだけではありません。生きたいという、生への強い渇望……故に、聖女は戦う度に死へと近付いてしまう英雄に、生きる意志を授けなければならないのです。それこそが、遠い戦場に立つ英雄にとって、何よりも強固な盾となるのですから」
その言葉に、ガトリンは一欠片の疑いも持っていないのだろう。彼女の言葉はあまりにも真っ直ぐで、そして鋭かった。
しいらもそれを聞いて思った。ガトリンは正しいことを言っている。確かに聖女は、英雄にとってなくてはならない生命線なのだと。
でも、だからこそ痛いほどに理解してしまう。自分にそんな役割を果たすことは、到底不可能だということに。
「それなら尚更、私に聖女の仕事はできません」
「……!」
驚いたのはガトリンだけではない、ルーヴェもだ。だが彼は何かに気付くと、しいらから目を逸らし、俯いてしまう。
「貴女、自分が今何を言ったか分かって……」
「そもそもの話だけど、そんなに私に文句言うなら貴女がもう一回聖女やればいいじゃないですか」
「それ、は」
痛いところを突かれたのか、ガトリンはようやく言葉に詰まった。
この反応を見るに、彼女には聖女に戻れない事情というものがあるのだろう。だがその理由を詮索する気にもなれず、これ以上ガトリンと顔を合わすのも嫌になったしいらは、話を終えて自室に戻ろうと踵を返した。
そこで彼女は、視界の中に見覚えのある白い髪を見つけた。
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